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きみとの予定。

【夜の図書館】に初めて行ったあの日から、俺は毎週金曜日の夜に其処に通うようになった。


理由としては、本が好きな俺にとってメジャーなものからマイナーなものまで色々なジャンルの本が置いてある其処は単純に刺激になったし、あとは...まぁ、彼の淹れてくれた珈琲が美味しかったことと、その珈琲と古書の匂いが混ざり合う何とも言えないあの空間が居心地がよかったからである。


毎週通うようになってから今まで唯々過ぎていくだけだった日々の中に『あ。明日金曜日だ。』というちょっとした予定ができた。と言っても誰に言われたわけでも、誰と約束したわけでもない、俺が勝手に決めた予定なのだが。もちろん、あの彼と約束しているわけでもない。


だが、さすがに2ヶ月近く毎週金曜日に俺が来ているものだから彼の中にも俺が金曜日に来ることが予定として入っているのか、いつもより少し早く着けば『今日はいつもより早くいらっしゃってくださったんですね。』逆にいつもより遅く行けば『今日は来てくださらないのかなって思ってました...来てくださったんですね。』と微笑まれ、まるで俺が来ることを喜んで待っていてくれたような言い方にむず痒くなる。



「定休日とか閉店の時間はないのか」と聞いてみたことがあるのだが『定休日もここを閉める時間も僕の気まぐれなんです。僕が休みたい時に休むし、僕が眠たくなったら閉める...そんな感じです。』と笑っていた。


そして『...毎週金曜日は必ず開けてますから、いつでも来てくださいね。』と言われ【毎週金曜日はここに来る】という、俺だけの予定だったはずのものが2人の予定になったような気がしてそれもまたむず痒かった。


6月–


その週の金曜は梅雨入りしていたこともあり、朝からどしゃ降りだった。「夜には少し落ち着くだろうか」と思いつつ、一日の大半を窓の外、一向に止む気配のない雨を見つめていた。


そうしているうちにいつもなら【夜の図書館】に行っている時間になっていた。雨はまだ止まない。


約束しているわけでもないし、俺が行かなくても彼は気にもとめていないだろう


こんな雨なのだから、どうせ彼も店は閉めているはず



-『...毎週金曜日は必ず開けてますから、いつでも来てくださいね。』



いや、さすがにこの雨だし...


『...来てくださったんですね。』


彼の嬉しそうな声が思い出されて、


『...あー、くそッ!』


気付けばどしゃ降りの雨の中を傘もささずに走っていた。

こんなに走ったのはいつぶりだろうか。


学生以来の全力疾走で息を切らしながら、それでも足は止めずに目的の場所まで急ぐ。


ようやく【夜の図書館】に着いた時には時刻は午後9時47分で、何時も来ている時間より2時間は遅いし、この雨だ。


当然、【夜の図書館】の灯りはついておらず、看板も出ていない。


『...っはぁ、まぁ、だよな...』


上がった息を整えながら「帰るの怠いな」と思いつつ、このままでここで野宿するわけにもいかないしなと考え、今来た道を戻ろうとした時、


『...金曜日に来てくれるお兄さんですか?』


後ろから遠慮がちに声をかけられた。

それは、高くもなく低くもない、落ち着いた彼の声だった。


ゆっくり彼の方へと体を向けると、濡れ鼠のような俺の姿を見た彼はひどく慌てて『店内が濡れるから』と中に入ることを拒んだ俺に『風邪を引いてしまいますから早く中で温まってください!』と半ば強引に背中を押しながら強い口調で言ってくるのだった。



店内に入ると彼は俺を奥のカフェカウンターに連れて行き『ちょっとここで待っていてください。』と告げてからカウンターの奥に消え、5分ほどして戻ってきた彼の手には無地のグレーのバスタオルと、彼が着るには大きそうな薄手のアイボリーの長袖のTシャツ、これまた彼には大きそうな焦茶色の綿素材のパンツを持ってきてくれた。『お兄さんは背が高いからサイズが合わないかもしれませんが...』と言いながら手渡してくれた洋服を受け取るとTシャツとパンツの間に未開封の下着が入っていて、俺がそれに気付いたことがわかると『...その、余計なお世話かなとも思ったんですが、たまたまサイズを間違えて買ってしまったものがあったので、サイズが合うようならそちらも使ってください。』と少し気まずそうに伝える彼に『...助かります、ありがとう』と礼を言い、着替えることにした。ただ、洋服だけならまだしも、ここで全裸になって着替えるのは気が引けて、素直に彼にそう伝えれば『あっ..!そうですよね、気が利かなくてごめんなさい...奥が僕の居室になっているのでよかったらそちらで着替えてください。』と何故か耳を赤くしながら伝える彼を不思議に思いながら、彼の居室へと向かう。



