第三十話 『伸ばした手の意味』
小比類恵那を取り巻く二つの問題の対処をした後、俺の中にあった嫌な胸騒ぎは完全に取り払われた。
一つは坂野柚葉が俺に近づいてきたこと、二つ目が小比類恵那の問題。
夏休み明け早々に面倒な事に巻き込まれたが、ひとまずすぐに片付いて俺は安堵していた。
小比類恵那の父親は、現在聴取の最中だ。
肝心の小比類は、片親だったらしく祖父母の家に引き取られたそうだ。
何故片親なのかは、敢えて聞かないでおくのが礼儀というものだろう。
そして今は、
「では、体育祭の競技決めをする」
六時間目、総合の時間にて明様高校体育祭の競技決めをしていた。
明様高校は十月の頭に体育祭、十一月の頭に三日間の文化祭が行われる。俺にとってはどちらも興味ないため、現在の競技決めも窓の外を眺めて時間が過ぎるのを待っている最中だ。
「二年の競技は、百メートル、二百メートル走。障害物リレー、綱引き、二人三脚、棒倒し。最後にクラス対抗リレーだ。お前たちも時間短縮したいだろうし、積極的な立候補を求めたい。競技が被った場合は、各自集合して話し合いをしろ」
半田がそう言うと、教室内の奴らは続々と「はい!」と声を上げた。
体育祭だの文化祭だの何が楽しいのかと思いながら頬杖をついていると「……あの」と右耳に声が入ってきた。
振り向けば、右隣に座っている石母田と、
「席に戻れよ」
「智音は良くてあたしはダメって言うの? 随分な特別扱いね」
「石母田は隣席だぞ」
髪を手で払いながら、堂々と俺に話しかけてきたのは坂野だった。
周囲を見れば、いつの間にか各競技に誰が出場するかという話し合いの時間になっていた。他の奴らも各自一つの座席の周りに集合している。
「新崎は何の競技に出るのかしら?」
「余り以外にあるかよ。てか、体育祭なんかに興味ない」
「去年は活躍しまくってた癖に」
坂野の言った事に俺は苦い思いを味わった。
確かに、この女の言う通り『去年』は活躍してなくもない。だが、過ぎたことを反論として扱われるのは気分が悪い。
俺は再び窓の方へと視線を戻し、視界から二人の存在を外した。
「柚葉ちゃんは何の競技に出るの?」
「そうね……あたしは二百メートルとリレーに出たいわね。運動するのは好きなの。智音は?」
「わたしは新崎くんと同じで余りでいいかな」
「……全く。一応は盛り上がるお祭りなのよ?」
「えへへ」
坂野と石母田がそんなやり取りを交わしている間に、俺はふと黒板に視線を移した。
既に幾つかの競技は埋まり、参加できる競技はどんどん減っていった。
「――――」
そして、経つこと数分。
二年八組の競技は全て決まり、俺は余り競技の百メートルとクラス対抗リレーへの出場となった。
■■■■■■■■■■■■■■■
「クソっ、何でクラス対抗リレーに出なきゃならないんだよ……!」
東棟一階、俺は抱えていた苛立ちを吐き出していた。
余り競技で良いと考えていた。しかし、何故男女四人ずつの合計八人で行うクラス対抗リレーが残る? 意味がわからない。
「クラス対抗リレーなんか普通余らないだろ」
「……まぁまぁ、そんなこともあるって」
「余り競技って考えてたあんたも悪いでしょ。にしても、変な気はするわね」
「柚葉ちゃんもそう思う?」
「智音も思ってたのね。男女四人ずつのクラス対抗リレー。枠は男女四人なのに余るなんて不自然すぎるわ。新崎含めて他の陸上部男子も五人いるし、リレーが陸上部限定ってわけでもないのに変よ」
「考えてみれば、坂野の言う通り変だよなぁ」
この場にいる俺を除く三人が、やはり余り競技としてクラス対抗リレーが残っていたことに不自然さを感じていた。
枠は四つ、陸上部だけが出場可能などという理由はない。そもそも、陸上部でも足の遅い奴はいくらでもいる。
種目が投擲系の人間には、元々速いか自主練でもしていないと「陸上部だから足が速い」という定義は通用しない。
野球をやっている人間やサッカーをやっている人間には足の速い奴は多い。リレー競技において、活躍するため選出される率は高い。
二年八組にも野球かサッカーを習っている生徒が何人かいる。にも関わらず、クラス対抗リレーが余った。
