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最終話 『鮮やかな時間』





 密談室にて軽い雑談を交わした後。淡土さんたち警察官たちが署に戻る時間が来て解散することとなった。


「また明日ー!」


「ああ」


 帰り道の異なる東雲と坂野とは反対の方向へ、俺と石母田は歩き始めた。


「二人とも、嬉しそうだった」


「そうか? 喧しいか、小馬鹿にしてたようにしか見えなかったが」


「本当に嬉しそうだったよ。だって──みんな新崎くんのこと応援してたから」


 そう言って石母田は微笑んだ。


「……俺のことを応援して、しかも勝ったことを喜んでもくれるのか」


「当たり前だよ。どんな逆境でも戦い続けてたのを、知ってるから」


「──。ありがとな」


「どういたしまして」と笑顔で返してくれる石母田を見て、胸の内が暖かくなるのを感じた。


 その後も他愛もない会話を交わしながら、暗くなる道行を俺たちは歩いた。

 これからの事やあの時どうしていたのか、とか。

 本当に些細なことでも、会話が弾んで──楽しい。


 こうして石母田が俺に声をかけ続けてくれたから、今があるのだ。

 道を外れずに済み、石母田以外を信用できるようになって、諦めずに戦い続けることができた。

 他にも指では数えられないほど、彼女には救われ続けてきた。


 ──今度は俺が、想いを伝える番だ。


「石母田」


「新崎くん?」


 話の途中で立ち止まり、真剣な眼差しと声で石母田を呼ぶ。すると彼女は一瞬だけ不思議そうにしたが、すぐに彼女も姿勢を正して俺と向かい合ってくれた。


 辺りは暗く、人のいない細い道。

 今この場には、俺と石母田しかいない。周りを気にせず話ができそうだ。


「俺は最初、お前が俺を助けようとする理由がわからなかった」


「────」


「出会ったのは今年。ただのクラスメイトってだけの関係の俺を、どうしてそこまで助けようとするのかって、思ってた」


 友人でもなければ、過去に知り合いだったこともない。なのに何故助けようとするのか、疑問だった。


「だけどお前は、俺が人を傷つけるような奴じゃないって、信じてくれてた。そして言ってくれた。──助けさせてほしいって」


 その言葉に、どれほど救われた気持ちになっただろうか。

 その言葉が、どれほど諦めず戦うための支えになっただろうか。


「東雲や坂野たちを信用できたのも、事件で殺されかけた時も、極限まで追い詰められた時も。全部石母田の言葉があったから、乗り越えられたんだ」


「────」


「地に落ちてから今日までやってこれたのは──最初に石母田が声をかけてくれたからだ」


 地に落とされた瞬間、またあの地獄を味わうのかと諦めきっていた。

 降りかかる災難は面倒を退けるためとしか考えていなかった。

 けれど、また穏やかな時間を取り戻したいと思えるようになったのは──石母田の存在があったからだ。


「あの時の返事、まだだったな」


「……ぁ」


 思い出したのか石母田は唇を結び、真剣な姿勢に緊張感が混ざったような様子だ。


 あの時。それは、俺が地に落ちてから初めて諦めた日のことだ。夜叉甬马の策に徹底的に貶められ、七年前の地獄の始まりとなった教師と合わされた、最悪の文化祭。

 その逆境に打ち勝った日。


「さっきは、離れたとしても友好的な関係でいてほしいって言ったが……」


 急激に頬が熱くなる。

 言葉にしようとするが、何度か口をパクパクさせてしまった。すぐに伝えられない自分が情けなくなってくる。


