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6.フィナーレ:エースの花は胸元に咲く

 梨木田義弥は予想外の状況に冷や汗をかいていた。


 元々は、森尾に誘われて始めたイカサマポーカーである。

 自身のポーカーの知識と手先の器用さを合わせたこのイカサマは、思いのほか簡単にはまって気軽に大金を稼げるようになった。


 イカサマの種は、裏面から表面の内容を読み取れるトリックデックと、両面がAになっているギミックカードである。

 カードの裏面を読み取ることで、場にエースのダブりが無いことを確認して、両面エースを手札のカードに重ねることで、彼らはポケットエースを高頻度で完成させることができる。


 このイカサマを使って、コンパで誘った大学生や路上ナンパの女子大生を何人もひっかけて来た。

 コツとしては、カモとなる対象は友達と一緒にいるところを連れてくることだ。人は集団でいると気が大きくなるし大胆な行動をとりやすくなる。そうして少額の掛け金からゲームをはじめ、うまいことおだてて勝たせた後に、大きな勝負に誘うようにする。


 梨木田はかつて、競技者としてポーカーに魅せられた過去があった。しかし、その夢はとあるプレイヤーに負けてから冷めきってしまった。今の彼にとってポーカーはただの金稼ぎの道具になり果ててしまった。なんだったら、真剣に勝負をするなんて馬鹿らしいとすら思っている。


 どう相手をおだてて、博打の射幸心をあおって、如何に大金を賭けた勝負に向かわせるか。

 今の梨木田にとってはそれがゲーム性で、皮肉にも性格にうまくハマってしまったのだった。


 柔和な表情と盛り上げて、上手な会話運びで女の子たちの警戒心を解き、調子に乗って賭けの金額が大きくなったところで負かしていく。

 博打の射幸心に魅入られた女の子たちはもう引くに引けず、不相応な借金をしてまで勝負をしてしまう。


 そうして、梨木田たちは何人もの同年代をカモにして稼いできていた。

 しかし、イカサマポーカーも規模が大きくなってきたので、そろそろ潮時だとは思っていた。もうすぐ大学も卒業だから、それが辞め時だろうくらいに漠然と考えていた。


 霞ヶ丘塔矢と竜胆梨々花の襲来は、そんな矢先のことだった。


 自分は何もしていないのに、なぜか相手と全く同じハンドになるという現象。

 カードのダブりなんて、イカサマをしている現場を押さえられたようなものだ。

 何とかその疑惑をよそに向けるように言い訳をして、新品のトランプを使って続行することで手打ちにできた。


「じゃあ、新しいカードを買ってくるから、テーブルのカードを片付けといてくれないか?」


 自然な流れで梨木田は席を立つと、VIPルームを出てバーカウンターに向かう。その途中で、ポケットの中に手を入れてカードをぐしゃりと握りつぶした。両面がエースのギミックカード。これが、唯一この場で梨木田にとっての致命傷だった。

 これさえなければ、今後何かトラブルがあっても強気に出られる。ゆえに、今の時点でカードを処分する必要があった。


 梨木田はバーカウンターでマスターから新品のカードデックを三箱購入するとともに、握ったままのこぶしを差し出して「これ、処分しといて」とこっそりと囁く。マスターは無表情のまま握りつぶされたギミックカードを受け取った。


 これでどうにか、イカサマ道具は処分できた。

 ほっと一息ついた所で急に寒気を感じた。冷や汗のせいか汗ばんだシャツが妙に冷えて仕方ない。


「なあ、マスター。暖房効いてないのか?」

「先ほどお嬢さんから、暑くて息苦しいから消してくれと頼まれたんですよ。でも、確かに冷えてきましたね。もう一度つけますが、暖かくなるまで時間がかかりますよ」


 このポンコツ空調めが、と毒づきながら梨木田は席に戻った。

 ポーカーテーブルに新品のデックをテーブルに三つ置くと、霞ヶ丘に対して言った。


「これ以上疑われるのもゴメンだから、開ける前にそっちでも確認してくれ」

「ああ。分かった」


 霞ヶ丘によってデックのチェックをされているうちに、梨木田は椅子に掛けていたジャケットを羽織ると、その椅子に深く腰掛けた。

 予想外の状態になって焦ったが、なんとか急場はしのいだ。後は穏便に勝負を終わらせるだけである。


 先程の騒動のせいか、ポーカーテーブルの周りにギャラリーが集まってきているので、下手なことをすると悪目立ちしてしまう。できれば早く負けてしまってこの二人にはお帰りいただいた方が良いだろう。

