断罪シンデレラ
シンデレラには救いがあった。でもわたしには無かった。
貴族令嬢レイラのひとり娘として産まれたわたし。
生まれてすぐに父が亡くなったので、しばらくは母子家庭で育てられた。
父の遺産がかなりあったおかげで、母ひとり子ひとりでも何不自由なく暮らしていけたんだけど……。
ある男から「娘には父親が必要だ」と諭されて、母は再婚を決意する。
その男はステップーザという伯爵で、最初はやさしかった。
でも金遣いがとても荒く、父の遺産をあっという間に食い潰して、おまけに借金まで作ってしまう。
それからステップーザは母やわたしに冷たくあたるようになった。まるで、我が家の財産が愛情のバロメーターであったかのように。
そしてとうとう首が回らなくなった彼は、懇意にしている公爵様に借金の肩代わりを頼みこむ。
そのカタとして、わたしは差し出された。
「デーブィーお坊ちゃんにもらっていただけるなんて、コイツも幸せでしょう! 器量もプロポーションもアレで、女としてはいいとこナシですけど、頑丈ですよ!」
公爵の跡取り息子デーブィー様は、とんでもないDV男だというウワサだった。
初めてお目にかかった日、彼は咥えタバコならぬ咥え葉巻で、ペットでも値踏みするような目でわたしを見下ろしていた。
わたしはおそるおそる、カテーシーをする。
「初めまして、デーブィー様。わたしはデレラと……」
「俺の許可なく、勝手に鳴くな」
「はっ?」
「お前はもう、俺の家畜なのだからな」
「ええっ!?」
「ブタにふさわしい焼印をくれてやる」
そう言うなり彼はわたしの髪をいきなり掴んできて、火のついた葉巻を顔に押しつけてきたんだ。
「熱いっ!?」
当然はね除けたんだけど、それが気に食わなかったのかデーブィー様はお怒りになり、わたしの腹を思いっきりケンカキックで蹴飛ばしてきた。
吹っ飛ばされたわたしは、後ろにあった暖炉にあわや突っ込みそうになる。
デーブィー様は倒れたわたしに、さらに耳を疑うような言葉を浴びせかけた。
「チッ、あと少しでヤキブタが見られるところだったのに」
これには、いくら継父でも抗議してくれるだろうと思ったんだけど、彼がしていたのは揉み手だった。
「デーブィーお坊ちゃん、ナイスショット! ヤキブタは、結婚後のお楽しみということで!」
この時代、女に拒否権など無かった。
そしてわたしは、逃げることすらもできなかった。
デーブィー様が帰った直後、ステップーザはわたしの髪を掴んでこう言ったんだ。
「おいメスブタ、逃げようなんて考えるなよ! もし逃げたら、母ブタを娼婦をさせて借金を返させるからな!」
母は心労がたたって病床に伏せっていた。そんな状態で娼婦なんてやらされたら死んじゃう。
唯一の肉親を人質に取られたわたしは、否応なくデーブィー様と婚約。
デーブィー様のお屋敷では、さらなる地獄が待っていた。
「デレラさん、我が家の女は何事にも精通していなくてはならないざます。結婚式までには4年間ありますから、みっちり花嫁修業をしてもらうざます」
「コジュートちゃんも手伝ってあげる! よろしくね、お継姉様! キャハッ!」
姑のマザーロウ様と、小姑のコジュートさんが家庭教師と組んで、わたしをしごいた。
最初わたしは、立派な嫁になるために必要なことなのだと思い、ハードなスケジュールもがんばってこなした。
ダンスや礼儀作法、算術や乗馬、剣術や魔術。ここまでは良かった。
お料理や掃除など、メイドがやるようなことも修業させられたけど、そういうものなんだろうと思っていた。
軍隊式の格闘技や生存術をやらされるようになってから、わたしは考えるのをやめていた。
その頃になると、生存術の修業の一環ということで食事はほとんど与えられなかった。
そのうえ、寝ている時はデーブィー様がわたしの髪の毛に火を付けようとするので、おちおち寝ることもできなかったんだ。
4年が過ぎたころ、わたしは骨と皮だけになる。
肌はカサカサで服はボロ布、涙も涸れ果てていた。
身も心も限界。命を絶たずにいられたのは、すべては母がいたから。
