10新居
私が引っ越すという噂はいつの間にかみんなが知っていた。
「先生、上町に住むそうですね」
「うちの店、近所にあるんですよ。今度、買い物に来てください」
「絨毯、いりませんか? うちの親せきが絨毯を売っているんですよ」
「それよりも、家具でしょう。特大のベッドをご用意できますよ」
大きな生徒たちはここぞとばかりに、自分の商売を売り込んでくる。
おおむね、みんな好意的な反応だった。そして噂は同僚の先生たちの耳にも入っていた。
「それはそうと、エレッタ先生、引っ越しをされるそうですね」
授業の後、アジル先生が聞いてきた。
「ええ。いつまでも神殿にご迷惑をかけることもできませんから」
「なんでも、外に行かれるそうですねぇ。どうして、砦にしなかったのですか?」
これはクリフ先生だ。私は首をかしげた。
「黒の砦の中に住むのですか?」
私はあの巨大な建造物を思い浮かべた。瞬時に嫌だと思った。
がっちりとしていて安全かもしれないけれど、あんな威圧的な場所に住む? そもそも兵士たちが詰めている砦の中に私が住む余地などあるのだろうか。
「あれ、ご存じない? 内地から来た人の大多数は黒の砦の中に住居を構えるのが通例でしょう? わざわざ外に引っ越さなくても」
クリフ先生はさも当たり前のようにいう。私は困惑した。そんなこと、誰も教えてくれなかった。
「そうなのですか? 知りませんでした」
「いったいどうしてそんな家を借りることに? 神殿からの紹介ですか? まさか、学校から?」
「知り合いの方からの紹介で。とても良い物件でしたの」
クリフ先生はおや、と眉をあげる。
「その知り合い、というのは誰ですか? まともな人ならあんな場所に住もうなどとは思わないはずですよ」
あんな場所って。私には身に余る立派な建物だった。何かいわくのある土地なのだろうか。死者に呪われている、とか?
「クリフ先生。そういうことは言わないほうがいい」
私が何か言う前にアジル先生が静かにクリフ先生を制した。
「どうしてですか? あんな野蛮人どもに占拠された町に女性が一人で家を借りるというのですよ……」
「その野蛮人どもは我々の生徒だろう」
淡々と、でも有無を言わせない口調で諭されて、クリフ先生は鼻を鳴らした。
「クリフ先生のこと、気にするないよ」
あとでユイ先生がそう言ってくれた。
「あの人、内地の人ね。この土地に住むつもりないよ」
私だって内地から来た人なのに。ただ、紹介された場所があそこだっただけなのだ。
「ユイ先生、先生も下町に住んでおられるのでしょう? 砦の中で下宿するようにすすめられました?」
私は同志を探して聞いてみた。
「わたし、共和国人ね。共和国人、砦に入れてもらえないよ」
「あら、でもご主人は、確か……」
「それでも、駄目ね。共和国と帝国仲良くないよ。ここでは犬使館、開いているけれど。戦争が始まったら追い出される可能性もあるね」
さらりと物騒なことをいわれた。
ユイ先生は東町に住んでいるらしい。今度遊びに来て、と誘われた。
あっという間に引っ越しの段取りが決まり、私はその週のうちに神殿の宿舎を去ることになった。仲良くなりかけた神官たちの見送りを受けて、荷物持ちの“母ちゃん”と新居に向かう。数少ない服といつの間にか増えていた紙の本を抱えて。
新しい家は前見た時よりも、ずっときれいに整えられていた。何もなかった棚に物が積まれ、のぞいた台所には道具がそろっていた。
「あ……」
そこで、思いもかけない顔を見つけて私は驚く。最初に私のことをチビといった少年、ティカだ。それと、いつも彼とつるんでいる年下の子供たち。
「なんだよぉ」子供はほほを膨らませた。
「なんだよぉ。何か文句あるのかよ。ここじゃ、お前は先生じゃないんだぞ」
「先生じゃない。ご主人様、だ」
後ろから現れた“母ちゃん”がティカの頭にげんこつを入れた。
「だぁ。このチビが、ご主人さ……」
「ご主人様だ」
“母ちゃん”は容赦なかった。ぐりぐりと拳をめり込ませる。
えっと、教師として目の前で子供に暴力を振るわれるのは止めるべきだろうか、それとも、ここはしつけと認めてみて見ぬふりを……
「お前がここに住めるのも、ご主人様のおかげ。そうだろ」
「えーでもヤダヤダ」
え……誰が住むというの? この子がここに住むって? まさか、この子が護衛……なんてことはないわよね。
どう見ても、ティカはただの子供だ。
「うるさい。さっさと芋の皮をむきな」
「母ちゃん、ひどい」
“母ちゃん”は子供を押し込んで、台所の扉を閉めた。
「申し訳ない。ご主人様。普段は部屋から出ないように言ってあるから大丈夫」
「あ……えっと、あの子たちは……」
「あれは私の子。手伝いをさせる」
当たり前のようにそういって、“母ちゃん”は荷物を再び担ぐ。
「この荷物、どの部屋に運びますか。ご主人様」
ひょっとして、護衛兼召使って“母ちゃん”のことだったの?