 それでも、石母田は静かに俺の言葉の続きを待ってくれている。

 決めたのだ。想いを伝えると。


「俺の心が、折れずに済んだのは石母田がずっと側にいてくれたからだ。だから──これからもずっと、石母田には俺の側にいてほしい」


 言った直後、石母田の瞳に涙が溜まっていくのが見えた。


「来年も、高校を卒業しても、大学に行っても、その先も……俺を、支えていてくれないか?」


「わた、しは……」


 堪えていたのだろう涙は、石母田の瞳からとめどなく溢れ出てきている。

 けれど彼女は、声を振るわせながらも真っ直ぐに俺を見つめて声を発した。


「また迷惑、かけるかもしれないよ……」


「構わない。それに石母田のすることで迷惑なことなんてない」


「力に、なれないことだって……」


「そんなこと気にしなくていい。俺の側にいてくれるだけで、力になってる」


「東雲くんや柚葉ちゃんの方が、頼れるし役にだって…………」


「──石母田がいいんだ」


 最後の言葉を遮るように俺は言った。


 迷惑だなんて石母田がすることで思わない。

 むしろ、俺の方がまた何かに巻き込むかもしれなくて。


 力になろうとしなくていい。

 側にいてくれるだけで力になってる。逆に俺の方から石母田の力になれることがあるならなりたい。


  他の友人には見せられない、俺の弱いところを見せられるのは石母田だけなんだ。


「他の誰でもない、石母田智音に、俺は側にいてほしい」


「…………っ」


 前へ手を差し伸べる。

 月下、静脈に包まれ冷たい風が吹いてるが、顔も胸の内も熱い。

 ジッと、石母田の答えを待つ。


「……はい」


「ほん……──っ!」


 本当か? と言おうとしたが、言葉は続かなかった。

 何故なら、石母田が俺の手を取り自分の下へ引き寄せて、唇を重ねてきたからだ。


「…………」


 互いの体温が伝わり、温かな感触に鼓動が早くなる。


「──こちらこそ。これからもずっと、()()くんの側にいさせて」


 体が離れ、石母田の口からそう言われた。

 数秒呆然としたが、すぐに意識を戻した。

 そうしてもう一度、彼女の手を取って──。


「よろしくな。──()()




 ■■■■■■■■■■■■■■■




 生徒会長選が終了してから二ヶ月。

 一連の問題について、事の顛末を残しておく。


 元凶である三芳芽亜は、兄の三芳菊の居場所を淡土たち警察がつきとめた。それにより三芳芽亜が学校に提出した病院書類は全て偽造であったことが発覚。他にも新崎に対する極度ないじめ、学校を騙していた事実から、彼女は明様高校を退学となった。

 また学校側からの指示で、編入、就職先に提出する書類には、必ず明様高で起こした問題について別書類を添付して提出することが義務づけられた。


 新崎の担任教師である半田は、新崎に複数回に渡る嫌がらせを行っていた事が甘村から教育委員会に報告された。更に三芳からの証言により彼女と手を組んでいた事も明らかになった。

 そして、半田は教育委員会から懲戒免職を言い渡された。


 荒木田哲人は拉致、暴行の容疑で逮捕。手下は少年院へ送られることが決定している。


 最後に生徒会長選に参加した皆川隆貴は、新崎と和解し、生徒会メンバーの補佐として生徒会に参加することとなった。加えて、陸上部の顧問に生徒会長選の演説を評価され、陸上部部長に就任した。


 悪人は完全な終わりを迎え、皆川のように己の過ちを償おうと努力する者には成長への新たな道が開いた結果となった。




 ■■■■■■■■■■■■■■■



 

