第四話 『地に落ち、黒く染まる』
次の日。
昨日のことを考えながら俺は学校に向かっていた。
……間違いなく拡散されてるだろうな。
皆には理由を説明して、豊島側に問題があることを伝えなければ。
きっと信じてもらえる。俺のことを知っている生徒なら、迷惑をかけるような奴じゃないって知ってくれているだろうから。
まずは、昨日の一件の収束にとりかかろう。
学校に着き、下駄箱で上履きに履き替えてから二年八組の教室に駆け足で向かった。
そして、教室の前。俺は深く深呼吸をしてから扉を開いた。
「あっ……よっ、新崎」
「……お、おう」
クラスには既に数人の生徒がいた。
昨日までなら陸上部の朝練があったが、退部したので家の遠い俺は学校に着くのが遅くなった。
そのため、クラス内で俺が学校に着くのは最後の方だ。
教室内の空気は一瞬にして重くなった。俺が入ってきたことによって――。
「……新崎くん」
「ちゃんと説明するから。ホームルームの後に、また」
声をかけてきたクラスメイトにそう言ってから、俺は自分の座席に座った。
数分経って、担任の半田先生が教室内に入って来た。今日の予定について話した後、手紙を配布し、淡々とホームルームを終わらせた。
そして、予鈴と同時に二年八組のクラスメイトの半分以上が俺の下へ来た。
「昨日何があったの⁉︎」
「豊島がやたらお前のこと言ってたけど」「部活荒らしたの本当か?」
「―――っ」
様々な疑問が飛び交っていた。
その中には、作り話も幾つか存在していた。
噂というのは人から人へ、あらゆる人間の解釈の違いによって変化するものだ。
確かなのは、昨日の一件を拡散した張本人である豊島は、明らかに偽りの事実を付け加えているということ。
俺は席を立ち、机の周りに集まった皆の顔を見ながら話し始めた。
「俺さ、元から豊島に嫌われてたみたいなんだよ。陸上部に入って半年くらい経ってから、俺にだけ当たりが強くなってた。片付けを押し付けられたり、大会の時間表が渡されなかったり。酷い時には、競技場でタイム測定の直前にスパイクのピンを隠されたりしたことだってある」
「……酷い」
「最低だな」
「豊島頭やば」
ひとまず、信じてもらえたらしい。俺は話を続け
た。
「それで、昨日は今までのことが積もり積もって感情が爆発しちゃってさ。部活を荒らしたとか、暴力を振ったとかは全部嘘だから信じないで」
皆の表情が安堵に変わっていくのがわかる。安心した、と俺の所に集まった皆が言った。
……全部信じてもらえてよかった。
俺は皆に信じてもらえた事実に胸を撫で下ろした。
チャイムが鳴り、皆が座席に戻った。
「……大変だったね」
隣の席から、心配そうな表情の石母田から声をかけられた。
「あぁ、うん。本当に大変だった……」
しかし、安心しきるのはまだ早い。
クラスメイトにしか真実を伝えていないからだ。
他クラスの生徒たちは、未だに豊島の偽りの事実を付け加えた話を信じ、俺を悪だと思っているに違いない。
休み時間を使って、今日一日は全クラスを周り、真実を伝えに行くことにした。
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四時間目を終え、昼食の時間になった。
休み時間に他七クラス全てを周り、昨日の一件には偽りの事実が存在することを伝えた。
必然的に噂を拡散した豊島と須佗は教師に呼び出され、生徒指導を受けることとなった。
「……だぁぁ。つ、かれぇた……」
体育館の裏、生徒一人いない中、俺は疲労感を口に出した。
あまりの精神的疲労に食欲が全くない。
膝に肘を乗せ、手で顎を押さえて目の前に生えている花をぼーっと見つめる。
「――あ、いたいた」
「ん?」
誰もいないはずの体育館裏の周辺から声が聞こえてきた。
女声で高く、柔らかな声だ。遠くではない。すぐ近くから聞こえた。
振り返ると、赤髪の髪を長く伸ばし、前髪をピンで留めている女子生徒だった。
俺はこの女子生徒を知っている。
一年前、同じクラスで共に学級委員をしたことがある。俺が委員長で目の前に立っている女子生徒が副委員長だった。
俺以上に目立ち、学年だけに留まらず、学校全体でもかなりの有名人。更に吹奏楽部に所属しているため、学校外での交流も多く様々な場所で活躍している。
