19 崇拝者
少し気分が暗いまま、それでも私はユイ先生に勧められた衣装を着て祭りの日を迎えた。
衣装は十分派手だと思っていたのに、“母ちゃん”は地味だといって自分の装飾品を貸してくれた。ごちゃごちゃしているけれど、派手な色彩の祭りの服にはよく合っていた。
「エレッタ先生、お迎えに来ました……」
いつもよりもさっぱりとした格好で私の家にやってきたラーズ会長はポカリと口を開けて私を見た。
「やはり、変でしたか?」
「いや、いや……かわいい……」
え? かわいい? 思わず漏れた会長の言葉に私は戸惑った。
「か、かわいいというのは、変だっただろうか? あー、言葉が見つからないのだけれど」
会長は真っ赤になって、言葉を並べた。
「えっと、派手かなって。私、今までこんな服を着たことがなくて」
「いや、いい。すごく、いい。よく、似合っている。その首飾りは……あー」
「あ、これですか。実は母ちゃんに貸してもらって」
それを聞いたラーズ会長はあからさまにほっとした表情を浮かべる。
「い、いや、それはよかった。母ちゃんなら、いい」
彼は後ろに手を回したまま、もじもじとしている。
「あの、あのだな。これ……」
彼はいきなり私の目の前に箱を差し出した。
「これ?」
「開けてみてくれ。その、きにいってくれるといい」
私は過剰にリボンの架けられた箱を開けた。箱の中からきらきらと光る石でできた首飾りが現れた。
「まぁ、これ……きれい」
光の粒でできている首飾りかと一瞬思った。よく見ると、全然違う石だった。大きな光の粒だろうか? それとも、もっと違う何か?
「そんな危険なもんじゃねぇ」慌ててラーズは打ち消した。
「遺跡で出てきた宝飾品だ。古代人たちが使っていた宝飾品だよ。身に着けても害がない、安全なものだ。ど、どうかな?」
「ええ。素敵」
光にかざすと首飾りは七色の光を発した。
私は母ちゃんの首飾りに新しいのを重ねる。
残念。ごてごてした母ちゃんの首飾りに邪魔されて、繊細な細工が目立たない。
「これ、夜会服に合いそうですね」
私はため息をついて、首飾りを箱に入れた。
「今日の服では、ちょっと……」
「そうだな、そうだね」ラーズ会長はがっかりした。「そういう服を着るとわかっていたらもっと違うものを持ってきたのに」
「これ、とてもすてきだと思います。いつもの私の服なら、よく合うかなって。こ、今度、また、舞踏会に行くときとか、そういうときに……」
そんな機会はないと思いつつも、あまりにラーズ会長が落ち込んでいるので私は思ってもいない約束をしてしまった。
「そ、そうか。なら、受け取ってくれるか?」
「え、ええ。ありがとうございます。本当にこんな高価なものをいいのですか?」
ラーズ会長の熱に押されて私は贈り物を受け取ってしまった。
「いや、いいんだ。魔道具でもない、ただの宝飾品だから」
ただの、というのは嘘だと思いつつ、私は微笑みを返した。宝飾品の審美眼にかける私でも断言できる。この首飾りは恐ろしく高いものだ。下手したら、一族の持つ裏山一つ買えるくらいの値打ちものだ。
「あ、そういえば、ラーズさんにも贈り物があるんですよ」
私はラーズを家に招き入れる。
「本当はちゃんと箱に入れればよかったのだけど」
口笛を吹くと、羽ウサギがとんできた。
「はい、これ」
私は後から遅れてきたほうの耳をつかんで、ラーズに差し出す。
「え? これは……」ラーズは驚いて、目を丸くした。
「これ、贈り物です。ラーズさん、こういうもの、好きなんでしょ」
ラーズ会長への贈り物を何にしようか、悩んだ。彼の性癖はどうであれ、この町に来てからお世話になりっぱなしだった。
洋服や装飾品で喜ぶような人ではない。“母ちゃん”からはフラウちゃんファングッズを勧められたが、あらかたのものはすでに持っているに違いない。10年近くファンクラブ会長を続けているという話だったから。
それで思いついたのが、前に彼が欲しがっていた羽ウサギだった。
「ジーナさんに頼んで獲ってきてもらいました。かわいいでしょ。うちの子ととても仲がいいんですよ」
「な、なんて……かわいい」
ラーズは顔を崩すまいと必死だった。その様子がおかしくて私は笑う。
「本当にいいのか?」
「ええ、もちろん」
私は自分の羽ウサギを肩に乗せた。
「ほら、こうやって肩に乗せたら……あららら」
ラーズに差し出した羽ウサギは当たり前のように私の肩に飛び乗った。
