第四十四話 『芽生える覚悟』
文化祭終了から三日。
体育祭から文化祭までに仕掛けられていた、夜叉甬马による悪事。
俺はあと一歩のところであいつの計画を完遂させるところだったが、現状の俺の視界で唯一色の認識できる存在──石母田智音の言葉によって、計画を終わらせることができた。
度重なる生徒からの悪罵、体育祭と文化祭での夜叉による悪事、そして俺の心に深い傷を付けた憎き教師との再会。
募る心労に押し潰されかけたが、何とか踏みとどまれた。
「……お前には、助けられてばっかりだったんだな」
「──?」
「いや、なんでもない」
俺の呟きに隣を歩く石母田は反応したが、何もないことを伝えると「そっか」と言って深く追及してこようとはしなかった。
現在の時刻は、十二時五十五分。
昼休みに突入し、いつも利用している東棟一階の密談室へ向かっている最中だ。
「逸釆ー! 石母田さーん!」
階段を降りた直後、東棟一階の廊下に声が響き渡った。視線を向ければ、手を大きく振っている東雲の姿があった。
「喧しい奴だな」
「ふふ」
俺がそう言うと、何故か石母田は嬉しそうに笑った。
ともかく、今日は疲れているし、さっさと休みたいので密談室の中へ足早に入った。
「あら、早かったじゃない」
俺たちが室内に入った直後、机に頬杖をつきながら坂野が声をかけてきた。
「早く終わったからな」
「そう。にしても、あんたの方から呼ぶとはね」
坂野の言う通り、今回は俺から密談室に三人を呼んだ。──否、初めて俺から三人を呼んだ。
「話がある」
夜叉の一件を通して、俺はあらゆることに気付かされた。
同時に、芽生えた覚悟もある。
だが、今回はその覚悟とは無関係だ。
「俺は今まで、助けられながらお前たちを疑い続けてた。いつか、裏切るんじゃないかって」
「────」
「だから、お前たちを道具だとしか認識してこなかった。──本当に悪かった」
生配信の時と同じように、俺は石母田たちに頭を下げた。あの時も俺が蔑ろにしてきた人たちに対して謝罪をしたつもりだ。
しかし、直接言わなければ真に伝わることはない。
謝って許されるなんて思ってない。
ただここで石母田たちに謝罪しなければ、俺自身がいつまでも誰も彼もが敵だと、心の奥底で認識し続けることになる気がした。
俺は向き合わなければならない。俺を助けようとしてくれる人たちに。
そして近い未来に──己の過去とも向き合わなければならない。
この謝罪は、前を向く決意を固めた俺の、新たな一歩だ。
「──別に気にしてないっての」
俺の謝罪を聞いて最初に声を発したのは東雲だ。
俺はゆっくりと顔を上げ、東雲と向かい合う。
「最初に会った時言ったじゃん? 俺は勝手に逸釆のこと友達に思ってるって。道具だって思われてても、悪いことじゃなきゃどう思われてもいいよ」
「あたしも、元は真実を知ろうともしないで、あんたのこと極悪人だって思ってた……だからってわけじゃないけど、別に、なんて思ってられようと構わないわ」
東雲と坂野、両方とも笑みを浮かべながらそういった。
……俺の側にいる奴は、善人ばっかりだったんだな。
「助かる」
俺も慣れない不器用な笑みを浮かべて、二人に返事した。
それから表情を戻し、次の話をすることにした。
「それで東雲、情報は集められたのか?」
「ばっちグーだ!」
満面の笑みを浮かべながら、東雲は親指を立てた。
東雲にさせていたのは──生配信の後、俺に対する見方に変化があったかどうかだ。
人によるが、信頼は得るだけならそう難しくない。逆に信頼を取り戻すのは難しい。
俺の場合、三芳に貶められたことで信頼度は地に落ちている。真実を伝えるには、一瞬で大勢に善行を見せつける必要があった。
