第九話 『連続傷害事件』
そう言われ、俺は初めて声の方へ振り向いた。
視線の先、髪を短く切り揃えた整った顔立ちの爽やかな男子生徒が立っていた。
俺はこいつを知っている。
学校内でも高い身体能力を誇り、総合格闘技を習っている生徒──東雲幸宏。
「だって、そんなことしそうには見えなかったからさ。同じクラスならすぐに指摘できたんだけど……」
「同じクラスだろうが他クラスだろうが関係ない。指摘なら、話を聞いた直後にだってできたはずだ」
「……それは」
「話は終わりだ」
上っ面な弱い同情なんかいらない。疑問に思ったなら、すぐに行動しろよ。
もう手遅れなんだよ。
「待てって!」
「──っ」
東雲は、俺の肩を掴んで引き留めてきた。
「今の状態のままは、俺は絶対に嫌だ……!」
「────」
「影で暴力振るわれてたり、理不尽な嫌がらせを受けてることは、俺も沢山聞いてるよ。でも、でもさ、俺はそんなことする奴らを絶対に許せない!」
「────」
「何か、何か。なんでもいい。――俺に、新崎の手助けをさせてくれ!」
──こいつも、あの女と同じことを言うのか。
『──わたしに新崎くんを助けさせてほしい!』
脳裏に、土砂降りの雨の中で会話した女――石母田智音の姿が蘇る。
石母田は停学明けからの数日間、人目も気にせず自転車を直したり、俺だけ配布されていない配布物をコピーなどせず、自身のを渡してきたりと既に俺へ些細な手助けをしているのを確認していた。
何より、あいつには友人のような存在が見当たらなかった。
常に孤独で、偶に話しかけられる程度だった。そして、昨日石母田の口から強い意思を聞いた。だから、僅かだが信用する気になった。
だが、東雲は他クラスであり、多くの友人がいるのを俺は見たことがある。さっき言っていた「何か変だと思ってた」という発言を第三者に言わされている可能性が高い。
そう簡単に、俺は他人を信用するつもりはない。
なら、俺の答えは──、
「ごめん、勝手なこと言った……忘れ」
「――信用はしない」
「……え?」
「だが、利用はする。それでいいなら好きにしろ」
東雲については、今後色々知っていく必要がある。暴力を受けて怪我をするのもいい加減面倒だ。
暴力除けとして、利用させてもらう。
しばらく東雲は呆けた顔をしていたが、次第に表情は明るくなり、俺の下へ駆け寄って来た。
「これからよろしく、逸釆!」
「いきなり名前呼びかよ……」
「よく関わる相手には、名前呼びすることにしてるんだ。あっと、俺は東雲幸宏。幸宏でいいよ!」
「なんでスマホを差し出してくる?」
「え? いやだって、利用するなら連絡先交換しておかないと瞬時に対応できなくない?」
……対応が早すぎるだろ。
俺は数日前に新しくアカウントを作り直したメッセージアプリで、東雲と連絡先を交換した。
「授業どうする?」
「行くわけないだろ。クズ教師の授業なんか受けたくない」
「じゃあサボるとしますか!」
色々な意味で信用できないなこいつ。
「あのさ逸釆。聞きたいことがあるんだけどいい、聞いてもいい?」
「答えられる範囲なら」
「何があったか、逸釆の口から詳しく聞きたいんだ。今の状況を知っておいた方が、いじめとかに対処しやすいかなって」
俺がいじめられてることは周知の事実だ。
利用する上で、その辺の情報は伝えておくべきか。なら、俺が体罰を受けた経験のことは伏せて、三芳に貶められたことだけ伝えておくか。
「俺は三芳芽亜に……」
俺は地に落とされるまでの話と、地に落とさてからの数日間を語り始めた。
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「……なん、だよ……それ」
俺が話を終えると、隣に座る東雲に視線を移すと、俯いて強く唇を噛み、拳を力強く握りしめていた
