8 校外実習
『本当に心配したんだからな』
弟が恨みがましくメッセージを送ってくる。
『なんで、家族に一言いわないんだよ』
『ちゃんと書置きしておいたでしょう? 下宿の荷物は送るように手配しておいたし』
『「就職します。探さないでください」これのどこがちゃんとした書置きなんだよ。怪しい職業についているかもって母様が頭を抱えていたぞ』
弟の非難がましい口調が頭の中で再生される。私はため息をつく。
ドライツェン神官から話を聞いてすぐに、私は家族に連絡を取った。数か月ぶりの直接の接触だった。
すぐに家族は通話に出た。そこで口々に怒るやら、泣くやら、大変だった。
途中で映像が切れたのも、混乱を招いた。荒い映像に、時々聞こえる感情的になった両親の声。周りが静かなので、どこまで静かな神殿の中で響いたか。
カオスだ。
ドライツェン神官が文字でのやり取りを進めた理由がわかった。普通に使う映像付きのやり取りは私には無理だった。
魔力が少ない自分がうらめしい。今はなけなしの魔力を振り絞ってタブレットでメッセージを送っている。
いろいろと問題は起こったけれど、ただ一つ、事情が分かったのはよかった。
家族が私の失踪に気が付いたのは、婚約者一家からの問い合わせからだった。息子とともに卒業式に出席するはずの私がいないことに気が付いた婚約者の親が、私の家に問い合わせしてきたのだ。
私が間男と駆け落ちしたという噂とともに……
当然私の両親とクソ男一家との間に起こったのは壮絶な#やり取り__・__#だった。ロマンス小説真っ青なドロドロ展開だったという。
部外者としてなら、ぜひ間近で見てみたかった……いや、家族のことを考えると胸が痛む。
この場外乱闘のおかげで、私の行き先を確認するのが遅れ、わかった時には私はすでに辺境に行っていた。
『姉さんは騙されやすいから心配なんだよ。また騙されてるんじゃないの?』
弟の不機嫌そうな様子が伝わってくる。
『また、じゃないわ。私はあの男に騙されたわけじゃない。騙されていたとすると、それはお父様、お母様でしょ。彼と婚約をしたのは、家と家との話し合いの結果だったのよ』
『その割には熱を上げてたじゃないか。手紙を書いたり、相手の家にも気を使ってさ。贈り物とかして』
『婚約者なのよ。ふさわしくあろうとするのは当然よ』
『あいつ、たしかに、姉さん好みの金髪碧眼で魔力多そうな外見だったけど。でも、あいつがひどい奴だということは見ていればわかっただろう?』
二の句が継げなかった。私の理想の男性像は小説に出てくる光輝く騎士様だったから。『辺境の騎士』シリーズを熱く弟に勧めた過去の私を消してしまいたい。そのせいで私の好みのタイプがばれてしまった。
私が気の利いた返事を考えている間に、弟からのメッセージが容赦なく送られてくる。
『今回のことだって、騙されてるんじゃないか? 辺境神殿の仕事だなんて、本当なのか?』
『だから、映像で話したでしょ。神官様と』
もどかしい。弟のザーレとこんなやり取りをするとは想像したこともなかった。
文字だけの味気ない会話。でも、それしか手段がないのだから仕方がない。
『映像で話せれば、楽なんだけどなぁ。神殿の魔道具を借りることはできないのか?』
『こんな真夜中に? 神官様たちはもうお休みよ』
『姉さんの……姉さんがもっと魔力があったら』
バカにしたような書き込みに私はもう通信をあきらめようかと思った。
『直接顔を見ないと信じられないって、母さんはいってる』
できないものはできないのだ。私の持つタブレットでは、荒い途切れがちの映像と音声しか家族に送れなかったのだ。あまりに光力を込めすぎたために私の頭はがんがんと痛み始め、要領を得ないやり取りに両親は通信をあきらめた。結局、両親の後を引き継いだ弟と文字だけのやり取りで現状を説明し合っている。
『学校からの紹介なのよ。神殿の印もいただいたわ。確認してみて。ちゃんとした就職先でしょ。神殿の学校の教師なのよ』
