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焼き鳥屋「妖精」

作者: 稀Jr.

「はい、お待ち」


俺の目の前に出て来たのは、ヤキトリだった。焼き鳥屋に入ったのだから、出てくるのは焼き鳥には違いない。しかし、最近では焼き鳥店に入ったとしても、鶏肉がでてくるわけではなく、焼トンだったり、牛焼きだったりがでてきる。たまにあぶりマグロとかあぶりサーモンもでてくるので侮れない。焼ければなんでもいいので、焼きナスやら、焼きトウモロコシもでてくる。しし唐やピーマンもあるし、ソーセージもある。ソーセージなんかは、材料が豚肉なか牛肉なのか、そもそもが魚肉ソーセージの場合もある。たまに、大豆で作った合成肉もあるわけだから、肉といっても、動物性の肉とは限らない。植物性の肉がでてくるわけだ。大豆は畑の肉です、と言われるところから蛋白質を取れる。しかし、大豆の蛋白質と動物の蛋白質が同じがどうかはわからない。プロテインは大豆の粉なのだから、きなこを飲んでも同じだろう。きなこを食べてしまうと、ぱふぱふしてのどに詰まりそうだから、プロテインの粉として売っているのかもしれない。いわば、粉ミルクのようなものだ。栄養満点だが、糖質はない。らしい。筋肉質の体をつくるために、プロテインや鶏のささまみだけを食べる。ナルシスト万歳である。

俺は、目の前を焼き鳥を改めて見た。改めてみるほどでもないかもしれないが、一目瞭然かもsりえないが。多分、ヤキトリだ。焼き鳥屋に入ったのだから焼き鳥...というわけではないのは、これまでも考察したところだ。鳥と言っても鶏が出てくるわけではない。雀かもしれないし鴨かもしれない。場合によったら七面鳥かもしれないし、土鳩かもしれない。そこいらに居る烏かもしれない。だいたい、メニューに「烏」と書かれたら「鳥」にしか見えないから、鶏の焼き鳥と見違えてしまうではないか。だが、そんなことはないだろう。あらためて壁のメニューを見ると「ヤキトリ」としか書いていない。どうやら、商品は「ヤキトリ」しかない焼き鳥屋らしい。露店で赤ちょうちんで、ちょっと小道に入った蕎麦屋のような店構えだ。蕎麦屋とは言ったが、博多のラーメン屋台といえる。最近では珈琲屋台もあるわけだから、屋台といってもそれぞれだ。しっかりとどんな屋台かと確認しては要らなければ、高めのレストランの屋台に入ってしまうかもしれない。高めのワインがでて、高めのフレンチが出て、高めの女性がでてくるかもしれない。高めの女性といったが、いわゆるコンパニオンを想像したかもしれないが違う。身長が高めだったり、バイト代が高めだったりすることもある。時には、高校時代にピッチャーをやっていて高めのボールがうまく投げられる投手とも考えられる。ちなみに、高めにボールを投げるとバッターはホームランが打ちやすくなるので、高めが好きな投手はあまり重宝されない。残念だが。

いや、投手の話ではない。投資の話でもないし、登記の話でもない。目の前にあるのはヤキトリの話だ。食べるヤキトリの話。おれは腹が減っている。減っていたから店に入ったわけで、減っていなかったらそりゃグルメ志向番組に出てくるナントカのレポーターになってしまう。俺は別にカネを貰って焼き鳥屋に入ったわけではない。大食い選手権に出ている訳でもないで、ヤキトリを大量にたいらげたところで賞金がでてくるわけでもない。当然のことながら食べ放題でもない(たぶん、そうだ、きっと。食べ放題ですと書いてあるわけはないので、食べ放題ではないのだろう。試しに食べほうだいに食べてしまうのもよいのだが、それをやってしまうと俺の財布が空になってしまう。俺の財布がほぼ空になっているが、無銭飲食しないぐらいまでには札が入っている。諭吉だったり聖徳太子だったり伊藤博文だったりする。いや、伊藤博文が財布に入るわけないだろう、という突っ込みはご遠慮いただきたい。聖徳太子が入っているとはいっても、1万円なのか5千円なのかという問いかけも無視したい。漱石といっても、千円札なのか、という時代考証もこの際はいらいない。これは俺の時間空間なので、読者の空間ではない。聖徳太子が入っている財布、ということを思い浮かべてほしい。つまりは、聖徳太子が入る位には財布がでかいのだ。180cm ぐらいのでかい財布を持っていると考えてくれたまえ。閑話休題)。食べ過ぎると、胃もたれをする年齢には既に達してしまっていて、もうこれ以上食べられないという青春時代まっさかりの時代も過ぎてしまった俺だが、目の前のヤキトリを食べるぐらいの胃の余裕はある。お金の余裕も。当然の財布の余裕もあるのだ。

