第十二話 『予期せぬ邂逅』
「うわー、学校なんて久しぶりだなぁ……」
今年三十代になり、学生として学校に通ったのも、もう数年も前のことだった。
そんなことに驚きと懐かしさを感じつつ、茶色のポロシャツを着用し、黒色のズボン、腕に銀の腕時計を付けた青年――瀬波は周囲を見渡し、自身があまり目立たない格好であることに安堵した。
淡土に目立たないよう私服でと言われ、指示通りにラフな服装で学校に来た。
「大丈夫そう、だ。よし、捜査開始と行きますかっ」
現在の時刻は九時半。既に多くの保護者が校舎内に滞在していた。
参観日というものは、子供の自宅以外での姿を見られる数少ないイベントだ。普段見られない自分の子供の姿を見たいという保護者が多い証拠だ。
瀬波はまず、学校内を見回ることにした。
「昔僕が通ってた学校とは違うなー。明様高は広くて、設備も整ってて羨ましいよ……」
明様高校は五階建ての学校だ。
築四十年の歴史を誇るが、校舎は時代に合わせて新しく改装されているそうだ。
偏差値は六十と高めで、人気もあってか毎年倍率が凄いことになっているとか。
瀬波は羨ましさに浸りながら歩いていると、
「急に人気がなくなったな。えっとここは……東棟、か」
昼間なのに薄暗く、誰一人としていない場所へと瀬波は辿り着いていた。
――東棟一階。真っ直ぐ歩いて行くと、西棟へと通ずる道が見える。
左手側には理科室と空き教室しかないことに気がつき、人気が全くないことを理解する。
基本的に犯罪者は捕まりたくないため、人気のないところで犯行を行う。敢えて大衆の目に晒されて行う一部を除いて、犯罪者は皆そうするものだ。
約一時間校内を歩き回ってみて、ここ東棟一階が最も人気のない場所だった。授業以外では、一切人の立ち寄らない場所となっている。
となれば、
「――犯人にとって、最適な現場だ」
淡土が瀬波をこの土曜参観の日に現場捜査に行かせた理由は、ただ捜査させるためだけではないことを瀬波自身も理解している。
犯人が犯行を行う可能性が高いと考え、もし何かあれば即座に対処できるようにだ。
実際、場所は違うが、既に校舎内で犯行が行われている。それも一年生の下駄箱という人目につく場所だ。
今日は保護者もおり、多くの人間が校内に滞在している状態だ。目立たない場所で犯行を行い、見つからずに逃亡するのが狙いだろう。
「生徒も教師の方々も保護者の方々も、絶対に傷つけさせない。警察の誇りにかけて」
強い決意を固め、瀬波は学校内に最大限の警戒をしながら再び見回りを始めた。
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休みを迎え、石母田と東雲はいつもの東棟一階に集まっていた。
「新崎くん、大丈夫かな……」
「何か考えてると思うし、逸釆なら、きっと大丈夫だよ」
二人は一人の女子生徒によって貶められ、学校中の人間から嫌悪されることとなった黒髪の男子生徒──新崎逸釆のことを思い浮かべていた。
新崎は土曜参観の日に連続傷害事件の犯人は動きだすと推測した。
石母田と東雲が狙われれば、新崎を貶めるための事件。
新崎が狙われれば、別の理由。
学校全体からのいじめと連続傷害事件。二人は、最悪な状況下に置かれている新崎のことを心配していた。
「とにかく、今のところは特に何もなさそうで一安心だ。だからと言って、油断するつもりは毛頭ないけどさ」
「……そうだね。授業中は何もなくても、下校時刻以降に事件が起こるかもしれないし……」
未だに犯人の手がかりは掴めずの状態だが、新崎に必ず今日の土曜参観の日に仕掛けてくると言われ、二人は最大限に警戒していた。
今日仕掛けられた場合、犯人の犯行動機の手がかりを掴める。
彼の手助けができるなら、何でもすると決めたが──、
「逸釆が狙われるのは、俺嫌だな……これ以上、身も心も傷付いてほしくない」
「わたしも、もう新崎くんに傷付いてほしくないよ……」
助けさせてほしいと、二人は新崎逸釆に言った。
しかし、この状況では助けることは不可能なため仕方がない。
ただ狙われないでくれと、願うことしかできないのだ。
「──っ!」
「──!」
タンッ、と階段から音が聞こえてきた。それを聞き、二人は身構える。
一段一段を降りてくる音が、誰もいない東棟一階の廊下に響き渡る。
脳裏に過ぎる、犯人かもしれないという可能性。
足音は次第に近づいてきて、遂に最後の一段を降り、廊下のを床を踏む音へと変わった。東雲は石母田の前に立ち、正面、階段の方向を警戒する。
「──まだ何もなさそう。……ん? 生徒?」
茶色いポロシャツを着用し、黒いズボンを履き、銀の腕時計を付けた男が二人の下へ歩み寄ってくる。東雲は後ずさることなく、向かって来る男を警戒し続けた。
