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第四十話 『七年前からの弱さ』



 ――文化祭当日。


 文化祭は、明様高校で最も喧騒に包まれる日だ。


 明様校の文化祭は、合計三日間行われる。時間は通常の授業時間に合わせ、一時間目から四時間目まで。

 二時間ごとに奇数クラスと偶数クラスを入れ替えながら、作業時間と自由時間を分けて適度に休憩を挟める仕組みだ。


「先は奇数クラスだ。お前たちのスタートは午後。それまで、文化祭を楽しめ」


 半田がそう言うと、教室内は文化祭を楽しみにしている奴らの声に溢れ返った。


 さて、どこで過ごすかが問題だ。

 七月の土曜参観よりも、文化祭の方が倍以上の人が校舎内に滞在している。加えて、夜叉が植え付けた疑心で俺に対する監視の目が強くなっている。

 大勢の生徒、教師、保護者や地域の人間が行き交う校舎内は、俺にとって危険な場となる。


「いつも通り、密談室を使うのがベストか」


 結局、東棟一階で利用している密談室以外に思いつかず、そこで三日間の自由時間を過ごすことにした。


 チャイムが鳴り、俺が荷物を持って立ち上がると、


「あの、新崎くん……」


「どうした?」


「わたしも、一緒にいていいかな……?」


「別に問題ない。むしろ、お前を一人にして夜叉から攻撃されたりしたら厄介だ」


「――!」


 石母田はパッと表情を明るくし、俺の隣に並んだ。

 教室を出ると、壁に背を預けた坂野が立っていた。


「行くわよ」


「お前は友人と回るんじゃないのか?」


「できるなら、そうしてるわよ……」


 そうか、坂野も俺と関わることを選んだことで周囲から友人が離れていったのか。

 坂野の場合、堂々と宣言してたしな。


 俯いた坂野を横目に、俺は東棟一階までの道を歩き始めた。それに合わせ、坂野と石母田も俺についてきている。


「……見られてるね」


 夜叉が文化祭実行委員に植え付けた、俺に対する疑心。

 俺が一人で片付けをするタイミングを見計らい、スローガンの書かれた紙を切り刻んだ。

 同じ時間に小比類も近くにいたが、いじめとDVの件で疑われなかった。


 結果的に夜叉の目論見通りに進み、俺を文化祭準備の邪魔をした悪人である可能性を実行委員に植え付けた。

 文化祭実行委員全体に植え付けたということは、当然実行委員以外の人間たちにも話は拡まる。


 体育祭の時から仕掛けてきている夜叉甬马。

 あいつの俺を貶める計画は、かなり周到に立てられている。


「――――」


 廊下にいる奴らの悪罵や悪人を見る目を全て無視して、俺たちは東棟一階への階段を降りた。


「全く、言ったところでなんになるって言うのよ」


「お前もあっち側だっただろうが」


「……ぅ」


 坂野のブーメランを指摘したところで、俺たちは目的の東棟一階へ辿り着いた。

 目の前には密談室が見えている。


「――お、ホントにいた」


「―――っ!」


 密談室を目前に、俺でも石母田でも坂野でもない声が廊下に響き渡った。


「誰!?」


「おぉ、逸釆友達ができたのか!」


 坂野が声を上げて問いを投げるが、『男』はその問いへの答えを言わなかった。


「……ぁ、く」


「新崎くん?」


 ……おい、どうなってる。

 ――全身の震えが止まらない。


 振り向かなくとも、男の声だけで誰だか一瞬でわかった。わからないわけがない。

 ――この世で最初に憎しみを覚え、憎悪した相手なんだからな。

 三芳芽亜なんかの比にならないほど、憎んで憎んで憎み続けている相手。


 ……なんで、なんでだよ。

 これだけ憎んでて、恨んでて、この世から消してやりたいぐらいに憎悪してるのに、なに怯えてんだよ、俺――。


「……っ」


 俺は今も震える膝を拳で強く殴り、痛みで『恐怖』から無理やり意識を逸らす。

 唇を噛み、太ももの皮膚をつねって、とにかく強引に男に対する『恐怖』を逸らす。


 そして――、


「なんで、お前がここにいる。――伊津野彫明」


 七年前、俺に体罰をした教師が笑みを浮かべて立っていた。




 ■■■■■■■■■■■■■




「なんでって言われてもなぁ。逸釆の同級生に呼ばれたんだよ」


「同級生?」


「なんだっけかなぁ、海津? って名前の子。その二人のどっちかかな?」

 