 ──陽光刺す部屋の自室の床の上に、俺はゆっくりと足をついた。


 カーテンを開けてから、俺は早速に身支度を始めた。

 着慣れたワイシャツと学ランに袖を通し、ズボンを履いてベルトを締める。首元に明様高の校章をつけ、更にもう一つ。

 今年から、明様高で俺だけが身につけなければならない証。


「これ必要か……?」


 明様校の生徒会長のバッジだ。三つの桜の花弁が交差するように並び、その上に大きく漢字で『明』と書かれ、金色にキラキラ輝いてる。

 ……いざ付けてみると不恰好さが凄い。


 とはいえ、付けないわけにもいかず、明様高の校章と生徒会長のバッジを首元に横並びに付けた。

 向きがずれていないことを確認してから、自室のカレンダーの前へと歩み寄る。


 ──四月一日、水曜日。

 今日は明様校に新たに入学してくる新一年生の入学式だ。

 同時に、俺の生徒会長としての初仕事の日でもある。


 階段を降りてリビングに入ると、香ばしい匂いに鼻腔がくすぐられた。見れば机にベーコンと目玉焼きが乗ったパンに、味噌汁。白身魚が置かれていた。


「おはよう、母さん」


「うん、おはよう逸釆」


 椅子に座る前に母さんと目が合い、挨拶を交わした。少し前なら考えられないことだ。

 和解した今は、毎日言葉を交わしている。まだ距離はあるが、長い時間をかけて元通りに。それ以上の仲の親子になればいいだけだ。


「いただきます」


 母さんが作ってくれた朝食を食べる。


「……おいしい」


「……っ、良かった」


 家族が俺の話を聞かず、信用してくれなかった時は作ってくれる料理を食べるたびに吐き気がしていた。だがそれも、今はない。

 簡単な手料理でさえ、美味しく感じる。


「ごちそうさま」


 朝食を食べ終え、食器を片付けてから洗面所に向かう。


「──お、逸釆。おはよう」


「おはよう、父さん」


 洗面所から出てくる父さんに挨拶をされ、片手を上げて返事をした。

 それから洗面所で顔を洗ってから歯を磨き、寝癖を整える。

 ふと時計を見れば、もう八時になっていたためリビングに戻り、荷物を背負って玄関へ。


「生徒会長、応援してるわね」


「父さんもだ。期待してるぞ、自慢の息子」


 二人とも、それぞれ俺を応援してくれている。

 ……その事実が、物凄く嬉しい。


 応援してくれて、期待してくれて、成長を見守ってくれる。悩みがあるのなら一緒に悩み、解決するためにどうするかを考える。それが親子だ。

 またいずれ、距離のない本当の親子になれる日まで頑張らないとな。


「ありがとう二人とも。──いってきます!」


「「いってらっしゃい!」」


 笑顔で声を張り上げて俺は家を出た。




 高校に入学してから、小中の同級生に会いたくなかったのが理由で電車通学は一度もしてこなかった。だが、生徒会長選勝利後は電車通学をすることにした。


「……相変わらず混んでるな」


 スマホを改札機にかざしたところで丁度電車が来ていたため乗り込むと、凄まじい混み具合に嫌気が差す。


 適当なニュースページをスマホで見ながら、満員電車の中を吊り革に捕まりながら数十分程度揺られる。

 明様校は自宅から徒歩二時間の距離にあり、電車を使えば四十分ほどで明様校に到着する。


「────」


 目的の駅に着き、俺は人混みの間を抜けて電車を降りた。

 改札機を抜けて、待ち合わせている相手の姿を探す。


 この世界で唯一、大切で恋しい存在──。


「──っ! 逸釆くん!」


 俺の姿を見つけ、待ち合わせ相手は笑顔でこちらに手を振っている。俺も軽く手を振り、一人の少女の下へと歩み寄った。


「待たせて悪いな。──智音」


「ううん、全然大丈夫だよ逸釆くん。おはよう」


 柔らかく微笑む彼女──石母田智音を見て、心が温かくなった。

 思えば、智音は地に落ちてから俺と関わり始め、一緒に登校するようになってからはいつも「おはよう」と言ってくれていた。

 いつだって、智音は俺と真正面から関わろうとしてくれていたのだ。


「逸釆くん、なんか嬉しそう。いいことでもあったの?」


「ずっと智音に支えられてたんだなって、思っただけだ」


 反射でつい口から出てしまったが、事実なので訂正はしない。が、言われた側の智音は顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「そういえば、今日はお前たち来なくてもよかったんだぞ」