『辺境の、呪われた土地の、だけどな』
『辺境、辺境というけれど、そんなに悪い場所じゃないわ。辺境に対する知識って嘘ばっかりよ。山賊とか、魔人とか魔獣とか、みたこともないわ。……え? 流刑地? 犯罪者ばかり? 荒れている? 少なくとも私の周りにはそんな人はいないわ。……ええ。皆さん、とても親切にしてくださるし』
弟の辺境に対するイメージはひどいものだった。私も人のことを言えないけれど、辺境は危険な(とスリルやロマンスにあふれた)場所だと思っている。
『呪われた黒い民。信用できないね』
『本当なのよ。良い方たちなの』
彼らのことを知りもしないのに、よくそんなことをいう。半ば腹を立てながら、私はメッセージを打ち込む。
『そうだ。こんど、もっと良い魔道具で映像を撮って送るわ。それを見れば、信頼できるでしょ』
『母さんたちが信じるかは保証しないよ』
母親の金切り声を思い出して、私はため息をつく。両親の怒りはかなりもので、映像くらいで信じてくれるかはわからない。もし、彼らの手の届くところにいたら実家に連れ戻されていただろう。さすがに弟も両親もこの地まで追いかけてくるとは言わなかった。私の選択は正しかったのだといまさらながらに思う。
久しぶりの弟との交流は思ったよりも時間をとってしまった。そろそろ明日の授業に備えなければ。長くなった弟との通信を打ち切って、私は勉強に使っていた本を開いた。疲れがたまっているのか、目が滑る。
授業の準備と、授業法の勉強と……やることはたくさんあった。
次の日は珍しく雨が降っていた。
「これからしばらくは雨が多い季節なのですよ」
数学のアジル先生は相変わらずのんびりとお茶の用意をしている。本当は新任の私がそういう仕事をしなければいけないのだろうが、彼は私に食器を触らせなかった。
「え? 明日も雨なのか。校外実習なのに雨なんてついてないな」
クリス先生が忌々しそうに窓の外を見る。
「こうがい、実習?」
聞きなれない言葉に私が聞き返すと、ポンセ校長がああとうなずいた。
「そうでした。エレッタ先生は初めてでしたね。この学校では時々校外実習を行うのです。開拓地の畑の手伝いをしたり、黒い森に入ったり、冒険者の皆さんと遺跡にもぐったりするんですよ。あ、遺跡は希望者だけです」
私の表情を読んで校長が付け足した。
「生徒も教師も総出で、まぁ、ちょっとした遠足のようなものです」
「ちょっとした、ねぇ」クリフ先生は皮肉たっぷりだ。「この前は集団脱走騒ぎがおこって、ほかの学年の先生方も駆り集められた。後でさんざん文句を言われましたよ」
「集団脱走だなんて、おおげさな。ちょっとした迷子でしょう?」
「軍の力を借りなければいけない捜索が、ちょっとした迷子とは」
皮肉交じりのやり取りに、私はいつものようにここに来たことを後悔しかける。
「あの、ひょっとして、私も参加ですか?」
私はおずおずと聞いてみる。
「ええ。もちろんです」
「あ……」
私の通っていた学校ではそういう行事は男の子たちの授業で行われるものだった。
「……そんなに心配されることはありませんよ。ちょっとした散歩みたいなものです。本当ですって。え? 着ていくものですか? 確かにその恰好ではちょっと……あ、ユウ先生にいえば、いろいろと教えてくれると思いますよ、えー、彼女はどこかな」
私の様子に校長先生が少し慌てたようだった。
「彼女は、遅出ですよ。今日は共和国語の授業は午後からですから」
アジル先生が優雅に注いだお茶を出してくれた。
「いいですよねぇ。臨時雇いってのは……未開の民のくせに……」
クリフ先生は黒い民も共和国も嫌いだ。だから、いつも陰で文句を言っている。
私の目からすると、ユウ先生は美人で人気があって、だれにでも優しい笑顔を向ける良い先生だ。なによりも、その女らしい体格がうらやましい。
私の体型がユウ先生みたいに女らしかったら……今頃、結婚式を挙げていただろうか。
