6 隣人
「神官様、おききください」
夜の礼拝のあと、私は偶然そこに居合わせたドライツェンに告解もかねて最近の出来事についての報告をしていた。
「初めの日とあまりに違っていて、一体どういうことなのかと。黒い民のことはあまりよく知らないものですから」
ドライツェン神官は私の言葉を丁寧に最後まで聞いてくれた。最初に受けた冷たい印象はきっとこの人がとてもまじめな人だからかもしれない。私のつたない説明をうなずきながら促す彼はとても信頼できる神官様だ。
「それは、きっとあなたの授業がよかったということなのでしょう。エレッタさん。
……そういわれても納得されないようですね。先日どなたかにこのことを相談されましたか?
ああ、ラーズのところへ行った。なるほど。
おそらくですが、ラーズの指図ですね。後ろにいたという、その大きな生徒たち、おそらく子供たちにとって怖い人たちだったのでしょう。ああ、荒れくれ者とかそういう意味ではなく、強面の近所のおじさんやおばさん、そんなところだと思います。彼にはそういう知り合いも多いですから」
「ラーズさんが、本当になんとかしてくれたのですね。でも……」
「でも?」
「どの授業でも、その方たちが出席されていて……なんだか……ご迷惑ではないかと」
「ああ。その人たちなら心配することはないと思いますよ。ラーズのほうから手当てが出ているのでしょう」
「いえ、私が言いたいのはラーズさんのほうなのです。その、あまりにも過大な……そこまでしていただくなんて……」
「まぁ、それは……」
ドライツェン神官は言葉を切る。
「あの方、誠実な方とは思うのですが、かなり変わった方でしょう?」
探るようにドライツェンを見ると、困ったような笑いを浮かべていた。
「変わったですか。まぁ、そういえないこともないでしょうね。ちょっと変わった好みを持っていましてね。でも、何かされたわけではないでしょう?」
「私に、ですか? いろいろ相談に乗っていただいていますけれど。こちらに送り届けていただきましたし」
なんだろう? 私に関係があることなのだろうか。されたことといえば、たくさんの大人の生徒が教室にやってきたくらい……ドライツェンは苦笑しているようだった。何なのだろう? わけがわからない。
「実害がなければ、それはそれで」
「あの、あの方、何かされたのですか? その、犯罪とか……」
私は恐る恐る聞いてみる。
「何を犯罪とするか、ですが。ここは荒っぽいところですからね。まぁ、少し気を付けて危ないと思ったら距離を置かれるといいと思いますよ。あの男の趣味もさることながら……そうですね」
ドライツェンはどこかもの言いたげな雰囲気を漂わせる。
「どうかされたのですか? 何か気になることでも?」私は心配になって聞いてみる。
「いえ、いえ。何でもありません。ただ……」
「ただ?」
「あの男は分離派の影響を受けていましてね。正確に言えば、新分離派とでもいう勢力の一員なのですよ」
あまり聞いたことのない言葉だ。
「それは、確か、星の帝に危害を加えようとした一団でしたかしら? ごめんなさい。あまりそちらの方面は詳しくなくて……」
「それはノイン派のことですね。あれは分離派から出た過激な集団でしたが、新分離派とは違います。新分離派は、フラウ派ともいわれますけれど、最近、辺境を中心に広がっている神殿の一派でしてね。詳しく説明すると長くなりますが、辺境に根差した政治集団といえばいいでしょうか」
フラウ派? ノインの乱は学校でちらりと聞いたような記憶がある。あまり深く触れることもなくサラリと流されたので、聞いたことがあるという程度の知識しかない。
一応、私は歴史も教えるのよね。自分の知識の浅さが恥ずかしくなる。
「ごめんなさい。私、とても勉強不足でしたわ。ひょっとして、ドライツェン様もその、新分離派の……」
「違います」
ぴしゃりと否定された。
「あ、あら、そうですの」
本当にいやそうに顔をしかめられた。私はかろうじて返事を返すのがやっとだった。