「ダメだよ! 生徒会長になった逸釆くんの最初の晴れ舞台なんだから」


「……晴れ舞台って言っても、台本通り話すだけだが」


 俺の言葉を遮るように強く言い返してきた智音に気圧される。口では誤魔化すように言ったが、内心かなり嬉しかった。


 今日の入学式は、プログラムで生徒会長の俺が話すことになっている。つまり生徒会として参加する必要はなく、入学式に参加するのは俺だけでいいのだ。

 そのことを智音たちは知っているにもかかわらず、こうして一緒に来てくれている。おそらく他の仲間も。


「…………」


 少し黙り込んでいた俺の右手に、柔らかな感触が重なる。

 視線を向ければ、隣を歩く智音の左手が重ねられていた。俺たちは今、手を繋いでいる。


 ……結構恥ずかしいな。


「「────」」


 二人して恥ずかしさで口が開けなくなる。


 暫し沈黙が続き、俺は耐えきれなくなり声を出した。


「……あいつらも待たせてるだろうし、急ぐか」


「う、うん……!」




 高校二年としての登校最後の日以来の明様高は、とてつもない静脈に包まれていた。


 入学式に参加する生徒以外生徒はおらず、それは教師も同じだ。入学式ということもあり部活動も休みで本当に静かだ。

 もう少し時間が経てば、新入生や保護者などでごった返して騒がしくなるだろうしこの静けさは今だけなのだろうが。


  「────」


 校舎を見ながら、あの地獄の日々を思い出す。


 地獄を乗り越えて成長したから、こうして再び明様校に来ているわけだが、最初に地に落とされた時点で逃げ出していた可能性だって十分に有り得た。

 嘘で退学に追い込まれていた可能性だって有り得た。


 だが、新入生の入学式に、明様校の生徒会長として学校に来ている現実に──心底不思議な気分になる。


「あ、柚葉ちゃんからだ」


「なんて送ってきたんだ?」


「二年八組の前にいるから早くしなさいだって」


「相変わらずだな、あの女は」


 字だけなのに声が聞こえた気がした。

 坂野が追加で何か言ってくる前に、俺たちは二年八組まで急ぎ足で歩き始めた。


 上履きに履き替え、校舎内に入り階段を早足に上がっていく。

 目的の二年の校舎へ着き、渡り廊下を抜けて四組前に来ると、


「おーい!! 逸釆ー! 石母田さーん!」


 正面、笑顔でこちらに手を振っている男の姿が目に入った。男の隣を見れば、腕を組みながら並んで立っている女もいた。

 東雲と坂野だ。


「そんなに声出さなくても聞こえる」


「ごめんごめん。二人とも、おはよ」


 二人の下まで行き、大声で呼ばれたことを俺が言うと東雲は苦笑し、それから俺たちに挨拶してきた。

 東雲の背後に目をやると、


「遅かったじゃない」


「時間通りに来てるから問題ないだろ」


「ええまぁ、そうだけど……」


 八時五十分に集合で、俺と智音が到着したのは四十五分。一応五分前には着いているが、坂野的には早く来てほしかったらしい。

 すると、坂野は俺と智音を交互に見ながらにやけた顔をし始めた。


「朝からお熱いわね」


「──っ、うるせぇ」


「………ぅ」


 智音と繋いだままだった手を慌てて離して坂野に悪態をつく。

 そんな光景を目の当たりにしながらも、東雲はどこか楽しげだ。


「二人とも、荷物置いてきな。甘村先生も待ってるからさ」


 言われて俺と智音は、二年八組の適当な座席に荷物を置いた。教室を出て、俺たち四人は体育館へ向かった。




「おはようございまーす! 皆さーん!」


 体育館の中に入った直後、両手を思いきり振りながら俺たちに挨拶をしている女の姿が目に入った。

 保健室の教師であり、俺たち生徒会の顧問、甘村先生だ。


「────」


 体育館は入学式特有の紅白で壁が彩られている。床には傷防止で深緑のシートが端まで敷かれ、その上にパイプ椅子が幾つも均等に並べられていた。


 ──色。


 俺が約一年、失い続けていたモノ。

