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0.オープニング:イカサマポーカーの噂


 確率というものは平等に不公平だ。

 恭帝大学ポーカー研究会の会長、霞ヶ丘(かすみがおか)塔矢(とうや)は常にそう思っていた。


「コイントスも、サイコロの出目も、配られたカードのランクも――確率によって起こり得る結果は同様に確からしい。それはとても平等で、しかし得られる結果は常に不公平だ」


 銀縁眼鏡に細面の顔立ち。眉間に刻まれた深いシワは彼の生来の生真面目さを強面という形で表していた。冷静に判断を下す性格ゆえに人からは冷血漢だの不人情などと言われるが、合理性をよりどころとする彼にとってそれは褒め言葉である。


 世の中には不条理が溢れているからこそ、せめて自分の選択だけは合理を元に判断したい。我ながらつまらない人間であると思うが、そういう人間に育ってしまったのだから仕方がない。


 そんな冷血漢にして朴念仁である彼は現在、バーカウンターでノンアルコールのカクテルを飲んでいた。

 アルコールを飲まないのは思考を鈍らせたくないからであり、これからの話にはシラフで臨みたいと思っていた。


 マジックカフェ&バー『クレセントムーン』。

 昼は家族連れや学生で賑わい、夜には大人の憩いの場として営業しているカフェバーである。モダン風の内装と調度品は高級感を演出し、落ち着いた照明が洒落た雰囲気を醸し出している。

 決して安くない価格設定の店だが、そのムードに惹かれた若手をターゲットにしたおかげで、隠れた名店というポジションを確立している。


 店内には塔矢の他に、OLらしき三人のグループがボックス席に座っていた。そこに女性店員が飲み物を運ぶとともに、四枚のコインとトランプのカードを見せていた。


「いらっしゃいませ、お客様。ご歓談の余興に、ちょっとしたマジックでもいかがでしょう?」


 ゆるくウェーブのかかった栗色の髪と、ぱっちりとした目元が可愛らしい若い女性だった。燕尾服を模したバーテン服はこの店の制服なのだろう、頭にはちょこんと大きなシルクハットが乗っていて、いかにもマジシャンと言った風体である。


 彼女はまず、四枚のコインを四角になるようにテーブルの上に置いていく。

 続けて四枚のカードを表と裏を見せて、そこに種も仕掛けもないことを示すと、彼女は四枚のカードをテーブルの上のコインに被せるように乗せていった。


「今、コインは全てカードの下にありますね?」


 店員は伏せられた四枚のカードを指で示した後、右手前のカードとその対角線上にあるカードの二枚をめくって、確かにコインがあることを見せる。


「しかし、コインたちは寂しがり屋なので、他のコインと集まりたいと思ってしまいます」


 彼女はカードを伏せた後、再び同じ場所のカードを開いてみせる。

 手前のカードの下にはコインがなく、代わりに奥側のカードの下からは二枚のコインが現れた。


「この通り、コインはこっそり隣のカードの下に遊びに来ました。そうなると、他の子も気になります」


 店員はその後同じ手順を二回繰り返し、四枚のコインを全て、同じカードの下に瞬間移動させた。

 その鮮やかな手並みに、OLたちは歓声とともに大きく拍手をした。

 コインマトリクスと呼ばれる、コインを移動させるマジックだ。その種を塔矢は知っているが、それでも女性店員の手際は鮮やかで、全く不自然さを感じさせないものだった。


 女性店員は和やかに接客を終えた後、カウンターに戻ってくる。その大きな目が塔矢の姿をみとめると、途端にぱぁっと花が咲いたように無邪気な笑みが顔に浮かんだ。


「わぁっ。トーヤ先輩じゃないですか! 今日来るなんて聞いてないですよ!」

「言っていないからな」

「もうっ。遊びに来る時は教えて下さいよぅ。せっかく新ネタ練習してたのに、特殊な道具を使うんですけど、今日は持ってきてないんですよ。自慢したかったのになぁ」


 唇を尖らせて不服そうにしているが、内心の喜びを隠せていない。その真っ直ぐな好意は、不器用な塔矢にとって少し据わりの悪いものだった。


 竜胆(りんどう)莉々花(りりか)

 このマジックバー『クレセントムーン』のアルバイトであり、同時に帝京大学の文化人類学科一年生。つまり、塔矢の後輩である。


 塔矢がアルバイトで家庭教師をしていた頃、派遣先に居たのが高校時代の梨々花だった。その時の出会いがきっかけで、同じ大学に通うようになってからも関係が続いている。

 主に梨々花の方から押しかけてくることが多く、不自然なほどに懐かれているというのが偽らざる本音である。だからこそ、塔矢の方から訪ねるのは確かに珍しいのだった。


「じゃあじゃあ、せっかく先輩が来てくれたんで、ちょっと難しいマジックやっちゃおうかな。ねね? 先輩はカードとコインのどっちがいいです? それとも、店長にお願いしてステージマジックやっちゃおうかな」

