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【第8話】夏の日



全身から迸った熱が室内を巡って、再び私たちの身体の中に入りこむ。壁にはバンドやミュージシャン、アイドルのポスターやステッカーがところ狭しと貼られていて、雑多な匂いに私の心臓は落ち着くどころか、まだ高鳴っていた。


二〇分ほどの短いライブだったが、すでに息は上がりきり、肌は汗だくだ。でも初めてのライブをやりきったという感慨は、何物にも代えがたいほど大きかった。ステージを降りた今でも頭の中ではリズムが、音楽が鳴り響いている。


楽屋は私たち三人が入ると、立つスペースもなくなるくらい狭かったけれど、距離が近い分、かえって私たちは充実感や達成感を共有できていた。


「あぁ、緊張した。あんな大勢の人前に出て、心臓が飛び出るかと思った」


私が他の二人にも聞こえるように呟くと、隣に座る住永が反応した。タオルで拭いていても、額に汗が滲んでいる。でも、ライブ前の張りつめた様子はもうない。


「私もです。想像していたよりも多くの人が見てくれて、嬉しかったんですけど、それ以上に驚きました。こんなに私たちのことを気にかけてくれた人がいたんだって」


「だよね。Kanade TVの宣伝効果恐るべしだよ」


私たちは心の底から微笑む。これもライブが始まる前には、想像しえなかった光景だ。


「でも、ライブ中すごい気持ちよくなかったですか? 私たちの歌や踊りにお客さんも乗ってくれていて。相乗効果でとても盛り上がったと思うんですけど」


「それね。私もここまで反応がいいとは思わなかったから、すごく楽しめた。そりゃみんな笑顔になるなって思ったよ」


「ですよね! 今日の私たちよかったですよね!」


「うん! 初めてにしては上々のライブだったと思う!」


「まあ、初めてにしては、だけどね」


興奮冷めやらぬといった私たちに、一番手前に座った高松が冷静な声を差しこんでくる。汗で崩れかかったメイクはもう直ったらしく、化粧道具はバッグにしまわれていた。


「そんな釣れないこと言わないでよ。せめて今だけはライブの余韻を噛みしめてよ?」


「私もそうしたいんだけどさ、今日のライブの全部がよかったわけじゃないじゃん。溝渕は音程外してるところがあったし、住永は最初の方の振りが小さかった。もちろん私にも至らなかった点は多くあるし、まだまだ満足なんてできないよ」


高松はあくまで、今日のライブは通過点だと言うように淡々と語っていた。確かに言われてみれば、私にも思い当たる節は一つや二つじゃ足りない。


冷静に現状を把握できるのは高松のいいところだけれど、せめて今だけはやりきったという思いに浸らせてほしいとも思う。


「でも、お客さんも楽しんでくれてたでしょ? 手拍子やペンライトで私たちを応援してくれてた」


「あのね、溝渕。応援されてるようじゃ、アイドルとしてはまだまだなんだよ。もちろんお客さんの応援はあるに越したことはないけど、でもそれ以上に私たちがお客さんを応援しなきゃ。歌やダンスでお客さんを元気づけたり、前を向かせる。それがアイドルってもんでしょ?」


やはり高松が要求するところは高い。まるでステージに立つ本人じゃなく、プロデューサーの目線から言っているみたいだ。高松が抱いている理想に辿りつくには、まだまだ多くの時間がかかるだろう。もしかしたら永遠に辿りつけないかもしれない。


でも、目指すべきところは間違っていない。だから、多少厳しい言い方でも、私は反抗せずに受け入れた。住永も小さく頷いている。


私たちはまだスタートラインに立ったばかりなのだ。


それでも私は今日抱いた感覚を、手放したくはなかった。鏡に映った自分は、かいた汗が筋になって浮き出ている。


勲章だと内心にやついていると、井口が楽屋のドアを開けた。浸っている時間は終わりだろうか。隣には鶴岡の姿も見える。


穏やかな目は笑っているようには見えなかったけれど、怒ってもいなさそうだった。


「皆さん、今日はデビューライブお疲れ様でした。皆さんのパフォーマンスから積んできたレッスンや今日に懸けた思いは、お客さんにも十分に伝わったと思います」


企画の最高責任者である鶴岡は、まず私たちを認める言葉をかけてくれた。お礼を言いながら、私はほっと胸をなでおろす。


デビューライブの出来で、今後の企画内容や活動は大きく左右される。私たちがいくらがんばっても最後に判断を下すのは、鶴岡をはじめとした大人たちだ。それでもひとまず企画は続行し、私たちはアイドルを続けられる。そう考えてよさそうだ。