放課後、たくさんの取り巻きに囲まれているユウ先生に明日の校外実習のことを聞いてみる。
「明日ね。そうねぇ……エレッタ先生、服がいるね。汚れてもいい服」
ユウ先生は私の恰好を上から下までみて、うなずいた。
「明日、開拓地ね。土いじり、畑仕事、したことある?」
私が首を振るとユウ先生は私の肩をポンとたたく。
「ダイジョブ。誰でもできる。でも、その服じゃダメ。お店行くよ。まだあいてる」
どうやら彼女は私の服を選んでくれるらしい。
「ユウ先生も開拓地に一緒に行くのですか?」私は手を引かれて歩きながら聞いた。
「わたしはほかのクラスがあるから」
「ああ」
私は少しがっかりする。同じ女性であるユウ先生が一緒なら心強いのに。
店は私の言ったことがない区画にあった。古い建物が並んでいるかと思えば、大きな空き地が広がっていたり。そして、見かける人はほとんどが黒髪黒目の黒い民だ。
「ここ、真正の黒い民が多いね」
きょろきょろとしている私にユウ先生が教えてくれた。
「黒森から来た、黒い民ね。黒い民の部隊宿舎があるね」
ユウ先生が私を連れて行ったのは、そんな空き地に並んでいる露店だった。
「はい、ユウさん。今日はどうしたの? その子は……まさか、連れ子?」
まただ。私はぴしゃりと訂正しようとした。でも、ユウ先生のほうが早い。
「ううん。この人、わたしの同僚ね。エレッタ先生」
「ああ、ひょっとして……」店番らしき黒い民が目を見開く。「ラーズの……知り合い?」
うん? どうして、ここでラーズさんの名前が出てくるのだろう。
「……ええ。ラーズ会長のことですよね。存じ上げております」
「ああ。なるほど……なるほどねぇ……」
意味ありげな言い方が気持ち悪い。
「ラーズ会長が、なにか?」精一杯、胸を張って威嚇してみたが、あまり効果ないみたいだ。
「エレッタ先生は、今日は服を買いに来たのです」
慌てたようにユウ先生が間に入った。
「新しい農業用の服です。じっしゅう用の」
「ふうん」
店番は私をじろじろと眺めた。
「このくらいの大きさかなぁ。これ、合うかしら」
女は何着かの服を私の前に並べる。この町でよく見かける厚い布地でできた服だ。冒険者の服、とかなんとか言われていたような気がする。
「これと、あと、このかばんと、手袋……」
女は店の奥の箱の中からいろいろな備品も出してきた。なんだか、使い古された道具だ。
「これ……新品じゃないですよね」
「きちんと洗って修復はしてある。品質は保証する」
何を聞いているんだというように女は首をかしげた。
「新品が欲しいのか? 普通の大きさはあるけれど……子供用のものは……」
どうせ、私はお子様用のものしか使えない。
「エレッタさんくらいの子供、少ないね。ちょうど、少ない世代」
ユウ先生、それ、とりなしになってない気がする。
しぶしぶ試着した服はぴったりだった。くやしいことに。もう新しい服を仕立ててもらうこともできず、私はそれを買った。格安だった。
「よく似合っています。かわいいです」
ユウ先生がほめてくれた。でも、鏡の中にいたのは、教室でいつもはしゃいでいる生徒そっくりの子供だった。地味に落ち込んだ。
やはり、もうちょっと、体型にメリハリがあったら……
でも、男女どちらでも着ることができる辺境式の服は着心地は良かった。何より動きやすい。ユウ先生が真正の黒い民と呼んでいた森の民はこういう服にきれいな装身具を合わせていた。露店で売っていた華やかな首飾りを付けた姿を想像してみると、そんなに悪くない気がしてくる。
でも、実際には……私は完全に子供たちの中に埋没してしまった。
実習では、教壇に置いてある台はない。ちょっと背の高い子供たちは私とほぼ変わらない大きさなのだ。
「きちんと並びなさい」私がいくら叫んでも、いうことを聞く子供などいない。
「きちんと並べと言ってるだろ」
結局、いつもの大人の生徒たちが子供たちを並べて、仕切って。私の仕事を全部肩代わりしてもらった。
