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第七話 『地獄の始まり』




 ――小学五年までの俺は、本当に明るく元気な性格だった。


 勉強は人並み以上にできて、運動神経も良くて、誰からも好かれて。

 毎日学校に行くのが楽しくて仕方がなかった。


 朝起きた時、どんなに眠くても「今日学校だ!」って思うと一瞬で目が覚めて、母さんと父さんに「おはよう!」って手を挙げて挨拶を交わしていた。


「今日も朝から元気だな、逸釆は」


「ふふん、まぁね!」


「学校楽しい?」


「超楽しいよ!」


 そう言うと、母さんと父さんは笑顔になってくれた。その笑顔を見る度に、心から幸せな気持ちになった。大好きな『家族』だから。


 学校に行けば沢山の友達から声をかけられた。


「おはよう!」

「逸釆おは!」

「よっ! 逸釆!」


「みんなおはよう!」


 小学の頃から、俺はとびきり目立ちたがり屋だった。

 学校行事の実行委員は全部立候補して、ほぼ毎回委員長を務めていた。

 クラブ活動なんかも部長以外はやったことがなかった。疲れて嫌になりかけたこともあるが、笑顔で接して応援してくれる両親と友達がいれば嫌な気持ちもすぐに忘れられた。

 ――だが、歯車は少しずつ狂い始めていった。


 小学五年に進級した初日のクラス発表日。

 俺は一足早く、友達の響也と学校に来ていた。


「今日のクラス発表楽しみだなぁ!」


「それな! 誰とクラスになるか楽しみ!」


「……いいよなぁ逸釆は……みんなと仲良いし」


「目立ちまくってるだけだって……」


 人並み以上に目立って、目立って、目立って。

 あらゆる場面に、俺は必ずいた。そんな俺を、響也はいつも羨ましがっていた。――否、俺の近くにいた奴のほとんどが俺を羨ましく思っていた。俺に直接言うぐらいに。


 勉強も運動も常に一番で、学校行事の実行委員になれば必ず大成功を収め、ボランティアに参加すれば期待を大きく上回る成果を残した。

 自分でも驚くぐらいに物事をこなしていた。

 何より、常に幸せで楽しかった。


 響也との数分の雑談の後、校庭に徐々に児童が増え、職員室から数人の教師が出てきた。

 各学年の下駄箱前に立って黄色い紙を配り始めていた。クラス名簿だ。


 俺の通っていた小学校は全部で四クラス。当時小四だった俺は五年の下駄箱前に行き、前年世話になった担任教師の久野にクラス名簿を貰った。

 俺と響也は、クラス名簿を隅から隅まで見た。互いに同じクラスであることを祈って。


「ええっと、うおおお‼︎」


「おわ、なんだよびっくりしたぁ!」


「逸釆一緒だぞ!」


「マジで⁉︎ しゃあああ‼︎」


 親友の響也と同じクラスの五年四組となり、二人で抱き合いながら歓喜した。

 その後も続々と俺の友達が同じクラスであることがわかり、何度ガッツポーズをしたかわからない。


 数分経ち、校庭にほとんどの児童が集まったところで教師から集合の呼び掛けがされた。

 学年とクラスの数字が書かれた看板が校庭の右側に六、五、四、三、二、一と並べられていた。

 俺たちは五年なので、六年の隣にある五年と書かれた看板の列に並んだ。


「はい静かに! これから、新クラスの担任の先生を発表しますよー!」


 朝礼台に立った黒髪の教師青木がそう言うと、児童は瞬時に静まり返った。


「それじゃあ皆さん! 一年生から順に発表していきたいと思います! この学校に新しく来た先生もいらっしゃるのでお楽しみ! それでは!」


 朝礼台の横には、二十四人の教師が立ち並んでいた。

 青木が一年一組から各クラスの担任の教師の名を呼ぶと、名前を呼ばれた教師は手を挙げて、担当クラスの看板の前にそれぞれ立っていった。


「五年四組、伊津野彫暎先生!」


 俺たちのクラス担任の名前が呼ばれると、チリ毛の黒髪をツーブロックにした褐色の男が手を挙げて五年四組の看板の前に立った。


「新しい先生かー。個人的には優しいから羽屋先生が良かった……」


「なー……というか、どんな先生なんだろ」


「新らしい人だしね。見た感じ良い人そうには見えるけど」


 当時の俺から見ても、伊津野という教師はとても気前の良さそうな雰囲気だった。

 四年間、教師に一度も怒られることなく常に良好な関係を築いてきた俺は、今年も同じように過ごそうと考えていた。


 六年四組までの教師が呼ばれ終えた後、校長の長い話を経て、その日は帰宅することとなった。


 ――そして翌日。

 学校に着くと、いつもより少し騒がしい雰囲気が漂っていた。新クラス、新担任のことによるものだ。

 俺は階段を駆け上がり、五年四組の教室へ急いで向かった。

 そして、勢いよく扉を横に開くと、


「よー逸斗!」

「逸斗おは!」

「おはようっす!」


「おはよう!」


 沢山の知り合いが視界に入り、挨拶の声が耳に入って、俺は笑顔で皆に返事をした。


「いやぁ、今年は良い一年になりそう!」


「とにかくめっちゃ楽しむ!」


「逸斗は今年から委員長とかできるようになるし、忙しいから無理なんじゃね?」


「んなことないわ! 忙しくても楽しんでやる!」


 雑談をしていると、教室内に五年四組の担任教師、黒髪チリ毛のツーブロックが特徴的な伊津野堀明が入ってきた。

 伊津野が入って来たのと同時にチャイムも鳴り、俺たちは席に座った。


「お、みんなチャイムでしっかり座れてていいな! それでは早速自己紹介を。伊津野堀明と言います。えー、前に別の学校にいて新しくこの学校に来ました。不慣れな教師でごめん! けど、できるだけ仲良くしてほしい!」