余計なことは何も言わない大柄な女性の背中に私は質問すらできなかった。
そりゃぁ、顔見知りで、いろいろお世話になっていて、新しい人よりはいいとは思うけれど……しかし、あの子供たちは……
全員、この家に住むのだろうか。あの人数が……
台所に何人いただろう。この家に彼らの住む部屋はあっただろうか。
前の下宿でのいやな記憶がよみがえってきた。大騒ぎする子供と金切り声でけんかをする人たち……あまりの騒がしさに勉強は進まず……課題を落とすところだった。
安いものには裏があるという。まさか、あの二の舞……
しかし、その心配は杞憂だった。
部屋の片づけを済ませて、食堂に降りてみると、そこには私一人分の食事が用意してあった。子供の影はどこにもない。声すらしない。
子供たちはいったいどこに行ったのだろう。
私は控えている“母ちゃん”に尋ねた。
「ねぇ、あの子たちは、ティカ君はどこにいるの?」
「あれは別の部屋にいる。気にしないで」
「えっと、でも、そんな部屋はどこにも……地下かしら」
「地下にあるのは食糧庫、あれがいるのは別棟の部屋」
“母ちゃん”が簡潔に説明したところによると、入り口のあたりに召使たちの部屋はあるらしい。ずいぶん厚い門だと思っていたが、あそこに部屋があったとは。
“母ちゃん”の料理は辺境風味があふれたものだった。今まで見たことがない野菜が山盛りで、独特なにおいが漂っている。この町の匂いだ。味は思いのほかおいしい。
でも、今まで、神殿の食堂で神官様たちと食事をしていたので一人の食事は居心地が悪かった。大人数が座れる席にたった一人。わびしい。
「食事、あわなかったか?」
“母ちゃん”が心配そうに聞く。
「いえ、いえ、とてもおいしいわ。ありがとう。ただね。今までみんなで食事をしていたから、ちょっと寂しいような」
「わかった。話し相手を連れてくる」
“母ちゃん”は物わかりよく返事をした。
そして、次の食事の時からティカが私の相伴をすることになった。もちろん会話の弾むことはなく、心配した“母ちゃん”は次々と子供たちを食卓に送り込み、結局“母ちゃん”と7人の子供たちと私は食卓を囲むことになった。
そのころになると、子供たち同士は遠慮なく会話をはじめ、食事時とその前後は金切り声が飛び交う修羅場が展開された。
学生食堂よりもひどい。
でも、悪くない。いつしか私はそう思うようになっていた。まるで、実家にいるみたい。
私の家も食事はこんな感じだった。家族ってやはりいいわ。
たまには、私も何か作ってみようかしら。
昔の生活を思い出した私は台所も見せてもらう。
ここの台所は変わっていた。最新式の調理器具と、薪を使う窯が一緒に並んでいる。
「えっと……」私はどれを使えばいいのだろうか。
「こちらの窯は非常用。いつでも魔人が現れてもいいように備え付けられている。魔人が出たら、区画内のすべてで光術が使えなくなるから」
そんな話は神殿では聞かなかった。
「新しくできた建物にはすべて魔人除けの装置がつけられている」
「そうなの? でも、学校にはそんなもの、あったかしら?」
「ある。学校の人、こういう装置は嫌い。でも、ここでは必要」
“母ちゃん”は重々しくうなずく。
私は最新の調理器具に手を出した。私の光量で使うことができるのか、一瞬迷った。
「あら?」
調理器具を稼働させる印すら必要ない。簡単にコンロに火がともる。
「黒い民でも使えるように改造してある。ちゃんと作動するの、実証済み」
“母ちゃん”は満足そうだった。
「そ、そうなの?」
私のような低い光量でも動くなんて。ちょっとびっくりだ。
最初は手間取ったけれど、慣れると便利な機械だった。コンロもオーブンもとても使いやすい。
「すごい機械ね。これだったら、光量が少なくても楽に使えるわ」
「これ、ラーズ商会が扱う商品、みんなに好評」
“母ちゃん”も自慢げだった。
見せびらかしたくなる気持ちはわかる。内地にいたころの私だって、こんな便利なものがあれば使いたかった。光量が少ないといろいろな面で不便なのだ。
私が“母ちゃん”の協力のもとに作り上げた食事は好評だった。子供たちの取り合い度合いでそれがよく分かった。“母ちゃん”もほめてくれた。
「引っ越し祝いにこの料理を出すといいね」
「お祝い?」またまた新しい言葉だ。「誰かにお祝いを送るの?」
「先生のくせに、そんなことも知らないんだ」ティカや弟がここぞとばかりに騒ぐ。
「引っ越しを手伝ってくれた人を招いて、食事会をする。それが、この辺りの流儀」
拳で子供たちを黙らせてから、何事もなかったように”母ちゃん“は説明した。
「先生の料理、みんな喜ぶ」
「お世話になった方……ラーズさんや、貴女?」
「そうそう、そういった人」
私は日取りだけ決めればいいという。
「日取りを決めて、料理を作る?」
「そう」
ホームパーティのようなものなのだろう。時々実家で開かれていたパーティを思い出す。
お父様が肉を切り分けて、お母さまがお菓子を配って回る。あんな感じでいいのだろうか。
それなら、大丈夫だ。だてに、何年も下宿していたわけではない。料理だって、“母ちゃん”が手伝ってくれたら、大丈夫。
たぶん。