 そう決めてしまえば後は消化試合である。


「チェックは終わった。これを使って、他は処分する。先に混ぜてくれ」


 霞ヶ丘からデックを渡された森尾が通常のシャッフルを行う。

 その後、カードを受け取った霞ヶ丘がデックを三分割して交互に入れ替えるようにしてカットを行う。こうして、デックの順番に仕掛けなど無いことを提示した。


「はいっ。じゃあ仕切り直しですねっ!」


 竜胆が手のひらを合わせながら甘ったるい声で言う。

 一人だけ場違いな明るさに周囲は苦笑いを浮かべるが、本人はそれに気づいている様子はない。


 まあ良いさ、と。梨木田は気を抜いたまま勝負に臨む。

 配られるカードの裏面を目が自然と追うが、その裏面が指す事実にすぐは理解が及ばない。


 ただ当たり前のように受け取って、

 そして――自身の手札を見る。



 二枚のカード――《《♥A》》・《《♣A》》

 《《ポケットエース》》。



「…………………っ」


 思わず声が出そうになった。

 どういうことだ、と責めるように森尾の方を見るが、彼は怪訝そうに梨木田を見返してくるだけだ。その反応を見るに、これは森尾の仕掛けではないらしい。

 では、本当にこの二枚のエースは、偶然配られたということだろうか? そんな、出来すぎた確率――ポケットエースの発生確率は〇・四五%。

 二百二十一回に一回の確率。

 そうそう起きないが――絶対に起きないとは言えない程度の確率である。


 降りてしまえ、と心の内が叫ぶ。

 しかし、今すぐにフォールドするのはあまりに不自然だ。基本的にフォールドの際はカードを伏せたままにするが、何かの弾みで表になった場合、なぜポケットエースで降りたのかとあらぬ疑いをかけられることになる。


 降りられない、と思いながら、梨木田は渋々勝負に参加する。

 ヘッズアップでは一回ごとにポジションが変わるので、今度は梨木田が先にアクションする必要がある。


「……コール、千円」


 普通ならポケットエースはレイズ一択だが、消極的戦略で行きたい彼はコールしか出来ない。

 それに対して竜胆は「じゃ、私もコール」と勝負を続行した。


 ゲームは次の段階に進む。

 フロップに移り、三枚の共通カードが開かれる。


 ボード:♠J・♥7・♣9


 フロップの内容にホッとする。どれもAとは絡んでいないので降りるのは不自然ではない。

 だとすると、後は竜胆側の手札だ。

 そこでようやく、梨木田は竜胆の手札を盗み見た。彼女は無防備に二枚のカードをテーブルに置いている。裏側から読み取れるカードの内容は、♥10と♥J――悪くない。それどころか、このボードに対しては最高に勝負手だ。


 これならうまく負けられる――そう安心した所に、落雷のような衝撃が落とされた。


「よーし、強そうだし勝負しちゃおっ。オールイン。全額を賭けます」


 竜胆莉々花は、晴れやかな笑顔とともに全てのチップを賭けた。

 今日何度目の驚愕だろうか。セオリーは何一つ通用せず、予定外に予想外を塗り重ねた、とんでもない嵐のような衝撃が容赦なく襲ってくる。


 もはやどうするのが正解かもわからない中、梨木田は必死で最善策を考える。


(――今一番重要なのは、この勝負を一刻も早く終わらせることだ。今日はあまりにもイレギュラーが多すぎる。霞ヶ丘と竜胆のどちらが原因かわからないが、この二人はやばい。はっきり言えることは、このまま続けていたら絶対良くないことが起こる)


 だとしたら、今のこのハンドは良い状況なのではないか?