それが今回の、夜叉の真実を暴く生配信だ。
とはいえ、生配信をしても信頼は取り戻せていないだろう。
ならば何故、そのことをわかっていながら情報収集など東雲にさせたのか──。
「全体的に逸釆が悪い奴じゃないんじゃないかって、揺らいでる感じみたいだよ」
俺が知りたかったのは──明様校の人間に迷いが生じているかどうかだ。
あの日、体育祭と文化祭で起こった問題の全てが夜叉甬马の手によるものだったことを伝えた。
それは同時に、俺が悪行をしていなかったと証明してもいた。
加えて、夜叉は噂として片付けられていた連続傷害事件や偽装誘拐、小比類の一件を俺が解決したと言った。
新崎逸釆はやはり善人だった、とまで思われる必要はない。もしかしたら、新崎逸釆は善人なのかもしれないと迷いが生じれば上出来だ。
そして、今東雲が言ったように、明様校の人間に迷いを生じさせることに成功した。
「噂だった連続傷害事件とかの解決が逸釆だったってわかって、本当に他人に暴力を振るうような奴なのかって迷ってる人かなり多くなってるよ」
「あたしも耳にしたわ。特に小比類さんの件はついこの間の出来事だし、一年生の学年主任からも証言が出たらしいから、生徒だけじゃなくて教師も結構見方を変えつつあるらしいわ」
「十分だな」
あの生配信は、ただ夜叉を一撃で倒すためにやったのではない。
生配信後の周囲の俺に対する見方の迷い。
芽生えた覚悟を成し遂げるための最初のケジメ。
俺が蔑ろにした人たちに対する謝罪。
と、先のことを考えた上での生配信だった。
こうして、多くの人間に迷いを生じさせることができたのは、後々役に立つはずだ。
「とはいえ、迷いが生じても、この後俺が何もしなければ今は覆らない。何か、考えておく必要があるな」
「苦労が絶えないね……」
苦々しい声を漏らしたは石母田だ。
確かに苦労は絶えない。でも、何もしないわけにはいかないため、仕方のないことだ。
「んでさ、放課後はどうする?」
「あたしは平気よ」
「問題ない」
「……ごめんなさい。今日は予定があって……」
「そう。仕方ないわ。また明日でも明後日でもいいし、智音はまた別の日に集まりましょ」
パッと表情を明るくし、石母田は嬉しそうに頷いた。
「あんたは新しい情報が欲しいんじゃない?」
「ああ。二時間でも十分な時間だ」
「オッケー、じゃあ今日の放課後は三人で集まりますか」
その後は、昼食をとりながら他愛もない雑談が続いた。
俺は張り詰めていた警戒心が解け、今はひとまず安堵感に包まれている。
だからこの雑談は、穏やかで、温かな心地がした。
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帰りのホームルームが終わり、俺と石母田は廊下を歩いていた。
「少し、変わった気がする……」
「何が?」
「新崎くんを見る目、かな」
そう言った石母田の表情は、暗かったが、完全に暗いかと言えばそうでもなかった。
多少なりとも俺に対する見方が変わったことを、喜んでいいのか、複雑な感情が渦巻いているのだろう。
でも確かに、見る目が変わったような気はする。
今までは廊下を歩くだけでゴミを見るような視線しかなかった。だが、今日はそんな視線はあまりないように感じる。
ただ一つ、決定的に変わった点がある。
俺は今日──罵声を一つも浴びせられていない。
いつもなら、何をしようにも罵声を浴びせられているが、今日は朝から一度もなかった。
昼休みに東雲と坂野から聞いた通り、生配信によって周囲の人間に迷いを生じさせたことの実感を今はっきりと得た。
「それじゃ、また」
「ああ」
