3.リハーサル:現地潜入
渋谷駅を出て道玄坂を十分ほど歩いた立地に、ナイトクラブ『アルルカン』は存在する。
遅々として進まない駅の再開発の影響で、渋谷駅の周辺は入り組んでいて常に解消されない人混みが形成されている。渋谷といえばいつも工事をしている街、というのが現代の若者である塔矢の素直な感想であり、その結果生まれる人混みの流れほど不合理なものは無いと常々思っていた。
「私、渋谷ってあまり来ないんですよねー。若者の街って言いますけど、私には縁遠いといいますか。先輩もそうですよね?」
「同意を求められることは不服だが否定もできん。だが竜胆くん。渋谷が若者の街と言われたのは昔の話で、現在は古い文化を懐かしむ中高年向けの街であるという意見もある」
「へえ。物知りですねー、先輩って」
おざなりな褒め言葉を口にしながら、梨々花はキョロキョロと周囲の建物を物珍しそうに見ている。
今日の彼女の服装はさすがにマジシャン服ではなく私服である。ベージュのロングコートの下には、黒のタートルネックにワインレッドのフリル付きジャンパースカートというガーリー風のファッションだった。隣を歩く塔矢がジャケットにスラックスというシンプルな格好であることを考えると、莉々花の方が現代の若者らしい格好と言えるだろう。
渋谷がハイカルチャーとして親しまれていたのは七十年代からゼロ年代初頭とされているが、その雰囲気が今でも残っているので、今を生きる若者からするとまた違った味わいがある。
要するに、少し背伸びをしたり、同年代と違う自分を演出するのにうってつけというわけだ。
イカサマポーカーを仕掛けている大学生グループもそういった人種なのだろうと、塔矢は調べ上げた情報を頭の中で反芻する。
歐陽大学四年生の三人組がポーカー卓の主要メンバーだ。プレイヤーとして最も活躍しているのが、法学部の梨木田義弥。続けて、参謀らしき存在として森尾というチャラついた金髪の男。最後に体育会系のスポーツマンで本郷。この三人が、付近の大学生を誘ってポーカーを始めたのがきっかけらしい。
最初はコンパ目的の男女を集めて飲み会を行う中での、ちょっとした余興程度のものだったそうだ。
それがいつからか、外でナンパしてきた他大学の女子学生を連れ込んで、借金を背負わせるまで追い詰めるようになっているのだから手に負えない。
おそらく、卒業間際の最後の火遊びのつもりなのだろう。仮に罪に問われたとしても、賭博の罰則などたかが知れているし、親のコネという後ろ盾がある彼らは逃げおおせる自信があるに違いない。
「間もなく店に着くが……竜胆くん、どういうつもりだ」
「何って、恋人ごっこです」
梨々花が腕を絡めて身を寄せてきた。
「…………そうか」
色々と言いたいことはあったが、うまく言葉にできる自信がなかったので塔矢は口を固く閉じることにした。
まあ、これから敵地に潜入することを考えると、侮られるのは悪いことではない。警戒されるよりはずっと良いはずだと自身に言い聞かせる。
反論がなかったことを良いことに、梨々花はご満悦の表情である。その無邪気な様子がどこまで演技なのか分からないが、少なくとも嫌がっていたらやらないはずなので、好意的に受け取ることにする。
気を取り直して、塔矢は真剣に言う。
「作戦は事前に話した通りだ。僕がプレイしている間に、君には相手の不自然なところを探して欲しい。理想はイカサマの現場を押さえたい。だが、それが難しい時は――」
「はい。プランBですね」
「ああ。プランBだ」
阿吽の呼吸が成立する相手は貴重だ。普段は悪戯な性格が玉に瑕の後輩だが、こうした時は頼もしい。
雑居ビルの地下一階に目的のナイトバーはある。築年数半世紀はあるだろう古びた建物は、耐震に不安を感じさせる出で立ちであり、壁のあちこちの塗装が剥がれている。中々ふらりと立ち寄ろうとは思わない店構えである。
重たい扉を開けて中に入ると、まずムッとした暑い空気が出迎えた。