「違うわ。こっちじゃなくて、あちらに……」
私が捕まえようとした手をかわして、羽ウサギは背中に回る。
「ごめんなさいね、とってくださる?」
私が背中を向けると、ラーズが手を伸ばす気配がして羽ウサギの重みが消えた。
「ああ」
ウサギは小さな羽をばたつかせて、家の中に逃げ込んだ。それを私の羽ウサギも追っていく。
「ごめんなさい。すぐに連れてくるわね」
私は呼び出しの口笛を吹こうとした。
「いや、いい」ラーズが止めた。「あの二匹は仲がいいみたいだな」
「ええ。最初は互いに警戒していたみたいだけれど、今はすっかり仲良しよ」
二匹が並んでいるところといったら。私はかわいい羽ウサギたちのしぐさを思い出してほっこりした気分になる。
「雄と雌らしいの。まだ若いから、つがいにするのは早いとジーナさんは話していたけれど……あら? どうされたの?」
つがい、夫婦……ラーズ会長はごにょごにょとつぶやいている。
「い、いや。……そうか。あの子たちを、連れてくる? 今はいい。仲がいいのは結構、そう、結構だ。そ、それよりも、ど、どうかな。祭りに行こう」
焦りを隠すように、ラーズは腕を差し伸べる。
「そうね、行きましょう。でも、ちょっとだけ待ってね」
貴重品を無造作にそのあたりに置いておくわけにはいかない。
首飾りはカギのかかる机にしまい込んだ。ついでに羽ウサギが籠に戻っていることを確認する。この子たちがつがいになったら、赤ちゃんとか生まれるのかしら。今度ジーナさんに確認してみようと私は考える。
私はラーズ会長と祭りに繰り出した。
私の住んでいる上町もかなりの人出だったけれど、下町は驚きの混みようだった。どこからこれだけの人が湧いてきたのだろう。ラーズ会長が体を張って守ってくれなかったら、私はもみくちゃにされていたかもしれない。
「人が多いですね。こんなに、たくさんの人がいるなんて」
前にやってきた広場にも人がいっぱいだった。屋台の数も倍くらいに増えている。
「ああ。外から人が来ているんだよ」
「内地から、ですか?」
「それもあるが、増えたのは黒い民だな。戦士連中がこぞってこの祭りにきている。なぜって、王が凱旋式に参加しているから」
「え? 彼ら、森の中に住んで出てこないのではなかったですか?」
黒い民の王は帝国でいう司令官のようなものだと聞いたことがある。帝国と彼らは長年にわたってこの辺境の地を巡って戦ってきた。彼らと和平を結び、交流が生まれたのは魔人戦争のさなかだ。
「フラウちゃんが呼んだからな。フラウちゃんは彼らの“導き手”でもあるから、呼ばれたら必ずやってくるさ」
「“導き手”? そんな称号をここでは使うのですね。ということは、“杖”もいるのですか?」
まるで、小説の登場人物のように。
「一応な。その二つの役職は神殿の中では不可分、とか、だったかな」
「ええ。杖が道をさし、導き手が道を切り開く」私は聖なる書の一文を披露した。
「詳しいんだな」ラーズ会長の私の知識をほめてくれた。
「ええ。まぁ、少し。聖なる書を勉強するのも教師の役目なので」
小説の設定にあこがれて覚えた、なんていえるわけもない。
「意外でした。辺境の民と内地の神話は似ているのですね」
「ああ。あまり内地と変わらない。神官連中は黒い民の神話は異端の教えだというが、俺には違いがよくわからん。ただ、フラウちゃんの活躍は黒い民も認めるほどすごかった。そういうことだ」
ラーズ会長の言葉に熱がこもる。
「ラーズさんって、フランカ司令のことが大好きなんですね」
言葉にかすかに刺が入る。ちらりと見上げたラーズの顔はいつもと変わらず、心の暗闇に気が付いていないようだ。
「ここにいる住人はみんな、フラウちゃんのことを尊敬している。なにしろ、彼女は我ら辺境の民の“導き手”なんだからな」
ラーズの表情は明るく、どこか得意そうだった。そんなに信心深い人だったかしら。“導き手”などという古風な神殿で使われる言葉をラーズが使うと違和感がある。まさか、あの小説を読んでいるとか言わないわよね。
「彼女は我らの希望だ。エレッタさんも一度会えば、わかる。彼女は特別だ……」
我ら……俺ではなく。私の胸につかえていた何かが解けた。
そうか。
ラーズ会長の熱を帯びた言葉で私は悟った。これが分離派といわれた人たちの正体なのだ。
ただの熱烈なファン? この地を治める総督にこんな言い方は不敬かもしれないけれど、アイドル?
