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4 新米教師

「よくぞ、いらしてくださいました」

 私の通された神殿の応接室に息を切らして現れたのは、校長を名乗る小男だった。

 彼は定番の言葉を言うこともなく、ひれ伏さんばかりの勢いで握手を求めてきた。

「エレッタ殿。いや、先生。何とお呼びすればいいだろうか」


「あ、ただのエレッタとお呼びください。ポンセ殿?」


「こちらこそポンセと呼んでください。あるいはただの校長と」

 ぶんぶんと手を振られた。熱烈な歓迎? なんだか思っていた扱いとは違う。


「いやぁ、新学期が始まっても募集に応募する人がいなかったので、頭を抱えていたところでした。条件は良いはずなのですが、やはり土地柄でしょうか、敬遠されているみたいで。本当によくいらしてくださいました」

 そんなに感謝されるとは。ここまで歓迎されるとは思っていなかった。


「歓迎していただきありがとうございます。あの、でも……」


 ちょっと、不気味な歓迎っぷりだ。まるでその道の一人者を出迎えるような、そんな感じがする。

 私には教師としての経験はない。書類で分かると思うのだが、読み飛ばしているのだろうか。そこはちゃんと話しておかないと、そう思っていた。

 だが。


「いえいえ、そんなものは必要ないですよ。むしろないほうが好都合……いやいや、ここはちょっと特殊な土地でして……」

 校長は慌てて眼鏡を吹き始めた。

「ここがどんな場所だったか先生はご存じですよね」


「ええ。昔は、光術を持たない民が追放された土地だったのですよね。黒い民の黒い土地……流刑地として使われていた時代もありますよね」


「はい、まぁ、ここだけの話、呪われた土地だといわれていました。いわれています」

 この言い方は外ではダメですよ、と校長は付け足した。

「なので、熱心な信者たちはこの土地に足を踏み入れることすら嫌がるのですよね。先生は……大丈夫そうですね」


 こそこそとささやかれる。私のことを異端者扱いしている?まさか……


「もちろん、私も星の神殿に対する信仰を忘れたことはありません。でも、ここが今ではそんな場所ではなくなっていることは承知しております」


 さし障りのない言葉で自分が敬虔な信徒であることを表明しておく。熱心かといわれればためらいがあるけれど、ちゃんと行事には神殿に通っていた。お祈りは……まぁ、月一くらいは。寄付もちゃんとしていたし。

 私の内心の葛藤は表には出なかったみたいだ。校長は露骨にほっとする。


「いや、先生が理解のある方でよかったです。まさかですが、学校で神の教えを説きたいという熱心な信仰を持っておられる、なんてことは」


「それは、神官様のお仕事なのでは?」奇妙な問いかけだ。首をひねる。「私は残念ながら平信徒です。神官としての勉強はなにも……」


「いやいや、いいんです、そちらのほうが。ええ」

 校長は暑い暑いと手で顔を仰ぐ。

「それでですね。そういった歴史的経緯がありまして、この土地の民はおおむね等級が低いのです。内地とは少し違った基準ですが、まぁ、ね」


「実はわたしも等級はあまり高くないのです。光術も……苦手です。すでにご存じのこととは思いますが」

 本当は貴族としての高度な光術を披露するべきなのだろう。でも、私は名のみの貴族。残念ながら、等級は平民と変わらない。恥を忍んでここは正直に話すことにする。


「いやいや、ここの連中は先生とは比べ物にならないほど低いのですよ。それでですね」

 言いにくいことを話すように校長がもごもごといいよどんだ。

「実は……その、授業も光術を使った装置を使うことができないんです。あー」


「それは、いったいどうやって。まさか」

「紙と、鉛筆です」

「ああ」


 ラーズの事務所に散乱していた紙の束を思い出した。光術が使えないのなら、光版も使えない。


「ああ、光術はですね。()()()()使えるんです。神殿の中なら、神殿の部屋にお泊りのあいだは光版も使えます。そこそこ」ちいさく校長は語尾を付け足す。「ただ、その、学校の建物の中はなかなか光術が通じない……場所が多くて、ですね」


「すべて、紙に書くということですか?」


「あー、黒板というものをご覧になったことは? 古い映像作品か何かで……」


「お習字の時間に、先生が使われていた、あれですね。存じております。でも……わたし、お習字は苦手だったんです」


「お? 習字を知っている?」


「田舎の出でしたので」

 まだ古い習慣が残っていた田舎の風習を私は恥ずかしく思う。


「いやいや、それは素晴らしいです。いやね、前に応募された方の中には習字を知らない方もおられて。もう、町生まれの方は文字を書くことができないのですよ」


 そうだろう。私の田舎でさえ、習字は3世代くらい前の風習とされていた。学校の友達は誰一人としてこの古めかしい習慣を引き継いでいる人はいなかった。


「まさに、ここで教えられるのに最適な方だ。先生は」

 褒められているのか、けなされているのか。校長は逃すまいとするように私の手をつかんだ。振り払うわけにもいかず、私は困惑する。


「しかし、その文字でやる授業というのは、いったいどのようなものなのでしょう。ほかの方はどのように授業をされているのでしょうか。授業を、見学させていただけませんか?」

 不安になった私が聞いてみると、校長は手をぱっと離すと椅子に座り込んだ。


「それがですね。明日の一番から入っていただだきたい授業がありまして」


「明日、一番ですか?」


 校長がうなずく。

 いきなり、明日から?