今日が何曜日かもわからなくなったある日、デーブィー様がわたしの髪を掴んでこう言った。
「よくがんばったな、デレラ!」
その時はマザーロウ様とコジュートさんも、ウソのようにやさしかった。
四つん這いになったわたしに腰掛けながら、ふたりはこう言ってくれたんだ。
「いよいよ卒業試験ざます。この試験に合格すれば、デレラさんは我が家の一員ざますよ」
「いままで酷いことたくさんしてきたけど、これもお継姉様のためだったの! あともうひと息、がんばがんば! キャハッ!」
いま思えばあのときのわたしは極限状態のあまり、正常な判断ができなくなっていたんだと思う。
花嫁修業の試験、それは法廷に立つこと。
そこで尋ねられたことは、すべて「はい」と答えることだった。
「お前は国防大臣を誘惑! 断られた腹いせに、屋敷に放火をした! 相違ないな!?」
「はい……」
なにを聞かれたのかはよく覚えてないけど、デーブィー様が鬼の首を取ったように演説していたことだけは、よく覚えている。
「やはりこの女は魔女だったのです! このデーブィーはすべて見抜いていたのです! それを証拠に、我が屋敷には魔女を封じ込めるための塔をすでに建造しております! このデーブィーが責任を持って、魔女を封印いたしましょう!」
「なんという先見の明だ!」と驚愕する傍聴席。
普通、魔女は火刑に処されるものだけど、それは免れることができた。
当時のわたしは、やっとこの苦痛から解放されるということだけで頭がいっぱい。
ずっと、狂気の牢獄に囚われていたことに気づきもしなかった。
そのこと知ったのは、塔の最上階にある牢獄に蹴り込まれた時だった。
「おいメスブタ、いや、いまはガイコツか。お前のおかげでジャマな国防大臣を失墜させることができたよ。俺はいっさい疑われずにな」
これは後で知ったことなんだけど、当時の国防大臣の屋敷には、国王より貸与されていた国宝があったという。
それが放火で焼失してしまったことで、国防大臣は責任を取らされて辞職したそうだ。
その後釜についたのは……他ならぬ、デーブィー様……!
「なんでお前を火刑から助けてやったのか、わかるか? もう1回、使う予定があるからだよ。魔女のレッテルがあるから、次はもっと大きい罪を被せてやるよ。喜べ、お前は希代の魔女になれるんだ」
彼は鉄格子ごしに大量の残飯を投げ込みながら、いけしゃあしゃあと言った。
「処刑は俺がやってやるから、それまでに食くまくって元の身体に戻しとけよ。俺はずっと、お前をヤキブタにするのを楽しみにしてたんだから」
とっくの昔に枯れたと思っていた涙があふれたのは、彼がいなくなってからだった。
シンデレラには救いがあった。でもわたしには無かった。
「だってわたし自身が、魔女になってしまったのだから……!」
絶望のどん底におちたわたしは、ついに落ちる決意をする。
ふらふらと立ち上がると、塔のベランダへと向かった。
この塔の高さは、目測で50メートルはある。
下が地面の場合、45メートル以上の高さから落ちて助かる確率はひとつもない。
「さようなら、ママ……。先立つ不孝を、お許しください……」
わたしはその言葉とともに、ベランダから身を投げた。
最後に見た景色が心洗われるような月だったことが、ただひとつの救い。
しかし地面の気配を察した瞬間、わたしの身体は猫のようにクルリと回転、そのまま衝撃を逃がすように地面を転がったあと、三点着地のポーズを決める。
「あ……あれ……?」
生存術で習った高所落下の受け身を、つい取ってしまった。
無意識にやってしまうほどに、花嫁修業で習ったことは身体に染みついているようだ。
「そうか……わたしは……できるんだ……」
スポットライトのような月明かりに照らされ、わたしの心は夜に咲く花のように目覚めていく。
「そうだ! わたしは自由になれるだけの力があるんだ! なんでも、なんでもできる力が!」
マザーロウ様とコジュートさん、いや、マザーロウとコジュートは、ありとあらゆる家庭教師をわたしに付けた。
それはわたしが苦しんでいる姿を見たいがためだったんだけど、まさかこんな所で役に立つとは思わなかった。