ジワリと安心感が広がる。あの完全無欠な美少女と争う必要はない。なにしろ、彼女はラーズの中では別格なのだ。そう、たとえるなら、神様のような。
神殿の中でも“導き手”の存在は伝説だ。聖なる書や歴史書にそういう役目を持った神職があると書かれている。
もし、現実にそういう人たちがいるとしたら、フラウ様は最適だろう。血筋、外見、能力。元星の妃の候補だったという才女だ。呪われた公女であることは差し引いても、伝説とうたわれるのにふさわしい。
私が小説の中の美男子にうっとりしていたように、ラーズ会長も”フラウちゃん”に魅せられているのだ。
「……そうだ。今度、一度フラウちゃんに会いに行こう。今度、集まりがあるから……」
「いえ、いいの」なんだか、気分がよくなってきた。
私は正体のわからない“フラウちゃん”ともう戦わなくてもいいのだ。彼は小さい子供の好きな変態だけれど、それでも……。
「ねぇ、あのお店は、なにかしら?」
広場にはいろいろな種類の店ができていた。見たこともない食料を売っている屋台、趣味の悪い小さな像ばかり売っているお店、何に使うかわからない魔道具ばかり並べた店もたくさんある。
「あ、それは噛みつくぞ」
鉢に入ったきれいな花を触ろうとしていた私は慌てて手を引っ込める。
「それは、黒い民が警備に使っている噛みつく植物だ。今は小さいがものすごく大きくなるぞ」
ええ? そんな植物があるなんて。買って帰ろうかと思っていたのに。
「それよりも、こちらなんてどうですか?」
森から来た黒い民なのだろうか。店主が愛想よく私に笑いかける。
「これ、よく売れているのですよ。……恋人をその気にさせる植物ですよ。お嬢様にはまだ早いでしょうか?」
店主はこそりと私の耳にささやいた。
「まぁ」
私はまじまじとその植物を見た。変わった香りがする植物だった。
「この独特の香りが、貴方の恋人を……」
「ダメだ。そんなもの。そんな危ないものを」
ささやきを拾ったのかラーズが店主をにらみつける。
「お父さんが心配することはありませんよ……いや、お兄さんでしたか?」
私とラーズの渋い表情を見て、慌てて店主は言い直した。
「いいのよ。お父様、行きましょう」
私はラーズの腕にしがみつく。
「お父さん?」
情けなさそうな声を上げるラーズを無理やり店から引き離した。今日の私はとても寛大だった。背の小さいことは全然気にならない。フラウちゃんが、ラーズの恋愛対象ではないとわかっただけで、こんなに気分が明るくなるなんて。
私はラーズが勝ってくれた甘い飲み物を片手に上機嫌だった。酸味があってとても飲みやすい。実はかなり度数の強い飲み物ではないかとだいぶ飲んでから気が付いた。
いいじゃない。酔いたい日もあるわよ。
とてもいい気分だった。こんなに機嫌よく酔えるなんて。
いくつかの店を冷かしたり、大道芸を見たり、楽しいことはたくさんあった。
「ねぇ、あれはなにかしら」
私は広場の真ん中の人だかりをさした。普段は馬車がたくさん止まっている正面広場の中央あたりに大きな焚火がたかれている。その周りを多くの人たちがぐるぐると踊りまわっている。
「ああ。あれはだね」
「ねぇ、面白そう。行ってみましょう」
私は大胆にもラーズの手を取って、踊りの輪に近づいた。男女が組になって踊るものらしい。同じような焚火はいくつもあって、どの周りにもたくさんの人が集っている。
この前、踊った辺境の踊りの変形だったので、私もすぐ庭に溶け込むことになった。老人から若者まで多種多様の人たちが楽しそうに踊っている。
「ねぇ、あの花のアーチは何かしら」
時々、踊りの輪から何組かが花で飾られた門の下に行って、キスをしていた。
「ああああ、あれはだな」
ラーズはそちらを見て明らかに動揺していた。
「あれは、その、あの下で、夫婦になることを誓い合うんだよ。つまり、その……新しい家族を生み出す契約をするというのか、なんというのか……」
しどろもどろのラーズをみて私は吹き出した。
「つまり、結婚する、ということなのかしら」
「い、いや、結婚、というのかなんというのか。黒い民は、内地の結婚はしないから、その……気に入ったというか、好きということの確認というか……」
彼は私をくるりと回した。
「ねぇ、ちょっと、行ってみない?」
私は酔っているのだ。にっこりとラーズに笑いかける。彼は私よりもずっと年上だけれど、今この瞬間は私のほうがお姉さんだ。
「えええええ?」
「ちょっと行ってみるだけよ。ねぇ」
私は固くなっているラーズの手を引っ張った。
「早く、早く……あ、ごめんなさい」
後ろ向きになっていると誰かにぶつかった。
「気を付けろ。危ないだろう」
振り返ると、淡く光る金髪が目に入った。ひょっとして内地の人?
「ご、ごめんなさい」
少し頭が冷静になった。こちらを冷たく見つめる青い瞳に私は後ずさる。
「君は……」
「え? 姉さん?」
金髪の後ろから聞きなれた声が響く。
「え? ザーレ? まさか」
先日まで映話で話していた弟が男の後ろからひょっこりと顔をのぞかせた。