石母田を守れと、新崎に頼まれた。
その責務を全うすると、約束したのだ。
「ここで何してるんですか?」
「え? 僕のこと?」
東雲は二メートルほど近くまで来たところで男に声をかけた。
「そんなに警戒しなくても、って言っても無理あるか……こんなところに一人で来てるわけだし」
「──」
「僕は、こういう者でね」
「あれって……」
男は一定の距離を保ちながら、ズボンのポケットからある二つの『物』を取り出した。
「警察手帳と警察バッジ……?」
「私服で一人だから警戒されても仕方ないけど、一応は大丈夫って信じてもらえるかな?」
警察手帳と警察バッジ。
もし、見せてきた物が偽物であればと東雲は考える。
しかし、偽物と決めつけるには早計だ。せめて、話だけは聞くことにした。
「一旦は、信じます」
「良かった。それじゃ、自己紹介を」
男は一メートル以内の場所まで距離を縮めた。
「──埼玉県警捜査一課、瀬波爽。どうぞよろしく」
男は瀬波爽と名乗り、微笑みながら東雲と石母田に挨拶をした。
「あの、それで瀬波さんはやっぱり連続傷害事件のことで明様高に?」
「うん。上司に軽い捜査を頼まれて、僕はここに来てるんだ」
「何か手がかりは見つかりましたか……?」
それは、東雲と石母田の二人が抱く希望だ。
警察の人間ならば、一般生徒では一切手がかりが掴めなかった連続傷害事件の証拠の一つや二つ、掴んでいるのではないかと。
そうであってほしいと願う石母田の瞳に瀬波は、申し訳なさそうな表情をし、
「ごめん。それはまだ見つかってないんだ……」
「そう、ですか……」
瀬波からの謝罪を受け、石母田と東雲はほぼ同時に肩を落とした。
落ち込む二人を見て、瀬波の中に一つの疑問が生じた。
「どうして二人はそんなに落ち込んでるの?」
「──ぁ」
事件に対してどうなっているかを聞くだけなら、何もおかしなことはない。
しかし、東雲と石母田は事件の手がかりが掴めてないことに落ち込んだ。それは、何らかの理由がある明確な証拠だ。
そこで一つ、瀬波はある生徒を思いだした。
「もしかして二人は──新崎逸釆君の知り合い?」
新崎逸釆とは、明様高校側が掲示した連続傷害事件の最有力犯人候補だ。
彼の関係者であるならば、疑いをかけられている知り合いのことを気にするのは必然だ。
「はい、そうです……」
「やっぱりそうなんだ。二人が手がかり掴めてないって聞いて、かなり落ち込んでたからそうじゃないかなって思って」
「どうして、瀬波さんが新崎くんのことを知ってるんですか?」
「凄く言いづらいんだけど」
瀬波は眉を下げ、数秒の間を挟んだ後──、
「──新崎逸釆君は今、犯人の疑いがかけられてる」
瀬波の発言を聞き、東雲と石母田は目を見開いた。
「上司が明様高に話を聞きに行った時に、対応した先生が新崎逸釆君を犯人だって決めつけてたそうなんだ。だから、彼は今疑われてる状態にある……」
「……その話をした先生って、半田って名前ですよね?」
「あぁ、うん。そうだよ」
「あのクソ教師! どこまで逸釆を貶めれば気が済むんだよ!」
東雲は激情を露わにし、壁に拳を力強く叩きつけた。
真実を知らず、ただ底の底まで貶めようとする教師に対して、腹が煮え滾るような感覚を東雲は味わう。
助けさせてほしいと、新崎に頼んだ。
彼が自身を暴力除けとしか思っていないのはわかっている。それでも、助けさせてほしいと頼んだのは、誰からも嫌悪される状況を変えたかったからだ。
表面上は傷付いていないが、内側には憎悪と悲痛な痛みを常に伴っているはずの新崎に、何もできていない自分が心底無力なことが許せない。
──真実を知らずにどこまでも貶めようとする生徒と教師が、許せない
「嫌じゃなければ、彼に何があったか聞かせてもらえないかな? 事件の真相は、必ず僕らが暴く。そのためにも……」
「……ごめんなさい。それはできません」
怒る東雲に変わって応えたのは、石母田だった。
「どうして?」
「実はわたしたち、新崎くんにお願いして助けさせてもらっているんです」
「お願いして……」
「色々あって、新崎くんは今、誰も信用できない状態にあります……でも、極僅かだけど、他の人たちよりもわたしたちのことを信じてくれています。その関係を、大切にしたい。だから、新崎くんについて詳しいことは話せません。ごめんなさい……」
新崎が自分たちを信用しているかは、わからない。だが、側に居させてくれるのは他の人間よりも、極々僅か信用してくれているからだと石母田と東雲は思っている。
新崎逸釆という一人の人間が、三芳芽亜という女子生徒に貶められた事実は、本人が相手を判断して言うか言わないを決めるはずだ。