 それが今、普通にわかる現実に違和感がある。

 ……戻らないと、思ってたからな。


「おはようございます、甘村先生」


「おはようです新崎君! それにみんなも!!」


 俺たちが近くに来ても甘村先生の元気の良さは変わらない。


「今日は記念すべき日ですね、新崎君」


「はい。甘村先生も進行、頑張ってください」


「ありがとうございます! じゃあ私は、まだ少し準備がありますので、皆さんは開始時間までゆっくりしていてください」


 そう言って、甘村先生は体育館にいた他の教師の下へ走っていった。


 現時刻は九時。入学式の開始は九時半からだ。

 その間特にすることもないため俺たちは体育館のステージ横に、


「──先輩方!! 遅れてすいません!!」


 ステージへ上がる直前、背後から女声が聞こえてきた。振り返れば、ポニーテールに髪を纏めて俺たちの下に走って来ている──小比類恵那の姿があった。


 俺たちの前まで来て立ち止まり、肩で荒い息を吐いている。数秒間その状態が続いたが、落ち着いたらしく小比類は顔を上げた。


「おはようございます、先輩!」


「ああ、おはよう」


 俺に続いて他三人も小比類と挨拶を交わした。


「私が生徒会なんて、務まるでしょうか……?」


 自信なさげに、小比類は唐突にそう言った。

 俺は小比類と目を合わせ、心配ないと伝わるように微笑みながら、


「書記は東雲がいるし、補佐で皆川もいる。俺も智音も坂野も、何かあれば力になる。──小比類はもう、一人じゃない」


 昨年度、小比類恵那は学年全体からいじめを受けていた。孤独になり、助けてくれる友人も家族もいない最悪の状況。

 そんな彼女に俺は、強くなるための虚勢を張れと言った。


 あれから半年。彼女は俺のかけた言葉を意識し続け、精神的に強くなっていった。

 学年が上がっても、かつていじめられていた人間がいることに変わりはない。だが、もう一人ではないのだ。


 俺たち生徒会が、小比類恵那の一番の仲間であり、友人としているからな。


「ありがとう、ございます……!」


 小比類は瞳に涙を溜めながら何度も頭を下げた。


「にしても生徒会に入ることになるとは思ってもみなかったわ」


「それな! 俺なんか体育祭の実行委員以外やったことないから、ちゃんとできるか不安だよ……」


「あんたなら大丈夫よ」


「坂野に言われると心強い……」


 少し前から感じていたが、東雲と坂野はどことなく良い雰囲気だ。ただ相性がいいだけなのか、あるいは。


「あの生徒会長選から、二か月も経ってるんだよね」


「あんまり実感がないな」


「わたしも……」


 たった一、二か月経った程度で、あの地獄の日々の記憶が薄れることはない。わかりきっていることだ。

 それに──、


「忘れたい記憶だが、忘れちゃいけない記憶だとも、思ってる」


「逸釆くん……」


 あの時間があったから、今の俺がある。

 楽しい記憶も辛い記憶も、全て俺の記憶であり経験だ。辛い過去など忘れた方が楽かもしれない。

 でも、それをしたら逃げ出してるのと変わりないように思えて。


「なら」


「智音?」


「──みんなで、逸釆くんの辛い記憶が薄れるくらい、幸せな未来を築いていこうよ」


 智音の言葉に俺は目を見開いた。


「薄れるだけなら、忘れたことにはならない。ずっと辛い記憶を鮮明に覚えてるままの方が、わたしは苦しいと思うから」


「そう、だな……」


 辛い記憶を鮮明に覚えてる方が辛い、か。

 智音の、言う通りだな。


「側にいてくれたのが智音で良かった」


 そう言って、智音に笑いかける。すると彼女も微笑みながら頷き返してくれた。


 少し離れた位置で東雲、坂野、小比類が談笑を交わしている。彼らは俺と一緒に地獄を乗り越えてくれた仲間であり──親友と、そう呼べる相手だ。

 隣にはいつも智音がいてくれて、一声かければ集まってくれる親友もいる。


 ──なんだ、今も十分幸せな時間だな。