畑に向かう車に乗り込んだ時点で、私はもうくたびれていた。
「エレッタ先生はまじめですねぇ。わざわざ奴らに合わせてやる必要なんかないのに」
クリフ先生は服からほこりを払いながらチクリと嫌味を言う。
「しかし、いつもの恰好ではさすがに実習に参加することはできないでしょう」
アジル先生はこんな時でも簡易式のお茶入れを持ってきていた。
「よくお似合いですよ。エレッタ先生」
「ありがとうございます」
私はクリフ先生を無視して、アジル先生からお茶を受け取る。神殿の用意した車はほとんど揺れない。快適な旅、万歳だ。後ろからついてくる生徒を満載した馬車は、見なかったことにした。
実習の場所に選ばれた、開拓地は、まさに今から開拓しようとしている土地だった。建物らしきものは一つだけ。周りに、三角の天幕がいくつも並んで、そこで作業員らしき人たちがうろうろしていた。
「ここが、農地なのですか?」
荒れ地とどこが違うのだろう。私は目の前に広がる赤茶けた土地をみて途方に暮れる。
「学校の子だね」
何をしていいのかわからない私たちの前に現れたのは、すらりと背の高い女性だった。女の私ですら見ほれるような見事な体つきだ。漆黒の髪につやつやした肌、涼やかなまなざし……簡素な軍服が彼女の美貌をさらに引き立てている。
「ようこそ。開拓地へ。私はこのあたりを管理しているジーナだ」
「戦士だ。戦士のジーナ様だ」
子供たちのほうが彼女のことを知っていた。馬車から飛び降りた悪ガキどもは争うように女性のもとに寄っていく。
「ジーナ様」「じーなさん」
「やぁ、こんにちは」
ジーナと名乗った女性は気さくに子供たちに挨拶をする。
「今日はここでの作業を手伝ってくれるそうだね。ありがとう。今日は何人いるのかな? おい、組み分けをしてくれ」
ジーナは部下らしき女性に命じた。女性は軽くうなずくと、子供たちの名簿を片手に組み分けを始める。
……私たちの出る幕はなかった。
「学校の先生たちですね。ご苦労様です」
ジーナは我々にそう挨拶をした。
「こちらこそ、いつもお世話になっている」
アジル先生が慣れたように礼を返した。
「今日の作業は、どのようにしたらよいのかな?」
ジーナは首をかしげた。
「今日は森の生徒たちとの顔合わせも兼ねた作業ですから、先生たちは、そうですね。見学されるのなら、人を付けますが。あー。その子は?」
近くに寄られると私は思い切り上を見上げなければならなくなる。落ち着いて。落ち着くのよ。いくら小さいからといって、ここにきてまで馬鹿にされるようなことは……
「あ、ひょっとして、新しい先生? ラーズが連れてきたという……」
ジーナの目が見開かれた。
「これは失礼。あたしの名前はジーナ。第二辺境軍所属のジーナ少佐です」
「私はエレッタ・エル・カーセと申します。あなたはひょっとして……」
騒がしい音がしてジーナが振り返った。くぼ地の向こう側から土煙が見えている。
「森の学校の生徒たちが付いたようだ。ちょっと失礼」
ジーナは大股に歩き去る。私はそっと大きく息を吸う。
「あの女、黒い民だな」
クリフ先生はにらみつけるようにジーナの背中を見つめていた。
「ひょっとして、黒翼の……」
「クリフ先生。余計なことをいうんじゃない」
アジル先生が珍しく鋭い声でクリフを制した。
「ここは彼らの領域だ。めったなことを言って機嫌を損ねられたら、こちらが困る」
「先生方はこちらに……」
そんな話を聞いているのかいないのか、ジーナの部下の一人が私たちを天幕に案内する。
私は振り返って、子供たちの様子を確かめた。
土煙とともに現れた新しい馬車から、子供たちが飛び降りていた。黒い髪黒い目の黒い民だ。見ていてハラハラするほどの勢いで飛び出してきて、そのまま走っていく。
私の子供たちも動物のようだと思ったけれど、こちらの子供たちは野生の群れだった。動きが違う。
「どうかされましたか?」
「いえ、彼ら、元気な子供たちだなと」