「体育祭で目立ちたがる奴は多いし、クラスで勝つために全力を尽くそうとする奴だって多い。簡単な話、八組は体育祭なんかどうでもいいって奴ばっかだったってことだろ」
「えー、もったいな。俺なら体育祭は全力でやって勝ちに行くよ?」
「わたしも、どっちかと言えば一生懸命行事には参加したい」
過去に体育祭実行委員長を務めたことがあるが、クラス対抗リレーは全競技を合わせても点数が高い。
負ければ普通に痛手になる。逆に勝てば逆転もできる。
俺の自意識過剰が極まってるのは、偽装誘拐の件で散々わかってるつもりだ。だから、今回の件も純粋に誰もやりたがらなかっただけかもしれない。
「あいつらがその気なら初めから出なければ――」
「──どの子が新崎逸釆くん?」
そんな風に反逆心を口にした直後。
俺でも、石母田でも、東雲でも、坂野でもない。
全く別の、新しい声が聞こえてきた。その声は、女のモノだ。
「あれだ」
と、女性以外の声が新たに耳朶を打った。次に聞こえたのは、男の声だ。
ここは東棟一階。
俺が明様校内で最も人気がない場所として選んだ、俺たちの密談の場。
とはいえ、東棟一階を占拠していたわけではない。誰でも来れる場所だ。単に人気が少ないと言うだけ。
なら、取るべき選択肢は――、
「逃げるぞ」
「「「え?」」」
「いやいや! ちょっと待ってって!」
逃げようと走り出す寸前、女声に呼び止められた。
石母田、東雲、坂野が動く素振りすらしなかったため、俺は仕方なく背後へ振り返った。
「――久方ぶりだな。逸釆」
振り返った俺に最初に声をかけてきたのは、眼鏡をかけた男だ。
その隣に、カチューシャを付けた女が立っている。
そして俺は、この男女を知っている上に、関わったこともある。
「今更何の用だよ」
「……タメ口。あ、ああ。その、話をだな」
「断る」
「少しで構わない。今更というのは重々わかっているつもりだ。だから」
「その今更が、遅すぎるって言ってんだよ。――明様校生徒会長、井野陀甚」
俺の言葉に眼鏡をかけた男──井野陀甚は眉を下げて、唇を噛んだ。
そう、この男は明様校の生徒会会長だ。
俺が何故井野陀と面識があるのか。過去に俺も生徒会に所属していたからだ。
高校一年の時、なりふり構わず様々な役職に就こうとした。当然、生徒会にだって入ろうとした。
だが、高一の段階で生徒会に入ると言っても会長や副会長にはなれない。
あったのは書記だ。一年でもなれる唯一の役職。
井野陀との繋がりはそこからだ。
二年から副会長には立候補できるが、既に他の人間に枠を取られて井野陀は余りの書記となっていた。
そして、俺と関わり始めた。
でもそんなのは過ぎた話だ。
加えて、この男は俺を助けようとしなかった。明様高生徒会長である以前に、友人だった俺を。
「すまなかった……! でも頼む。本当に少しで」
「謝って済む問題なら、俺は今酷い目に遭わずに済んでるんだよ。わかるか? 俺の苦痛がお前らに」
謝罪なんかで助かるなら、世界で傷ついた人間の悉くが助かってる。
何のつもりか知らないが、ウザいんだよ。
「――あのね」
と、増してくる苛立ちに意識を向けていると隣に立つカチューシャを付けた女――生徒会副会長、桐星愛莉が、俯く井野陀の前に出て俺の真正面に立った。
「わたしとは、あんまり関わったことないよね。桐星です。今日新崎くんを呼んだのは会長じゃなくてわたしなの。色々お話を聞きたくて」
「どっちでも同じだ。俺はお前らと会話したくない。お前らがムカつくのもあるが、罠の可能性だってあるからな」
俺と会話することで何かを引き出し、引き出した情報を出鱈目で塗り潰して校内にばら撒く。なくはない話だ。
俺が警戒と怒りを抱えながら正面に立つ男女を睨みつけていると、しばしの沈黙を経て桐星が口を開いた。
「新崎くんがわたしたちを信用できないのは、わかるよ」
「ああ、当然――」
「――だとしても、こんなに落ち込んでる人が罠とかで貶めようとするかな」
眉を下げて、桐星は視線を左へ。
今もなお、生徒会長である井野陀は俯いたままだ。酷く沈んでいるように見える。
だが、何故井野陀がその態度を浮かべるのか、俺にはわからない。
はっきり言って、今日までの日々を考えて俯きたいのは俺の方だ。
手助けをしようともしなかった井野陀が、俺との会話でどうしてそんな風になる?
