第二十五話 『波乱の幕開け』
――九月一日、火曜日。
沢山の学生たちが行き交うを道を、俺は長い茶髪を風に靡かせる少女――石母田智音と共に歩いている。
大した会話もすることなく目的地に到着し、実に一ヶ月ぶりとなる、埼玉市立明様高校の門を潜った。
「そういえば、こんな感じだったな」
夏休みがあったのもあるが、約一ヶ月前に、地図で言うと埼玉の上に位置する群馬県の山にいたので周囲のクズに睨まれる感覚が薄くなっていた。
とはいえ、胸糞悪いことに変わりはない。
――進級後、怒涛の三ヶ月間を過ごした。
信用していた女子生徒、事の元凶である三芳芽亜に貶められて俺は地に落ちた。
次に明様校内で連続傷害事件が発生し、俺は冤罪をかけられそうになったため解決するために行動した。犯人だった未花瀀が、俺に対して半年以上もストーカーしていた事実が発覚して、極限に不愉快な想いをしたのは記憶に新しい。
そして、何もないと思っていた夏休み。
甘村に小学生の見守りの役目を任され、群馬県の山上にある群馬自然体験の家へと行き、三泊四日の宿泊体験学習を行った。
しかし、同行者の東京の高校生、菖蒲悠晴が俺が三芳芽亜に暴力を振るったと言う話を兄である菖蒲圭馬から聞き、貶めるために偽装誘拐事件を起こした。
そんな地獄の三ヶ月を過ごしても尚、俺はこうして明様校に登校した。
理由はただ一つ。
――クズどもに屈したくないからだ。
「………っ」
「気にするだけ無駄だ」
「……うん」
隣に立つ石母田は悲しげに返答をした。
明様校の門を潜って、俺たちは二年の下駄箱に入る。上履きを手に取り、履き替えようとした――直後。
「――よくもまぁ、これだけ嫌われているのに学校に来る気になれるね」
聞き覚えのある声が、耳に入ってきた。
振り返ると、予想していた通りの生徒の姿がそこにはあった。
前髪を手でかきあげ、人を嘲る笑みを浮かべている。どこまでも自分を上に置き、他者を下に見る気障ったらしく話す男、
「……夜叉甬马」
「僕の名前を覚えてくれているとは嬉しいね。逸釆君。てっきり人気者の君は、僕なんかのこと覚えていないと思っていたよ。あぁ、『元』、人気者だったね」
こいつ、気安く名前で呼びやがって。
夜叉は、端的に言ってとてつもなくクソウザい奴だ。
俺が地に落ちる前ですら、こうして俺に執拗に絡んできていた。
その理由は――二番手だったから。
夜叉甬马は家が大金持ちで、元から性格的に人を見下す奴だった。
ただ、見下せるほどの才があったため学年での人気も高かった。
しかし結局は、俺と三芳芽亜に次いで常に二番手だった。
学力や身体能力、行事など全てにおいて二番。
行事でリーダーを務めようにも俺や三芳がいた事で最高でも副リーダー。
だから夜叉は、俺と三芳を妬んでいる。
執拗に絡んでくるのは、それが理由だ。
「いやぁ、僕もガッカリさせられたモノだよ。なんたってあの逸釆君が、あの芽亜ちゃんに暴力を振るったんだからね」
「振るってない」
「まだそんな嘘を……。やれやれ、君は僕らをどれだけ失望させれば済むんだい?」
「――――」
「そうだ! いい提案をしようじゃないか逸釆君。君が僕に従えば、落ちた信頼を取り戻して上げないこともない。どうだい? 悪くない提案だと思わないかい?」
失望なんか、お前らクズども同士で勝手にしてろよ。
それに従う? お前みたいな自分一番に? 冗談じゃない。
これ以上付き合うのも時間の無駄だと判断して、俺は踵を返した。
「お前みたいな奴に誰が従うかよ」
とだけ言い残して、俺は石母田を連れて再び教室への道を歩き始めた。
「……実につまらない答えだね」
背後から、先程の余裕さを失った冷たい声音が聞こえたが俺は振り向く事なく歩き続けた。
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夜叉甬马からウザい絡みを受けた後、俺と石母田は自身のクラスである二年八組に着いて席に座っていた。
「夜叉くんってあんな感じなんだ……」
「ああ。話しかけられても流せ」
俺の言葉に石母田は小さく「……うん」と頷いてから、鞄に入れていた荷物を机に出していった。
俺は手ぶらなので頬杖をつきながら、一日が終わるのを待つ。
いつもと同じだ。
「――久しぶりだな。充実した夏は過ごせたか?」
チャイムと同時、低い女声が教室内に響き渡る。
長い髪を靡かせ、堂々とした立ち姿で教室内を見渡す女――半田俊江が入ってきた。
何故か席に座る俺へ視線を向けて鋭い眼光をぶつけられたので、俺も同じく鋭い眼光をぶつけ返した。
それから、半田は何事もなかったかのようにホームルームを開始した。
「一人を除いて、またこうしてお前たちの顔が見られて私は嬉しいよ。ともかく、いきなり六時間だ。気を抜かず授業に取り組め」