「あ、先輩方! 人がいっぱい入ってきましたよ!」


 小比類が俺たちに言ってから、体育館の扉の方向を指差した。視線を向けると、沢山の保護者と来賓の教師が続々と体育館の中へと入ってきていた。

 気がつけば、入学式五分前だ。


 雑談を交わしているうちに五分はあっという間に経過して、静かな体育館の静脈を甘村先生の声が割った。


『──新入生、入場』


 直後、開いた扉から多くの男女が二列で体育館に入ってきた。入場中、体育館は拍手の音に満たされる。

 来賓の客は入口左手側に座り、右側に明様校の教師が座り、入口手前側には保護者が座っている。新入生は保護者の前に座る形だ。


 新入生が座り終わったところで拍手が鳴り止み、甘村先生が校歌斉唱のプログラムへと進めた。担当の在校生がステージ上に立ち指揮を始めると同時に効果を歌う。


 入学式は来賓の挨拶、学校長の言葉へと進んでいく。

 ──次はいよいよ、俺の番だ。


「頑張れよ、俺たちの生徒会長! 俺たちの親友!」


「おう」


 最初に東雲から声援を受け、突き出された拳に自分の拳を突き合わせて声援を受け取った。


「失敗するんじゃないわよ」


「言われるまでもない」


 互いに不敵な笑みを浮かべて、坂野とはハイタッチをした。


「が、頑張ってください、新崎先輩!」


「ああ」


 若干緊張気味に手を差し出されて、小比類と握手をした。


 仲間からそれぞれの声援を受け取った後、最後は大切な初恋の相手に振り返る。


「これから、まだまだ大変なことはたくさんあると思う。だけど、いつでもわたしたちは逸釆くんのことを応援してるよ。──頑張ってね、逸釆くん」


 優しく、穏やかに智音は笑った。

 頑張ってと、何度も言われてきた。

 しかし今日かけられたその言葉は、新しい時間全てに対して頑張ってと言われているようで、何事も頑張らなければと心から思った。


「ありがとう、智音。それに、お前たちも」


 智音の手を軽く握ってから、他の仲間たちとも視線を合わせてそう言った。


 踵を返し、ステージ上を向く。


『生徒会長の言葉。新崎逸釆さん、お願いします』


 甘村先生の声が次のプログラムへと進めた。

 姿勢を正して、歩き始めながらまだ、


「──行ってくる!」


 俺を応援してくれる、大切な仲間たちへ一言だけ残してステージ上へ出て行った。


「────」


 ステージ上に出て、まずは進行役の甘村先生に一礼。次に明様校の教師、来賓の客、保護者、生徒の順番でお辞儀をしていく。


 そしてマイクの前に立って──、






『新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。──明様高校生徒会長、新崎逸釆です』






『地に落ち、黒く染まる』をお読みいただき、誠にありがとうございました。

これにて本作は、閉幕となります。


多くの方に本作を見つけていただき、読んでいただけたことを、とても嬉しく思っています。

また、ブックマークや評価なども今後の創作活動の参考となり、大変励みになりました。本当にありがとうございます。


まだ読んでいない方も、もしお時間がありましたら、ぜひブックマークや評価、そして感想などをお寄せいただけますと幸いです。いただいたご意見はすべて、今後の執筆の糧とさせていただきます。


最後になりますが、主人公たちの今後について少しだけ。

これから先、新崎や石母田たちは幸せな未来を歩んでいきます。

いくつもの苦難を乗り越えた先で、大切な人たちと一緒に笑い合う姿を想像し余韻に浸ってもらえたら、作者としては何よりも嬉しいです。


改めまして、『地に落ち、黒く染まる』を読んでくださった皆様に、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

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