23 終わり良ければすべて良し
ねえさん、起きて……
小さな弟が耳元で叫んでいた。せっかく、ゆっくり寝ていたのに、
こんなに朝早く起こすなんて……
私は固い床の上で寝返りを打つ。
固い床?
私は目を開けた。目の前にうつるのは冷たい床と棒だ。それも何本も並んで見える。それに、靴。
ねえさん、お……
「うるさいわよ、ザーレ」私は飛び起きて、「何? これ……」
目の前の棒は鉄格子だった。立ち上がろうとして、頭を打つ。
「痛い……これ、なに?」
「うるさい、騒ぐな」
心配する弟と私に叱責が飛ぶ。
「なによ、ここはどこ?」
「犬小屋の中だよ。犬小屋」
「……いくら小さいといっても、私は犬じゃないわよ」
そこは薄暗い部屋だった。私の隣に同じような鉄格子が見え、その中からザーレが心配そうにこちらをうかがっている。
「よかった、姉さんの頭が無事で……」
「失礼な」私はいつでも正常だ。
私は部屋の様子を見回した。ぼんやりとした明かりの中に浮かび上がる木の椅子と机。後ろに樽が積んであるところを見ると酒蔵か何かだろうか。
そしてその周りに座る男たち。ほとんどが知らない顔だったけれど、一人だけ知った顔がいた。ミーシャだ。
「ザーレ、これはどういうことなの? なぜ、私たちが犬小屋……檻の中にいるの?」
ミーシャに直接質問するのはためらわれたので、私はザーレに聞く。
「僕だって、よくわからないんだ。彼らは姉さんを光術で攻撃して、僕が抗議したら、ここに閉じ込められてしまったんだ」
私の最後の記憶とずいぶん乖離がある。たしか、ラーズさんが……彼はどうしたのだろう。
「そうよ、爆弾はどうなったのよ。あの爆弾……花火は……」
私はザーレに聞いた。
「あれは……」弟の声が沈む。
「爆弾、あれは失敗だった」
ミーシャが低い声で割り込んできた。彼はまだ夜会服を着たままだった。薄汚れてよれよれになっている。
そして、彼の印象もまた変わっていた。舞踏会のときは紳士の中の紳士に見えたのに、今は外でたむろっている怖い用心棒みたいだ。
「誰かがあれをすり替えたんだ。爆弾から、花火へ。派手にはじける予定だった。あいつらを始末できたのに」
「爆弾から、花火って……あれ、貴方たちがやったの?」
私の頭は話が付いていけなかった。
「貴方たちが、ザーレのいっていた分離派?」
おかしい。分離派はフラウちゃんファンクラブの別名だったはずだ。私の理解がどこかで間違っていたのだろうか?
「違う。あのゴミとわたしたちを一緒にするとは」
あら? 私、なにか変なことをいったかしら?
部屋にいた男たちが怖い。視線を感じて背が寒くなった。
これは殺気というものかしら? なぜ、何を間違ったのかしら。
「じゃ、なんで?」
ザーレ、と問いかけようとして下を向いてこちらを見ないザーレに気が付いた。なにか、やましいことをした時にいつも弟が見せていた仕草だ。
「ザーレ、どういうこと? 説明しなさい」
私は小さいときにしていたように弟に命令した。昔からの習慣、それにしがみつかないとおかしくなってしまいそうだ。
「姉さん、ごめんなさい」
それは弟も同じだった。いつものように謝ってくる。
「違ったんだ。間違ってた」
「どんなふうに?」
「僕は間違ってた。分離派が爆弾を仕掛けたんじゃないんだ。その、彼らが……」
私は弟の視線をたどる。
ギラギラとこちらをにらんでいる男たちの視線に私は慌てて目をそらす。
頭のおかしい人に触るべからず。爆弾騒ぎを起こしたのはこの人たち、なのね。
「でも、なんで、そんなことを」
「お前の恋人のせいだ」
答えを期待していなかったのに、返事が返ってきた。
「恋人?」
私は目をぱちくりさせる。なぜ、そんなところに話が飛ぶの?
「私は誰ともお付き合いしていませんわよ」
「そうだろうな、そういう建前になっているのだろうな」
ミーシャは手元の光板を開いて映像を見せた。私がザーレに送った一枚だ。
「この忌々しい呪われた男、おまえの恋人だろう?」
どうして私の想いがばれたの? わたしは慌てた。誰にも話していないはずなのに。心を読む魔法なんてあったかしらん。
そして思いなおす。
いえ、違うわ。ラーズさんは、まだ、私の恋人じゃないわ。
あの人、私には声もかけてくれないのだもの。
「だから、私には恋人はいません」
「そうだろうな。認めるわけにはいかない。相手は仮にも神職、たとえそれが僭称者であっても、だ」
センショウシャ……私の頭で単語を理解できなかった。
戦争、者、屋?かしら?