俺は串を手にとった。串から外して小分けにすることもできるのだが、俺は小分けにしない。小分けにするような友達が隣にいなかったせいもあるが、この感覚を共有する必要もない。焼き鳥屋には俺ひとりしかいない。いや、違った店主がいた。バスにひとりの客が載ってきました。次のバス停でひとりの客が乗ってきました。バスは停留所を出て走り去りました。さて、バスには何人の幽霊が乗っているでしょうか。という問題に近い。答えを AI に聞いてみろ。幽霊が何人のっているか聞くと、元々幽霊が乗っている前提で話してはいないので、何人乗っているかわかりません、と答えるか。そもそも幽霊はいません。幽霊なんか迷信です。だから、幽霊が乗っているかどうかを聞くのもナンセンスです、と答える AI もいるかもしれないが、ヒトはそれでは納得しない。いや、納得するとか納得しないとかじゃなくて、AI の答えなんだから、AI の答えは正しいんだという人もいる。逆に、AI はハルシネーションがあるのだから、AI の答えは正しいとは限らないという人もいる。まあ、大抵のチャット形式の AI では注意書きが書いてあって「AI の答えは正しいとは限りません」と書いてあるので、後者のほうが概ね正しいだろう。その注意書きが AI で書かれていなければ、という前提条件が必要ではあるが。話を元に戻すと、幽霊の話である、幽霊はいるかいないかわからない状態だとして、バスに幽霊が残っているかと聞かれたときに、何人残っているのが正解だろうか。正解は、アシがないので、0人である。幽霊は足がないので、バスを降りることができない。だから、幽霊はバスに残っている。バスに残っている幽霊は、バスを降りることができないだ。

そんなことを考えながら、俺は串を手に取って、ヤキトリを口に入れる。ああ、ひと口噛む。もぐもぐと噛む。ちょっとねっちゃリとした感覚があるのは、生に近いかもしれない。ちらりと店主を見るが、店主は次のヤキトリを焼いていてこっちを見てはいない。熱心にヤキトリを焼いている。店には俺しかいないのだが、いや正確には店主と俺がの2人しかいないのだが、店主はヤキトリを熱心に焼いている。誰のために焼いているのだろうか。俺のためか?俺がさらなるヤキトリを欲すると見越して次のヤキトリを焼いているのか?それとも、店主は自分でヤキトリを喰うために焼いているのか。今晩の夕食はヤキトリなのか。自分用の賄い飯なのかもしれない。レストランで賄い飯は人に作ることが多いのだが、自分のために自分で作るのは賄い飯というのだろうか。よくわからない、誰を賄うのか。自分か。自分だとすると確定申告はどうなるのだ。給与なのか。税金がかかるのか。経費なのか会議費なのか。俺は、生っぽいヤキトリを噛みながら、ちょっと考えた。血肉の味がする。実に生物っぽい感じもるが、ファンタジーっぽい感じもする。羽のようなものがあるが、よくわからない。雀の姿焼きだって羽ぐらいある。羽毛は取っておかないと喉に刺さりそうだから下処理はしてあるだろうけど、雀焼きの場合は雀の頭がそのままでてきてちょっとグロい。グロいと思うのは1回目だけで2回目以降はそうは思わない。なぜならば、グロいと思った人は二度と来ないので、2回目はないからだ。証明終わり。


「店主、このヤキトリは...生っぽいよ」

俺は、店主に行った。

「だから、よーせー(妖精)といったのに」


【完】

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