アジル先生は黒い民の子供たちを見てうなずいた。
「森の子供たちですな。いつも彼らはああいう感じです。こちらの生徒たちとうまくやっていければいいが」
「まさか、一緒に実習を行うとは思っていませんでした」
「来年から、一緒に机を並べることになるのでその下準備らしい」
来年から? 一緒に? 私の顔に浮かんだ疑問をアジル先生は丁寧に説明する。
「来年できる中等学校と高等学校には、森の民、真正の黒い民の子供たちも入学する予定なのですよ。今、その準備で……エレッタ先生にも苦労を掛けているでしょう?」
そんな話、聞いていない……そもそも、黒い民って……勉強についていけるのかしら。自分の教室の子供たちですら、制御できないのに。これ以上の人数が増えたら、どうやって授業をすればいいのだろう。
元気いっぱい跳ね回っている子供たちを見て、私は気分が悪くなる。
「お待たせしました」
用を済ませたのだろうか、ジーナ少佐が戻ってきた。
「先生方はどうされますか? 開拓地の様子をご覧になるか、それとも、こちらで休憩をとられるか」
「ジーナ少佐が案内を?」アジル先生はさりげなく尋ねる。
「いいえ。部下が案内する予定です。なにか?」
事務的な口調でジーナ少佐はアジル先生を見下ろす。アジル先生の目はジーナ少佐の胸元にくぎ付けだ。
「そう、そうですか。それならば、休ませてもらおうかな」
「エレッタ先生はどうなさいます?」
「私は……」
ジーナ少佐に失礼な目線を向けているアジル先生や、悪口しか言わないクリフ先生と一緒にいるのは嫌だった。
「もしよろしければ、見学をしたいのですけれど」
天幕にほかの先生を残して、開拓地を見て回る。驚いたことに、ついてきたのはジーナ少佐だった。
「あの、ジーナ少佐」
「ジーナで結構ですよ。エレッタ先生」
「それでは、ジーナさん。ほかの方が案内されると伺っていたような……」
ジーナは凄みのある笑みをちらりと浮かべた。
「あの方にはそういったほうがいいかと思いまして……」
「ああ」
露骨な視線だったから。このくらいの美人だと、そういうことにも慣れているのだろう。うらやましい……つい私の体格と比較してしまう。
「どうかされました?」
ついつい彼女の胸と私のを比べてしまった。不審者だと思われただろうか。
「いえ、私は……小さいので」声が小さくなる。
「素敵だと思いますけれど。エレッタさんは」
「え?私がですか?」びっくりした。そんなこと言われたことはない。
「ええ。かわいいと思いますよ。そういわれたことはありませんか?」
ジーナは不思議そうに言う。
「でも、背が低い、その、小さいですよ」
「私の尊敬する方も小さいですよ。それに、帝国貴族は小さい体のほうがいいのでしょう?」
ものすごく誤解されている。私は慌てて修正した。
「そ、それは、星の宮に連なる方々のことです。私はそんなにすごい方々とは比べようもなく……光量も少ないですし、一応貴族姓ですが……貧乏で……」
どんどん声が小さくなっていく。
「内地もいろいろあるのですね」
感慨深そうにジーナはいう。
「私はここから出たことがないので、小さいほうが尊いと。帝国民すべてがそう思っているわけじゃないのですか。小さいのは正義……じゃ、ないんですね」
「……なんですか? それは?」
「いや、そういうことを連呼する人たちが多いので……ラーズとか、そんなことを言ってませんでしたか?」
「ラーズ会長ですか? いえ、そんなことは一言も」
「一言も?」ジーナは驚いたように目を見張る。「本当ですか? いや、エレッタ先生は……まぁ」
「彼は、そんなことを言う人なんですか?」
むしろ私のほうが驚いた。ラーズ会長の体格からすると、ジーナ少佐のように背が高い女性がよく似合いそうなものなのだが。
「……彼は、フラウ司令の熱烈な信奉者なので」
「ひょっとして、フラウちゃん?」