「彼らのことは気にされる必要はないと思います。この辺境だけで活動している一派ですから」
すぐにいつもの顔に戻ったドライツェンは説明した。
「ただあの男はあまり神殿のことをよく思っていない、その程度の認識でよいかと思います」
神殿の一派なのに、神殿のことをよく思っていないとはどういうことなのだろう。でも、ドライツェンに質問できるような雰囲気ではなかった。
「まぁ、そうなのですね。とても親切な方でしたから、熱心な信徒なのだと思っていました。残念ですわ」
当たり障りのない返事をする。
「熱心な信者ですよ。フラウ派のね」
意味深な会話に、胸が騒いだ。
自分の部屋に戻ってから、私は光版を開いてノインの乱を調べてみた。やはり、自分が記憶しているくらいの記録しかない。首謀者のノインはエレッタが生まれたころに死んだとされている。それも、脅威が取り除かれた、そういう表現で軽く記述されているにすぎない。本の山を調べてみたが、そちらも同じだった。所詮は光版の焼き直し、たいした情報はない。
フラウ派なるものはどこにも記録がなかった。それこそ、検索にかけても人名すら浮かんでこない。フラウ、って、女性名よね。神官の名簿も当たってみたが、該当しそうな人物はみあたらない。
私はできるだけきちんと子供たちに帝国の地理や歴史を教えたいと思っていた。自分の授業の技量は……精一杯頑張っているとは、思いたい。
今のところ、授業はうまくいっている。大きい生徒たちが後ろで見張っている中で子供たちはまじめに席についていた。でも、授業を理解しているかは疑問だ。
教壇から見ていれば、わかる。ほとんどの生徒の帳面は白かった……
そして私の欲しい情報もどこにもない。真っ白だ。
やはり、この辺りは現地の人に聞いてみるほかないのかしら……大きい生徒たちに聞けば答えてくれるかしら。それとも、意外に小さな子供たち……
その子供たちのすきを狙うかのような目つきに私は質問をあきらめた。
頼れる人といえば……思い浮かぶのはラーズだけだ。
それでも一応、同僚の教師に話を振ってみる。
「それはまた、どうしてそんなことを?」
帝国語や神聖文字を教えているクリス・マクベは面白そうに聞き返した。
「いえ、神殿の方からそういう話を聞きまして、残念ながら私、知らなかったものですから」
「そんなこともありましたか? ねぇ」
そんな些末なことにこだわるなんて、と言わんばかりの態度でクリスは初老の教師、アジル・ボウに話を振る。
「ノインの乱か。懐かしいな」
アジルは茶をすすりながら、遠い目をした。
「あの頃は大騒ぎをしたものだったが。今の若いものは知らんのか」
「そんなに大変だったのですか?」
「うむ。危うく帝国が割れるところだった」
知らなかった。でも、そんなに大きな出来事だったのならもっと教科書に書かれてもいいような気がする。
「お前たちが知らないのも無理はないか。軍人ならいざ知らず、一般人にとってはただの暴動だったからな。お嬢ちゃんが知らないのも無理はない」
アジルはよしよしと私の頭を撫でた。私はむっとする。
「アジル殿、私は大人です。子ども扱いしないでください」
「とにかく、エレッタ殿が気にすることはないのですよ」クリスは鼻を鳴らした。「我々は教科書通りに教えればいいだけのこと。載っていないことは教える必要はありません」
でも、気になるものは気になるのだ。いろいろ調べてみても、記録が残っていないとは一体どういうことなのだろう。
次の休みの日に、エレッタはまたラーズの店に向かった。そろそろ、家を紹介してもらわなければいけない。
今日もラーズの店で店番していたのはアークだった。とても暇そうに、本を読んでいる。
「こんにちは、アークさん。ラーズさんはお仕事中ですか?」
「ああ、先生。いらっしゃい。曹長なら、すぐに来ると思いますよ。ちょっともめごとがあってね」
エレッタはアークの読んでいる本をのぞき込んでみた。中身を見て眉を顰める。これは、共和国語ではないのか?