理解できない。
「行ってきなさいよ」
井野陀の態度を見て理解できないと俺が考えていると、背後に立っていた坂野が声をかけてきた。
「会長さんたちは、あんたと純粋に話がしたいだけにしか見えないわ」
「お前な」
「……あの、わたしもそう思う」
坂野に続けて声を発したのは石母田だ。
もう一度、井野陀の方へ視線を戻す。
それから、坂野、東雲、最後に石母田と視線を動かして、
「……はぁ。手短にしろ」
仕方なく、話とやらを承諾することにした。
「本当か!? なら、生徒会室に……」
「ただし、一つ条件がある」
顔を上げた井野陀の言葉を遮るように、俺は言い放つ。
罠である可能性を、俺はまだ疑っている。
どちらにしても、俺が東棟一階を密談の場に使っていることはバレた。生徒会のこいつらが拡めることは、大いに考えられる。
なら、例え偽りだったとしても目に見える形で先に取引をする。
それも、話の場として使う生徒会室に行く前に。
「条件? わかった。無理難題でなければなんでも聞こう」
「東棟一階の空き教室の一つを使わせろ」
俺がそう言うと、この場にいた人間は揃って目を丸くした。
何故、俺が東棟一階の空き教室を使わせろなどと言ったのか。
俺たちが東棟一階を利用してると拡散されれば、前の体育館裏のように後々出入りできなくされる可能性は高い。となれば、先に使用許可をとって、堂々と使えば問題はない。
「東棟一階の空き教室の使用……うむ、わかった。どうにか交渉しよう」
「俺の存在は隠せよ」
「もちろんだ」
釣り合わない取引の承諾を受けて、俺たちは生徒会室に行くことにした。
「さて、行きますかぁ」
「ごめんね、新崎逸釆くんだけでお願いしたいかな」
「ええ!? なんで!?」
「腹を割って話がしたい。悪いが、君らは混ぜられない」
「そっ、すか……」
俺と一体一で、か。
嫌な予感しかしないが、東棟一階の空き教室を得るためにも、先を歩く井野陀と桐星に俺一人でついていった。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
――生徒会室までの道中は、実に静かな時間だった。
井野陀、桐星、そして新崎の足音だけが廊下には響き渡り、他に聞こえるのは上の階で活動している吹奏楽部の演奏や外の部活動の掛け声だけ。
ともかく、井野陀は一度職員室に寄り、新崎からの条件である『東棟一階の空き教室の使用』が可能かを聞きに行った。
時間はかからず、ほんの数分で井野陀は廊下で待機していた桐星と新崎の下に戻ってきた。
使用許可が出たのは、東棟一階の入り口から見て奥から二つ目の空き教室が使用できることとなった。
新崎は空き教室の鍵を渡された。
そして、目的の生徒会室へ一同は辿り着き、それぞれ椅子に腰掛けた。
教室に入って真正面の横長の机、会長席に井野陀が座る。それから、左右にも同じ横長の机が縦に二つ並べられているため、右の教室から一番奥の席に桐星が座った。
桐星が座った席を確認してから、新崎は教室の入り口に最も近い座席、左側の一番手前、生徒会長から最も離れた位置に座った。
新崎の座った位置を見て、井野陀は僅かに目を伏せ、桐星は苦笑する。
全員が生徒会室の椅子に座ってから、目的の話は始まった。
「まず初めに、確認しておきたいことがある」
「――――」
「六月の下旬から七月の中旬の間に明様高校で起こった、連続傷害事件。あれは、逸釆が解決したのか?」
「正確には警察だ。俺は冤罪をかけられそうになったから動いてただけだ」
新崎の発言に対し、井野陀は顔を顰めた。
井野陀は次の質問をした。
「夏休みに起こったとされる菖蒲圭馬の弟、菖蒲悠晴による偽装誘拐事件は?」
「俺が解決した」
「――。昨日の、明様高校一年の小比類恵那をいじめとDVから助けたのも逸釆か?」
「ああ」
新学期が始まってから半年。
明様高では様々な事件が立て続けに起こった。
新崎逸釆の三芳芽亜への暴行事件。連続傷害事件。校外での話だが偽装誘拐事件。以前から話が出ていた一年の一人の生徒に対する学年のいじめ。