これは前回塔矢が潜入した時にもあったことだが、この店は空調の調子が悪いらしく、冷暖房が極端な温度でしか起動しないのだという。そのことを伝え損ねていたため、莉々花は浴びせられたぬるい空気に不快感に顔をしかめていた。外の寒さと対象的に中は酸欠になりそうなほど空気が薄く、気を抜くと意識が遠くなりそうだった。
入ってすぐ右手にカウンターがあり、そこに無愛想なマスターが居る。塔矢が前回来た時は、このカウンターで柳葉の活躍を見守っていたものだ。
「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」
「失礼。今日は奥の部屋に用がある」
「……ああ。そうですか。ならご自由に」
最低限あった愛想もなくなり、あとは無関心を決め込むと言ったスタンスを取っている。賭博が行われていることを大っぴらにしないための処世術だろうが、果たしてそれがどれだけ効果があるのだろうかと、他人事ながら疑問に思う。
店内には、カウンター席に二人組の男性がいるのと、左手のソファ席に三人組。あとは立席に数人いる。一般的な教室より少し広いくらいのスペースに十名ほどが滞在している。全員大学生くらいの年齢で、のんびりとくつろいでいる様子が見て取れる。
ちらりと梨々花の方を見やると、彼女はコートを脱ぎながらさっと部屋全体を見渡した後、今度はわざとらしくキョロキョロしてみせていた。落ち着きのない振る舞いは、こういった夜の店に慣れてない初心さを演出している。設定としては、年上の男性に初めて連れてこられて浮足立っている女子大生と言ったところか。
バーカウンターの前をまっすぐ進み、右手側に迂回するように角を曲がると、入り口から死角になる場所にちょっとした個室が設けてある。
おしゃれなカーテンで仕切られている豪奢な意匠の部屋で、いわゆるVIPルームである。その中で、ポーカー賭博が行われている。
「ここでポーカーをしていると聞いたが、間違いないだろうか?」
VIPルームに足を踏み入れると、塔矢は単刀直入にルーム内の住人へと声をかけた。
中には二人の学生がいた。彼らはあろうことかポーカーテーブルの上に小型のシーシャを置いて一服している。シーシャの煙が充満していて、ただでさえ温度の高い室内で酸素の薄さが目に見えるようだった。塔矢の声掛けに二人は緩慢に顔を上げると、怪訝そうにねめつけた。
「アンタだれ?」
最初に口を開いたのは、金髪にピアス穴を大量に開けたチャラそうな男だった。おそらく参謀役とされている森尾だろう。ポーカー勝負では、プレイヤーとしてよりもディーラーやチップの貸付の方を中心に立ち回っている男だ。
こちらも要注意だが、問題はもう一人だ。
優男風だが体つきのいい男が、ぼんやりとこちらを見上げていた。
彼がこのポーカー賭博におけるメインプレイヤーの梨木田義弥だ。白いシャツにスラックスという恰好をしているが、どちらもシンプルながら上質な服装であり、彼の落ち着き払った魅力を醸している。暑くて脱いだであろう上着がポーカーテーブルの椅子に掛けられているが、こちらも上質な素材のジャケットで、裕福さと育ちの良さを感じさせる。
前回塔矢が来たときは遠目で見ただけだが、この梨木田の何事にも動じない泰然とした様子は、同年代らしからぬものを感じていた。
前回はここにもう一人主要メンバーがいたはずだが、今日は不在のようだ。もっとも、不在の人物は威圧担当のような筋肉だるまだったので、いないのはむしろ好都合である。
そういう意味で、今日は梨木田を直接相手できる良いタイミングかもしれない。
さて、この男の泰然とした態度をどう崩すか。探るように塔矢は口を開く。
「恭帝大学の霞ヶ丘だ。ここでポーカー勝負が行われていると聞いて来た。こっちは連れの――おい、竜胆くん。あまりうろちょろしないでくれないか」
話をしている塔矢たちの周囲を、梨々花は勝手気ままに近づいては「へぇ」と無邪気に声を出していた。VIPルームのポーカーテーブルを物珍しそうに見ながら、彼女はおざなりな態度で言う。
「難しい話はそっちでやって下さいよー。私あんまり関係ないんで、一時間くらいは勝手に楽しんでますから。それより店長さんっ、どのお酒がオススメですか?」