 梨木田は残されたデックの一番上を盗み見る。

 裏面から読み取れるカードの内容は♦8だ。つまり、この時点で竜胆のハンドはストレートが完成する。仮に五枚目のリバーで三枚目のエースが落ちてきたとしても、スリーハンドよりストレートの方が役の強さは上だ。つまり、勝負に乗ったとしても梨木田は順当に負けられる。


 大きく賭けて、大勝負の中で負ける事ができる。

 その誘惑が甘美な魅力として目の前に提示される。


 それは抗いきれない誘惑だった。


「良いね。最高だよ、竜胆ちゃん。そんな風に大見得切られちゃったら、俺の今の手札じゃあ勝負に乗るしか無いよね」


 芝居がかった言い方をしながら、梨木田は自分のスタックの中から同額分を出して「コール」の宣言をする。結果、総額二十万の勝負となった。イカサマポーカーでさんざん巻き上げてきた梨木田にとってはそれほど大きな金額ではないが、普通は気軽に手が出せない金額だ。


 集まっていたギャラリーたちも、予想外に大きな勝負になって盛り上がってきている。この店のギャラリーは梨木田たちがポーカーで大勝ちしてきているのを見てきているので、今回もカモが食われるのか、はたまた逆転されるのかを野次馬として楽しんでいるのだろう。


(まあ、これくらいギャラリーがいる中で負ければ、違和感もなくなるだろう)


 手元の二枚のカードを憎々しげに見下ろす。そもそも、こんなタイミングでエース二枚なんてものが来るから動揺したのだ。さっさとこんな厄介なハンドは捨て去りたい。そんな思いとともに、梨木田はハンドを表にする。