そんな言葉はあった?
「それは、彼は確かに兵士だったけれど、戦争屋なんてひどい言い方。仮にも、辺境の地を守るために偉大なるお方たちとともに戦った人を……」
「ともに、戦う? あれが? “杖”を僭称し辺境神殿を牛耳ろうとしている異端者が?」
え? “杖”? 神殿を牛耳る? ラーズさんは神殿に近寄りもしていない。
「あの人は神殿とは関係ないわ。ただの魔道具を売る商人でしょう?」
「ああ、くず共に魔道具を売らせて、私腹を肥やして……」
「商人がモノを売って何が悪いの?」
「神官を名乗りながら商売をするとは……」
「だから、神官なんかじゃないわ。商会の会長でしょ」
「え?」
「え?」
ミーシャはまじまじとわたしの顔を見て、それから光板に浮かんだ映像を見直す。
「ひょっとして」
沈黙が訪れた。
「ええ? こっち? こっちのおじさんのほう? これが恋人?」
声を裏返らせたのはザーレだ。
「だから、恋人じゃないと何度言ったら……」
「……趣味が悪い」
誰ともなくぼそりとつぶやかれた感想に私はかっとした。
「は? どこが悪いのよ。ラーズさんはとても親切で、私のことを大切にしてくれるの。お仕事もできて、一財産も作っているわ。ただのピカピカしているだけのボンボンとは格が違うわ」
一呼吸おいて賛同を求めようと周りを見回したけれど、誰一人としてうなずいてくれる人はいない。
「た、確かに、年上だけど、魔力は多くないけれど、どこぞの人をだまして利益を得ようとする腹黒よりましよ」
私がミーシャをさすと、彼はとても驚いたように目を見開いた。
なに? この人、自分が善人だとでも思っていたのかしら。爆弾魔のくせに。
それとも、女性にもてると思っていた? ただ、金色の髪をして、体をピカピカ光らせたくらいで女の子が寄ってくるとでも。
「姉さん……」
「とにかく、あの人は……」
なにかが肩にとまった。
その柔らかい感触に私ははっとした。羽ウサギだ。かわいい私のペット。爆弾花火のせいで行方不明になってしまったと思っていたのに。
「いい子。私についてきたの?」
小さな味方だけれど勇気が湧いてきた。
「なんだ? その生き物は?」
目を見張ったのはミーシャたちだ。
「私のペットよ。家で飼っているの」
「そ、それは」
「魔獣!」
「どうして、そんな不浄のものがここに……」
「ちょっと、こんなにかわいい生き物を……」
そう言いかけて私は気が付く。彼らの反応は先ほどのザーレにそっくり。
「あんたたちなのね。ザーレにあることないこと吹き込んだのは」
おかしいと思うべきだった。いままで、辺境に興味のかけらもなかった弟が一目でこの子のことを魔獣だとわかるはずがない。
「貴方たち、弟に何を吹き込んだのよ。辺境でお姉さんが変な男に誘惑されている、とか何とかいったの?」
「だって、姉さん、楽しそうに話すから。その、そわそわと……まるで『辺境の騎士』の話をした時みたいに……」
弟がもごもごと言い訳をする。
「私はそんなに浮かれていないわよ」
隠しておきたかった過去を暴かれて私は即座に全否定した。
「そんなことより、貴方たち、弟を利用したわね。この人でなし」
「我々は姉を助けてほしいというザーレ君の願いを聞いただけだよ。この呪われた地を浄化するためには多少の犠牲は必要なんだ」
「爆弾で舞踏会会場を壊すのが、多少の犠牲、なの?」
当たり前のようにうなずかれた。
これは駄目だ。
私は建設的な会話をあきらめた。別の生き物を相手にしているみたい。
クリフ先生よりもガチガチの頭をしている。
まさか、ザーレも? ぞっとした。
「ザーレ、まさかあなたもそんなことを考えていたんじゃないでしょうね。私を吹き飛ばすことが、多少の犠牲、とか」
私は弟に低くささやいた。
「ち、違うよ。姉さん。僕は爆弾のことなんか知らなかったんだ。
彼らがいうには、分離派が騒ぎを起こそうとしている。そこから早く姉さんを救い出さないと、それこそとりかえしのつかないことになるから、って。
婚約の話だって本当だったんだよ。ちゃんと、父上や母上の許可もとったんだ。いまごろ、二人とも結婚式の準備をしているはずだよ。招待状だって……」
「け、結婚の準備って! 私、あれほど結婚はしないといっていたのに……なんで止めないの?」
「……僕に止められると思う?」
うきうきと招待状を書いている両親の姿が浮かんだ。
騙されやすいのは一族の欠点かもしれない。
再び婚約破棄、ではなく今回は結婚詐欺かしら、されたと知った時の親のことを考えると頭が痛い。
私は怒りの矛先を頭のおかしい男たちに向けることにした。
「騒ぎを起こすのなら、貴方たちだけでやればよかったじゃない。なんで、ザーレを引き込んだの?」
「……親族が、辺境にいると砦にとどまる許可が下りやすいんだよ」
ザーレがもごもごと解説した。
「だから、姉さんが辺境にいたから……」
ミーシャは肩をすくめた。
「辺境への渡航は、意外に難しくてね。よそ者はすぐに目を付けられる。だが、縁者がいるというとお目こぼしを受けられる」
「あきれた。なんだかんだといって利用されてるんじゃない」
本当に馬鹿な弟。私は弟に腹を立てた。
私の怒りに同調したのか両肩にとまった羽ウサギたちがシャーっと男たちを威嚇した。
?