 無理だ。そんなこと、絶対に無理。


「新学期からの授業ではないのですか?まだ、日があるかと思って」


「……実はこちらの学期は途中でして」


「え?」


「……半年ばかり学期がずれているのです。辺境では……」


 私は固まった。私が卒業したばかりだったから、てっきりこちらも学年の切り替わる時期だと思っていた。確か、帝国では学年をそろえるために季節もそろえていたはず……


「……ご存じなかった?」

 私はこくこくとうなずく。


「じ、自己紹介だけでいいんです。後は子供たちに、自習させても……明日のクラスは比較的大きな子供たちのクラスです。ただの、帝国史の概略の授業で。帝国の成り立ちとか、そのあたりをざっくりと……ああ、昔の授業の映像もあります。去年の先生の授業計画書も……大丈夫です。先生。あなたならできる」

 再び手を握られて、力いっぱい上下に振られた。


 ちょっと待って。

 先輩の先生方の授業を見せてもらおうと思っていた。私にあるのは知識だけで、実際に人に教えたことはないのだけれど。まずは、少人数から。それから、多くの人数に。


 なぜ、私はこの仕事は楽だと思ったのだろう。


「ほら見てください。これです」

 校長は自分の光板を立ち上げた。どんなひどい状態なのだろうか。私は恐る恐る映像をのぞき込む。ひどく荒い映像だった。時々、大きくゆがみが現れる。

「ここは、光術が聞きにくい場所なのですよ。軍の使う装置を使ってもこれが精いっぱいの絵でして……」

 校長が弁解する。


 先生らしい一人の男が巨大な光板の前に立っていた。それが、光板ではなくただの板であることに気が付いたのは男が文字をその板に書き始めてからだった。

 その板に書かれた文字を生徒たちが帳面に写していく。


「あのぉ」


「何でしょうか。先生」


「この人たち、生徒なのですか?」

 私は教室の後ろのほうに座る人をさした。

 椅子からはみ出して窮屈そうにしている人たちはどう見ても大人だ。


「……はい。生徒です……ちょっと大きいですけどね」


 ありえない。どう見ても、大人だ。


「…この辺りには黒い民が多いのですよ。特に、黒の町には昔から黒い民が集まっている地区がありまして……まぁ、いろいろな問題の巣窟になっていました。魔人戦争のあと、この町の立て直しをするというときに、問題のある人たちにも知識を与えようという話になったのですよ……『学びなおし』とかなんとかで成人も学校に通える特例ができたのです。それで……」


「それで、大人も教室にいるわけですね」


「もっとも、先生の担当する教室にはここ数年大人はいません。今年度も今のところ申し込みはありません。ご安心を」


 ご安心といわれても。心は休まらなかった。映像の中では、教師が粛々と授業を続けていた。話を聞いているとは思えない生徒たちを前にして。


「あの、それで、私は何を教えればいいのですか?」


 地理や歴史の基礎知識という条件だった。だが、この状況ではそのような話を喜んで聞いてくれるとは思えない。


「そうですね」

 校長は後ろの棚から何冊もの本を持ってきた。

「たとえば、これとか、これとか……」


「……光版ではないのですね」


「だから、使えない子供も多いので……」


 目の前に積みあがっていく本が怖い。一冊を手に取って中身を確かめてみた。内容は子供向け帝国史だった。


「ああ、これです、これ。前の教師が使っていた授業計画書も残っていますよ」

 紙の束も渡された。


「あの、わたしは光板が使えるのですけれど」

 校長は本を積み上げる手を止めて、残念そうに私を見つめた。


「ここでは光板が使いにくいのですよ。神殿の中はおおむね大丈夫ですが、学校では光板が止まることもしばしば、でして。その、魔人除けが施されているので」


「魔人除けで、光板が使えなくなるのですか?」

 お守りごときで、光板が止まる? 思わず聞き返す。


「ここの魔人除けは強力なのです。前の魔人戦争のときに大変な目にあいましたからね、新しくできた建物という建物に魔人除けが施されています。普段は作動しないようにしてあるのですが、まぁ、誤作動もよく起こるようで……」

 このくらいでしょうか、と校長は資料を積み上げるのをやめた。

「ほかにも必要なものがありますか? お部屋に運ばせましょう」


 これだけの本を資料館以外でみることになるとは。

 とんでもないところに来たのかもしれない。そんな思いが押し寄せてくる。


「今日は神殿にとまれるよう手配しましょう。明日以降ですが、どのような家がご希望ですか? 召使は何人連れてこられたのでしょう」


「……わたし、一人でこちらに参りましたの。こちらで賄い付きと伺っていたので。寮があるものと思っていました。召使は、必要でしょうか?」


「……」

 私たちはしばらく顔を見合わせる。


「あー、何か誤解があったようですね。ここの先生方の大半は外から通っておられます。あ、もちろん、家賃は学校が補助します」


 話が違う……神殿の寮があると書いてあった。


「神殿で、生活ができると……」


「も、もちろん。神殿から通っておられる先生も、いないことはなかったですね。ただ、神殿というところはいろいろ規則の厳しいところなので。神官たちと同じ生活を続けるというのは……」