だけれど、安堵している私たちにも、鶴岡は「ただ」と言葉を続ける。アメだけで話を終わらせる気はないらしい。


「今日のライブが全てうまくいったとは私は思っていません。歌やダンスなど反省するべき箇所もありましたし、なによりそれはステージに立っていた皆さんが一番分かっていると思います。自信は持ちつつ、今日出た反省を今後の活動に生かせるよう、来週からまたレッスンに取り組んでいってください」


厳しさと暖かさが半々ずつこもった鶴岡の言葉は、私の心の奥深くまで届いた。当たり前だけれど、私たちのことをしっかりと見てくれているんだなと思う。


先駆けて歯切れのいい返事をした高松に、私と住永も続く。楽屋にこもった熱は、ドアが開いていてもちっとも逃げない。


「ええ、その調子です。では、皆さん。フロアでお客さんが待ってますよ。そろそろ出ていって、元気な顔を見せてください」


「はい!」と、私たちは声を揃える。冷房の利きが悪くて楽屋は少し暑かったけれど、それ以上に清々しい空気が満ちていた。


私たちの反応を見て、鶴岡は深く頷いてから、「では後は井口さん、よろしくお願いします」と、私たちのもとから去っていった。井口からこの後の段取りを説明される。ファンサービスの時間だ。


ライブ本番と同じくらい大切な時間に、私の気はもう一度引き締まる。一人でも多くの客と交流して、お礼を言いたいと心から思った。





私たちのデビューライブが終わって一晩が経った。朝起きて、腕や肩にじんじんとした痛みを感じる。味わったことのない感覚に、嬉しさと大変さが同居する。


それでも私は、身支度をして最寄り駅へ向かった。何度見ても意味が分からないオブジェの前では、祐貴が待っていてくれた。Tシャツにジーパンという男子高校生の夏休みを絵に描いたような格好が、私の心を落ち着ける。


太陽はバカみたいに高く上がって、午前中でも惜しみない日差しを浴びせかけていた。


「よっ、お疲れ。悪いな。昨日の今日だっていうのに来てもらって」


「別に家は駅から近いし、大したことないよ」


「本当はお前の家まで、迎えに行ければよかったんだけどな」


祐貴は歯の浮くようなセリフを、何の衒いもなく言った。あまりの自然さに、聞いているこっちが恥ずかしくなりそうだ。


「いいよ、そんな気遣わなくて。むしろこっちが申し訳なく感じちゃうから」


何事もないように振る舞う。でも、声がかすかに急いでいたのは隠しきれなかった。


しかし、祐貴はそんな私の微妙な変化にも気づかず、「ま、それもそうだな」とあっけらかんと笑った。宝石みたいな笑みが、昨日の照明よりも、今日の太陽よりも輝いている。


「で、今日はどうする? っていってもお前、まだ疲れてるよな?」


いくら鈍い祐貴でも、私の体調を気遣うぐらいの配慮はあるらしい。


確かに私はまだ少し眠いし、身体の節々にのっそりとした痛みを引きずっている。それにいくら日焼け止めを塗って、帽子を被っていても、人前に出る以上あまり日差しも浴びたくはない。


私が頷くと、祐貴は手を顎に当てた。私たちの休日は、こうやって計画を考えるところから始まる。


「となると、身体に負担をかけないところっていうと、やっぱり映画か? また少し移動するけど」


駅の反対側に出て、五分ほど移動すると大型商業施設があって、シネコンも併設されている。祐貴が映画を第一候補に挙げるのも、無理のないことだった。実際、空調の利いた映画館は私にも魅力的に映る。今、どんな映画がやっているかは知らないけれど、それは着いてから決めればいいだろう。


私が二つ返事をすると、祐貴も俄然乗り気になって、私たちは駅の中へと歩き出した。三つの路線が入線するこの駅は、いつ来ても人通りが多い。それは平日の昼間でも同じで、人ごみを避けて進むのは少し骨が折れる。


だけれど、祐貴は私の前を歩いて道を開けてくれていたから、私はさほど苦労せずに駅を抜けることができた。もう何十回もこの駅は通っているから、祐貴もすっかり慣れっこになっている。いつも通りの配慮が、私にはありがたかった。





