17 病
そのあとの修学旅行は何事もなく終わった。
いたずら小僧どもはたっぷりと絞られた。そして、大人たちは以前にもまして子供たちを監視していた。過剰と思える警備だったけれど、だれも文句を言わなかった。
「先生、ごめんなさい」
三バカ、いや、三人の子供たちは私の前で謝った。後ろでギラギラと目を光らせた怖いおじさんたちがよほど怖かったのか、半分泣いていた。
「いいのよ。あなたたちが無事でよかったわ」
私は、私の犯した失態を追及されなければ何でも許す気分だった。結局、私がしたことといえば、無理やり探索に加わって、宙づりになるという失態を犯したくらいだ。ラーズ会長にお姫様抱っこされたことは……みんなの記憶を消して回りたい。
「よかったな。先生が寛大な方で」
ラーズ会長が恐ろしく怖い顔をして、ティカたちをにらんでいた。
「だが、先生が許したからといってほかの大人が許すと思ったら大間違いだぞ。親にはちゃんと説明するからな」
子供たちは、特にティカは真っ青になっていた。母ちゃんにこの顛末を知られたら、どうなることか。
なにはともあれ、みんな無事に街に帰ることができた。
それはホッとするところだったのだけれど。
「ティカが今日もお休みなの?」
私は開いたままの席を見て不安になってきた。旅行から帰って以来、ティカはずっと学校を休んでいた。最初は、怒り狂った母ちゃんがお仕置きをしているのだと思っていたのだけど。
さすがに5日にもなると私も気になってくる。
母ちゃんたちは食事にも姿を現さなくなっている。ティカの弟のエボが病気だと聞いていた。悪い風邪にかかったのだと。私に風邪をうつしては大変なので、表には出てこないのだと。
代わりにやってきた召使の作った食事を私は一人で食べている。部屋がいつもよりもずっと広いと感じる。あれほど狭い食卓だと思っていたのに。誰もいない椅子が並んでいるのを見ると、食欲もなくなる。
「ねぇ、ティカたちのところをのぞいたら、ダメかしら」
代わりに来た召使は首を振る。
「そんなに悪い風邪なの?」
返事は、渋い顔だった。
やはり何かおかしい。みんな、私に何か隠しているような気がする。
私は食事のあと、私はこっそりとティカたちが暮らしている別棟に向かう。
中庭をはさんですぐの距離なのだけど、そこに足を踏み入れたことはなかった。人のプライバシーを覗き見るのは気がひけたのだ。
扉の影からそっと覗くと、赤い暖炉の灯が見えた。それに多くの人たちの気配。私は息を殺して中をうかがう。私が雇い主なのだけど、なぜ隠れているのだろう。
「エレッタ先生?」
いきなり後ろから話しかけられて、私は飛び上がった。
薄暗がりの中に立っていたのは、アークだった。なんで彼が当たり前のようにここにいるのか。
「アークさん?」
「どうしてここに?」
それを聞きたいのは私のほうなのだけれど。
「えっ、エボちゃんが風邪をひいて、ティカが学校を休んでいて、それで……心配になって……」
「ああ」アークは暗くうなずいた。「あの子たちのことは、こちらに任せてください」
「でも、もう、5日ですよ。5日も私の家の中で……」
アークがちらりと横を見た。
「ラーズさん?」
顔をしかめたラーズがそこに立っている。
アークはどうします?というように目でラーズに問いかけた。
「先生、この子たちは……」
ラーズがためらいがちに説明しようとした。
「ラーズさん、何か私に言えないことがあるのですか? まさか、実はエボの病気は重いとか」
また、アークとラーズが顔を見合わせる。
何か隠している。自分だけ仲間外れにするなんて。同じ家に住んでいるというのに。
私は勢いよく扉を開けて、母ちゃん達の居住区に足を踏み入れた。
この建物の構造は入居するときに確認していた。大きな部屋とその奥に小さな部屋。煮炊きできる小さな台所と水場。奥の部屋からは梯子で上に登ることができる。
私は迷いなく屋根裏を目指した。ティカたちがいかに自分たちの屋根裏が広いかを自慢していたのを聞いていたから。彼らにとって新しい住処は自慢の種だったのだ。