 夜叉の手先の一人か。

 クソ、あいつはどこまで俺を追い詰めたいんだよ。

 体育祭の時もだが、夜叉は自分から攻撃をしてこないのが心底腹立たしい。


「違う。海津とは一切関わりがない」


「じゃあ、その二人は?」


「お前には関係ないだろ」


 左右、俺を見ている石母田と坂野は心配そうな顔をしていた。


「お前らは、上へ上がって二人で自由時間を過ごせ」


「……でも」


「こいつとは、一対一で話がしたい」


 二人は渋々頷いて、降りて来た階段とは反対の階段へ向かった。

 階段を上がったのを確認してから、俺は再び伊津野へ視線を向けた。


「いやぁ、助かるよ。俺も一対一で話がしたかったから」


「何しに来た」


「特に理由はないって。俺はお前の顔が久々に見たかっただけだ。んで、もっかい聞きたいんだけど、さっきの二人は逸釆の友達でいいのか?」


 再度、先ほどと同じ質問を伊津野はしてきた。

 何故そこまで『友達』という概念に拘るのかわからないが、俺にとってあいつらは友達じゃない。


「違う。他の奴らよりも、多少信用できるから一緒にいるだけだ」


 これが、今の俺の石母田たちに対する認識だ。

 友人なんて関係は、結局は上っ面だけだ。都合が悪くなれば切り捨てるような奴ばかりに過ぎない。


「――変わってなくて安心したよ、逸釆」


「は?」


 伊津野は俺の答えを聞いて、訳の分からない返答をしてきた。


「ホントに、安心した。――あの時から、何も変わっちゃいなかった」


 ……七年も前のことをいつまでも引っ張りやがって。


「俺は変わった。良くも悪くもな。いつまでも過去に囚われてるのはお前だけだ」


「いいや、お前は変われてないな。理由は簡単。――七年前も、お前を助けようとしたクラスメイトに対してそう言ったの忘れたのか?」


「──っ!」


 思い返せば、あの時も俺の側にいた奴がいた。

 今は顔すら思い出せないが、そいつに対しても同じことを言った記憶が蘇った。


「……たとえそうでも、俺は変わった。変わってないのは」


「――声、震えてるぞ?」


 そう言われた直後、さっきまで治っていた全身の震えが再開した。


「一番最初に俺の方を向く前、チラッと見えたんだよ。逸釆が拳を振り下ろすのが。怖がんなってー。ま、俺を怖がってんのも、変わってない証拠の一つだからいいけど」


「……違う」


「違う? そうか、なら」


 伊津野は俺に近づいてきた。

 互いにぶつかりそうな距離感で、伊津野は俺を見下ろしている。


「なに、をっ!」


「やっぱ怖がってんじゃねぇか」


「離せ……!」


 俺は伊津野に両手首を掴まれ、壁に叩きつけられた。

 相手の咄嗟の動きに動揺すると同時、恐怖の感情が全身を支配し始めた。


「たっはっは! 七年前もこんな風に言ってたっけか? あ、でもあん時は泣いてたか」


「るせぇ……」


「なんか言った?」


「――黙れクソ野郎って言ったんだよ!!」


 怯えるな! ここで怖気付いてなんになる!

 変わったって思うなら、せめて意思くらいは――、


「調子乗んなよ、ガキが」


「あ、がぁぁぁ!!!!」


「たっはっは! 逸釆は七年前と変わらず弱い奴だな」


「ぐ、ぎぁ……」


「無理に変わろうとする必要なんてないんじゃないかと、教師的には思うね。むしろ、逸釆は七年前のままでいてくれた方が嬉しい。――俺の教育が届いてたってのが、一発でわかるからな」


 言って、伊津野は掴んでいた俺の手首を離した。俺は床に力強く落ち、鈍い音が東棟一階に鳴り響く。


「んじゃな、逸釆。暇になったら顔見に来るよ」


 最後にそれだけ言って、伊津野はこの場を立ち去っていった。


「クソ……! なんで、だよ……!」


 散々言われた、俺が七年前から変わっていないと。

 そんなの、誰に言われるまでもなく、俺が一番理解してる。


 七年前に体罰を受けてから、俺はずっとあの時の時間に囚われたままだ。過去を思い出したくない、囚われたくないの意思であれこれ手を出して、色々できるようにしていった。


 でも、変われなかった。

 三芳に地に落とされて、よくわかった。

 小比類に強くなるための虚勢を張れって言ったのは──自分がそうしてたからだ。

 誰にも屈さない決意は確かにある。だが、馬鹿にされたくない、下に見られたくない、だから傲慢な自分を形成して傷から目を背けてるに過ぎない。


「──っ!」


 辛い! こんなの、辛いに決まってんだろうが……!

 今まで信じてた奴ら全員に裏切られて、罵声を毎日浴びせられたり、菌扱いされたり、些細な嫌がらせを重ねられて、いじめが辛くないわけねぇだろ!


「あいつに理解させられた……。──俺は弱いままだ」


 認めざるを得なかった。

 伊津野の声が聞こえただけで、恐怖で体が猛烈に震えた。心に植え付けられた深い傷が、伊津野彫明という男を拒絶していた。


「――――」


 誰もいなくなった無音の廊下に、俺はただ一人蹲る。

 この無音が、酷く心を締め付けた。





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