第1話 俺を呼んだのは、俺を読んだ少女たちだった
明日から始まる高校生活。名門・帝凰学園。最初は諦めていた。けど、応援してくれる依織と遙のお陰で、なんとか奨学金を勝ち取れた。
維持するには弛まぬ努力が要求されるだろう。でも、それ以上に――今は嬉しい。
おろしたての制服に袖を通し、俺は部屋の扉を開け、最高の一日を始めるはずだった。
……ハズだったのだ。
だが、ごく普通のアパートの扉の向こうは見たことのない部屋だった。薄暗く、広さもわからないような中、少女たちが俺を囲んでいた。古い紙の匂いに、少女たちがつけているだろう、それぞれの甘い香水のような香りがまじっていた。
「き、きた……!」
眼の前の少女が息を呑む。眼鏡越しに零れ落ちそうな瞳を限界まで見開き、次の瞬間――
「きゃああああああっ!!」
耳をつんざく悲鳴。
鼓膜をビリビリ揺らす、可憐な叫び声。
なぜ、だれ、なんで。さん種類の疑問符が競合することなく一斉に頭に上る。
完全にパニック状態に陥ったが、目の前の少女はそれ以上の動揺っぷりで、俺を指さし叫び続ける。
「な、なに!? 落ち着いて! 俺、何も――」
言い終える前に、いつの間にか、距離を詰めていた左右に控えていた少女たちも、甲高い悲鳴に添えるようになかなかの大声をあげた。
「本物……本物だ!!」黒髪の少女は俺を珍獣でも見るかのように、指差していった。
「う、うそ……本当に、成功、成功しちゃったよぉ!!」ツインテールの少女はそう叫ぶと、目元を両手で覆ってぐずぐずと肩を上下に揺らした。
「ねえ、見て! この目元のほくろ! 挿絵通り……」叫んでいた眼鏡の少女は俺を置いて残りの少女へ言った。
口々に、勝手なことを言って、一人は号泣している。
目の前の子は中学一年生くらいだろうか。こんな幼い子供に、しかも女の子に、叫ばれたくらいで俺までパニックになるなんて情けない。
呼吸を整えて、落ち着いて考えてみよう。
本物、挿絵、ほくろ。気になるワードは多い。でもとりあえず、何かの事件に巻き込まれたわけではなさそうだ。だって、少女たちの様子がおかしいが、言葉も通じるし。
俺は落ち着いて、目を開けた。
できれば夢であって欲しかった光景は、目を瞑る前と寸分違わずそこにあった。
他人に指を刺されたままは気まずい。混乱が落ち着いてきた。視線を落とすと床には歪んだ円陣がある。黒板にチョークで書いたみたいな線が、石畳に焼き付いている。アルファベットのような文字が添えられているが、読み解ける言葉はなかった。
冷たい風が吹き込んで来ている。春先にしては、冷たすぎる。風の元はどこか。顔を上げると、小さな窓がにいくつも壁についていた。
窓の外には、赤色の月のようなものが二つ。
月が、二つ。
でも、でも、事件じゃない。そういうこともあるかもしれない。
俺は、今日から学園に通うのだ。伊織と、遙と。
でも、それは叶わないかもしれない。
だって、俺の世界の月は一つだったから。
異常事態だと理解した瞬間、俺は再び、抜け出したばかりのパニックという沼にハマっていた。背後には少女たちの気配――俺を見ている。
今度は、ただの子供と思うには俺は彼女たちを恐れすぎていた。
「お、お前ら……誰だよ。ここ、どこ――」
「あなたは」
ツインテールの少女が、拳を握って言った。目は異様に、赤く爛々と光っており、俺の言葉が通じているとは思えない。
「トウジョウ・スズ様、ですよね?」
たしかに、俺は東城鈴だ。この少女は俺を知っている。
俺はこの場にいる少女たちの誰も知らない。
非対称な関係。
どこまで知っているのか、わからない以上、ごまかすことは得策とは思えない。
ぎこちなく頷いてみせると、隣のメガネの女――最初に俺に悲鳴を上げた女だ――が俺の手を取り食い気味にいった。
綺麗な顔をしていることを加味しても、十分不快に感じる距離だった。
「わ、わたしっ、アルヴィラ・アムールといいます!! ぜ、ぜひ、アルとと、読んでください! その、名前で呼ばれるの……私、ずっと……っ」
馴れ馴れしい声と好調する頬。
言葉なくとも彼女が俺に好意的感情を持っていることが伝わってくる。しかしこの状況では不気味以外の何ものでもなかった。
アルヴィラが俺の手に触れた瞬間、ツインテの子の肩がピクリと跳ねた。ブルブルと震え、次の瞬間には手を引き剥がして吠えるように言った。
「スズ様はハルカ様以外とそういう空気にならないのよ! そこ、崩したら全部終わるの!」その発言に、怒鳴られたアルヴィラよりも早く、静観していた黒髪の少女が怒鳴り返した。
