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第三話 『退部』

 



  翌日もいつも通り陸上部の朝練に俺は行った。


 学校に着いて門を潜ると、前に後輩の女子二人が歩いていた。仲睦まじく楽しそうに会話をしながら、一瞬、左側を歩いていた女子が背後へ振り返り、俺と目が合った。


「お、おはよう、ございます……!」


「あぁ、うん、おはよう」


 俺の姿を見た直後、後輩の女子の表情が急激に曇り始め、慌ただしく俺に挨拶をしてきた。

 続けて、右側の女子も振り返って俺に挨拶をしてから駆け足に部室へ向かった。


 ……昨日のことを広められたのか? 

 豊島と須佗なら広めててもおかしくないか。


「――――」


 部室へ俺が入ってくると、重く冷たい空気が流れ始めた。


 やっぱ広められてるのか。

 俺は気にせず、部活のユニフォームに着替えて退出した。


「……昨日の件、もう部活全体に広まってるぞ」


「だろうな」


 耳元でそう囁いたのは隆貴だ。

 わかっていたことだ。こういった類の話は拡散されやすい。加えて、時代が時代でもある。


 インターネットが普及している現代において、SNSの利用者は多い。一つの部活だけなら情報の拡散など一瞬だ。


「色々とまずいと思うけど、どうすんの……?」


「別にどうもしない。間違ったことは、言ったつもりはないし」


 謝ろうなんて思っていない。

 豊島と須佗は明らかに俺だけを注意していた。他に女子だって話していたが確実に聞こえていたはずだ。にも関わらず、俺だけを注意したのだ。


 そしてもう一つ、あの二人は本気というのにやたらと拘っていた。

 内心目当てで本気じゃない? ふざけるな。俺は手を抜いたことなんて一度もない。

 勝手に決めつけるな。




 短距離はアップを終えて体操をしてから、倉庫にリレーのバトンを取りに行った。


 今日の短距離の練習メニューはバトンパスと四百メートル、二百メートル、百メートルを合計三セットだ。

 赤、青、黄、白のバトンを須佗が手に取り、正門へ向かっていった。


 正門の正面には三十メートルほどの道があり、物置場にミニハードルが置かれている。

 物置場のすぐ隣には細い道があり、その奥でバトンを渡す側は待機。貰う側は、物置き場の前で走る相手に合わせて待機する。


 まずは先輩たちからだ。俺たちよりも一回り身長の大きい先輩たちの走り姿はとても綺麗だ。

 脚の動き、腕の振り、フォーム。全てが整っている。

 渡す側は伊津垣丈先輩、貰う側は菖蒲圭馬先輩だ。種目は二人とも二百メートルだ。


 今年で卒業の二人は、高校最後の大会である夏の全国大会に向けて努力している。

 因みに菖蒲先輩は、小学生と俺と同じ歳の高校生の弟がいて、最後に良いところ見せたいと前に言っていた。


 その後もバトンパスの練習は続き、俺はふと昨日の一件を思い出した――直後。


「……新崎」


 細い道の先、視界に入ったのは、眼を細め、苦い顔をしながら俺を見ている豊島だった。


 バトンを受け取る姿勢で豊島は構えている。そして俺はバトンを渡す側の列の先頭――、


「集中しすぎて忘れてた……」


 ……わざと靴紐を結ぶとか言って列を下がればよかった。

 何をされるか予想はつくが、後でまた理不尽に文句を言われたくないからやるしかないか。


 俺は青のバトンを右手に握りしめ、全速力で走り出した。

 バトンを渡す側は「はい!」と言って渡す。貰う側は、声に合わせて手を背後へ出して貰う。バトンを貰うまでは渡す側に合わせて走るのがバトンパスの基本だが、


「……やっぱりか」


 豊島は俺が全く近づいていない状態で走り出し、わざと俺からバトンを受け取らないようにしたのだ。どうやら、随分と嫌われたらしい。


 元から、俺たちはそこまで仲が良かったわけじゃない。同学年の部員というだけで、必要最低限の会話しかしてこなかった。

 俺自身、豊島に関して何とも思ったことはない。

 だが、豊島の方はそうではなく、最初から俺にどこか当たりが強かった。


 人は十人十色。全員が俺を好ましくは思っていない。俺は学校じゃ目立つ役を幾つもこなしてきた。そんな俺を見て「粋がってる」「目立ちたいだけ」「点数稼ぎ」と言う生徒は多い。もちろん、気にしたりなんかしない。

