【第9話】何やってんだよ
デビューライブから一ヶ月が経った。一つ目標をクリアしたからといって、私たちは休んではいられない。相変わらず歌にダンスに、レッスンに明け暮れる日々が続いていた。
アンリミテッドは来月に、セカンドシングルの発売が決まっていた。今回も三曲入りの配信CDで、私たちの持ち曲は倍の六曲に増える。
さらには、CD配信の三週間後には、またライブが予定されている。今度は土日のツーステージだ。新曲の歌とダンスを覚え、既存曲のクオリティも上げ、さらに二日間ステージに立つ体力もつけなければならない。やることは多く、レッスンは強度を増していた。今まででも大変だったのに、デビュー前で加減されていたのが分かるほどだ。
私はもちろん、高松や住永も食らいつくのがやっとといった様子で、時間はデビュー前よりも急速に過ぎていた。
「いやー、どの動画も可愛らしかったですねー。日奈子ちゃんはどう思った?」
司会の芸人が、数いるパネラーの中から、高松に感想を振った。表側だけは明るいスタジオセットに、高松は違和感なく溶け込んでいる。数々のカメラにもまったく物怖じしていない。
「はい! 全部の動画がキュートで、見ていて癒やされました! 特に最後から二つ目の、なかなか『待て』ができないワンちゃんの動画が私は好きで! 明らかに餌に目がいっている様子が、とてもいじらしかったです!」
「どうですか? ペット飼ってみたくなったんじゃないですか?」
「はい! 今すぐにでもペットショップに向かっていきたい気分です!」
高松は私たちアイドルの最大の武器・笑顔で明るくコメントをしていた。言っていること自体は無難だったが、視聴者には好印象を与えるだろう。
私の横で、住永が驚嘆したように軽く口を開けている。少し情けないなとも思ったけれど、私だって高松のカメラ慣れした態度を羨ましいと感じていた。
この日はKanade TVで毎週火曜日に配信されている、世界の動画を紹介する番組の収録日だった。今日は犬や猫といったペットの動画を取り上げていて、モニターを見ながら芸人やタレントが大げさなリアクションをしていた。
高松は二ヶ月ほど前から、この番組にレギュラー出演している。鶴岡たちが何とかして枠を用意したのだ。
もちろん、これはアンリミテッドをさらに知ってもらうチャンスだ。高松も毎週前向きに取り組んでいて、私は配信日当日に欠かさずチェックしていた。
「では、次は『私たちがやってみた!』のコーナーです! 今回、動画を撮ってくれたのは……?」
「はい! 私です!」
二段になったパネラー席の一番後方にいる女性タレントが、勢いよく手を挙げた。爪痕を残そうと必死になっている姿は少し痛々しくもあったが、真剣な姿を見ると、私たちもこれくらいがんばらなきゃなという気になる。
席が限られているこの業界で生き残るのは、簡単なことじゃない。それを確認できただけでも、私は収録現場に立ち会えてよかったと思った。
今、私と住永はスタジオセットの外、カメラの後ろで収録が行われる様子を見学させてもらっている。普段は立ち会わないのだが、この日は午前中にこのスタジオが入っているビルで別の仕事があったため、その延長線上で見学させてもらっているのだ。
初めて目にする収録現場は、面白いものを作ろうという高い熱量に、座っているだけで身が引き締まる。一度限りの真剣勝負だから、ライブと同じぐらいの緊張感が漂っていて、高松は毎回こんな場に身を晒しているのかと思うと、畏敬の念さえ湧いた。
「では、皆さん! また来週お会いしましょうー!」
司会の芸人がそう締めくくって、出演者全員が手を振ると、ディレクターの男のかけ声で、二時間に及ぶ収録は終わった。一気に緩んだ空気の中、出演者たちは次々と楽屋に引き上げ始める。
だけれど、高松は車椅子を機敏に動かして、一人でも多くの共演者に「今日はありがとうございました」と礼を言っていた。子役時代から数えると、芸歴だけなら高松は長い方に入るのに、デビューしたての新人みたいに腰が低い。
きっとアンリミテッドで、また一から芸歴をスタートさせたという認識なのだろう。決して驕らず共演者に顔を覚えてもらおうという姿勢は、私たちも見習うべきものだった。
司会の芸人と楽しげに話してから、高松は私たちのもとへ向かってくる。
今日、私と住永は見学という立場だから、楽屋は用意されていない。だから、話すとしたら撤収作業で慌ただしいスタジオの中しかなかった。
「高松さん、お疲れ様です。今回の収録もうまくいきましたね」
私たちの隣に立っていた井口が、声をかける。二時間の収録でかなり集中力を使っただろうに、高松の顔に疲れは見られなかった。
「ありがとうございます。今日も無事に終わってほっとしてます。あの、私のコメントどうでしたか?」
「バッチリだったと思います。ちゃんと高松さんに求められているコメントで。出たての頃に比べると、かなり安定してきているので、次回の収録もこの調子でお願いします」
「はい!」と元気よく返事をする高松に、おそらくこのやり取りは、収録の度にやっていると私は感じた。カメラの前では自信満々に振る舞っていても、内心は不安なんだなとも。
スタジオセットは少しずつ解体されていき、カメラもケースにしまわれ始めている。想像以上の手早さに、私たちがここにいられる時間は、あまり長くなさそうだった。
「あ、あの、高松さんすごかったです。何台のカメラがある前でも、堂々としていて。リアクションも大きくて、コメントも的確で。私たちじゃ、あんなにうまく喋れないです」
「そりゃ住永は、この世界に入ってきたばかりだもんね。初めからできるとは、私も思ってないよ。でも、いつかはこうして番組の収録に参加することになるんだし、すごいなって思ってるだけじゃ足りないよ。自分と比べて何が違うのかをちゃんと考えて、練習してかないとね」