 第一印象通りの明るく気前の良い教師だった。


 その後もどんどん伊津野とは打ち解けていった。

 授業はわかりやすく、提出物が遅れても少しだけ見逃したり、行事には積極的であったりした。

 六月に開催される運動会で最下位になった時も落ち込んで暗くなった児童を励まし、冗談を言って皆を笑わせたりしていた。


 夏休みを終えて、八月二十八日から学校が再開してからのある日。


「お、機嫌悪い?」


 ふと、そんなことを朝の会で俺に聞いてきた。


「いや全然そんなことないですっ!」


「逸斗、首曲げてブスッとした顔してたから機嫌悪いのかなって思ってよ」


 ある日の音楽室でのこと。


「綺麗に透き通った歌声を意識しましょう」


「響也は掃除で綺麗にできないから、歌声も綺麗には無理だな」


「そんなことないですよ!」


「たっはっは!」


 休み時間が終わった直後のこと。


「ちょっとこっち来てごらん」


「え? はい」


「みんなこれ、水遊びしたように見えないか?」


「してないですよ」


「あ、そう? でもお前服で拭いたろ?」


 嶋陽平。仲の良いクラスメイトだった。

 水遊びをしたように見えないかと聞かれていたが、多少水が跳ねて濡れている程度だ。

 もちろん、本人はハンカチを持参していた。


「いやハンカチで拭きましたよ。たまたま跳ねちゃっただけです」


「――十五分ここ立ってろ」


「え?」


「ハンカチ出してハンカチで拭きましたって言われても、俺には服で拭いたように見えるんだよ」


 伊津野にそう言われ、陽平は十五分立たされた。


 夏休み明けから、伊津野の態度は変わっていった。

 初めは軽い児童のからかい程度だった。それで皆も笑っていた。

 だが、段々と笑えないからかいが増えた。いや、からかいじゃないな。

 ――完全に嫌がらせだった。


 伊津野は児童に好かれていた。明るく、面白く、優しい。

 新担任の中でも特に人気があった。だからこそ、伊津野の変化は児童から多くの不満を得始めた。


 ――十月八日、それは起こった。

 数日前に俺の登校班に小二の女子が加わった。名前は絵崎望由。

 引っ越して来て三週間の彼女は、おどおどしていて常に緊張した暗い表情だった。そんな彼女が辛そうに見えて、俺はよく話しかけていた。


「初めての場所で色々と大変だと思うし、友達と離れて辛いと思うけど大丈夫だから! 時間はかかるかもしれないけど、沢山友達はできる。そしたら、いっぱい楽しめるようになるよ!」


