第三十五話 『親子』
石母田の母親から放たれる威圧感が、微かに増したのを感じた。
「お前、ねぇ。親の顔が見てみたいわね」
「話を逸らすな。石母田智音が『良い子』ってヤツに育ったと思うなら大きな勘違いだ。石母田は、お前の思う『良い子』なんかじゃない」
「黙って」
「お前が黙れ。石母田智音は内気で、他者と関わるのが得意じゃない女だ。その癖、無駄に人を気遣う」
「────」
「──お前は今の娘のことをどのぐらい知ってる?」
俺は視線を鋭くして力強く言い放った。
石母田の母親は何を言われたかわからない様子だが、理解できないことこそ哀れなことはない。
娘が『良い子』に育っている事実を、違う見方でしかできていない。
「お前は最後にいつ、娘と真っすぐ向かい合って話をした?」
「ついこの間……」
「いいや、もっと前のはずだ」
「何を言っているの? あなた」
「わからないのか? 本当に哀れな母親だな」
石母田の母親は、俺が言った言葉をそのまま受け取っている。
その事実が、隣に立つ石母田智音を深く傷つけているのが表情から窺える。
「俺が指す真っすぐってのは、心から真っ直ぐ向かいあったかって意味だ。勉強だの仕事だのを無理やり叩き込んで、上がっていく結果だけを見てでしか娘の成長が知れてないから、俺の発言がそのままの意味でしか聞こえないんじゃないか?」
「そんなわけ、あるはずないでしょう」
一瞬、石母田の母親は言葉に詰まった。
俺は話を続ける。
「お前は娘がどんな性格か知ってたか? 学校で何をしてるか知ってるか? 友人との話を聞いたことがあるか?」
「……新崎くん」
隣に立つ石母田が、潤んだ瞳で俺を見て呟いた。
横目にその顔を見て、石母田の母親へと俺は一歩詰め寄った。
「今俺が言ったことの一つでも、本人の口から聞いたことがあったか? あるいは、自分の目で見たことがあったか?」
「あ、った……」
「嘘つくな。目線逸らして堂々と言えてない時点で、嘘なのがバレバレなんだよ」
「あなたに、私と智音の何が……!」
「わかるかって? わかる。簡単だ」
脳裏に思い描いたのは、未だに真実を知ろうともしない俺のクズ親。
あいつらは、確かにクズだ。一方的に俺を悪人だと決めつけて、話を聞こうともしない。
ああ、とんでもない親だ。
だが少なくとも、自分の理想を押しつける石母田の母親よりかはマシだと言い切れる。
「──お前らに親子の絆はない」
「な!?」
「俺の親は、七年前に俺にかかった冤罪をまるっきり信じて話すら聞こうともしなかった。それは今も同じだ。だが、飯はまともなのを出されたし、一度は復縁して仲良くやってた。お前みたいに、自分の子どもと楽しく会話したことすらない親とは違う」
「そんな、こと……」
ない、と石母田の母親は言葉にできなかった。
当然だ。本当に実の娘と楽しく会話したことがあるなら、即答できるはずだからな。
「娘に結果だけを求めて、娘のことは何も知らない」
「違う……」
「自分の理想的な存在を完成させるのに娘を利用したとしか、俺には思えない」
「違う……!」
「真っすぐ向かい合う気すら初めからないとは随分と最悪な──」
「勝手に私と智音の関係を決めつけないで!!!!」
「──じゃあなんでお前らの家のリビングには、父親と娘しか写ってない写真が飾られてるんだよ!!」
堪えていた怒りを爆発させて俺は言い放った。
思い出されるのは、石母田智音が俺に「助けさせてほしい」と言ってきた日だ。
あの時、ずぶ濡れになった俺にシャワー浴びさせるために家に招き入れられた。
大きな家のリビングに置いてあった棚、そこに小さな写真立てが置かれていた。
しかし、写っていたのは石母田智音とその父親のみ。
母親は、写っていなかった。
「あんなの初めて見た。三人家族で、無駄にデカイ家のリビングにわざわざ置いてある家族写真が、娘と父親しか写ってない写真。不仲だって言ってるようなもんだろ」
「……っ!」
「写真の父親の顔は笑ってた。偽りじゃなく、心から笑ってるように見えた。お前は、心から娘に対して笑いかけたことが一度でもあったか?」
「……ぁ」
「笑ったことはあっても、結局は褒めて笑ってるように見せて、実際は自分が押しつけた理想に娘が近づいたことを内心で喜んでただけじゃないのか」
顔を両手で覆い、現実を聞きたくないとばかりに石母田の母親は首を横に振っている。
本当に、救いようのない奴だ。
「私は……」
「聞こえねぇよ」
呟きに近い声で、石母田の母親はポツポツと話し始めた。
「私は、子どもの頃、何もできなかったの……」
「────」
「無知で、努力を怠った結果なのは自覚あるわ……後に怠ったのが響いて、色々と苦労した……」
「お母、さん………」
「だから、子どもができたら、私みたいにならないように育てようって……」
それで、ここまで娘を縛りつける最悪な母親になったわけか。
親が自分の後悔を生まれてきた子どもにさせないようにするのは、よくある事だ。しかし、中にはその思いが強すぎて子どもに無理を強いる親も少なくはない。
最終的に縛りつけ、まさに石母田の母親のような状態になっている者もいるのが現実だ。
「……ごめんなさい、智音……謝っても、許してもらえないと思うけど……」
「許すわけないだろ。永遠にお前を石母田は憎み続ける。それでもいいなら──やり直せ」
「……ぇ?」
「もう一度、娘との関係をやり直せ。石母田が、家を出て行く前に」
泣き崩れた石母田の母親を見下ろしながら、そう言った。