 一つ一つ気にしていたら、多くの教師や生徒の前で活動などしていない。


 豊島もどちらかといえば俺を陰で目立ちたいだけと言う類だろう。それでも、同じ部活の同じ種目になってしまったからには、気にせず真面目にやるのが常識だ。


 けらけらと俺を見ながら須佗と会話している豊島。

 俺は表情一つ変えず、再びバトンパスの練習に集中した。



 バトンパスの練習を終えた後、百メートル、二百メートルを何本か走り、スタートの練習をしてから、俺たちは部室へ戻った。

 時刻は八時を過ぎていて、練習もそろそろ終わりだ。


「じゃあ、水分補給してからダウンに行こうか」


 菖蒲先輩の指示に従い、水筒のお茶を飲んでから即座に退出した。他の種目は既に西門前に集まっていたため、俺たちは駆け足でダウンの列に並ぶ。


「あんまり気にするなよ?」


「わかってる。心配ありがとな隆貴」


 朝練の間、俺はほとんど声を発していなかった。いつもと違う俺に降貴が気づいて、心配してくれたことに感謝した。




 ■■■■■■■■■■■■■■■■■




 ダウンを終え、体操をして部室へ戻った。

 部室の中は今も重苦しい空気が流れている。俺がいるからだ。


 ……この後教室に入るのも気が進まないな。


 着替えを終えた後、俺は荷物を取って部室を退出し教室へ向かった。

 下駄箱で上履きに履き替え、階段を上がり、長い渡り廊下を進んでいく。

 トイレ前、二年八組の教室に到着し、俺は深呼吸をしてから教室の扉を開いた。


「あっ! 新崎君おはよう!」

「学級長おは」

「おはようさん!」


 ……大丈夫そう? いや、このクラスだけ広まってない可能性もあるな。

 どちらにせよ、広まってないならよかった。後で説明するのも大変だしな。


 時間が経過する毎に教室に人が増えるが、豊島の話について触れてくる生徒は一人もいなかった。その事実から、俺の心は安堵感に満たされていく。


「席に着けー」


 チャイムが鳴ると同時、担任の半田先生が教室内に入って来た。

 出席の確認をし、半田先生は白いチョークで黒板に今日の授業予定を書き始めた。


「一時間目は数学、二時間目は体育、三時間目は理科、四時間目は音楽、五時間目は英語で六時間目は総合だ」


「総合? 何をするんですか?」


 六時間目の総合の内容について、ショートカットで右端の前髪が眼の少し下まで長く伸びた女子、漣梨生が質問した。


「委員決めをする」


「絶対委員にならないとダメですか?」


「無論だ。全員強制参加だからな」


 断言した半田の発言に二年八組のほとんどの生徒がため息をついた。

 確かに、委員会は面倒だ。

 帰宅部でさえも強制参加、各委員全員に役が回ってこない時の方が多く、仕事もしないのに参加させられることばかりだからだ。


「まずは、学級委員からだ」