「久しぶり、三芳」
「うん。久しぶり新崎君」
「何か用?」
「……ちょっとね。あ、あぁ! ……大変だったね豊島君の件」
何故か慌てているような様子だが、気にせず返事をすることにした。
「……マジで災難だったよ。あいつ、勝手なこじつけで俺を貶めようとするんだから面倒くさくて……」
「よっぽど新崎君のことが嫌いだったみたいだね……あの、それでね?」
三芳は顔を伏せ、両手の人差し指を突きながら俺を覗き込んできた。
「どうした?」
「……お兄ちゃんがね、事故に遭っちゃって」
「は、え⁉︎ 菊先輩が⁉︎」
「……うん。左腕と両足の骨折で全治五ヶ月なんだ。そのことばっかり考えてたら教室にいるのも辛くて……」
三芳の表情は陰っていた。
当然だろう。実の兄が事故に遭って大怪我をしたのだから。
「……お兄さん、早く治るといいな。悪い、こんなことしか言えないけど……」
「……あ」
俺の言葉の後、数秒の沈黙が流れた。三芳の気を悪くしてしまったのではと、慌てて俺は別の言葉を考える。
俺が別の言葉を考えていると、三芳は表情を笑みへと変えた。そして、頬を赤らめながら下を向いて、
「――そんなところが好き」
「え?」
小声で三芳は何か呟いた。だが、俺にはなんて言ったかは聞き取れなかった。
「……えっとね。私、去年から新崎君に色々と助けてもらっちゃってさ。すっごく感謝してるんだ」
「いや別に感謝されることはしてないけど……。ただ、学校を良くしようと思って勝手にやってたことだし」
「ううん。その行いがみんなの助けになってたんだよ」
三芳は顔を上げ、真っすぐに俺を見つめた。そのまま、三芳は俺との距離を一歩詰めた。
「新崎君。――あなたのことが好きです」
「――え?」
いや、え?
「す、好きって、俺のことが?」
「そう言ったよ」
……マジか。
全身が急激に熱を帯びて熱くなり始めた。額からは多量の汗が流れ出ている。
三芳は今も俺を見つめている。俺の返事を待っているのだ。
彼女は容姿端麗で頭脳明晰、何事もそつなくこなす。普通の男ならば、断る理由なんてない。
だが、俺は――、
「――ごめん。今は恋愛しないって決めてるんだ」
「……どうして?」
「良い大学目指して、良い就職先見つけて。俺、過去に色々と失敗してるからさ……今は、失敗した分を取り返して、自分を変えることに集中したいんだ。だから、三芳とは付き合えない」
「……そっか」
三芳の瞳には涙が浮かんでいた。
俺にとって、三芳は友人であり、それ以上の感情はない。けれど、理由はそれだけじゃない。
過去に様々な面で失敗した俺を変えなければならない。同じ過ちを繰り返さないと、誓ったのだ。
ようやく変わり始めた自分のためにも、仕方のない判断だった。
「あ、えっと、ごめんね! 急にこんなこと言って……それじゃ、これからも友達としてよろしくね、新崎君……」
「……おう」
三芳は顔を腕で覆いながら、走り去って行った。
■
翌朝、新崎は昨日のことを考えながら教室へ向かっていた。
新崎の心には、三芳からの告白を断ったことへの罪悪感が生じていた。
人に好きと伝えるのは簡単じゃない。
緊張感と羞恥心に苛まれながら、覚悟を決めて想いを伝えるというのは相当な勇気が必要だ。――その全てを、へし折ったのだ。
しかし、恋とはそういうものだ。必ずしも成就するものではない。
「感謝は、してるんだけど……」
そもそも、新崎は三芳芽亜を異性として好意を抱いていない。
あくまでも一人の友人としか思っていないため、それ以上の感情は存在しない。
本当に、仕方のないことなのだ。
だが、廊下ですれ違っても何事もなかったかのように接するつもりでいる。
気まずい関係性は、三芳も望んでいないはずだから。
気がつけば二年八組の教室前へ辿り着いていた。新崎は、気持ちを切り替えて、教室の扉を開いた。
「おはよう! 新崎!」
「おは新崎」
「おはよう〜」
「おう、おはよう」
普段と変わらない反応に、新崎は胸を撫で下ろした。
豊島たちとのことを思いだし、三芳が良い人であったことに心の中で感謝した。
自分の座席へ行き、教科書を机の中へ入れていると、隣席の石母田に「おはよう」と声をかけられたので「おはよう石母田」と新崎は挨拶を交わした。
チャイムが鳴ると、教室内に半田先生が入ってきて、ホームルームを開始した。