わたしは新たなる血に目覚めたオオカミのように、月に向かって吠えた。
「見てなさい! あなたたちからもらったこの力で、あなたたちをメチャクチャに、グチャグチャに、ギッタギタにしてやるんだからっ! うぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーっ!!」
その日はすぐに決まった。それは、お城の舞踏会。
舞踏会では国じゅうの権力者が一堂に会するので、デーブィーもステップーザも、マザーロウもコジュートも参加する。
特に、デーブィーは防衛大臣の就任挨拶をすることになっているのと、コジュートは王族の殿方のハートを射止めようとしているので、特に気合いが入っているんだ。
復讐の舞台としては、これ以上のものはない。
そのためにまず、わたしは食事と睡眠を取って体調を整える。
もちろん残飯なんか食べたりせず、塔を抜け出してはお屋敷のごちそうを頂いた。
下準備として、お屋敷での情報収集も欠かすに行なう。
そしてついに舞踏会当日の夜。
わたしは花嫁修業で習った変装術でメイドに変装し、お屋敷にいた。
目的は、台所にあるカボチャを盗むこと。
デーブィーとマザーロウとコジュートはすでにお城に出発している。
だからお屋敷には使用人しかいないはずなんだけど、その使用人すらおらず、人の気配がなかった。
「おかしいな……? なんで誰もいないんだろう……?」
と思ったら、廊下に誰かがいるのに気づき、わたしはとっさに彫像の陰に隠れた。
気づかずに通り過ぎていく人物に、わたしは眉をひそめる。
「ステップーザ……? なぜ、彼がここに……?」
その意図を探るべく、わたしは本来の目的をいったん置いて、ステップーザの後をつける。
すると彼は、お屋敷の地下へと降りていき、宝物庫の鍵を開けて中へと入っていく。
わたしもその後に続いて宝物庫に入り、甲冑の影に隠れて様子を伺う。
かつてわたしの父だった男は、数枚の書類を手に笑っていた。
「グフフ……! 使用人どもを追い払った価値があったな……! これで、なにもかもチャラだ……!」
もしかしてあれは、借金の借用書……?
「そうだ、これだけじゃ俺が盗んだと思われるから、ここにあるお宝はぜんぶ頂いていこう。塔の牢屋の鍵を開けとけば、ぜんぶあのガイコツのせいにできるからな。グフフ、我が娘ながら便利な女だ……!」
「クッ……!」
「誰だ!?」
しまった。悔しすぎて歯噛みしたのを聞かれちゃった。
大人しく甲冑の影から出たわたしを見て、ステップーザはなにを言うのかと思ったら……。
「まさか、新しいメイドがいたとはな! グフフ……! 若くてピチピチ、それに器量よしじゃないか……!」
なに言ってんだコイツ、と思ったけど、いまのわたしはぽっちゃりでもガリガリでもない。
花嫁修業で引き締まった顔と身体に、ステップーザは舌なめずりしていた。
あろうことが襲いかかってきたので、わたしはとっさに護身術で投げ飛ばす。
石造りの床に叩きつけてやった瞬間、ゴキッ! と嫌な音がした。
「うぎゃあっ!? 背骨がっ!? 背骨がぁぁぁぁーーーーーーっ!?!?」
殺虫剤をかけられたゴキブリのようにのたうち回るステップーザ。
わたしは床に落ちた鍵を拾いあげ、アッカンベーをしてから宝物庫の外に飛びだす。
扉の錠前をカッチリとかけて、ステップーザを中に閉じ込めた。
これで、誰かが帰ってくるまで出られないだろう。
「これでよし、っと」
わたしは宝物庫の鍵を床に投げ捨て、地下から出る。
本来の目的であるカボチャを厨房から拝借して、お屋敷の外に出た。
花嫁修業で特に重点的に習った魔術で、カボチャを立派な馬車に変える。
塔の牢獄で友達になったネズミさんたちを、御者に変身させた。
「あとは、わたしのメイド服をドレスに変えれば……『セルフシンデレラ』の、できあがりっ!」
そう、復讐を誓ったあの日、わたしは決めたんだ。
わたしの所に救いの魔女が来ないのであれば、わたし自身が救いの魔女になってやるって。
「わたしはたったいま、『真・デレラ』になったのよ……!」
馬車に乗り込んだわたしはお城へと向かう。