「新崎でいいっしょ!」

「学級長君は学級長君だから今年もよろ〜」


 ……そうなるか。

 別にやるつもりだったし問題ない。


「じゃあ、やります」


「おお!」

「いいじゃん!」

「学級委員長にもなれよ!」


「……っ」


 クラス内からの様々な声に俺は苦い顔をした。


「もう一人だ。女子いないか?」


 人には頼むが自分はやらない。人間とはそういう生物だ。


 騒々しかった教室も囁き声だけとなっていた。


「――あの」


 教室内に透き通った声が響き渡る。


 声の聞こえた方へ視線を向けると、俺の席の反対側、廊下側の自身の席を立ち、整った横顔と橙色のサイドテールが視界に入った。


 彼女の名は坂野柚葉。

 学年では人気者の女子だ。


「おおー!」

「柚がんばっ!」

「ファイトぉ!」


 静かだった教室が一瞬で賑やかに戻った。


「じゃあ、学級委員はこの二人で決まりだ」


 黒板に学級委員と書かれた横に俺と坂野の名前が記された。


 全ての委員が決め終わると、時間は十五時半を過ぎていた。日直の挨拶で六時間目を終えてから、俺は荷物を持って席を立った。


「……あの」


「ん?」


 席を立った直後、隣席の石母田が俺を呼び止めた。


「さっきは、その、ごめんなさい……本当はわたしがやろうと思ってたんだけど、勇気が出なくて……」


「別に全然大丈夫だよ。無理にやる必要なんてない。学級委員って、かなり大変だしさ」


 苦笑しながら石母田に俺はそう伝えると、彼女は微笑んだ。


 俺は教室を出て、陸上部の部室へと向かった。

 足取りは重い。枷が付いているみたいだ。


「――――」


 部室に着いて俺が中へ入ると、騒々しかった室内は一瞬で静脈に包まれ、重たい空気が流れ始めた。


 昨日の一件が尾を引いているのは間違いない。だが、昨日の発言を撤回するつもりはない。

 仮に学年に広められたとして、俺が豊島や須佗から受けていた嫌がらせなどを言えばどちらが悪かなど明白だ。心配ないだろう。

 しかし、陸上部内の空気については、元に戻すのが難しい状況だ。


 同学年は俺を詳しく知っている生徒が多いから問題はないが、他学年のいる部活では俺を知っていても詳しくは知らない。一年は特にだ。

 入学したばかりの一年には俺が誰かすらわからない生徒も多い。

 俺自身も大事にはしたくない。このまま何もしないでおくのが最善だろう。


「よっ、逸釆」


「おう」


「今日の練習は外周走からだってよ。全面は最初テニス部からだから」


「外周走か……」 


 外周走と聞いて、過酷さを思いだし俺は肩を落とした。

 校庭はサッカー部、陸上部、テニス部、野球部でローテーション形式で使っている。全面とは校庭全体のことで、全面が使えない場合は、校庭の端か学校の外周、中庭での練習となる。