「カミリー。訂正を要求する! イオリとハルカ以外、だ。 原作を忘れたか?」
ハルカ。イオリ。
この見知らぬ少女たちの口から、二人の名前が出る。それは出鱈目な悪夢を見ている気分にさせてくれた。
なぜか、こいつらは、俺の友人である二人の名前も知っている。
それならば、この訳のわからない状態に、彼らが巻き込まれることもあるのか。それは断じて止めなければならない。
「おい、なんで伊織と遙の名前を、」
俺は怒鳴った。
怒鳴るつもりだった。
だが、言葉は中途半端に、黒髪の少女のにんまりとした不気味な笑みに詰まってしまった。少女はアルヴィラ、カミリーと呼ばれた少女たちに向かって誇らしげに言う。
「聞いたか? やはり僕は正しかった! イオリと、ハルカ! イオリが先なのだ!!」
「だまりなさいエデラ!! あんたの腐った妄想を打ち砕く根拠なら原作に死ぬほどあるのよ!!」
エデラに掴みかかる、といっても体格差からカミリーに一方的に暴行を受けているかのような状態で、
「ふ、ふたりとも落ち着いてっ」
アルヴィラが割って入る。
もはや俺の存在を忘れたかのように、取っ組み合いになる少女たち。
「おい、どういうこと――」
「――いい加減になさい。 私が協力したときの条件を忘れたの?」
もう一人。そこにいたことを認識できなかったのは、ひときわ小さな背丈のせいだろうか。少女が現れた。
存在にすら気づいていなかったのに、体躯に見合わぬ圧倒的な威圧感を放ち、その場の全員が彼女の次の言葉を邪魔することが大罪であるかのように静かになった。
ようやく現れた話ができそうな子が、こんなに小さい子供なんて。
「貴方を召喚したのは――貴方の持つ、聖なる治癒の力。魔法とも、魔導とも異なる――あなた達の言葉で、異能力を使ってもらうためよ」
冷酷な目。明らかに俺を対等な人間として見ない目で彼女は言った。命令することに慣れ切った人間特有のオーラ。
「あっ、ち、わ、わたしは違いますから!」「私だって!」「僕も違うよ!」子供の言葉が途切れると、少女たちは慌てて言葉を否定した。
子供はため息を漏らす。「そうね、その三人は違うけど……私は、貴方を必要としているの。 協力しないというのなら」
ゆらりと、彼女を取り巻く空気が殺気へ変わる。
さっきまでもみくちゃになっていた三人の少女は、俺を守るように駆け寄ると前に出た。だが、不安そうに振り返り、自信なさげに手を握りしめている。
「ご、ごめんなさい。いきなり巻き込んで、驚くかもしれないけど、スズ様は――」
「……物語だ」エデラが淡々と口を挟んだ。
「スズは物語に登場する人物。君はこの世界の人間じゃない。――この世界の物語の登場人物だ」
「は?」
意味がわからない。
俺が声を漏らすと、エデラは視線を床の魔法陣へ落とした。
「スズの世界は、物語は、伝説の大魔法士ヴィンダーダが観測した遠い星、と書き記した物語。当然僕らはそれを信じたわけじゃないが、こうして改造した召喚が君を呼んだことを考えると、また解釈の余地も変わる。
つまり、今の理解でいうならば――君は」
「な、なにをいって……」
トンチキな言葉の数々に、脳が理解を拒む。
何を言っているんだ。こいつらは。俺が物語の登場人物? 正気じゃない。
こいつらかなら逃れる術は。後退りながら思考を巡らせることはやめない。
「ち、違うの、怖がらせたいわけじゃ……!」
後退した分を取り戻すように、アルヴィラは歪な笑みを浮かべて踏み出すと、俺の手に触れた。
じんわりと、移る熱は彼女が紛れもなく人であることを伝え、この悪夢を否定する感触がした。だが、俺にはアルヴィラが、少女たちが正気だとは思えなかった。
「スズ様は、この世界で……本当に本当にす素晴らしい人で……作品で……。だから、私たち、あなた様を――」
どうしたら俺に伝わるのか、途方に暮れてた彼女は、結局もっと端的に言うことにしたらしい。
「……あなたは、ここではフィクションなんです」
「フィクション? 物語? お前らは、なにいってんだ……?」
誰も、俺の疑問には答えない。
説明する言葉をもたないかのように。
締め付けられるような空気の中、はっと髪を振り乱したアルヴィラは地に頭をこすりつける勢いで、リーダー格らしき子供に頭を下げながら向き直った。
「も、申し訳ありまんせん、フリージア様! スズ様はっ」
アルヴィラを無視して、フリージアは俺をみた。
確信した絶望、それでもなお威厳を保とうと、わなわなと震えながらも、彼女は最後の確認をした。
「――答えなさい。 あなた、今物語のどこにいるの」