それを、第三者である石母田と東雲が勝手に言ってもいい権利は無い。
何より新崎は、生徒と教師に絶対的な不信感を抱いている。 ──否、全ての人間に対して絶対的な不信感を抱いている。
最も信頼していた人間に裏切られたこともだが、石母田しか知らない他の理由が存在する。
―年前に教師に体罰を受け、友人、教師、家族から嫌悪されたことだ。
土砂降りの雨の中、本気で助けさせてほしいと頼んだあの日に聞いた話。
もしここで勝手なことをすれば、きっと新崎は極々僅か信用している石母田と東雲でさえ信用できなくなる。
そうなれば、彼を助けられる人間がいなくなってしまうかもしれない。
仕方のない判断だ。でも、言わないという判断が最も正しい。
「そっか。それなら、せめて新崎君がどんな人だけでも教えてくれないかな?」
「それなら……はい、いいですよ。東雲くんもそれで平気?」
「うん、大丈夫」
落ち着いた東雲が、石母田に同意の返事をした。
「わたしたち二人は、最近知り合って関わるようになったばかりなので、過去のことは傍目から見ての人物像になります」
「わかった。聞かせて」
「新崎くんは、頭も良くて運動もできて、誰に対しても気遣いのできる人です。実行委員とかやっている時は、とにかく目立って活躍していました。誰でも尊敬し憧れる、そんな人でした」
石母田の声の調子は穏やかなものだった。
石母田は関わり始めて約三ヶ月、東雲は約四週間程度だ。どちらも短い付き合いだ。
けれど、新崎逸釆という一人の生徒と関わりがなくても沢山話は聞いたし、活躍している姿を見て知っていた。
新崎逸釆は、明様校内に限れば関わりがなくても知り合いのような立ち位置に感じるほど、有名な生徒だったのだから。
石母田がここまで話したのは、新崎逸釆と関わる前に皆の前で活躍していた頃の話だ。
次に話すのは──地に落ち、黒く染まった後の新崎逸釆の話だ。
そのことを話そうとすると、石母田の表情は途端に暗くなっていった。
「ここからは、わたしたちが新崎くんと出会ってからの、話です……」
「────」
「誰も信用しない、それが生徒でも、先生でも、親でも、誰に対しても。今の新崎くんは、そんな状態です……。だけど、三ヶ月前までの新崎くんの優しさは、しっかりと残っています」
土曜参観の前に集まった時、新崎は東雲に石母田を守るように指示していた。
それが、決して自分のためではないと、わかっている。でも、切り捨てる選択肢だってあったはずだ。
だが、新崎逸釆はそれをしなかった。
理由はどうあれ、石母田にとっては彼の中にまだ『優しさ』という感情が残っているように感じられて嬉しかったのだ。
「後、勝つためならなんでもするタイプだな逸釆は」
石母田の話に東雲が入り、新崎逸釆についての追加情報を話し始めた。
「絶対に諦めないし、絶対に折れない心を逸釆は持ってる。でも、全然素直じゃないのがなぁ……」
どれだけ貶められて、地に落とされようとも、根っこの部分は変わっていない。
優しく諦めることを絶対にせず、折れない心を新崎逸釆は今も変わらず持ち続けている。
──それを知っているのが、今はたったの二人だけになってしまったけれど。
「新崎君について聞かせてくれてありがとう」
「いえ、逸釆の良いところを他の人に知ってもらえるのは俺たちも嬉しいですし」
「僕の中では、彼の疑いはほとんど晴れたよ」
「完全にではないんですね……」
「警察は可能性のある人物は疑うものだからね……」
東雲と石母田は、瀬波の新崎に対する疑いが完全に晴れなかったことに肩を落とした。瀬波もまた犯人候補として挙げられている以上、疑い続けなければならないことに気が引けていた。
瀬波は「そうだ!」と勢いよく顔を上げると、
「これ、僕の名刺。何かあったらすぐに連絡して。いつでも駆けつけるから」
「「ありがとうございます!」」
「それじゃ、また!」
瀬波は、二人に名刺を渡してその場を去っていった。
「瀬波さん、良い人そうだったね」
「確かに良い人そうではあるんだけども……逸釆の考え方を借りると、完全に信用はしないってのがベストかな」
「……そうだね」
たとえ、人の良い警察官だったとしても新崎を疑い続けている現状は変わらない。
東雲と石母田は、新崎の考え方に合わせ、完全に信用はしない方向でいくことにした。
そんなやりとりを交わした直後、校舎内に昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「おっと、もうこんな時間か。戻ろ」
「うん」
まさかの警察官との邂逅を果たした二人は、これが連続傷害事件の早期解決のための進展であってほしいと願いながら教室へ戻った。