 部室を出ると既にアップの待機列が作られていて、俺と隆貴は駆け足で二年の並んでいる列の後ろに並んだ。




 ■■■■■■■■■■■■■■■




 ――夕日さす学校の外周を、俺は走っていた。


 ……今日もキツかったな。


 外周走は合計で八周走らされた。

 自主練時には既に体力は限界値に達していたが、それでも、手を抜くことなく何本も五十メートルを走り続けた。

 俺は汗っかきで陸上部のユニフォームは俺の汗でずぶ濡れだ。ユニフォームを絞ったら、汗で小さな水溜まりができそうだ。


 外周を終えて西門から校舎内に入ると、男女別に対面に並んで体操が始まった。疲労感の溜まった身体をほぐしていく。



 体操の後は解散となり、男女別に部室へ戻って帰りの支度を始めた。


「――新崎」


 静脈に包まれた部室内に低い声が鳴り響く。

 その声は、俺を呼んでいる。


 振り返ると、そこには陸上部で俺が気まずくなった原因――豊島一樹が鋭い眼光で俺を睨んで立っていた。


「話がある。ついて来い」


「……話」


 ……間違いなく昨日のことだろうな。


 何を言われるのかと不安に思いながら、俺は豊島の背後を歩きながらついていった。


 少し歩き、西棟の校舎から右へ進むと見覚えのある建物が視界に入った。


「……体育館」


  体育館の前まで来たが中に入ることはなく、右側の道を通って体育館裏に周った。

 体育館裏は、人気のほとんどない場所だ。俺はここをよく昼食を摂る際に利用するためよく知っている。

 放課後にバスケ部の活動があればバスケ部員がいるが、既に解散している。


 今ここには、俺と豊島の二人しかいない。

 しばし沈黙が続き、もどかしさを感じながら俺は口を開いた。


「話って何?」


「……お前はどこまでも」


 腕を組み直し、豊島は眉間に皺を寄せて真っ直ぐに俺を睨んで、

「――陸上部辞めてほしいんだけど」


「え、は?」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


 言葉の一つ一つを噛み砕き、言葉の意味を俺は理解していく。

 ……辞める? 陸上部を? 全くもって意味不明すぎる。


 考えれば考えるほどに疑問ばかりが浮かび上がる。

 豊島は、須佗と共に一年の時から俺に対してだけ当たりが強かった。酷い時には、市の合同練習で百メートルのタイム測定の直前にスパイクを隠されたりした。

 それに比べれば、俺は昨日怒声を浴びせただけだ。過去に豊島や須佗に文句を言ったり、嫌がらせをしたりは一度もしていない。


「意味不明すぎる」


「部活に散々迷惑かけてるだろうが」


「迷惑? 俺が何した?」


「手抜きで部活してる。同じ種目にいる部員まで手抜きだと思われるだろ」


「いやいや、手を抜いて部活やった日なんて一度もないけど」


「本気でやれないなら来るなよ」


 さっきから手抜きやら迷惑やら言うが、俺は部活でほとんど話さない。練習に集中してるからだ。

 加えて、自分のためにやってる部活で手を抜くなんて有り得ない。

 常に本気で部活に取り組んでいる。


「他にもある。後輩に教えるのをお前だけしなかった」


「あれは人数が足りなかったし、仕方ないだろ」


「言い訳するなよ」


 ……話が通じない。


「それに昨日もだ。部活の朝練がうるさいって、苦情が入ったから静かにやれって言われたのもう忘れたのか?」


「――――」


「これ以上は部活全体に迷惑がかかるんだよ」


「――――」


「元から、お前がやる気ないのを丸出しで部活してるのが気に食わなかった」


「――――」


「瑛太も先輩もみんな思ってる」


「――――」


「だからお前は部活を」


「――理不尽な理由で俺に文句言ってんじゃねぇよ‼︎」


 もう、限界だ……!


「お前さっきから理不尽な理由で文句言いやがって」


「―――っ」


「さっきも言ったが、俺は部活を手抜きでやった覚えは一度もない! 内心目当て? ふざけんな。自分を変えるためにやってんだよ!」


 豊島は一歩後ろへと下がった。

 俺は下がった豊島に一歩詰め寄って話を続ける。


「くだらない嫌がらせばっかしてきて気色悪いんだよ! 迷惑? こっちの方がよっぽど迷惑だ!」


「うんだから?」


「元から嫌なら、関わらなきゃいいだけの話だろ。何わざわざ嫌いな奴にちょっかいかけてきてんだよ」


「うんだから?」


「同学年でやたらと偉いぶってるが、同学年に偉い奴なんて一人もいない。お前どっかの国の王様かなんかなのかよ?」


「うんだから?」


「さっきから同じ言葉しか言わないが、なんか反論したらどうなんだよ! なぁ⁉︎」


 豊島は地面に崩れた。


 先ほどまでの威勢はとっくに消え去り、涙目になりながら手足を震わせている。

 嘘の理由で俺を退部させようとしたが、怒声を浴びせられ続け、反論一つ返すことすらできない。


 ――哀れすぎる。


「お前のお望み通り、陸上部を退部してやるよ。お前らみたいなのと一緒に練習なんてしたくないからな」


 俺はそう言って、豊島に背を向けてその場を去った。



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