お城の入口は厳重に警備されていたんだけど、立派な馬車に乗っていたおかげでどこぞの王族と勘違いされて、フリーパスだった。
お城に入ると、あちこちで着飾った紳士淑女の姿が見られる。
わたしに妙に視線が集まっているのが気になったけど、なんとかその視線から逃れ、人気のないところから屋根裏にあがった。
人目に付いては困るので、わたしは屋根伝いに目的地に向かうことにしたのだが……。
その途中、使用人用の階段をコソコソとあがっていく、ある人物の姿を目にする。
「デーブィー……? どこに行こうとしてるんだろう……?」
お屋敷での出来事があったので、捨て置くわけにはいかなかった。
わたしは本来の目的をいったん置いて、デーブィーの後をつける。
するとデーブィーは、お城の上階にある、大臣だけが立ち入ることのできる書庫に入っていった。
わたしも屋根裏経由で書庫に入り、天井の穴から様子を伺う。
かつてわたしの婚約者だった男は、咥えた葉巻の火を明かりがわりにして、数枚の地図を眺めて笑っていた。
「グフフ……! 見張りの兵士どもを追い払った価値があったな……! やっと、魔法点を記した地図が手に入った……!」
魔法点というのは、地脈から魔力を引き出すために打ち込まれた杭のことだ。
この地点は軍事機密とされており、記された地図は限られた者、国防大臣や国王くらいしか閲覧できない。
ということはデーブィーは、魔法点の地図を手に入れるためにわたしに濡れ衣を着せて、国防大臣に……?
でも、なんのために……?
「あとは、この地図を隣国に横流しすれば、俺は王族として迎えられる……! さらなる高みに近づけるんだ……!」
な……なんて人なの……!? 自分の出世のために、この国まで売ろうとするなんて……!
「そうだ、この地図だけ無くなったんじゃ俺が盗んだと思われるから、火を付けるとするか。なにせこっちには魔女がいるから、遠隔で火事を起こしたとか言えばいい。フフフ、婚約破棄したのが惜しくなるくらいの便利な女だよ……!」
ポケットから取りだしたウイスキーのボトルの中身をぶちまける。
デーブィーは火を付けるのが趣味なので、いつもウイスキーのボトルに油を詰めて持ち歩いていた。
カーペットのシミに向かって、ペッと葉巻を吐き捨てると、あっという間に高い火の手があがる。
「さて、とんずらするか。……あれ? 扉が開かない? お……おい!? これはどういうことだっ!?」
それはわたしが先回りして、書庫の扉に彫像を置いて扉が開かないようにしたから。
広がっていく火の手に、デーブィーは大慌て。
「ちょ!? ま、マズい!? このままじゃ焼け死んじまう! こ、こんな所で、死んでたまるかっ!」
デーブィーは部屋の反対側に向かうと、窓を開ける。外は裏庭だけど、飛び移れる木などはない。
素通しの地面、その高さに逡巡したものの、決死のダイブを決行した。
レンガで舗装された地面に叩きつけられた瞬間、ボキッ! と嫌な音がした。
「うぎゃあっ!? 足がっ!? 足がぁぁぁぁーーーーーーっ!?!?」
殺虫剤をかけられ地面に堕ちたハエのように七転八倒するデーブィー。
あれだけ大騒ぎすれば、見回りの兵士が見つけてくれるだろう。
しかしこれだとただの事故だと思われそうなので、これは復讐なんだとわからせる必要がある。
わたしは屋根裏の窓から顔を出し、眼下のデーブィーにアッカンベーをしておいた。
「これでよし、っと」
わたしは書庫から屋根伝いに、本来の目的地である客間へと向かった。
王城には客間がたくさんあるんだけど、舞踏会の日は控室として使われるんだ。
控室には令嬢たちのドレスが飾られている。
舞踏会には【お色直し】という文化があって、令嬢たちは前半と後半でドレスを着替えるんだ。
後半のドレスは、クジャクの求愛のごとき派手で豪華なものばかりで、屋根裏から覗いてみてもまばゆさに目が眩みそうになるほど。
わたしは目をシバシバさせながら、ある人物を待ち伏せていた。
しばらくして、控室の並んだ廊下に黒いドレスのマザーロウが現われる。