「受験の頃、確率の授業をしたことがあったな」

「全ての前提は平等だけど、享受する結果は不公平って話ですか? 懐かしいなぁ。結果と観測は分けて考えるって理屈は今でも覚えてます」


 さすが生徒として優秀だっただけあり、梨々花はあっさりと塔矢の求める答えを口にした。いつも軽い調子であるため軽んじられることが多いが、実はかなり聡明なのだ。

 だからこそ、塔矢は梨々花のことを一目置いている。


「んー、確率に関するマジックで言うと、数字当てとかのメンタルマジックですか? でも、トーヤ先輩は普通に見破ってくるしなぁ。カードマジックと併用で良いならネタもありますけど――」

「すまない。マジックの実演ではないんだ。ただ、竜胆くんの知恵を借りたいとは思っている」


 その言葉に、ピタリと梨々花の動きが止まった。

 ちょうど顔を背けた状態になっていた彼女は、目を合わせないまま探るように尋ねる。


「それはつまり、トーヤ先輩が私を頼りたいと」

「ああ、その通りだ。受けてくれるだろうか?」


 無骨なまでの真っ直ぐな返答に、梨々花はブルッと体を震わせた後、喜びを隠しきれない満面の笑みを浮かべながら振り返った。


「しっかたないですね! 困った先輩を助けるのが後輩の役目! そこまで頼まれたら、不承不承でも受けざるを得ませんね!」

「そうか。ありがとう」


 だいぶ温度差のあるやり取りであったが、それは二人にとって通常運転である。

 合意が取れたため、塔矢はそのまま事情を話し始めた。


 それは――とある場所で行われている違法ポーカーの話。

 確率計算こそが戦略となるポーカーというゲームにおいて、その確率が信用ならないという状況があることを共有する。


「確率は正直だ。どんな事象も試行回数を重ねれば確率は収束して期待値通りの結果を出す。その無機質な平等性は何よりも信頼の置ける概念だ」

「それって要するに、挑戦する回数を重ねればいつかは勝てるって話ですよね?」


 梨々花は手に握ったデックを無造作にカットしながら、あっけらかんとして言う。


「ソシャゲのレアキャラだって、何回もガチャを回したらいつかは当たりますからねー。最低保証の天井だって、確率の期待値を元に決められていると聞きますし。ですよね? 先輩」

「……まあ、そうだな」


 例えが俗っぽすぎるが大筋は外していない。渋々頷くと、梨々花は肯定してもらえたのが嬉しかったようで「やった♪」と声を上げる。


「だが――それも、前提として試行回数を重ねることが出来ればの話だ」


 夢を見ることは自由だが、現実というのは常に残酷である。

 現実において無限に挑戦できるような機会など、果たしてどれほどあるだろうか。

 たった一度のゲームが雌雄を決することなど日常茶飯だし、ここぞというタイミングで自身のハンドが対戦相手にドミネイトされることなど、嫌と言うほど経験してきた。


「確率は信頼できるが、期待すると裏切られる」


 確率というのは平等に偏っており、故に一度の試行回数によって得られる結果は不公平だ。

 これが大前提。

 だからこそ――本番はここからだった。


「試行回数を重ねた事象に明らかな偏りがあるのはおかしい。期待ではなく信頼するからこそ、もし偏った結果が記録されたなら、その事実には作為があると考えるべきだ」


 苦々しそうに言う塔矢に、莉々花は「あはっ」と愉快そうに笑う。


「つまり、先輩はイカサマを疑っているんですよね」


 莉々花はデックの上からカードを一枚引いてテーブルに開く――現れた柄は♠A。

 彼女はそのエースをデックの真ん中に差し込んでから、軽く指を鳴らす。そして、再びデックの一番上からカードをめくると、開かれたのは同じく♠A。同じことを、二度、三度と続けていく。


 アンビシャスカードと呼ばれる、デックの中に差し入れたカードをデックの一番上に移動させるマジックである。今まで何度も見せられたので塔矢はその仕組を知っているのだが、それにもかかわらず莉々花の鮮やかな手並みには視覚を騙される。


 その実演に苦笑しながら、塔矢は淡々と尋ねる。


「イカサマがあるとして、君なら見破られるか?」

「さあ。そればかりは現場を見てみないと。――でも、カードに作為があればこの通り」


 莉々花は今使っていたデックをテーブルに置くと、大仰に手を広げてみせる。そして「わん、つー、すりー」と気の抜けたカウントと共に指を鳴らした後、デックをすべてひっくり返してみせた。


 五十二枚のカード、全てが♥Aになったデックは、まるで誇らしげにその赤いスートを見せつけていた。

 ニンマリと大きな瞳をいたずらっぽく細めながら、奇術師は堂々と言い放った 。


「見ての通り。種も仕掛けもございます」





 さあさあ、皆様お立ち会い。

 これよりご覧に入れますは、ペテンが飛び交う奇術舞台。


 奇術師リリカのイカサマ殺し。


 平等に確からしい確率を捻じ曲げる不届き者を、奇術の刃で討ち取ってご覧に入れましょう。



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