「そうそう、そうです。フラウ司令はとても人気があるんです。フラウ司令もエレッタ先生と同じくらい、昔はもっと小さい方でしたよ。でも、とても知恵がある勇敢な方です。なにしろ辺境を支える杖の騎士ですから。一度、会ってみられるといい」
私が? 軍人の、それも総司令と会話をする? そんな人と親しく話している自分の姿が想像できない。
「会うだなんて、私はただの教師なので……」
「フラウ指令はとても気さくな方ですよ。一般の兵士たちとも気軽に会話されてますし、たぶんですがエレッタ先生とは気が合いそうな気がします」
辺境ではえらい軍人と一般人との距離が近いみたいだ。私が知り合いになれるとしたら、せいぜい将校さんたちくらい。司令官と呼ばれる人は大貴族の出身者と決まっていたから、貧乏貴族の娘などそう簡単に会えるものではなかった。
もし、出会えて、そこにロマンスが生まれたら……。そんなの小説の中だけの話だ。
私はジーナさんに連れられて、開拓地を見て回った。うるさく騒ぐだろうと思っていた子供たちは思ったよりもまじめに農作業に取り組んでいた。少しだけ彼らを見直す。
「驚かれないんですね」
「ええ。ちょっとびっくりしています。みんなまじめに作業をしているから……えっと、何にです?」
どうやらそういうことを聞きたかったわけではなかったらしい。
「いえ。ここに来られた内地の方はみんな驚くんですよ。農道具を使っていないって……」
「……うちは田舎でしたから。お庭は全部手作業でした。も、もちろん、農家の人は使っていましたよ。でも、うちの庭は狭かったので」
田舎者ということがばれてしまったのだろうか。実家は田舎過ぎて光術で動く便利な魔道具はなかった。あったのは自動水やりの道具くらいだろうか。
「へぇ、そういう人たちもいるんですね」
良かった。ジーナの反応は別に馬鹿にした様子はない。町の学校でうっかりこういうことを言おうものなら、辺鄙な土地から来たと陰口をたたかれる。
辺鄙な土地なのは、事実だけど。
「ここは、魔人に食われた土地でしてね。土地に魔力がほとんどない。なので、こういうやり方で開墾する以外にないんです」
ジーナは周りの赤い荒野を指さした。
「この辺り一帯は緑の畑があったはずの場所ですが。残念です」
「魔人って……土を食べるんですか?」
食われたという意味がよくわからなくて手ぶりを交えて聞くと、ジーナは笑った。
「いやいや、そんな、むしゃむしゃと食べたわけじゃぁ……まぁ、あれは見てないとわからないですね」途中で真顔に戻ってつぶやく。
「とにかく、魔力がないので、光術は使えません。それで全部手作業なのです」
なにも、そんな場所を開墾しなくてもいいのではないか。そんなことをちらりと思う。
「みてください。町が見えますよ」
ジーナは高台に私を案内してくれた。だいぶ移動したと思ったのに、町はすぐそこにあった。周りは見慣れた赤い荒野で、その向こうにきらきら光る道のようなものが見える。
「あれが、黒の道。墓所へと続く道ですね」
「うわぁ、きれい」
近くで見ると本当に黒く舗装された道なのに、ここから見るとキラキラと光って見える。まるで光の川みたいだ。
「あの道には特別な魔力除けがかかっていて、外と遮断されているんですよ。だから外から見ると光って見えるのです」
「へぇ、そうだったんですか。ジーナさん、物知りですね」
開拓地を見下ろすと、子供たちがまじめに作業をしているところだった。驚いた。彼らのことだから、理由をつけて逃げ出すのではないかと恐れていたのに。よく見ると、黒い民の子供たちも混じっている。あいかわらず、元気いっぱいの彼らはさえずるように会話を交わしながら、同じ作業を楽々とこなしていた。
本当に私の出番はなさそうだ。
私は手持無沙汰であたりをぼんやりと眺めた。代わり映えのしない赤い土が広がっている。いくら目を凝らしても、盗賊とかあれ暮れ者の集団とかスリルを感じるようなものは見当たらない。
おや?
私は身を乗り出して、確かめた。何かが向こうのほうで動いたような……気にせいだろうか?