マザーロウは廊下に誰もいないかキョロキョロ見回したあと、【ヒールロイン様】とネームプレートの掲げられた控室に音を立てないようにしながら入っていった。
彼女は部屋の奥に飾られているオレンジ色のドレスの袖にこっそりと針を仕込み、ほくそ笑む。
「ククク……! 偽りの女には、【偽りの毒】がお似合いざます……!」
あの針の先にはエンジェルトランペットと呼ばれる花から抽出された毒が塗られている。
少しでも肌に触れたら最後、ありとあらゆる幻覚に悩まされるようになる。
なにひとつ本当のものが見えなくなることから、【偽りの毒】と呼ばれるものだ。
「あの女は正気を失い、トランペットをプープー吹いてまわるような、みっともない姿を晒すざます……! これで今夜の主役は、私のかわいいコジュートに決まりざますね……!」
わたしは事前の情報収集で、この企みを知った。
ヒールロイン様は名のある公爵令嬢で、事あるごとにコジュートと争ってきたライバルである。
マザーロウはこの舞踏会で、ヒールロイン様の完全に失墜させようとしているのだ。
ヒールロイン様の醜態を想像しているように、肩を震わせながら控室をあとにするマザーロウ。
わたしは屋根裏で貴族令息風の男装をすると、いったん屋根裏から飛び降りて、舞踏会の会場へと向かう。
そこでは舞踏会の開催を前に、立食パーティが開かれていた。
わたしは、王族に色目を投げているコジュートのそばで、男声を作って言った。
「なぁなぁ、ヒールロイン様のお色直しのドレスのウワサ、知ってるか!? 前年の倍のお値段なんだって! やっぱり今年も、王子様と踊られるのはヒールロイン様で決まりだな!」
舞踏会はこの国の王子も参加して、毎年ひとりの令嬢と踊る決まりになっている。
それはミスコンのグランプリに輝いたも同然の栄誉なので、すべての令嬢たちの憧れなんだ。
コジュートも当然その座を狙っているので、わたしのウワサには血相を変え、会場から飛びだしていった。
「これでよし、っと」
入れ違いでマザーロウが会場に現われたので、わたしはボーイからシャンパンをふたつもらってから、彼女に近づいた。
「ご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか? マザーロウ様」
するとマザーロウは、わたしを値踏みするみたいに頭のてっぺんからつま先までジロジロと見る。
このあたりの仕草は、あのクズ息子ソックリだ。
「知らない顔ざますね。顔とスタイルは悪くないざますけど、私のかわいいコジュートとはつりあわないざますね。もっと、顔が売れてから来るざます」
マザーロウは、娘のハートを射止めるために近づいてきた令息だと勘違いしているようだ。
わたしは苦笑いしながらシャンパンを差し出す。
「コジュート様もいずれ、あなた様のような素敵な女性になるのでしょうね。それでしたら、いまのうちにお近づきになっておくのもいいかもしれませんね」
わたしはその顔に向かって吐きたい気持ちをガマンしながら、甘い言葉をささやいた。
「でもわたしはあなた様とお近づきになりたいのです。どうか今宵だけ、若造の恋心を弄んでいただけませんか?」
すると厚化粧の頬が、ポッと染まる。
「な、なにを言うざますか。私みたいなおばさんをからかうなんて、そんな……」
まんざらでもない様子でシャンパンを口にするマザーロウ。
その仕草がちょっと乙女チックだったので、わたしはウエッとえづきそうになったけど、なんとか飲み込んだ。
「と……ところで、ひとつお耳に入れておきたいことがあるのです。ヒールロイン様は、またしても、コジュート様を陥れようと罠を仕掛けているみたいです」
「またしても、罠を……!?」
マザーロウの顔が、燃えるように色づく。
明らかに照れとは違う、頭に血の気が昇った赤さだった。
「うわぁ……!」
周囲から歓声が起こる。その場にいた者たちはみんな、会場に入ってきた人物を見ていた。
つられてマザーロウの視線も移ったのだが、真っ赤な顔は信号機のように青ざめていた。
「こ……コジュート……!?」