両肩?
いつの間に増えたのかしら。
「でも、心配だったんだよ。こんな場所で、たった一人で、それに……変な男に引っかかったのかと……」
「違う男だったみたいだがね」
ミーシャがため息をつく。
「それも、なんでこんな年上の変態に……」
「変態?」弟が聞き返す。
「変態に決まっているだろう。小さな少女を好む男など、変態中の変態……」
「変態? 変態で結構よ。彼は貴方たちの何倍もいい人よ。カッコよくて、頼れる男性なの」
私は怒鳴り返した。
「いい男……本当に、本当にそう思っているのか」
震える声がどこからか聞こえた。
「ええ? とにかく、か弱い乙女をこんなところに閉じ込めた貴方たちより、何百倍もいい漢だと……」
男たちの後ろに積まれた樽が爆発した。少なくとも私にはそう見えた。
「エレッタさん!!!!」
埃が視界を閉ざした。わたしがせき込んでいると、誰かが檻の前に立って、降りの鉄格子を捻じ曲げた。
「あ?」
大きなたくましい手が私をそっと抱き上げ、そのまま運ばれていく。
見上げると、いつものラーズさんのひげとまっすぐに前を向いた顔。
来てくれたの? 助けに……
私は夢中で彼に抱き着いた。
心の底からほっとした。
変態でもなんでもいい。彼はわたしを守ってくれる。いつでもどこでも。
私は目を閉じて、太い腕にしがみつく。
「エレッタ。どこか……怪我をしていませんか?」
そっと椅子のようなところにおろされた。わたしは固く閉じた目を開ける。
明るい光が目をさす。
それに気が付いたのか、ラーズ会長の大きな体が日の光を遮った。
「ええ。私は、けがはないわ」
「よかった。あいつらにひどいことをされていないかと心配で……」
ラーズ会長は今にも泣きそうな表情を浮かべている。その肩にふわりと降りてきたのは羽ウサギだ。
「うさぎちゃん……」
「この子たちが道を教えてくれた」
ラーズ会長は優しくウサギをつかんで私の手に置いた。
「恩人だな」
恩獣ね。柔らかい羽をなでると、緊張していた体がほぐれていく。
「……ありがとう」
「え?」
「助けに来てくれた。こ、怖かったの。私は……」
安心したためだろう。涙が出てきた。本当に、怖かったの。
ラーズ会長は何も言わずに私の背をなでてくれる。手の中の羽ウサギは柔らかく、私を包む大きな体は暖かい。
しばらくして、私はようやく落ち着きを取り戻した。
「そう、そういえば、弟は?ザーレは?」
同じように檻の中に閉じ込められていた弟はどうなっただろう。
「弟、さんですか? それは……」
「エレッタ先生!」
見知った神官の声が焦った声が聞こえる。
「お怪我は? ああ。ちょっとどいてください」
ラーズ会長を押しのけるようにして神官が私の前に現れる。
「ああ。良かった。先生がご無事で……」
「うん。本当によかったよ」
のんびりとした声が聞こえた。アークがいつものようにニコニコと笑いながら、私に向かって手を振っている。
「いやぁ、先生が誘拐されたと聞いた時には、どうなることかと……」
ラーズ会長が動いた。
こぶしを握りしめた彼は、無言でアークを殴りつける。
私は息をのんだ。
「ラーズさん」
慌てたのは神官もだ。呆然とする私と神官の目の前で、ラーズ会長は倒れたアークの襟首をつかんで引きずり起こす。
「やめて」
私の叫びにラーズ会長は振り返った。
「……こいつはわかっていて、エレッタさんを巻き込んだんだ。いつも、そうだ。アーク、てめえ……」
「……曹長の鉄拳制裁、久しぶりだなぁ」
殴られてもアークはへらへらと笑う。
「エレッタさんを巻き込むつもりは全然なかったんだよ。これ、本当だから……ほんと……」
ラーズ会長はうなり声をあげて、こぶしを再び振り上げる。
「暴力反対……うわぁ」
「ごめんなさいね。エレッタさん」
穏やかなそれでいて凛とした声に私は目を上げた。
目の前に、私と同じような年恰好の少女が立っていた。
辺境軍の制服を着た灰色の髪の少女、遠目でしか見たことがなかったがすぐにわかる。
フランカ・レオン総督、この辺境の砦をすべる女性だ。
「フランカ様」