東雲は地面を蹴って勢い良く立ち上がると、
「逸釆! 俺のことは好きに利用してくれていい! と言っても、頭は良くないから頭脳戦とかは無理だけど……それでもっ! そいつらをぶっ飛ばすことくらいはできるっ!」
廊下に響き渡る声量で、俺に強く言い放った。
こいつはあれだ。脳筋てヤツだ。だとしても、信用するつもりは毛頭ない。
演技の可能性が考えられるからな。
「じゃあまずは――俺と関わりがバレないように動け」
「え?」
俺はゆっくりと立ち上がり、東雲の目を見てそう言った。
「お前がクラスのムードメーカー的な立ち位置にいるのは知ってる。なら、それをまずは利用する」
「どゆこと……?」
「いちいち説明させるのかよ。つまり、多くの関わりを持つお前に、校内の情報を集めをさせるためだ」
「なるほど! 確かに、今の逸釆の状況だと周りの人に話とか聞けないしね……」
「暴力除けに関しては、顔が見えないようにやれ」
「おけい!」
やり方は他にもある。脅したり、取引したり。
だが、それだと裏切られた時が厄介だ。
地に落とされた現状、ありもしない事実を知らない間に押し付けられて、俺という存在を大悪党に仕立て上げられたら厄介どころの話じゃ済まなくなる。
「それじゃあ改めて、だ!」
「利用してされての関係だ。それ以上はない」
「いやまぁ、そうだけど……少なくとも、俺は逸釆のことを勝手に友人だと思ってる!」
「勝手に思ってろ」
友人なんて、馬鹿げてる。一つのきっかけで裏切って、見捨てて。
――この脳筋には、注意を最大限に払っておく必要があるな。
放課後、俺は新たな昼食場所に選んだ東棟一階。その端に石母田と東雲を呼び出した。
今の俺に関わる人間が、他にもいることを互いに伝える必要があると思ったからだ。
「こんなとこに呼び出してどうしたんだ逸釆。まさか早速!?」
「違う。――来たか」
廊下から、落ち着いた足取りで俺たちの下に一人の女子生徒が近づいてくる。
「――っ! お前! なにしに」
「違うって言っただろうが馬鹿。こいつはお前と同じ存在だ」
「……こんにちは新崎くん。えっと、その人が?」
「あぁ、そうだ。東雲幸宏。校内一の身体能力を誇る、総合格闘技の選手だ」
「石母田、智音です……よろしくね」
「さっきは脅かしてごめん……こちらこそよろしく! 石母田さん!」
顔合わせを終えたところで、俺は帰ることにした。
「ん? んん? ちょちょちょ! これだけ⁉︎」
「ああ」
「ちょ、石母田さんも⁉︎ 待ってくれー!」
目的は顔合わせだけだ。長話するつもりはない。
「ふふ」
そんなことを思っていると、右隣を歩く石母田が微笑んだ。
「なに笑ってるんだ?」
「こうして、新崎くんのことを信じて一緒にいてくれる人が増えたことが嬉しくて」
俺の左隣に並んだ東雲は、それを聞いて満面の笑みを浮かべた。
未だに石母田だけは、色がハッキリとわかる。
何故かはわかっていないが。
俺を信じる人間は、俺が善行を重ねれば重ねるほど元通りに増えていくのだろうか。
「……そんなのは、夢物語だ」
ありえない。
今の状況から元通りに戻ることは、ない。その事実を改めて噛みしめて、俺は拳を強く握りしめた。
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数日が経ち、蝉の音鳴り響く今日、俺は成り行きで石母田と共に登校していた。
「それにしても、この間の東雲くんすごかったね」
「暴力除けには十分すぎる素質だ」
東雲と関わるようになってから、俺は怪我をすることが減った。東雲は異常なレベルで喧嘩が強い。
七、八人に囲まれた時、余裕で対処していた。そのお陰で俺は怪我をせずに済んでいる。
東雲が俺と関わっていると知れ渡ると、今後校内の情報を得るのが難しくなる。そのため、暴力除けをさせる時は、帽子なりマスクなりで顔は確実に見えないようにさせている。
