第9話 俺は復讐をしようと思う
意識より先に痛みがあった。原始的で、わかりやすい、単純明快な、痛み。曖昧にぶれる景色の中、俺は常に痛みと共にあった。誰よりも、共に過ごした隣人。あの家で過ごした全ての夜に、寄り添ってあった。
「――お目覚めになりましたか?」
カミリーが俺を覗き込んでいた。頭上に感じる柔らかさは、彼女の太ももだ。
「ざ、けんなよ」
喉が掠れて痛む。喉だけじゃない。体の、名称も知らない細かな箇所が一斉に軋み出した。俺の身に起きた暴力に対する抗議の合唱。
「おめでとうございます」
俺の言葉が聞こえていなかったようで、彼女は柔らかく微笑んだ。不気味なエデラの笑みとも、フリージアの自信ある触れる笑みとも異なる。うっとりとした慈愛に溢れる笑みだった。
騙されてはいけない。
こいつは全く同じ笑みを浮かべて、俺を殺せる。
「スズ様は私の魔法によって、血液の約30パーセントを失い」華奢な少女の不釣り合いな古傷にまみれた手が俺の腹を撫でる。「内臓を破損し」左足の付け根から流れるように手を滑らせた。「大腿切断いたしました」
そしてもう一度、言った。
「おめでとうございます、無事、スズ様は癒しの異能を発現いたしました」
彼女の浮かべる、凪いだ笑顔の真意は。
考えても答えなんて得られない問いだった。
「自己対象で発現できれば、あとは対象を拡張するだけです。これは一般的な魔導学原理と同じで……」カミリーは授業を続行させた。
柔らかな女性特有の肉付きをした手が俺の手をとった。
「傷だらけで、醜くてすみません」もっと、すみませんと思う瞬間があったと思う。俺を殺しかけたこととか。それに比べれば、これが、少女が俺の手を握るくらいなんだというのだ。
答えない代わりに、強く握り返した。
彼女は俺の手を握るのとは逆の手で杖を持って、かかげた。飛び散った家具のいずれかに入っていたのだろう。シンプルなペーパーナイフが瓦礫の山から飛び出し、そのままカミリーの腕に刃先を添えて浮いた。
「目を逸らさないでください」
本来、人を切るためのものではない。それを強引に皮膚に沈めた。そしてゆっくりと、前進させる。ゆっくりゆっくり。通った後には、赤い軌跡が残る。
親指と、人差し指を引き裂き、それはついに俺の手に侵入した。
ギリギリと肉と皮を押し分ける。どうしてこの痛みにうめき一つあげずにいられたのか。
カミリーのスタート地点と同じくらい、つまり手のひらの付け根と肘の中間地点まで、一本の赤い軌跡を描くとそれは止まり、ゆっくりと俺から離れた。
「まずは、ご自身の傷を治してください」
「バカ言うな……俺には治したい記憶、ないんだぞ」彼女が淡々としているのに、どうして俺がうめいたり嘆いたりできるか。痛いと喚くのを堪えてなんとか抗議した。
その間も、赤い道からはいくつもの枝分かれが生まれ、つたい落ちていった。
もし俺に、この傷を治せる力があるのならば。
エデラが触れた場所を思い出す。そこに、そんな力が秘められているのならば。
俺は、こんな無茶をする目の前の女を治したい。
「え……?」
ぽかんと口を開ける姿。今日一気分がいい。
俺は昔から天邪鬼なんだ。だが、この結果は俺も予想していなかった。不意に笑ったお釣りの息がこぼれる。
俺はカミリーの、体に染みついた傷を、一つ一つ治していた。
心臓の奥、体の芯が持つ熱を分ける。あえて言葉にするなら、そう言う感覚だった。カミリーは冷凍庫を漁っていたかのようにキンキンに冷えていて、触れているだけでこっちも凍えそうだった。
それでも、メソメソ泣かれるくらいならずっとマシだった。いや、別に目の前で実際にカミリーが泣いているわけではない。
でも目を瞑れば、はっきりと見える。
俺に根元があるように、こいつにもあって、それが今俺にはくっきり見えた。何かを抱えて、喚いて、頬から大粒の涙を流している。
痛くて、消したい傷を持て余している。だから、俺はこいつにされたことの復讐に、お前の傷を消すのだ。これは復讐だ、仕返した。
「ち、ちがう! これじゃないっ」
慌てる声がおかしくてたまらない。やめてやるもんか、お前の傷を癒すんだ。ぜんぶ。
絡み合う紐のように、俺から伸びる癒しの異能がカミリーの腕を飲み込んで、服の隙間から彼女へ触れる。慌てて降った首の隙間から、うっすらと覗くやけど跡。それもだ。
なるほど、化粧で隠していたのか。頬に触れる。
「ざまぁみやがれ」
「どうして!!」
傷の一つ一つが、彼女が生きた戦場だった。彼女は戦場にいる。いや、いた、だ。俺は俺の目の前に、こいつを連れ戻さなければいけない。引き摺り出さなければいけない。
彼女が負った最後の傷、まだ血も乾かないうちに、その傷は逆再生するように跡形もなく消えた。
だが、きっちり、そこで電池が切れたように俺の体は、力はぴたりと停止した。俺の意識と同時だった。