「おはよう。それじゃ、今日の授業だが……」
「――すみません、半田先生」
「――? 筒巻先生、何かありましたか?」
「……はい。少し、お時間を」
教室に、前髪が顔にかかるくらいに長く眼鏡を掛けた社会科の教師、筒巻先生が入ってきた。
半田先生と筒巻先生が廊下へ出た後、教室内はざわつき始めた。
「なんだなんだ?」
「誰かやらかした?」
「ホームルーム中に変だよね」
そう、今はホームルームの時間だ。
わざわざホームルーム中に入ってくるということは、何かあったと考えるのが必然だろう。
五分ほど経過して、半田と筒巻が教室内に戻ってきた。
「――新崎。立て」
「はい?」
「いいから立て」
何故かわからないが、鋭い眼光を向けている半田先生の指示に従って新崎は席を立った。
「新崎なんかやらかしたん?」
「……いや、やらかしてないと思うけど」
「そうか。シラを切るか」
「事実を言ってるだけですが……」
「なら、ここに書いてあることを読み上げた後も同じことが言えるか?」
「言えると思いますけど」
半田は胸ポケットから一枚の小さな紙を取り出し、教室内の生徒に見えるように広げて、紙に書いてある内容を読み上げ始めた。
「左腕と両足の骨折、全治五ヶ月。患者名――三芳芽亜」
「……は?」
半田先生が紙の内容を読み上げ終えると、教室内は再びざわめきだした。
新崎は半田先生の読み上げた内容を理解できなかった。
三芳芽亜は昨日、何の怪我もなく自分と会話していたのだ。実の兄の怪我の話をされ、その後に告白されて。
あの後に事故にでも遭ったのかと考えた。
ならどうして、自分も関係があるのか。それがわからない。
「新崎。お前は昨日、三芳に告白されたらしいな」
「いや、えっと……」
「だが、お前は断った。その後――罵声を浴びせて暴力を振るったそうじゃないか」
「いや、は?」
再び教室内がざわめきだす。
──俺が三芳を軽蔑した?
そんなことをした覚えは当然ない。
「三芳本人からの証言だ。ご両親からも話を聞いている。これでもまだ、シラを切れるか?」
「シラを切るも何も、俺は何もしてないですよ! 告られたのは事実ですが……けど、フっただけで軽蔑とか暴力なんてしてないです! 三芳じゃない誰かの捏造だと」
「――いい加減にしろ新崎逸釆!!」
続く言葉を半田先生の怒声で遮られた。
理解できない。意味不明すぎる。
三芳、なんの冗談で──、
「あ」
『左腕と両足の骨折で全治五ヶ月なんだ』
昨日、三芳が新崎に告白する前に言った実の兄の話を思いだす。
──左腕と両足の骨折で全治五ヶ月。同じ症状だ。
なら、本当に三芳は自分を貶めたというのか。
去年一緒に学級委員をして、学年を、学校全体を大きく盛り上げるために努力した。
辛い時もあったが、互いに支え合ってきた。
──親友。そう呼べる存在だったはずだ。
全てが嘘だったとそう言うのか。
何もかもが演技で、全ては自分をを陥れるための策だったって、そう言うのか。
──楽しい時に笑った笑顔も嘘だって、お前はそう言うのか。
「今日は帰れ。ご両親には私が後で連絡しておく。呼び出しもあるからそのつもりでいろ」
呆然とした状態で、新崎は荷物を纏めて教室の外へ向かった。
「お前そういう奴だったんだな」
「最低のクズ男」
「私たちを騙してたんだ」
違う、騙してなんかいない。
全部本当の姿だ。
──誰も、そんなことしないって言ってくれないのか。
また、あの時と同じになるのかよ。
「新しい学級委員決めないとだな」
背後からそんな声が聞こえた気がした。
扉を開けて廊下へ出て、扉を閉める。
教室の前に下を向きながら俺は立ち尽くした。
今まで、過去を乗り越えて、元の自分に戻っていた気がした。
高校に入ってからは、最高に楽しかったから。
地獄の時間を思いだす。
二度と、あの時と同じ想いをしないために自分を変える努力をした。
誰からも信用されず、見捨てられ、ただ一人孤独になる。
繰り返したくないと願っていた。
だけど、今日再び同じ想いをした。
誰からも親しまれ、何でもそつなくこなす高校での新崎逸釆は、失われた。
視界が白黒になる。
全身が急激に重くなるのを感じる。
感情は憎悪と悲しみに支配される。
そして、新崎逸釆は。
──地に落ち、黒く染まる。