「アークさん、共和国にゆかりのある方なのですか?」
「いえ。ああ、この本ですか。今、勉強中なんです」
アークは本をぱたりと閉じた。
「帝国の本はほとんどが光板でしか読めないでしょう。僕は等級が低くて光板を使うのが苦手なんです。本を読むとなると共和国語ができないと不便なので」
「まぁ、お勉強熱心なのですね」
「仕事で必要なんです。仕方なく」
なんてまじめな人なのだろう。教室の子供たちがこのくらいやる気があればいいのに。
「そういえば、学校で共和国語の講座もあるのですよ。ご存じでしたか?」
私はため息をついている青年に勧める。
「知ってますよ。ユウ先生でしょ。きれいな女性ですよね。既婚者だけど」
ちょっと残念そうなアークだった。
「ですよね。あの講座は、大きな生徒さんたちにとても人気なんですよ」
というか、大きな生徒しかいないというべきなのか。彼女の授業に出る生徒たちの熱意はすごいものがある。
「エレッタ先生の授業も好評ですよ。わかりやすいって。今度、一度聴講してみようかなぁ」
「ダメだ。お前は絶対にいくなよ」
不機嫌に割り込んできたのはラーズだった。ラーズは大きな体でエレッタとアークの間に壁を作る。
「それはそうと、今日はどうした。なんでまたここに来たんだ?」
「いやぁ、居場所がないんですよ。しばらくここに滞在しようと思って」
アークは後ろから大きな荷物を引っ張り出してみせた。ラーズの口がへの字に曲がる。
「神殿に行けよ、神殿に」
「僕は神殿が大嫌いなんで」
「第一砦に行けよ。あそこなら、フラウちゃんもいるだろ」
「あそこは身の危険を感じるんですよ。それに引き換え、ここは安全が確保されているから」
「あの、フラウちゃんって、今、いわれました?」
私は二人の会話に割って入る。
「ええ。フラウちゃん、あー、フランカ・レオン総督のことですよ。僕たちは親しみを込めてフラウ総督とよんでいます。特に、曹長はフラウのファンクラブ第一号……」
ラーズは無言でアークの荷物をつかんで、外に投げ捨てた。
「ああ、なんてことをするんですか。曹長!」
アークが慌てて荷物を取りに行ったところで、ラーズは扉をきっちり閉めて、鍵をかけた。
「すみません。変な奴が入り込んでいて」
ラーズはエレッタに頭を下げた。
「あら、私は構いませんけれど。……いいのですか? 大切な部下なのでは?」
「問題ありません。元部下ですから」
ラーズは椅子を引き寄せて。エレッタの前に座った。
「それで、エレッタさん、今日は家の下見ということでしたよね」
「あの、フラウちゃんというのは……」
「あー、あいつの言ったことは気にしないでください。我々はただ、フランカ総督を敬愛しているだけです」
「敬愛?」
「ええ、まぁ。その一、ファンというか、推しというか……」
ラーズは外見によらない恥じらいを見せた。まるで一流の歌姫か女優に熱を上げている後援者たちみたい。弟も人気の歌手に似たような反応をしていたっけ。そわそわと落ち着きのない言動を私はほほえましく思う。
「フランカ総督は、おきれいな方なのですね」
「き、きれいというか、かわいいというか……あー。そろそろ、家のことを話しませんか」
ラーズは顔を赤くして、目を合わせようとしない。ドライツェン神官はフラウ派なんてずいぶん大げさなことを言っていたけれど、ただの熱烈な愛好家なだけなのでは……軽いのりに私は拍子抜けした。
「そうです。今日はそのことを話に来たのでした。はい、良いところを紹介していただければ」
「いくつか物件を見繕ってあります。かなりいいところを準備、いえ、見つけておきました。きっと気に入っていただけると思います。そ、それで、その、もしよければ、俺が案内を……ど、どうでしょう」
そんなに暑くないはずなのだが、ラーズは汗を拭いた。
「す、すみません。仕事でちょっと力仕事をしていました」
お茶を運んできた従業員が下を向いて、手を震わせる。
「まぁ、そんなご親切に。いいのですか? お仕事は?」
「ま、まぁ。問題ありません」
「ありがとうございます。もし、紹介していただけるのなら、ありがたいです。いつまでも、神殿にご厄介になるのも心苦しかったのですよ」
ラーズはゆであがった顔を暑い暑いと手拭いでふいた。