「ほんと……?」


「うん! 本当だよ!」


  日数を重ねるごとに、暗い表情はほぐれ、笑顔を見せるようになっていった。

 俺はそれが嬉しかった。楽しい学校生活がつまんないのは最悪だと思っていたから。


 毎日のように会話していたが、十月八日のこの日だけ、俺は遅刻した。前日に昼寝して宿題をやり忘れ、夜通し宿題をやっていたのが理由だ。


 登校班はとっくに集合場所にはいなかった。

 走って学校に向かったお陰でギリギリ学校には間に合った。

 学校に間に合ったことに安堵したが、直後に門の前の光景を見て、俺は唖然とする。

 ――絵崎望由が教師の下で泣いていた。


 状況を教師に聞けば、同じ登校班の児童に何か投げられて悪口を言われた、と彼女は言ったそうだ。

 俺は、怒りのままにその場から登校班の奴らの所に行こうとしたが、


「一回落ち着いて新崎さん。このことは、私たち先生に任せて」


「―――っ!」


 俺は絵崎に「俺と先生は味方だから」と伝えて一度その場を後にした。


 授業中もそのことばかりが頭に思い浮かび、全く集中できなかった。

 四時間目、総合の時間になり、一ヶ月後に迫る宿泊体験学習の各実行委員会が始まった。

 俺は実行委員長で一連の流れやルールの確認、到着後の挨拶や帰りの挨拶などを担当していた。

 できるだけ顔には出さず、落ち着いて作業していたが、やはり友人には一瞬で調子が悪いと見抜かれた。

「なんかあった? すげえ不安そうな顔してるけど……」


「ちょっと昨日親に怒られて、しかも今日寝坊しちゃてさ……ごめん、心配かけて……」


「ただでさえ実行委員長で仕事が多いんだし仕方ないっての」


 友人に心配をかけたくなく、俺は調子が悪い理由に嘘をついた。

 しかし、そんな友人の言葉に助けられ、心から感謝した。――直後、騒がしい教室内に一人の男声が響き渡った。


「逸釆いるか⁉︎ お、いたいた!」


 担任教師の伊津野だ。

 俺はおそらく絵崎のことだろうと思い、皆に「ごめん、また迷惑かける」と言って伊津野について行った。


「同じ登校班の絵崎さんのことだけど……」


「……ごめんなさい、今日寝坊して、朝登校班とは一緒に行けていないのでよくわからないんです……悪口言われて、何か投げられたって話は聞きました……」


 階段を下りながら予想通りのことを聞かれ、俺は伊津野の話を遮るようにそう伝えた。

 一階まで、後数段の踊り場で止まり、俺たちは話しを続けた。


「本人は特に誰がやったかはわかんないみたいでさ。心当たりないか?」


「ないですね……いじめとかするようには見えませんでしたし……」


 伊津野は「うーん」と一度言ってから、再び俺の目を見てこう言った。


「おかしいな。――お前がやったって下谷と小野が言ってたぞ」


「え?」


 全く、理解できなかった。


 下谷と小野は同じ登校班の一つ下と上の児童だ。明らかに違う事実に、俺は即座に否定の言葉を口にした。


「いや、だから、僕は寝坊して……」


「証拠は?」


「同じ登校班の人に聞けばわかりますよ……」


「――一緒に行ったって言ってたぞ」


 ここで、下谷と小野が自身の罪を軽くするために俺を利用したことに気がついた。

 タイミングの悪いことにこの日父親は夜勤、母親は早出で二人とも家にはいなかった。

 更に、登校班は元々五人と人数が少なく、もう一人の班メンバーは風邪で寝込んでいて、丁度三人の状態だったため事実を証明できなかった。