どうやら彼がいつも珈琲を準備してくれている場所の扉の向こうが彼が仮住まいとして住んでいる場所らしかった。仮住まいと思った理由はあまりに質素すぎるからである。


6畳ほどのフローリングの床、その真ん中に鎮座するセミダブルのベッド、クローゼットにはおそらく彼の洋服が入っているのだろう。


そして俺の家と変わらないくらいのサイズ感の申し訳程度のキッチンと、風呂とトイレ。


テレビなどもなく、食器も一人分しか置いていない其処は仮住まいとしか思えなかったのだ。



とりあえず濡れたままでは彼の部屋も濡らしてしまうと思い、水分を吸ってぐっしょりと重くなってしまった衣服たちを脱いでいく。

脱ぎながら彼から借りたバスタオルで体を拭き、彼から借りた衣服に着替えていく。

彼からしてみれば大きすぎるであろう衣服は下着以外少し丈が短かった。


彼から借りた衣服からは控えめな柔軟剤の匂いがして、「彼の匂いもこんな感じなのかな」という変態じみた考えが過り、その考えを消すかのようにブンブンと首を横に振る。そうして、考えが薄れたタイミングで着替えた衣服を持ち、彼がいる図書館のほうへと戻った。


『洋服、ありがとうございました。』


そう告げると、カウンターで珈琲を淹れてくれていたらしい彼は俺を見て『...やっぱりサイズ合わなかったですね。』と苦笑いを浮かべた。


『僕、お洋服乾かしてきますからよかったら珈琲でも飲んでゆっくり温まっていてくださいね。』そういって俺の濡れた服を持って、今度は彼が奥の部屋へと入って行った。

俺はそんな彼の背中を見ながら彼がいつも立っている場所で彼の淹れてくれた珈琲をいただく。珈琲を口に含むたび、体の芯まで雨で冷え切った俺の体がだんだんと温まっていく。


半分ほど飲んだところで、彼が奥の部屋から戻ってきた。


『少しは温まれましたか?』心配そうに聞いてきてくれる彼に『うん、ありがとうございます、珈琲も、服も。』と伝えると『よかったぁ...』と本当にホッとしたような表情でそう呟いた。


『...あの、さ、』


『はい。』


『なんで、俺が来たのわかったんすか』


疑問だった。

たしかに彼はここに住んでいるとはいえ、あの雨音の中で俺の足音が聞こえたわけではないだろうし、普通に考えてあの雨の中、俺が来るとは思わないだろう。



『...だって、』


『お兄さん、毎週金曜日には必ず来てくれてたから...今日も、もしかしたら来てくれるのかなって思ってしまって。...それで、灯りはつけなかったけど、入り口の扉の近くで雨音を聞きながら勝手にお兄さんのことを待ってしまっていて、』



『...俺のこと、待ってたんすか』



『...毎週金曜日が勝手に自分の中で「お兄さんが来る日」っていう予定になってしまっていて...「こんな雨だし、来るはずない」って思ったりもしたんですけど、何となく「お兄さんは来てくれる」っていう考えが消えなくて...それで、扉の前で待ってたら走ってくる足音とお兄さんみたいな声が聞こえて...って僕、なんか気持ち悪いですね、約束もしてないのに勝手に待っちゃって...』


焦りながら、下を向いて手を横に振る彼の旋毛を眺める。


『...俺も、』


『え...?』


『...俺も、約束したわけでもないのに、アンタが待ってるような気がして、勝手に来たから...』



何だか急に恥ずかしくなり顔も真下を向いて、語尾がだんだんと小さくなってしまう。


『...ふふっ、』


彼が小さく笑う声がして、彼を見ると、


『お互い様ですね。』


と、下を向いていた顔を俺の方に向けて、耳をほんのり赤く染めながら微笑むから『...っすね』と俺も少しだけ笑った。



金曜日、きみと俺との、予定。




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