「どうかされましたか?」ジーンさんが不思議そうにこちらを見る。
「あの、あれ……みえますか。ほら、今、ちらりと」
私は赤茶けた大地をさす。
「あれは……」
ジーナさんが素早く私をかばうように前に出た。先ほどまでとは打って変わって表情が険しい。
「ああ。あれは……」
しかしジーナさんはすぐに警戒を解いた。それどころか、笑顔で私のほうを窺う。
「あれはなんなのです?」
「あれは何かといいますとね。ちょっとお待ちください」
ジーナは私が見ていた方向へ向かって走る。
はやい。帝国の兵士たちよりもずっと。辺境の戦士といえば、獰猛な野蛮人と決まっていた。ジーナさんはそんなイメージとはちょっと違う。野性味はあるけれどその所作は私のような下級貴族よりもずっと洗練されて美しい。
うっとりと見つめている間に彼女は何かを捕まえて、すぐに戻ってきた。
「これですね。羽ウサギです」
ジーナさんに耳をつかまれて、硬直しているのはウサギのような鳥のような不思議な生き物だった。
「まぁ、かわいい」
私は思わず手を伸ばす。ふわふわとした毛皮を触りたくてたまらない。
「あ、気を付けて。これ、魔獣の一種ですから」
え? 私は手を引っ込めた。そんな様子を見てジーナさんは含み笑いをする。
「魔獣といっても人を襲うことはない獣です。半分魔獣、というのが当たっているかもしれませんね。見たことがない生き物でしょう?」
でも、野生なので引っかいたり噛んだりするらしい。そういいながら、ジーナは器用に生き物を押さえつけて私に撫でさせてくれた。
思った通り、癖になる触り心地だ。いつまでも撫でていたい。首巻にして触れていたい。
「気に入られたようですね。連れて帰ります?」
ジーナが物騒なことをさらりという。
「ええ? これ、魔獣なのでしょう?」
「魔獣もどきですから、飼えますよ。最近、人気のペットです」
いいのだろうか。こんなものを連れて帰って。
耳をつかまれて、吊り下げられた羽ウサギはうつろな黒い瞳でこちらを見ていた。だらりと下がった羽が細かく震えている。
魔獣を飼うなんて、そんな神殿の法に反しそうなこと、教師がしていいわけが……
でも、かわいい。
私はこの毛玉の魅力に抗えなかった。
「この子、飼えますか?」
もっと撫でたい。もっと……でも、ジーナさんは私から羽ウサギを遠ざけた。
「飼えますよ。でも、野生なので調教が必要です」
「調教? ですか?」
「噛まれるのは嫌でしょう? 病気を持っているかもしれませんしね」
こちらで調教してから渡しますねと、ジーナさんは硬直したままの羽ウサギを袋の中に入れた。
ジーナと天幕の戻ると、アジル先生がいつものようにくつろいでいた。
「おや、麗しい少佐殿。お戻りになられましたか」
あからさまな目つきをジーナはさらりとかわす。
「あら、クリフ先生は?」
「ああ、彼は車に戻りました。この、空気が耐えられないとかで。黒の民の天幕がお気に召さなかったようですな」
何が起こったのか何となく察した。その場にいなくてよかった。
子供たちがお昼の支度をはじめていた。今日は学校から弁当が支給されている。生徒たちも黒い民の子供たちもみんな入り混じってワイワイと小さな包みを受け取っていく。
「楽しそうですね」
「ですね。仲良くやっているようで、安心です。町の子たちもこの環境にだいぶ慣れてきたようだ。あと何回か実習をしたら、この土地でも大丈夫でしょう」
「森に行ったり、するんですよね。たしか」
「ええ。開拓地の実習が3回、森での実習が二回ですか。上の学校に行くまでにこの環境に慣れておかないといけないですからねぇ」
ん? 私は引っ掛かりを感じた。
「おや、先生はまだご存じないのですか? 新しくできる学校は町の外にあるんですよ。光術の使いにくい土地柄なので、少しずつ外でならしている、そういうわけでして」
私はめまいがしてきた。そんな話、聞いてない……学校の隣に建設している建物は、あれが中等学校と高等学校ではないのか。
「町の外って……なんでまたそんなところへ」
まさか、私もそこへ行けと言われるのだろうか。いやいや、契約にはそんなことは書いていなかったはず……
「場所の問題のようですね。町の中に作るには場所が狭すぎますからね。町の子供たちも等級が低いからすぐになじむという人もいましたけれど、等級が低いのと、等級がないのとではかなり違いますからねぇ」
先生の言葉が頭に入ってこない。戻ってから契約を確かめてみよう。私は心の中の予定帖に刻み込んだ。