 だが、伊津野に二人が嘘をついていることを俺は伝えることにした。

 俺が人をいじめるような人物でないことは、伊津野もわかっていると信じて。


「小野君と下谷さんは嘘ついてますよ! というより、本人に聞いてください! 僕は転入してきてから絵崎さんとはよく話していました! それが何よりもの証拠で」


「――私たちもやりましたが新崎さんもやってました、と言ってたぞ?」


「え……?」


 徹底敵に罪を軽くするために俺を利用していたことを知り、ショックを受けて絶句した。


 仲良くしていたつもりだったが、違かったことにひどく胸を締め付けられた。

 ショックを受けた理由はそれだけじゃない。

 ――伊津野は、一切絵崎に事実を聞きに行く素振りを見せなかった。


「なぁ、いい加減嘘つくのやめろよ」


「嘘なんて、ついてない、です……」


「目ぇ逸らして言う奴の言葉なんか信用できるかよ。もう一回言うぞ。いい加減、嘘をつくのはやめろ。いつまでも見苦しいぞ。証言が出てるんだよ。わかるだろ? ちゃんと言えば怒らない。ほら、な?」


「やってません」


 やっていないのにやってるなんて言うわけがない。なんで冤罪を被らなくちゃならないとそう思った時、伊津野が一歩こちらへ近づいた。


「――お前がやったのはわかってんだよ‼︎」


「……ぅ」


「証拠ないんだろ⁉︎ それが答えだろうが‼︎ 何自分だけ逃げようとしてんだよ‼︎ 大人しく認めろ‼︎」


 当時のことは今も鮮明に覚えている。


 とにかく辛く、苦しい思いを抱えていた。

 何度否定しても伊津野は俺を怒鳴りつけ、胸倉を掴んで壁に叩きつけ、無理やり俺がやったと言わせようとしてきた。

 その時の伊津野は――自白を強要する警察官の様だった。


「え、っと……」


「じゃあいい! もう絵崎さんの所に行ってくるからな!」


「やって、ないです……」


「あぁ⁉︎ まだ言い張るのかよ‼︎ わかった。認めないならお前さ――明日からクラスメイトじゃないからな」


  どこまでも理不尽で汚い脅しで、俺に罪を着せようとしてきた。

  小学生の頃の弱い心じゃ耐えきれなかった。

  何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も、自白を強要された。

 恐怖心と絶望感に心を支配されていった。そして――、


「ぼ、くが……や、りま、した……」


「バレてんのにいつまでも隠そうとすんな。おい、さっさと絵崎さんの所に謝りに行くぞ」


 そのまま、俺は肩を力強く掴まれ、半ばひきずられるような形で絵崎の下へ連れて行かれた。

 体育の授業中の中、彼女は呼び出され、二年の下駄箱前で待っていた。


「絵崎さん、こいつが石投げてたの見た?」


 絵崎は首を横に振った。当然だ。そもそも俺はいなかった。

 彼女は「えっと」と言って話を始めようとした時、


「――こいつも一緒になって石投げたんだって」


 伊津野にそう言われた直後、絵崎は悲痛な表情を浮かべていた。涙を、流していた。

 しかし、その涙は途中で止まった。

 俺の涙でぐちゃぐちゃな顔を見てから。


「謝れよ、クズ野郎」


「ごめん、なさい……本当に、ごめんなさい……!」


 なんで謝ってんだ俺って、散々思った。

 でも、どうしようもなかった。

 そして俺は。




 ――地に落ちた。





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