ファーストドリンクを提供しに来たマスターに、梨々花は弾むような声色で尋ねる。仏頂面のマスターも若い子に話しかけられたら悪い気はしない様子で「ではあちらで案内します」と梨々花をカウンターの方まで連れて行ってしまった。
いきなり予定と違う流れで塔矢は頭を抱えたくなるが、梨々花のことだから何か考えがあるのだろう。問題があるとすると、その考えをアドリブで読み取らなければいけないことだが――タスクが一つ増えたことに苦虫をかみつぶしながら、塔矢は自分の役割を続けることにした。
「先日、うちの後輩がここで世話になったと聞いた」
「ふぅん。恭帝大っていうと、誰だっけ?」
「……咲穂ちゃんと、七可ちゃん、あと芙弥子ちゃんの三人だろ」
森尾の言葉に、梨木田が冷めた様子で投げやりに言う。言い方こそ適当だったが、挙げられた名前は相談に来た被害者生徒たちと一致している。カモにした相手をまるで気にしていない森尾よりも、しっかり記憶している梨木田の方がやはり要注意だ。
「ああ。その三人だ」
生真面目にうなずいた後、塔矢はまず言うべきことを一息に言う。
「彼女たちからは、初めは詐欺被害にあったという相談を受けた。しかし、よくよく聞いてみると双方に問題があるようだ。本来であれば博打の借金は無効だが、それを訴えるならまず博打そのものの罪を追求する必要がある。ならば筋を通すべきだと話し、彼女たちからこれを預かってきた」
彼は上着の棟ポケットから封筒を取り出す。その中には四十枚の現金が入っている。
筋を通すこと。それが、塔矢が被害者たちに協力する上で出した条件だった。
言葉巧みに誘われたとはいえ、博打で借金を作ったことに変わりはない。いかに相手が悪かろうと、借金をする判断をしたのならば、まずはそれを清算するべきだと厳しく言った。そのお金を用意することをもって、責任を果たすべきだと。
「ふぅん。ま、返すってんなら文句はねーよ。あんがとさん」
いい加減に言う森尾に、塔矢は冷めた目で言う。
「返済をした上で改めて言わせてもらうが、博打はそもそも違法だ。それに貸金業は届け出が必要なはずだが? 私的な貸借にしては度が過ぎている」
封筒を受け取った森尾がげんなりとした表情を見せる。面倒くさそうなことを言いやがってという感じだろう。それに対して、隣の梨木田は柔和な笑顔を浮かべながら堂々と言い返してくる。
「貸金については言いがかりだ。個人間での金の貸し借りが違法だとでも言うのかい? 俺たちはあくまで友人に貸しただけだ。最も、額が大きいから借用書は作ったけれどね。正式な形式にのっとっていれば、個人間融資は問題ないよ」
「知人間の貸し借りにしては規模が大きいという話をしている。加えて博打での借金だ。これはトラブルの元だろう? それに、個人間融資と言ったが、常態化している場合は貸金業の届け出が必要とされるはずだ。違うか?」
「へぇ。よくお勉強してるじゃん」
真っ向から言い返してきたことに驚いたのか、梨木田は感心したように声を漏らす。
多少興味が湧いてきたのか、彼の目が観察するように細められる。弛緩した雰囲気が急に引き締まり、値踏みするような威圧感が漏れ始める。
梨木田は続きを促すように言う。
「それで、君は俺達に喧嘩を売りに来たわけ? だとしたら無謀だね。よっぽどうまくやらないと、俺達はうまく逃げ切れるよ。ついでに君を痛い目に遭わせることだって出来る」
「だろうな。だから君たちの土俵で勝負をしてやる」
塔矢の言葉に、二人は怪訝そうに眉を顰める。
さあ、ここからだ。
借金は返済した。よって、こちらは筋を通した。
あとは相手に筋を通させよう。
相手の土俵で奪われた金を取り戻そうとするのは、また別の話である。
塔矢は胸ポケットから、自身で用意した十枚の軍資金の入った封筒をテーブルにたたきつけながら、真正面からケンカを売った。
「改めて、僕は霞ヶ丘塔矢。ポーカー研究会会長だ。ポーカーの負けはポーカーで清算させてもらおう」
「は――ははっ。そりゃいい。かっこいいねアンタ」
愉快そうに梨木田が笑いながら、歓迎するように両腕を広げて見せた。