「エボ? ティカ?」
私が梯子から覗くと暗い部屋の中で慌てたように母ちゃんの影が跳ねた。荷物でいっぱいの部屋の中には小さな燭台にともされた明かりしかなかった。
「どうしてこんなに暗いの? 具合が悪いのだったらもっと明るいところで……」
「先生? ここにいちゃいけない」
「どうして? 私はここの家主よ。みんなの健康に気を配る義務があるわ」
「ダメ。ここでは……」
私のあとから慌ててラーズとアークが梯子を上ってきた。
「先生」
奥の寝台からティカが跳ねるように抱きついてきた。
「ダメだよぅ、この人たちを止めてよ。この人たち、エボを連れて行こうとしている」
「連れていく? それは?」
アークが首を振った。ラーズがぎゅっと口を結んで、それから言葉を吐き出した。
「魔人病だ」
何を言われているのか、わからなかった。マジン病?
これまで聞いたこともない病名だ。おうむ返しに聞き返した私にもう一度同じことをラーズが繰り返す。
「この前、訓練があっただろう? あの、患者なんだよ。エボは……」
「まさか、エボが、呪われている?」
ラーズは首を振った。私は混乱してただ立ち尽くす。
ラーズが下の階に促した。私は言葉を言い返すこともできずに、下の階に降りる。
「呪われているわけじゃない。これは、病気なんだ」
下の階でラーズが吐き捨てるように言う。
「みんな、かかる可能性がある。病気だ」
「でも、魔人……魔人になるのは呪われているって」
「内地ではそう教えられている。でも、違う。これは、病気だ」
重い空気に私はようやく口を開くことができた。
「こ、この土地の風土病?」
「……正確には、光拒絶症という病名が付いている。その症状が進むと、魔人と呼ばれる存在になるんだ」アークが静かに説明する。「誰が、いつ発病するか、わからない。みんなが魔人になる可能性があるんだ」
「みんなって……貴方も、私も?」
「そうだ。誰が変転するかわからない。だから、僕たちはああいう訓練をしている。
まず、魔人になる前に保護する。保護できない場合は無力化する。そのための結界を展開する訓練がこの前のあれだ
……だいぶ、お祭りと化しているのは認める。楽しいほうがいいかなって」
ラーズの暗い視線を受けて、アークが付け足した。
「とにかく、エボはその病気にかかっている」
「……その病気、治るの? 病気を食い止めることが、できるの?」
ラーズが下を向いた。
「進行を食い止めることはできる。魔人となった患者を人に戻すこともできる。だが」
「一緒に暮らすことはできない。彼らは光術に反応して魔人化するから。魔力のある場所は彼らにとって危険なんだ。だから、隔離される。彼らは結界の中にいないと……また魔人になる可能性があるから。光拒絶症というのはそういう病気なんだ」
アークがラーズの言葉を継ぐ。
光拒絶症……そんな病名は聞いたことがないけれど、なんとなく理解できた。
「光が、光力が使えなくなるのね」
アークがうなずく。
「患者は、光力の使えない結界の中で生活しないといけない。完全に光のない、魔力を有しない土地は少ないんだ。残念ですけれど、クシルさん」
私の後ろで母ちゃんが目を大きく見開いて話を聞いていた。いつもそびえているように感じる彼女が今日は小さく感じられた。
「ダメなのか? ダメなのですか? あの子はまだ小さくて……一人では……」
母ちゃんが絞り出すように尋ねる。
「……あなたがエボ君についていく、という選択肢もあります。ただその場合、あなたも同じように隔離されることになる。同行する人たちは全員です」
「……機械があると聞いた。症状を抑える機械が。それを使うことができたら……」
「……効果のあった人もいます。でも、完全じゃない。危険は冒せないんです。まだまだ、わかっていないことのほうが多い」
母ちゃんが静かに泣き始めた。
あれほど強くてたくましくて、何でも頼れると思っていた母ちゃんが泣く?