「いやー、面白かったね。さっきの映画。すごい入りこんで観れた」


「お前、めちゃくちゃビビってたけどな。後ろから見てて、スクリーンよりも目がいっちゃったぐらい」


「えー、そう? 別に普通だったと思うけどなぁ。そういう祐貴の方こそ、ビビってたんじゃないの?」


「俺は別にこういうの耐性あるから。R―15がつくほど怖いとは思えなかったな」


「どうだか」


注文したドリンクを飲みながら、私たちは笑い合う。大型商業施設の一階に居を構えるこのカフェチェーンは、ふんだんに日光が取り入れられ、いつ来ても明るい雰囲気がある。流れる音楽のセンスもよく、通路も広々としているから、シネコンで映画を観た後は、ここで一息つくのが私たちの定番になっていた。


「ていうか、お前本当にアイスコーヒーでよかったの? せっかく俺がおごるんだから、遠慮せずにもっと高いもん頼めばよかったのに」


そう言って、祐貴はたいそうな名前のドリンクを口に運んだ。クリームとチョコソースがかかっていて、見るからに甘そうだ。


「いいの、私はこれが好きだから。別に遠慮してなんかないよ」


「そっか。まぁいいや。ひとまず昨日のデビューライブお疲れ様」


音楽にもかき消されない声で、はっきりと祐貴は私を労った。周囲にも聞こえていそうだったけれど、私たちを気にしている人は店内には誰もいなかった。いくらKanade TVが売り出しているとはいえ、アンリミテッドはまだ駆け出したばかりだ。


「うん、ありがと」


「俺も配信で見てたけどさ、お前がステージに出てきたとき、本当にびっくりしたよ。いかにもアイドルって衣装着ちゃってさ。ああ、本当に選ばれたんだなって思った」


「どうだった? ライブは。ちゃんと最後まで見てくれたんだよね?」


「当然だろ。最後まで歌って踊り続けられんのかなって、ハラハラしながら見てたよ」


「それ、親にも言われた。一番の心配ごとは体力が持つかどうかだったって」


「マジでか。まあ近しい人間ならみんなそう言うと思うぜ。正直、がんばれミスるなって念じるのに必死で、歌とか頭に入ってこなかったし。まあ歌自体は何度も聴いてるから、もう覚えちゃってんだけど」


「ごめんね。そんなドキドキさせちゃって。次はもっと安心して見れるようにするから」


「ああ。でも一個不満だったのがカメラがさ、あんまお前のこと映してなかっただろ? 全体のショット以外は、半分以上高松のこと撮ってて。もっとお前を映せよって。そこは次にでも改善してほしいところかな」


祐貴がそう感じたのは、きっと贔屓目だろう。カメラがセンターで知名度が頭抜けている高松ばかりを追うのは、判断としては何一つ間違っていない。


だけれど、私はなんだか喉が渇いてくる。汗は一滴もかいていないというのに。


「何? 祐貴はもっと私のこと見てたかったの?」


「当然だろ。友達の晴れ舞台を見たくない奴がいるかよ」


ドストレートに言われて、私の頭は揺らいだ。話し声も音楽も耳に入らない。祐貴が優しい表情をして、私の前に座っている。それだけで今日はパーフェクトだった。


「ありがと。もしよかったらさ、次のライブは会場に見に来てよ。そうすれば、ずっと私だけを見てることも可能だから」


「そうだな。本当はそれが一番いいんだろうけど、俺ライブハウスとか行ったことないんだよな。ちょっと怖い気もするし」


「そんなことないよ。私もこの身体だから、昨日初めてライブハウスに入ったけれど、ステージの上からだと全然怖いとこには見えなかったよ。配信よりもチケ代は高いけどさ、勇気を出して来てくれたら嬉しいな」


「まあお前がそう言うんなら、ちょっと考えてみるわ」。祐貴の声に渋々といった様子は見られなかった。きっと本気で考えてくれるのだろう。


照れ隠しみたいにドリンクを飲む祐貴に、私は目を細める。「何だよ」と軽く茶化されもしたけれど、私は目を逸らさなかった。照れくさそうに祐貴も微笑を浮かべている。


涼しく心地よい空間。身体にまとわりつく痛みもいつの間にか軽くなっていた。



(続く)

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