 神殿住まいの神官たちの生活は質素でつつましいと決まっている。たしか、就寝時間も厳格に決められていると聞いた。私は目の前に積まれた本の山を見た。これに目を通すためには徹夜しなければいけないだろうか。


「召使はいたほうがいいと思います。やはり一人暮らしの女性は不用心ですから……しかし、エレッタ先生、どういう手段でここに来られたのでしょう」


 エレッタはラーズ商会の車に乗ってきたのだと、説明した。それを聞いて、校長は複雑な表情を浮かべる。


「それは良かった、というべきでしょうか。何事もなく、安全に、送ってもらった? それは、それは……」校長はしばらく考え込む。「あそこは人の紹介もしてくれるはず。会長は癖はありますが、信頼のおける男です。今まで何事もなかったのなら、まぁ、大丈夫でしょう」

 含みのある言い方だ。

「と、とにかく、それはまた後にしましょう。いかがでしょう。顔合わせもかねて、一度生徒たちを指導してみられては?」


「そうですね。紹介だけなら……」


 うまく丸め込まれたような気がする。本当に大丈夫なのだろうか。


 私は案内された部屋で、以前の教師が残した資料と格闘していた。光術の恩恵を受けた部屋にもかかわらず、床は紙だらけだ。

 光版の映像も繰り返してみた。どうやら、何かの宣伝に使うための映像だったようで肝心のところが写されていない。本当になんとかなるのだろうか。


 お習字の教室だと思えばいい。そう、お習字だ。私は頭を切り替えた。


 明日は自己紹介だけでいいといわれた。生徒たちは、読み書きはできる学力はあるという。とりあえず、帝国の公式な歴史を記したといわれている本をもとに授業をしよう。最悪、難しい単語の書き取りをしてもらうとして……


 そこまで思い切るまでにずいぶん時間をかけてしまった。

 あっという間に朝が来た。仮眠をとったが、寝た気がしない。鏡を見て、自分でもひどい顔だと思った。


 神殿の食堂に案内してくれた神官に心配されたほどだ。

 神殿の食事は質素だった。でも、食事も食べられないほど緊張している私には薄いスープくらいがちょうどいい。


 授業に備えて、髪を上げてかかとの高い靴を履く。少しは大人に見えるだろうか。


 学校は神殿の隣の建物だった。もとは軍の学校があったところらしい。今では一般に開かれて、子供から大人まで様々な年齢の人が通っているという。新兵らしき若い兵たちが訓練している横を通って、いやに騒がしい棟に案内される。


「ここですか?」

「ここです」


 教室の外にまで中での大騒ぎが聞こえている。


 いやだ。今からでも帰りたい。反射的にそう思った。

 でも、行くしかない。ここでやると決めたから、やる……

 深呼吸して扉を開けた。


 目の前を何かが落ちていった。

 扉の隙間に何かが挟んであったのだ。


 私はその、何かわからないものを拾い上げる。

 なんだろう? これは。


 一瞬、教室が静まり返ってまた再び沸き立った。


「ちぇ」「ダメじゃん」「ばーか、ばーか」

 私が教室に入ると、また、少し騒ぎが収まった。


「おい、おまえ、遅刻だぞ」

 私と似た背の高さの子供が威圧するように前に立ちふさがった。

「おまえ、新入生か? 見ない顔だな」


「席に着きなさい」少年に命令する。「授業中でしょ」


「何を……おまえ、偉そうに……」

 私は少年を押しのけるようにして教壇に立った……前が見えにくい。

 仕方なく、そばにあった何かの箱を引き寄せて、その上に立つ。


「みなさん、お静かに」


「なんだ? お前」

 権威的な振る舞いに子供たちはざわめく。

「静かに、席についてください」


「だから、なんだっていうんだよぉ。生意気だぞ」

 先ほどの少年が私を引きずり降ろそうとした。


「私の名前はエレッタ・エル・カーセ。新しくここで教えることになった教師です、君の名前は?」


 少年は驚いたように私を見て、しばらく上から下までみて、つぶやいた。


「うわぁ、小さい」


 私の中で、何かが切れた。


「だ・か・ら、わたしは大人なんです。いいから、席について」


 授業計画などくそくらえ。私は後ろにある黒板に向き直ると、チョークとかいう筆記用具で自分の名前を大書した。


「私の名前はエレッタ・エル・カーセといいます。ここでは、帝国の歴史と地理を受け持つ予定です。今日は初めの授業ということで自己紹介をします。そこの」

 私は右端前で足を机の上にあげている少年をさした。

「前から自分の名前と年、住んでいるところを教えてください」



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