私は胸がつまった。彼女に何も声をかけられない。何を言っていいのかわからない。
「ゆっくりと話しましょう。子供たちも交えて、話したほうがいい」
アークがラーズに目配せをして母ちゃんの肩に手をかけた。
のろのろと母ちゃんは誘導にしたがって、梯子を上る。そのあとにアークが続く。
私も行こうかどうしようかと悩んでいると、ラーズが私を止めた。
「いいんだ。先生。向こうに戻ろう」
彼は私を母屋まで送った。
「アークさんでいいのですか?」
かろうじてそれだけ質問できた。
「あれがあいつの仕事だからな」ラーズはちらりと来たほうを見た。「あれでも、知識は豊富だ」
まだ、母ちゃんの鳴き声が聞こえてくるようで。
その晩、私は頭から布団をかぶって寝た。
翌日は礼拝の日だった。
私も神殿に赴いて、祈りをささげた。いつもにもまして、全能なるお方のお力をお借りしたい気分だった。
内地から来た人がもう帰った後だったので、神殿の人はまばらだった。私が祈りをささげていると、誰かがそっと私の肩をたたいた。
「エレッタ先生」
ドライツェン神官だった。
「どうされたのですか。今日はまた、熱心に祈っておられましたね」
「神官様。実は……あの、ご相談をしたいことが……」
家で呪われたものが出たということは私の心に重くのしかかっていた。それも、よく知っている子供というのがいまだに信じがたい。
私は告解に使われる小さな部屋で、ドライツェン神官に昨日のことを話した。支離滅裂な話だったと思う。神官は辛抱強く、冷静に私の話を聞いてくれた。
「……私の家から呪われた……いえ、患者が出たということは、私が呪われているということなのでしょうか……私には何もできることがない……」
こんなに体が小さいのも、婚約者に逃げられたのも、すべてが呪いによるもののような気がしていた。
「そのことでしたら、エレッタ先生が心配されることはありませんよ。ここではよくあることですから。そういう病気です」
淡々とドライツェン神官はそう私に告げた。
私は驚いて顔を上げた。呪われていると叱責されるか、それとも慰められるか……いずれにしてももっと感情のこもった対応をされると思っていた。魔人を呪われたものとして狩るのが神官の仕事だと思っていたから。
「この土地が呪われているからですか?」
ドライツェンは図るように私の顔を眺めてから、首を振った。
「ラーズはいいませんでしたか? 病気だと」
確かに会長はそう言っていた。
「ここでは、そうなのです。ここではね」
「ただの、病気だったら、どうして私にもっと早く知らせてくれなかったのでしょう。私は彼らの家主で雇い主なのに……」
それでも、それを信じたくない心がそんな言い訳を口にする。
「……彼らは、ラーズは貴女のことを思いやっていたのだと思いますよ。あなたが内地の人だから」
ドライツェンは事務的な口調でそういった。
「ほかの神殿では、まだまだ“患者”という認識が定着していないところも多いですからね。下手なことを口にすれば、異端者扱いされてしまう」
言葉の意味が私にしみとおるのを確認してから、ドライツェンはいつもの神官らしい笑みを浮かべた。
「そういうことで、今回の“患者”は無事神殿が保護しています。あなたの心配されることは何もないのですよ」
その通りだった。
すぐに日常の生活が戻ってきた。“母ちゃん”が台所で料理を作り、みんなで食卓を囲む。ティカは学校に行き、私は教室で授業を行った。
ただ、エボの姿は消えていた。
誰も彼のことを口にしなかったし、私もきかなかった。まるで、彼が最初からいなかったように。