生徒会としても、新崎逸釆が起こした暴行事件の真相を探ろうとした。しかし、何の証拠も得られず、そのまま停滞した時間が続いている。
連続傷害事件に関しては、教師との協力のもとあれこれと動いていた。だが、こちらは先に他ならぬ新崎逸釆によって解決された。
それから数日後に、小学生の宿泊体験学習の場で明様高三年の菖蒲圭馬の弟、菖蒲悠晴が起こした偽装誘拐事件、こちらもまた新崎逸釆によって解決された。
そして、一日前。
明様高一年の間で行われていた大きないじめの問題。
ほぼ学年全体が、一人の女生徒をいじめるという最悪な状態。最近になって激化した一年のいじめだが、話が入ってきた時点で生徒会は動いていた。
書記の一年を頼り、小比類を生徒会室に呼び出して話を聞いたり、いじめていた生徒に注意喚起を行ったりもした。
だが、問題の解決には至らなかった。
いじめられている女生徒を助けるにはどうしたらいいかと熟考していた時――またしても新崎逸釆が問題を解決した。
「――――」
友人として接していたからこそわかる。
新崎逸釆は善人だ。
だから、三芳芽亜に暴力を振るったなどと信じてはいなかった。でも、今の今まで声をかけられなかった。
それは井野陀の心の何処かに、新崎逸釆が『悪人』だったのでは、と疑っていたからに他ならない。
新崎が三芳に暴力を振るっていないと言う証拠が出てこない時間が続けば続くほど、疑う気持ちは増大していった。
同時にーー自分自身が無力で哀れだなと、井野陀は痛感した。
「すまなかった……!」
「今更謝罪されても」
「俺は明様校の生徒会長である以前に、逸釆の友人だった! もっと早く、お前に手を差しのべてやらなければならなかった!」
「――っ」
抑えきれなかった。
無力で哀れで、結局は周囲に流されていたと知った自分の情けなさが、今になって新崎逸釆を目の前にして溢れ出していった。
ほんの数ヶ月前までは、優しく真面目で健気な後輩だった。
それが、こんなにも暗く、棘のある性格に変わってしまった。――否、変えてしまった。
「俺たちのせいで、お前を苦しめた……。今更なのは、わかっている。だが、今度は流されない。逸釆を、今からでも友人として、生徒会長として、助けさせてはくれないだろうか」
目の前、新崎は表情一つ変えず井野陀を見ている。
近くに座る桐星は、大事な会話の邪魔をしないように静かに二人を見守っている。
井野陀は新崎に懇願した。『助けさせてほしい』と。
自分は過ちを犯した。その事実は変わらないし、変えられない。
それでも、やり直したい。目の前で、こんなにも苦しんでいる友人に何もしないなんてマネはできない。
だから、友人として再び力に――、
「――ふざけるな」
しかし返された返答は、憎悪の入り混じった声と共に放たれた。
「俺を苦しめた? もっと早く手を差し伸べられた? 全部今更過ぎるんだよ」
「………ぁ」
「新学期始まってからの九ヶ月間。お前は何をしてきた? 色々と質問されて気づいたが、お前ら生徒会はとんだ無能集団だな。無力で使えない、クソ野郎どもだ」
「ちょっと!」
「なに口挟んでんだよ。お前も同罪だからな」
「……ぅ」
悪によって貶められた少年の声は、獰猛な獣の牙のように鋭かった。
「友人としてだの、生徒会長としてだの言ってたが俺からすればお前の言ってることは一つの意味にしか聞こえない。――罪滅ぼしをさせてくれってな」
「ち、ちが……!」
「違わねぇよ。井野陀、お前が俺に向けて言ってるのは助けたい気持ちじゃない。俺を助けて罪滅ぼしがしたいって、そう言ってんだよ」
そんなつもりはない、と井野陀は言い返せなかった。
助けたいことは事実なのだ。でも、同じくらいに新崎を傷つけてしまったことへの罪悪感がある。
それが、新崎の言う通り『罪滅ぼし』をさせてほしい気持ちを言葉に孕んでしまっていた。
「話は終わりだ」
席を立ち、新崎は生徒会室の扉を開いて廊下に出て行った。
去って行った新崎の背を見て、自分の無能加減に腹立たしいと同時に新崎に対する罪悪感に押し潰されそうになる。
「ぐ……!」
井野陀は強く机を叩いた。
そして、井野陀と新崎による対話は終わった。