東棟一階に着いたところで、俺は密談室へ、石母田は下駄箱へ向かう形となり別れた。
「おーっす! 逸釆!」
密談室の扉を開いた直後、俺を見るなり大声で挨拶をしてきたのは東雲だ。
ほとんど毎度のことなので、もはや何も言う気は起きない。
「坂野は?」
「……仲良さそうに新崎たちが歩いてたから、距離とって後ろ歩いてたのよ」
東雲が坂野の姿がないことに気がつき、俺にどこにいるか聞いた直後、坂野は俺の後ろに現れ悪態をついてきた。
「別に気にせず一緒に来ればよかっただろ」
「それがしづらかったって言ってるのよ! もういいわ……」
俺と坂野の会話の後、一時間程度の雑談をした。
校内状況の情報収集は、昼休みに聞いた時とあまり変わらなかった。
適当なやり取りを交わして、今日はお開きにすることにした。
「あれ、筆箱がない」
「何やってんだよ坂野〜」
「うるっさいわね! ……はぁ、あたしは教室に戻るわ。また明日」
坂野が教室に筆箱を忘れたのを東雲が茶化して憤慨していたが、すぐに切り替えて教室へ戻っていった。
俺と東雲は、二人で下駄箱へ向かい先に帰宅することとなった。
「うわっ、木部だ。相変わらず、ギラッギラしたの身につけてるよなぁ」
「馬鹿、顔隠せ……!」
正面、西棟の方から遠目に見ても瞬時に気がつくほどアクセサリーを身につけている男がこちらへ向かってきていた。
暴力除けが東雲だとは未だにバレていないため、ここでバレると情報収集役がいなくなるため困る。
東雲に声をかけると、即座に鞄から黒の帽子を取り出した。何とか木部が近くに来る前に、東雲の顔を隠せたが──、
「チッ、遠くからじゃ顔は見えねぇか」
俺たちに対してガンを飛ばしながら、木部は通り過ぎていった。
幸い、暴力除けが東雲だということはバレずに済んだ。
西棟に入り、角を曲がったところで「もういいぞ」と東雲に言った。
「あっぶなー!」
「お前は呑気すぎるんだよ。にしてもあの口ぶり、わざわざ確認しにきたように聞こえたが」
木部はすれ違いざま「遠くからじゃ顔は見えねぇか」と言っていた。仕掛けてこなかったことも考えれば、あいつは『敢えて』俺の暴力除けが誰かを確認しに来ていた気がしなくもない。
人の通りが一切ない東棟一階に来ていたことからもそうだ。
嫌な予感がするが、ひとまず今日は帰宅した方がいいと判断して俺たちは道を変えず下駄箱へ。
「──ッ」
「逸釆?」
下駄箱から自分の靴を取り出そうとした直前、折り畳まれた小さな手紙が入っていた。
考えられる可能性として、前に夜叉が言っていた俺が三人の脅威に狙われているという話だ。
一人目が三芳芽亜。二人目が夜叉甬马。そして三人目。
未だに三人目が誰かはわかっていない上に、何か仕掛けられたりすらしていない。
だからと言って、夜叉の話が嘘と断定もできなかった。
「────」
不安感で鼓動が速くなる。
息を呑み、恐る恐る手紙を手に取り、そして開いた。
「──は?」
直後、俺は手紙を手から落とした。
「逸釆! どうしたの!?」
……待て待て、は? どうなってる? 理解できない。
「クソっ!!」
「ちょ! 待てって逸釆!」
信じられない内容を目の当たりにして、俺は激しい衝動に駆られて勢いよく走り出そうとした。
しかし、東雲に腕を掴まれてその場に引き止められた。
「さっきなんか紙見てたけど、もしかしてそれに何か悪いことが書いてあったの? と、とにかく、俺に話してよ!」
焦りで頭が真っ白になり、完全に東雲の存在を放棄していた。
頭を横に振って、一旦自分を落ち着かせる。
そして、ゆっくりと東雲の方へ振り返り、震える声を絞り出して、言った。
「──石母田が拉致られた」