背後に立つ石母田も、その母親も。揃いも揃って涙を流している。
だが、涙の理由はそれぞれ違う。
母親は後悔。娘は悲しみ。
負の感情の涙だけが、二人の頬をつたっている。
「………ん」
「────」
「……時間を、もらいたいわ……」
「……お、かあ……さん…」
「智音、私に……やり直させて、ください……」
石母田の母親は立ち上がり、娘の正面に立って頭を下げた。
「やり直すための、時間を……私に、お母さんに……ください」
最後の言葉だけは力強く言った気がした。
しばし石母田は俯いて沈黙し、涙を流し続けていたが、やがて意を決したように顔を上げて──、
「うん……!」
満面の笑顔を、母親へ向けていた。
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「……ありがとう、新崎くん」
東棟一階、密談室にて。
あの後、石母田の母親は学校から去り、俺たちは行く場所も特になくいつもの密談室へ足を運んでいた。
「あれはただの……八つ当たりだ」
課せられた取引は失敗に終わった。
後は七年前の過去を拡められ、妨害していたことも拡められるだけだ。
俺は見事に、最悪の結末へ進まされた。
その事実に苛立って、あれこれ言ったにすぎない。
だから、石母田の言う感謝はお門違いというものだ。
「だとしても、わたしは──新崎くんに助けてもらったよ」
対面の椅子に座る石母田は、俺に微笑みながら言った。
「わたしがずっと言えなかったことを、代わりに言ってくれた。離れてたお母さんとの距離を、戻す機会をくれた」
「────」
「八つ当たりでも、すごく嬉しかった」
どこまでも純粋な人間だな。
石母田の母親がしてきた行動に怒りを覚えて、事前に取引の失敗で溜まっていた怒りと重なった。
本当に、ただの八つ当たりだって言うのに──。
「……変わってるな、お前」
「……そうかもしれない」
薄く微笑みながら、石母田は俺の言葉に応じた。
俺はポケットからスマホを取り出して、現時刻を確認した。
十五時二十五分、明様高体育祭の結果発表五分前だった。
今更ながら、体育祭の終わりを実感する。
「? こんな時に誰だよ」
俺のスマホに、一本の電話がかかってきた。
相手の名前は表示されず番号のみ。ということは、俺のスマホに未登録の番号だ。
嫌な予感がしながらも、俺は電話に出た。
「──お、繋がった繋がった。この番号、新崎逸釆のでいいか?」
と、飄々とした声が耳朶を打った。
聞き覚えのある声だ。
この体育祭が始まる直前、俺の過去を拡めないかわりに二年四組を体育祭で最下位にしろと取引を持ちかけてきた存在。
「どこで番号を知った──尾暮雷」
「携帯の番号は、十八歳未満だと親の同意無しじゃ変えられないだろ? 新崎、どうせ親と不仲だろうし番号そのままかと思って色々当たったら手に入れられた」
「チッ……」
……どこまで先を考えて行動してやがる。
俺をここまで追い詰める理由が、尾暮雷にあるとは思えない。
尾暮はあくまで、利用されてる立場のはずだ。
「とと、雑談はここまでにして。新崎、屋上に来い。鍵はもう開いてるから普通に入れる。じゃな」
そう言って、尾暮は電話を切った。
今まで、散々二択を迫られてきた。
受けるか、受けないか。行くか、行かないか。
大概、拒否の選択の方がデメリットが大きくなると俺は考えている。
今回も、例外じゃない。
「あの、新崎くん……」
「お前は坂野のところに戻れ。俺は屋上に行く」
「……!」
「石母田?」
この場から立ち去ろうとした瞬間、石母田は俺の服の裾を掴んで引き止めてきた。
「……新崎くんが傷つくのは、もう嫌だよ」
「――――」
弱々しく、石母田は言った。
とっさに、なんて答えればいいかわからなかった。
だが、引き止められたところで行かない選択肢はとれない。
思考を加速させて、石母田に過度な心配を与えない返答を模索する。
そして──、
「今までも、どうにかなってきただろ。毎度毎度、お前は俺を心配しすぎだ」
俺は、なんの根拠もない返答をした。
心配させない返答にしては、無理がありすぎる自覚はある。
でも、これしか思い浮かばなかった。
「……うん」
引き止めても無駄だと悟ったのか、石母田は服の裾から手を離した。
それから俺は、振り返ることなく屋上へ向かった。
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「お、ちゃんと来てくれたか」
屋上に入る扉は既に開け放たれており、尾暮が笑いながら出迎えてきた。
「呼んだのはお前だろうが」
「正確には俺の幼馴染だけどな」
「いい加減隠すのはやめろ。お前の幼馴染は──夜叉甬马、違うか?」
計算された俺を貶めるための策。
俺に接触してきた尾暮が口にしている『幼馴染』の存在。
遡れば、坂野と小比類以外にも嫌な予感を感じていた相手はいた。
あの時は、ただ煽りに来ただけだと思っていたが、時期を思えば、十分辻褄が合う。
数秒、尾暮は驚いた表情をしていたが、すぐに笑みへ戻った。
「だってよ。──甬马」
『──別に僕は初めから隠すつもりなんてなかったよ? 雷が勝手に僕の名前を伏せていたんじゃないか」
「ごめん、ちょっと遊び心が出た」
軽口を交わし合う尾暮と電話の相手。
尾暮は取り出したスマホの画面を俺に向けた。
『やぁ、新学期初日ぶりだね、逸釆くん』
そこには、予想通り金髪の男──夜叉甬马が映っていた。