高松の返事は手厳しかったが、これでも結成当初に比べたらマイルドになった方だ。正論の提示の仕方が、分かってきたらしい。同じグループにいるとは思えないほどの、経験値の違いを私は感じる。
住永も頷いていて、頭のメモ帳に高松が言ったことを書き留めているようだった。
「で、溝渕はどう思ったの? ネットとはいえテレビの収録は、見るのも初めてだったんでしょ?」
そんな大雑把な質問ある? そう思いながらも、以前よりは反感を抱かなくなっていた。自分に求められている、アイドルというキャラクターを一分の隙もなく演じる高松に、見ていて圧倒された部分もあった。
「画面の中では和気藹々としてたんだけど、スタジオに漂う空気は、真剣そのものだなって思った。見てるだけでも集中力使ったから、いざ出るとなると、どれだけのエネルギーが要るんだろうなって、途方もなく感じたよ」
「うん。まさにザ・素人って感想だ。そりゃ出演者やスタッフ全員の生活が懸かってるからね。和やかリラックスムードってわけにはいかないでしょ」
「まあそれはね。私たちも一回収録に参加したけど、すごい気を遣われてたんだなって今さら思ったよ」
「あのときの溝渕と住永、本当ガチガチだったもんね。思わず目を背けたくなるくらい。でもさ、来月にはシングル出すから、プロモーションのためにまた番組に出るんだからね。ちょっとは成長したとこ見せてよ」
「ま、まあ。腹括ってがんばるよ」
「いや、マジで頼むから。出演の出来次第でダウンロード数とかライブの視聴者数とか、露骨に変わってくるんだからね。二人ともそのへんちゃんと分かってるよね?」
現実を突きつけてくる高松に、私たちはたじたじとしてしまう。井口から宥められていて、どちらが運営側の人間なのか分かったものではない。
高松が険しい態度をやめる頃には、大分撤収作業も終わっていて、スタジオセットはもう見る影もなかった。
井口に促されるまま、私たちはスタジオを後にする。
でも、一六時に始まるレッスンまでにはまだ時間があって、楽屋も用意されていない私と住永は、何をすればいいのかイマイチ分からなかった。
時間を持て余した私は、車椅子で行ける範囲で建物の中を周っていた。玄関や掲示板など至るところに番組のポスターが貼られていて、何かのドラマで見たテレビ局の内部そのものだなと感じる。
その一角には私たちアンリミテッドのポスターも貼られていた。三人が寄り添っている写真に、カメラが回っていないところでは、高松が少し不本意そうな顔を見せていたなと思い出す。
ポスターに記載されたセカンドシングルの発売日は、来月の二十五日。来週にはもうレコーディングをしなければならない。胃がキュッと縮む。まだまだ試行錯誤している段階なのに間に合うのか、少し不安にもなった。
建物の中をぶらついて私は、一階のだれでもトイレに向かっていた。というより車椅子の私が使えるトイレは、ここと五階にしかない。
私が到着したとき、トイレには鍵がかかっていた。いるんだよな、こういう奴。一般のトイレが空いてないからって、だれでもトイレを使うの。私たち身障者のことを考えてないんだろうか。
五階への移動時間を考えると、このままここにいた方が早く済みそうだったので、私はドアの側でトイレが空くのを待った。辛抱ができない利用者を、軽く睨みつけるつもりで。
「何やってんだよ、私」
漫然と過ごしていると、中から声が漏れてきた。高松の声だ。外に誰もいないと油断しているのだろうか。高松が独り言を言うタイプの人間だと、私は初めて気づいた。
「全然喋れないし、リアクションも中途半端で。こんなんじゃ、オンエアじゃほとんどカットされてるよ」
洗面台に流れる水の音とともに、さらなる独り言が聞こえてくる。私から見れば、高松は収録現場に問題なく馴染んでいたし、ちゃんと自分の役割をまっとうしていた。
でも、高松はそれでは満足できないらしい。口調からも、自分に少し苛立っているのが伝わってくる。
「せっかく鶴岡さんたちがねじ込んでくれてるっていうのに、まったく期待に応えられてないじゃん。このままじゃ今クールで降ろされちゃうよ」
声に焦りの色が見えた。日々レッスンに食らいつくのに必死な私や住永とは違い、高松は現状に危機感を覚えていた。そこまで焦んなくてもいいのにとは内心思う。
だけれど、もっと多くの人にアンリミテッドの歌やライブを聴いてほしいのは、私も同じだ。私も高松のように危機感を抱いた方がいいのかもしれない。
「まあ、気を取り直して今以上にやるしかないか。色々言ってる人たちにも、私たちのことを認めさせるために」
流れる水の音が止まった。自分でも意味が分からなかったが、私はトイレから離れて角に隠れようとしていた。高松の心のうちを聞いてしまった後ろめたさがあったのかもしれない。
だけれど、方向転換するよりも、高松がドアを開ける方が早くて、私たちは鉢合わせしてしまう。虚を突かれたような表情をしている高松に、なんと声をかけたらいいのか分からない。というか、私が声をかけていいのかすら判然としなかった。
「もしかして聞いてた?」
一瞬下りた沈黙の後に口を開いた高松に、私は首を横に振っていた。でも、高松のことだから、私が嘘をついているのは分かっているだろう。怪訝な目に、私は目を逸らす。励ましの言葉一つかけられない自分を、情けなく思った。
「まあいいや。ほら、トイレ空いたよ。さっさと入んなよ」
高松が少し下がると、私は言われた通りにせざるを得ない。中に入ってドアを閉める。
閉まる間際に見た高松は、プレッシャーに押しつぶされそうな、苦い表情をしていた。
(続く)