俺だけ〝死ぬ〟事が出来る異世界
ある村に、寿命のある青年がひとりいました。
全てが永遠に生きられるこの世界で、一人だけ寿命があるのはとても恐ろしいことでした。
村の人々は、彼を遠ざけました。
永遠に楽しく笑い、永遠に元気に歌い、永遠に生きられる人々のなかで、彼だけが日ごとに傷つき、疲弊し、老いていく姿は、まるで怪物のように映ったのです。
子どもたちは彼に近づこうとせず、大人たちは目をそらし顔をしかめました。
「死んでいく人間なんて不吉だ」と、誰もが口にしていました。
それでも彼は、胸の奥に小さな希望を持っていました。
世界の果てに、世界に永遠を授けた女神がいる――という噂を耳にしたのです。
彼はいつかその女神に会い、永遠の命を与えてもらうことを夢見ていました。
誰もが永遠に生きる世界で、ただひとり死ねる者として、終わりが持っている自分の運命を変えるために。
こうして彼は村を出て、旅に出ました。
最初に彼は、ひとりの画家に出会いました。
画家は大きなキャンバスに、同じ風景を繰り返し繰り返し描き続けていました。
線も色も同じで、ただ同じ絵だけがどんどん増えていきました。
「なぜ同じものを描くのですか?」と彼が問うと、画家は笑いました。
「この世界は永遠が約束されている。変える必要などないじゃないか」と。
青年は黙って絵と風景を見つめました。
それはたしかに美しい絵画でしたが、青年にはどこか空っぽに感じられました。
画家と別れたあと、やがて彼は賢者が住まう高い塔を訪れました。
塔の中は数え切れないほどの本が頭上高く積まれていて、賢者は塔の天辺で世界の記録を書き記し続けていました。
賢者は休むことなく本にペンを走らせ、ページが一杯になると塔の天辺から本の山の一番上に積み重ねられていきます。おかげで本の山は重みで崩れそうになっていました。
「なぜ同じ本を書き続けるのですか?」と彼が問うと、賢者は言いました。
「私はいつかこの世の『すべて』を書き記すだろう。だが『すべて』は永遠に尽きず、ゆえに書き続けるのだ」と。
青年は本を手にとって読みました。古い本も新しい本も、同じ文章が幾度も書かれていました。
青年は賢者になにも告げずに、静かに塔を去りました。
賢者の塔を去ったあと、次に彼はある村を訪ねました。
そこでは人々が一様に幸せそうに笑顔を浮かべていました。
ただその笑顔はまるでお面のようで、みんなはいつも同じ表情をしていました。
「なぜいつも同じように笑っているのですか?」と彼が問うと、人々は答えました。
「永遠に幸福な日々が続いたから、それ以外の表情を忘れたのだ」と。
笑顔の住人たちの中で、青年だけが悲しそうな顔をしていました。
彼は住民たちの笑顔が怖くなり、急いで村を出ました。
そして最後に青年は、戦場に迷い込みました。
剣と槍がぶつかり合い、血が流れて倒れても、傷が塞がって起き上がり、再び戦いが始まります。
誰も倒れきらず、勝者も敗者もいないまま、戦争は果てしなく続いていました。
「なぜ同じ人間どうしで争っているのですか?」と彼が問うと、兵士たちは口々に答えました。
「永遠に終わらないから、永遠にやめられないのだ……」と。
その戦場で、青年は流れ矢に当たってしまいました。傷がすぐに癒えない彼は、傷口を押さえてなんとか戦場から離れました。
こうして青年は、永遠に変わらない世界で、永久に生きる人々の間を渡り歩きました。
やがて青年は、世界の果て――女神がいるという場所に、とうとうたどり着きました。
ですが、そこで待っていたのは静かに朽ちた神殿だけでした。女神の姿はどこにも見えません。
青年は立ち尽くし、深く息を吐くと、その場に倒れてしまいました。
彼の心に渦巻くのは、長く抱えてきた孤独と、旅の疲れ、そして戦場で受けた傷が原因で自分の命が終わっていくという、静かな焦燥でした。
「俺は本当に、皆と同じになりたかったのだろうか?」と、青年は最後に自問しました。
もし自分が死んだら、この旅で見て感じた世界の色や音や喜び、そしてこの痛みも、すべて意味を失うのではないか――そんな不安が胸をよぎりました。
それでも、彼は微笑みました。
終わりを知るからこそ、変わらない物がないこの一瞬が、代わりのない物であることに、彼は旅の中で気づいていたのです。
世界の果てに女神がいようといまいと、彼にとって最も尊いのは、永遠の命ではなく、自らが選んでたどり着いたこの瞬間でした。
そして彼は、女神のいない神殿で、静かに死んでいきました。
彼の終わりは、世界になにも変化を与えません。
世界と人々は、これからも変わらず、永遠に生き続けてゆくでしょう。
それでも青年の死に顔は、とても満足そうに微笑んでいました。
なぜならこの世界は、呪われているからです。
これは永遠に呪われた世界で、唯一生きて死ぬことが出来た、ひとりの青年のお話。
その終わりを見届け、彼の人生を語るこの声が聞こえたのなら……それもまた、ひとつの呪いなのかもしれません。
おしまい。
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