私は慌てて、頭を下げた。
「ああ、いいのよ。そんなに改まらなくて」
辺境のアイドルは慌てたように手を振った。
「頭を下げないといけないのはこちらのほう。ごめんなさいね。巻き込んでしまって……怖かったでしょう。ほんとうにごめんなさい」
灰色の瞳がうやうやしく伏せられる。
「いえいえ、そんな……」
身分の高い方に、本来なら声をかけることも許されなかった相手に、ここまで丁寧な礼を取られて、わたしのほうこそ恐縮する。それよりも……
「あ、あの、あれは、いいんですか?」
後ろでぎゃあぎゃあ叫んでいるアークと蹴りを入れているラーズ会長を恐る恐るさした。フランカ総督はちらりと二人を見てため息をつく。
「いいのよ。少しは反省してもらわないといけないから。曹長もちゃんと手加減しているし……そうよね、ドライツェン」
総督の後ろにはものすごく冷たい表情を浮かべたドライツェン神官が控えていた。
「私は、“杖”の命じるままに動くだけですから」
彼は全く感情をのせない声で返答する。
「ひどいよ、フラウ。親父にも殴られたことがないのに……」
そこへ、ボロボロにされたアークが倒れこんできた。
「自業自得よ。アーク。また、勝手なことをして」
フラウの声は冷たかったが、けがを検める手は優しい。
「あいつらに狙われたのは僕だよ。フラウ。僕は被害者なんだ」アークは必死で訴える。「あいつらが僕を吹き飛ばそうとするから、だから……」
「だからって、わざわざ挑発するような真似はしなくてもよかったでしょ。そっと捕縛すればよかったのに、わざわざ花火を爆弾にすり替えるような真似をして。なんで、アークを止めなかったの?」
これはドライツェン神官に向けられた言葉だ。
「……貴族籍を持ったものが混じっていました。それに、神職も。確実に証拠を押さえてから現行犯で捕まえるのが一番だと、彼が……“杖”の命令は絶対ですから」
まるで感情を感じさせない声でドライツェンが応える。
「ついでに僕が吹き飛ばされることを期待していたんだよ。彼……これだから、神官は怖い。いや、痛い、痛い、曹長、やめて」
再び襲い掛かる太いラーズの腕を外そうとしながら、アークが茶々を入れる。
フラウ提督はため息をつく。
「とにかく、そのせいで、エレッタ先生は怖い思いをされたのよ。わかっているの」
「本当にエレッタさんを巻き込むつもりはなかったんだ。ただね、彼女と曹長との仲を取り持って、みんな幸せになれば……悪かったよ。ごめんなさい」
ラーズ会長の表情を見て、アークはわたしに謝る。
「アークさん……貴方、“杖”って」
「ああ。まぁ、一応そういうことになってる。辺境限定の称号に過ぎないんだけどね。鬼っ子といったでしょう。その、ねぇ。まぁ、仕方なく」
彼はドライツェンに同意を求める。ドライツェン神官は冷たくそれを無視した。
……この、平凡な顔をした、使えない部下一号が“杖”?
ああ。わたしの思い描いていた“杖”と“騎士”の物語は何だったのだろう。美形同士の切ない絡みは……ずっとあこがれていた物語が、現実によって浸食されていく。
わたしの浪漫が、あこがれが……
「エレッタさん」
声をかけられて、私は我に返る。
ようやく気が済んだのだろうか、ラーズ会長の表情は和らいでいた。
「あ、あの、俺は……別に」
ああ、そうだ。わたしはそっと手を伸ばして、彼の大きな腕に触れた。
以前の私の憧れは消えてしまったけれど、ここに新しい憧れがある。
以前の自分だったら思いもしなかった相手だけれど、認めよう。私はこの変態男にときめいている。
「ねぇ、まだお祭り、続いているのよね」
私の言葉にラーズ会長の表情が揺れる。
「昨日行くことができなかったでしょう。広場に。連れて行ってくださらない? 花の門を見に行きたいの」
ラーズの戸惑ったような笑いが本物の笑いに代わる。
「わかった。わかりました、先生」
彼はうやうやしく私の手を取った。まるで、お姫様を相手にするように。
確かに私は小さくて、彼はちょっぴり困った性癖の持ち主だけれど。
この土地には似合っているのかもしれない。