「どお? ヒールロイン! コジュートちゃんのほうが似合うでしょう? ドレスもコジュートちゃんに着られて喜んでるよ! キャハッ!」
ひと足早いお色直し。オレンジ色のドレスに身を包んだコジュートは、彫像に向かってはしゃいでいた。
どうやら【偽りの毒】の効果が発揮されているようだ。
そしてもうひとつの毒の効果も、さっそく発揮される。
マザーロウが、カーペットの毛を散らす勢いで猛ダッシュ。
その行き先は、会場の中心にいるヒールロイン。コジュートのほうを見たまま驚きで固まっている彼女に、奇声とともに掴みかかっていった。
「きえええっ! こっ、この、メスブタぁ! この私の裏をかくなんて、こざかしいマネをぉぉぉ! 私の仕込んだ毒をよりにもよって、私のかわいいコジュートに向けるなんて! 死ね! 死ね! 死ねぇぇぇぇぇーーーーっ!!」
首を絞められて顔がどんどんピンクになっていくヒールロイン。
わたしはマザーロウに渡したシャンパンのなかに、ある混ぜ物をしていた。
それはベラドンナと呼ばれる花から抽出した、【真実の毒】。
ベラドンナの成分は自白剤にも使われ、投与した者の脳機能を低下させる。
躁鬱状態になり、感情のおもむくままに行動。つまりなにひとつ包み隠さない、真実の姿をさらけだすようになるんだ。
舞踏会の会場は、たったふたりの女性の狂乱によって地獄絵図となっていた。
かたや舞台の上で、楽団から奪ったトランペットふたつを吹き鳴らしながら、足首にシンバルを付けて股をおっぴろげ、サルのオモチャのように鳴らしまくる令嬢。
「今日舞踏会の主役は、このコジュートちゃんに決まりでぇーっす! 王子様、見てるぅ!? キャハッ! キャハッ! キャハハハハハ!」
かたや鬼婆のように髪の毛を逆立て、カトラリーのナイフを持って通り魔のごとく手当たりしだいに周囲に襲いかかる令嬢。
「コジュートに王子をたらしこませて、この私が女王になるざますよ! ジャマものはみんな死ね! 死ねっ! 死ねっ! きえっ! きえっ! きえぇぇぇぇーーーーっ!!」
マザーロウとコジュートは好き勝手にやっていたけど、すぐに兵士に取り押さえられて会場から強制退場させられる。
縛られて数珠繋ぎとなって連行されていくふたりに向かって、最後のアッカンベーをするわたし。
「騒がせてしまったようだね、大丈夫かい?」
「あ、はい、大丈夫で……」
声を掛けられたので変顔のまま振り返ると、そこには【星の王子様】としか形容しようのない、美しすぎる男性がいた。
彼はわたしの顔を見るなり、子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。
「ふふ、見た目のわりに、キミはひょうきんな性格のようだね。ますます気に入ったよ、どうか、この僕と踊っていただけますか?」
「え、あ……あの……」
わたしは流されるままに連れ出され、会場の中心で彼と踊った。
彼のリードはすばらしく、まるで空を飛んでいるような気分だった。
周囲からは、ウットリしたため息が漏れていた。
「す……素敵……! なんて素敵なダンスなんでしょう……!」
「この舞踏会で王子に釣り合う令嬢なんていなかったのに……ついに現われたな……!」
「あの汚れなき微笑みに、淀みのないステップ……! まさにお姫様ね……!」
「今年こそ、あの曲が流れるのか……!?」
王子が合図を送ると、楽団の演奏はゆったりとしたムーディな曲に切り替わる。
「きた! 【王女のためのパヴァーヌ】だ!」
「王族が、愛をささやく曲……! ついに、王子様のおめがねにかなう女性が現われたのね!」
「すごいぞ! 今夜はこの国にとって、歴史的な夜になるぞ!」
チークのように頬を寄せあうダンスになり、王子はわたしの耳元でささやきかけた。
「あなたのような美しい女性と巡り会えるなんて……この舞踏会を開催して、初めて良かったと思ったよ。どうか、僕と結婚して……」
わたしはすっかり夢見心地で、ついうっかり「はい」と返事してしまいそうになった。
しかし12時を鐘が鳴りわたり、わたしは頬を叩かれたように正気に戻る。
し……しまった! あと5分で魔法が切れちゃう!