「悪いけど、こちらはポケットエースでね。まだボードには絡まないけど、ターンとリバー次第ではまだ勝ち目が、あ、る……」


 絶句。

 言葉が詰まって呼吸すらおぼつかなくなる。

 おそらく、今日だけで一生分の驚きを使い果たしたに違いない。そう考えてしまうくらいに、真向かいの女が開いたハンドは、梨木田の常識を粉微塵に粉砕してくれた。


「あれー? あれあれあれ~?」


 癇に障る高い声。

 わざとらしく口元に手を当てながら、竜胆は満面の笑顔で驚きを口にした。



「すっごい不思議。《《また梨木田さんと全くおんなじカードだ》》!」



 竜胆が開いたカードは、♥A・♣A。

 スートもランクも梨木田のハンドと全く同じ。

 まるで鏡写しのような結果が、ポーカーテーブルの上に広がっていた。


「い、い、いい!」


 喉が狭くなって言葉がうまく出てこない。

 あまりの勢いに咳き込むようにしながら、必死で息を送り出して叫ぶように言った。


「イカサマだ! こんなことあり得ない! 今回使ったのは新品のデックだ! 使いまわしたもんじゃない。だとしたら、イカサマしか考えられない!」


 梨木田の必死の主張に、ディーラー側にいる霞ヶ丘がそっけなく口を開く。


「デックは森尾と俺の二人でそれぞれカットした。狙って仕込むのは無理だろう」

「だったらすり替えだ! カードが配られた後で、手元でカードをすり替えたんだ。それ以外に考えられないだろう!」

「ひっどーい! わたしそんなことやってませんよ」


 いけしゃあしゃあと言う竜胆の甘ったるい声が癇に障る。

 梨木田は苛立ちをぶつけるように、先ほどまでは言えなかったことを口にした。


「じゃあ身体検査だ。カードを処分する暇がない今しか無い。身体の何処かにカードを隠してないか、調べさせろ!」

「むー。いいですけどぉ」


 意外にも竜胆は素直にその提案を聞き入れる。

 だが、仕返しとばかりに唇を尖らせてこう付け加えた。


「梨木田さんもやって下さいよ? だって、カードがダブったのはそっちもなんですから」

「……ああ、もちろんだ」


 すでにギミックカードは処分しているので、梨木田も身体検査を受けるのは問題なかった。

 検査はそれぞれの身内が相手側を見るということで、森尾が竜胆を見て、霞ヶ丘が梨木田のチェックをすることになった。


 手を伸ばす森尾に「へんなとこ触らないでくださいね!」と、どこまで冗談なのかわからないテンションで言う竜胆。森尾は「さわんねーよ!」と心底嫌そうに言いながらも、全てのポケットや袖の中、果ては手のひらなどを入念にチェックしていく。


 その結果。


「……無い」


 やがて、もう調べる所が無いくらいまで入念に調べて、悔しそうに森尾が言った。


「そんな馬鹿な。本当にちゃんと調べたのか!?」

「調べたさ! それでも見つからないんだから仕方ないだろ!」


 どういうことだ、と頭を抱えたくなる。絶対に竜胆は手札をすり替えたはずなのだ。だって、竜胆のハンドは♥10・♥Jのはずだった。それがエースに変わっている以上、必ず彼女がすり替えたはずなのだ。なのになぜ――と思っている所で、次は梨木田の番だった。


「うちの竜胆くんを辱めたんだ。今更、自分だけ身体検査をしないなんて言わせないぞ」

「ちっ。別にやらないとは言っていないだろう」


 そのやり取りの背後で「いや辱められてないですよっ!」と竜胆がコミカルに怒っている。本当にずっと緊張感のない女だ。

 梨木田は両手を上げて身体検査を受けるポーズを取る。後ろ暗いところが無いので堂々と出来る。そんな彼に、霞ヶ丘が近づいて体に触ろうとした。


 その時だった。


「ねーえ、トーヤ先輩」

「どうしたんだ、竜胆くん」

「そんなに入念に調べなくても、見るのは一箇所だけで十分ですよ」


 え? と。

 その場にいる当事者とギャラリー、全員が疑問符を浮かべた。


 唯一、不敵に笑っている竜胆莉々花は、ゆっくりとその長い指先を伸ばす。

 その指の先が指す場所――梨木田の胸元に、全員の視線が集中する。


 梨木田自身でさえ、理由もわからず呆然とそこに視線を落とす。

 胸元――上着のジャケットは内ポケットと外ポケットがそれぞれある。

 外ポケットにはペンが刺さっていて、内ポケットには何もないが――


 嫌な予感がする。

 さっと胸元に手を当てようとしたが、それを制するように霞ヶ丘がジャケットの襟を強引に掴むと、内ポケットに手をいれる。


 果たして、そこからは()()()()()()()()()()()()()()()()



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「な、な、なな……」

「これはどういうことだ?」


 どういうことだも何も、梨木田自身も理解できない。だって、ギミックカードはちゃんと処分したのだ。

 それに、ジャケットはゲーム中ずっと脱いでいたから、そもそもカードを仕込む理由がない。今ジャケットを着ているのは、たまたま寒くなったから羽織っただけで、普通だったら椅子にかけておいているだけで――


(――まさか)


 霞ヶ丘との勝負の終わり際、竜胆が直ぐ側に近寄ってきたことがあった。

 彼女はまるで梨木田のことを後ろから覗き込むように近づいていたが、まさかあの時にっ!


 ぎょっとして目を見開いた梨木田に、竜胆はあくまで飄々という。


「やー。驚きですね。そんな所からカードが出てくるなんて。まるでイッツ・アン・イリュージョン! みたいな。でも――」


 それまで甘ったるい声だったのが一変。

 指さしていた手をゆっくりと広げて水平に振りながら、竜胆莉々花はまるでショーを終わらせたマジシャンのように、凛と響く声で言った。


「ご覧の通り、種も仕掛けもございました」


 この瞬間。勝敗は決した。



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