言って、半田は黒板のレールに置かれた一本のチョークを手に取って一時間目から六時間目の授業を確認していった。
夏休み明け初日にも関わらず、授業は六時間。最悪もいいところだ。
「私のクラスの生徒なら、なんら問題はないと思うが夏休みの課題はしっかりやってきているな?」
何故か俺の顔を半田は一瞬だけ見てきた。
夏休みの課題も何も、俺は全授業の教師から夏休みの課題など一つも渡されていない。
やってきているも何も、初めからやるべき課題が俺にはない。
「まぁ、後で苦労するのは課題をやらなかった自分だ。……と、チャイムが鳴ったな。大変だとは思うが、また冬の休みまで頑張れ」
半田の話の途中にチャイムが鳴り、ホームルームは締めとなった。
一時間目は美術だ。二年八組の皆は、教科書を取り出して移動教室の準備をしている。
俺も石母田を待ち、美術室へ――、
「また問題事があったらしいな」
教科書を持った半田が俺の席に来た。
「だったら何だよ」
「ひとまず、問題を解決したことだけは褒めておく。だが、それで信頼が回復できるほどお前の犯した罪は軽くない」
「何度も言わせるな。罪を犯すも何も、俺は初めから何もしてない。お前たちが勝手に決めつけてるだけだろうが」
「まだそんなことを言っているのか。別に構わないが。後悔するのはお前だからな」
何が後悔だ。ふざけるな。
「私はこれ以上、お前の厄介事には付き合いたくない。何も起こすなよ」
「起こすわけないだろ」
このクソ教師はクソ教師で、何も変わっていない。
相も変わらず本当に憎たらしい奴だ。
「えっと、準備できたよ……」
「ああ」
隣で移動教室の準備をしていた石母田は、当然俺と半田とのやりとりを聞いていて、案の定悲しそうにしていた。
もはや定番の流れになっているため、触れずに俺たちは美術室へと向かった。
長かった夏休みは終わり、俺たちの新学期が幕を開けた。
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「……やっと終わった」
「お疲れ様」
六時間目の授業が終わり、ホームルームも終わって、俺と石母田はゆっくりと帰りの支度を始めていた。
「あ、東雲くんからだ」
「いつもと同じだろ」
「うん。……行く?」
「行かないとうるさいだろ、東雲」
「……!」
俺たちが、主に東雲だが、明様校内の情報を共有するために校内で最も人気のない場所――東棟一階で軽い密談をしている。
元は俺が昼食の際に利用していた体育館裏が人がこない場所として最適だったのだが、俺が使えないように現在は虎ロープが貼られている。
東棟一階を密談の場にしようと提案したのは石母田だ。
当然、東雲は賛成して俺と石母田と東雲、偶に甘村にとっての密談の場となっている。
「行くか」
「うん」
俺たちは荷物を背負い、教室を出て目的の場所である東棟一階へと向かう。
なんだかんだ、東棟一階に行くのも随分と久しぶりだ。
世の中、夏休みが短いと感じる人間が大多数なのだろうが、俺にとっては本当に長く感じた。
そのため、東棟一階の存在すら薄れつつある。
「あそこに行くのも久しぶりだね」
「同じことを考えてたところだ。夏休みは学校に来たが生徒指導室だったしな」
夏休みに俺たちは一度だけ明様校を訪れている。
理由は、群馬自然体験の家で起こった偽装誘拐事件の事だ。
犯人である菖蒲悠晴の兄、菖蒲圭馬を呼び出し事実確認をする予定だったのだが、何一つ話そうとはしなかった。
「東雲くんもう来て――」
「――待て」
東棟一階まで、残り僅かの階段。
その階段を降りようとして、俺は聞こえてきた『足音』に警戒した。
東棟一階は、密談の場に使っているため誰かにバレるわけにはいかない。
……クソっ、どうする。
足音は一人分だが、何しに来た?
「……ん」
隣で、同じく石母田は警戒心を強めている。
俺は誰がこの場所に来ているのかを考える。
しかし、考えている間に足音の正体はわかった。
「――ついてきてみれば、東棟一階に用があるなんてね。驚いたわ」
俺は視線を斜め上へ持ち上げ、足音の正体へと目をやった。
肩くらいの短い髪に髪飾りを付けていて、身長は俺とほぼ同じ。身体は細く、まるでモデルの様なスタイルの『女』だ。
俺はこの女を知っている。――否、石母田も階段の上に立つ女を知っている。
なんせ、同じ教室で授業を受けている生徒だからな。
「何の用だよ。――坂野柚葉」
「フルネーム呼びされると凄くむず痒いんだけど。まぁいいわ。とにかく、あんたに話があるの」
「話?」
すると、足音の正体――坂野は階段を降りて俺たちの目の前に立った。
そして、
「質問させてもらうわ。――あんた、芽亜に暴行なんてしてないでしょ」
「は?」
予想もできない質問を、俺は坂野からされた。