「ごめんなさい! わたしもう、帰らないと!」
「えっ!? ま、また会えるかい!?」
「それはたぶん無理です! さよならっ!」
わたしは城の出口へと繋がる大階段へと向かう。
するとそこには、まさかの人物がいた。
デーブィー!? なんで捕まってないの!?
彼は松葉杖をついてまで、わたしを探しまわっていたようだ。
目が合うなり、鬼の首根っこを捕まえたかのように喚き散らす。
「いたぞ! あの女だ! その女が宝物庫に忍び込み、火を放ったんだ! ひっ捕らえろ!」
騒ぎを聞きつけ、まわりにいた兵士たちが集まってきた。
囲まれたら一巻の終りだと、わたしはデーブィーめがけて突進する。
ヤツは松葉杖で身体を支えつつ、ツルのような片足立ちのポーズを撮っていた。
「片足でも、俺は強いぞ! この足で、多くの女どもを子供を産めない身体にしてきたんだ! お前もそうしてやる!」
自信たっぷりに放たれた蹴り。
以前のわたしであれば、その蹴りの速さに為す術もなく食らっていただろうけど……。
花嫁修業で軍隊の格闘術を叩き込まれたいまとなっては、ハエが止まっているかのごとくゆっくりに見えた。
「女を……なめるなぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
裂帛の気合いとともに、わたしは飛んだ。
渾身の飛び蹴り。ガラスの靴が脂ぎった顔面にめりこんだ。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
どす黒い鼻血と黄色い歯を撒き散らしながら、大階段を落ちていくデーブィー。
大理石の踊り場に叩きつけられた瞬間、ボキッ! と嫌な音がした。
「うぎゃあっ!? 足がっ!? 足がぁぁぁぁーーーーーーっ!?!?」
とうとう両足を骨折、血と汗だけでなく、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫んでいる。
後ろから王子が追ってきていたので、わたしは裸足のまま階段を駆け下りた。
踊り場で泣きじゃくっているデーブィー顔面をムギュッと踏み越え、わたしは城の外に停めてあった馬車に飛び込んだ。
「み……見つけてみせる! キミを必ず見つけてみせる! そのときは僕と、結婚してくれ!」
追いすがる王子の声を振り払うようにして、馬車は走り出す。
王子の結婚相手が決まり、王城では祝福の花火があがっていた。
大輪の花を咲かせる夜空を見つめながら、わたしはひとり寂しくつぶやく。
「もう、会うこともないでしょう……」
シンデレラはガラスの靴がキッカケで、王子と結婚した。
でもそれは、おとぎ話だからこそ。
わたしには、その結末はやってこない。
だって魔法が切れたら、ガラスの靴も消えてしまうから……。
シンデレラには救いがあった。でもわたしには無かった。
「でも、これでいいんだ……。これで……」
わたしは力尽き、馬車の中で眠った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから、どうなったかというと……。
王子はわたしの手掛かりとしてガラスの靴を手に入れたけど、魔法で消えてしまい、途方にくれていたそうだ。
しかしデーブィーの顔に足跡が付いているのを見つけ、それを手掛かりに国中を探しまわったらしい。
その頃、わたしは母と田舎に引っ越し、母とふたりで慎ましく暮らしていた。
ほとぼりが冷めたころに、あの4人への復讐を再開しようと思ってたんだけど……。
とうとう、見つかってしまった。
聞くところによると、デーブィーの松葉杖の中から、軍事機密の地図が隠されていたのが見つかったらしい。
そこから芋づる式に、わたしへの仕打ちが明るみに出たそうだ。
「これからは、僕がキミの太陽となろう。キミの顔を曇らせる暗雲は、僕の手で払わせてほしい」
王子はあの例の4人に、かつてないほどの重い罰を下してくれた。
おかげでわたしは復讐する必要がなくなった。
シンデレラには救いがあった。でもわたしには無かった。
ずっと、そう思っていた。
でも気づくとわたしは、王子と結婚。
母親といっしょに王城に移り住み、いつまでもいつまでも幸せにくらしました……とさ。
このお話が連載化するようなことがあれば、こちらでも告知したいと思います。
それとは別に「面白い!」と思ったら、下にある☆☆☆☆☆からぜひ評価を!
「つまらない」の☆ひとつでもかまいません。
それらが今後のお話作りの参考に、また執筆の励みにもなりますので、どうかよろしくお願いいたします!