学校に着き、俺は最初に違和感を感じた。
「かなり見られてるな」
「……うん」
俺と同じ違和感を石母田も感じていた。
石母田との登校は何回かしてる。考えられる可能性は、
「俺を貶めるためにまた偽りの事実を押し付けられたか、あるいは罪をなすりつけられたか」
「……そんな」
隣に立つ石母田が、落ち込んだ声をこぼした。
また三芳か? いや、あいつは学校に来てない。なら誰が? 考えても全くわからない。
教室に着いても、下駄箱にいた時と同様の視線が俺へ向けられていた。
……また面倒事か。
今は状況の把握が必要だ。とりあえず、昼休みに東雲から情報を――、
「――おい」
「あ?」
そんなことを考えていたら、正面から低い声がかけられた。
顔を上げると、角刈りの男子生徒、奧野が鋭い視線で俺を見下ろしていた。
「また人を傷付けて、ホント最悪な野郎だな」
「は? 何言ってんだお前」
「惚けんな。学校中に知れ渡ってる。――校内で連続傷害事件を起こしてるってな」
連続傷害事件? クソ、冤罪をかけられたのか……!
このままいけば、俺は犯罪者に仕立て上げられる。そうなったら、今度こそ終わりだ。
日本の警察が、誤って何の罪もない人間を何十年も投獄した例は幾つか存在している。そうなるのは御免だ。
「なら聞くが、俺が犯人だって証拠はあんのか?」
「そん、なの、三芳を傷付けたんだからお前が……」
「それは証拠じゃねぇだろ。そんなこともわかんないのか? 過去に問題を起こしたやつを疑うのはわかるが、お前らの場合俺を確実に犯人だと決めつけてる。そして同時に、お前らは俺を犯人に仕立てあげようとしてる。そうだろ?」
「くっ……!」
図星か。クズさがどいつもこいつも極まってる。
奧野は俺の机を勢いよく蹴りつけてから、同じクラスの男子生徒数人の集まりの中へと戻っていった。
「また、こんなことが……」
隣から、か細く弱々しい悲しみの声が聞こえた。視線を向けると、石母田がさっきよりも落ち込んでいた。
こいつは、自分のことのように俺のことで傷つくのか。このままでいられも面倒だ。
なんか言っておくか。
「このままじゃ捕まりかねない。早急にどうにかするつもりだ」
すると、石母田は顔を上げて俺と目を合わせ、
「うん……!」
少し微笑みながら返事をした。
俺は視線をポケットから取り出したスマホへと移し、東雲に今校内で起こっている問題に関する情報を集めるよう連絡した
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昼休みになり、話をするために俺と石母田は東棟一階へと向かった。
「で、今何が起こってるかわかったか?」
「それがさ……かなり、ややこしいことになってるみたいなんだよ……」
東雲の表情は曇り、俯きながら続きを話した。
「明様校内で立て続けに傷害事件が起きてることは、朝聞いたみたいだから知ってると思うけど。最初の犯行は六月二十六日。被害者は現状七人。学年は一年が二人、二年が四人、三年が一人って感じになってる。それで逸釆のことだけどさ、まだ犯人が誰かなんてわからないのに、もう犯人として扱われてる……そんな状態だよ」
「クソっ、災難が続くな……!」
どこまで俺を貶めれば気が済むんだ、と思うがあいつらは俺を貶めて、俺が辛い思いをしているところを見て喜ぶ。
貶められるだけ貶めて快感を得る、そんな奴らだ。
苛立っても意味はない。今はこの後、何をするかを考えろ。
「どうするの、新崎くん……」
「犯人は、確実に見つけて警察につき出す。何が何でもだ」
「そうこなくっちゃな!」
「うん……!」
誰だか知らないが、お前のせいで俺は犯罪者に仕立てあげられかけてる。これ以上面倒事を増やされたら死ぬほど迷惑だ。
だから、さっさと捕まってもらう。