【第4話】レッスン開始
「では、他に何か訊きたいことはありますか?」
再び同じ質問が出て、私は声を出すのをためらってしまう。二回連続で、訊くことは気が引けた。
躊躇している私や住永をよそに、高松が「一つ聞いてもいいですか」と発する。少し機嫌を悪くしているように見える横顔からは、あまりいい質問は予想できなかった。
「どうして鶴岡さんたち審査員は、私たちを選んだんでしょうか?」
高松の声は淡々としていて、軽く怒っているようでもあった。あんなに選ばれるのを望んでいたのに、何が不満なのだろう。
私は猜疑心を持って高松に顔を向けたけれど、高松は私たちの視線なんてまるで気にしていなかった。
「それは分かりませんし、仮に私が鶴岡さんたちに聞いてみても、誰一人教えてくれないと思います。でも、遅かれ早かれ選ばれた意味が分かる日は来ると思うので、そこまで気を立てなくてもいいのではないでしょうか」
「でも、私はいいとしても、この二人が選ばれたのは私には納得できません。歌もダンスも一から始めて、三ヶ月後のデビューライブに間に合うかどうか。確実性を考えたら、私一人でもよかったはずです」
私たちの前で、それを言うか。
その言葉が私たちを否定していることは、高松にも分かっているのだろう。でも、あえて口にしたところを見るに、相当私たちが合格したことがお気に召さなかったらしい。
私は当然嫌だったし、強い言葉で突っかかっていきたくなった。だけれど、井口の目が抑えるように言っていたから、私は喉まで出かかった幼稚な言葉を、ぐっと飲みこむ。
「それは、鶴岡さんたちが確実性をそこまで求めていないからではないでしょうか。アイドルとしての成長や、三人が一つにまとまってパフォーマンスを届けることによって得られる感動。そういった物語性を、鶴岡さんたちは『アンリミテッド』を通じて届けたいのだと、私は思います」
棘がある高松の言葉にも、井口は落ち着いて地に足のついた答えを返していたから、私の胸もすくようだった。的確に私たちを見てくれて、信頼に足る人物なんだと分かる。端的な井口の説明に高松も納得したようで、それ以上訊いてはいなかった。
だけれど、その横顔は渋々といった色合いが強くて、やっぱりまだ気を許せるようにはなれないなと思う。
「では、他に何か。住永さんは、この際だから何か聞きたいことはありますか?」
私たち二人が質問したから、井口が住永を気遣って話を振るのは当然の流れと言えた。だけれど、住永はもじもじするばかりで、「いえ……、私からは特に……」とぼそりと言っている。何もかもが分からなさすぎて、何が分からないのかすら分からないのだろう。私も同じ状況だったから共感する。
だけれど、高松は「何それ。やる気あんの」と呟いていて、それは小さな声だったとしても、確実に全員の耳に入った。霧の中みたいな状況の住永に、鞭を打つような真似をするなんて、何を考えてるんだろう。そういうのは心の中だけで言ってくれと、私は軽く高松を睨む。
さすがによくないと感じたのか、井口も「高松さん」と真面目な口調で諭す。高松はそれ以上何かは言わなかったけれど、住永に一言も謝ってなくて、何様のつもりだと思った。
主に高松の我の強さが、これから三人でやっていけるのかと私に不安を抱かせた。
「では、皆さんからの質問もこれくらいということで。さっそく、アンリミテッドとして最初の仕事に取り組んでもらいます。これから私のスマホで、SNSにアップする短い動画を撮るので、一人ずつ意気込みを言っていってください」
「まずは高松さんから、お願いできますか」。そう井口が言って、私と住永は画面に映らないところに移動した。
井口は高松にスマートフォンのカメラを向ける。高松の横顔は完全な笑顔で、声もハキハキして明るかった。先ほどまでの不機嫌そうな様子はどこにいったのかと思うほどだ。
でも、私はにっこりしている高松を見ると、不信感にも似た感情を抱いてしまう。舞台裏でいつでもニコニコしている必要はないが、その笑顔を私たちにも向けてくれたら、もっとスムーズに事が運ぶのにと思った。
オーディションの合格を告げられてから早二日。私は最初のレッスンに向かっていた。井口から伝えられた貸しスタジオは、最寄り駅から五分ほどのところにあって、ビルの一階にあるのがありがたい。
ドアをくぐると、北側の壁一面がガラス張りになっていて、今から本当にアイドルのレッスンを受けるんだと実感がわいた。
そして、集合時間一五分前にも関わらず、高松と住永がいた。どうやらこの二人は、私よりもこの近辺に住んでいるようだ。それか誰かに送ってもらったとか。
どちらにせよ、最後に来るのはどこかバツが悪い。高松が周囲にバレないように軽んじるような視線を向けてきていて、これからもずっとこんなことが続くのかと思うと、少しだけ苛立った。
井口に判を押した契約書を渡すと、私は手持ち無沙汰になった。レッスンが始まる前に体を動かしておいた方がいいのだろうが、私はそのウォーミングアップのやり方さえ知らなかった。
でも、隣では私たちに目もくれることなく、高松が準備運動みたいなものをしていたから、悔しかったけれど、私たちも時折視線をやって高松の真似をした。手を組んだまま上に伸ばしてみても、どこかが伸びているという実感はあまりない。
私たちの間には、会話らしい会話もあまりなく、井口は私たち全員の契約書を貰うと、仕事があるからとスタジオから出ていってしまった。
私たちはまだお互いについて、ほとんど何も知らない。話が弾むわけもなく、いたたまれない空気がスタジオには流れる。鏡で自分たちの姿が見える分、世知辛い雰囲気が余計に増幅されていくようだ。
再びドアが開いたのは、レッスン開始の五分前だった。音に反応して振り返ると、薄黄色のチュニックワンピースを着た女性が入ってきた。髪が肩まで届きそうなほど長く、肌にハリがあって、私は三〇代くらいだろうと推測する。
手に大きなタブレットを持ったその女性は、パンプスを鳴らして、私たちの前に立った。にこりと微笑みかけられて、私たちはおずおずとお辞儀をする。
「こんにちは。主に皆さんのボイストレーニングを担当します、仲川沙耶香です。まずは三ヶ月後に控えるデビューライブを成功させられるように、皆さんを鍛えていくので、よろしくお願いします」
仲川はピシっと背筋を伸ばして言ったので、私たちの背筋も自然と伸びる。「よろしくお願いします!」と合図もしていないのに、声が揃った。
「はい、よろしくお願いします。では、さっそくボイストレーニングを始めていくのですが、その前に一つ。皆さんはアイドルのライブを映像等で見たり、実際にライブ会場に足を運んだりしたことはありますか?」
この足でライブ会場に行くのはなかなか難しい。少し配慮が足りないのではとも思ったが、質問の真意は経験の有無にはなさそうだったので、私は素直に「はい」と頷いた。
高松も住永も、首を縦に振っている。やはりアイドルを目指すだけのことはあるようだ。
「実際のライブでは、アイドルの皆さんは一時間も二時間も歌い続けていますよね。踊りながらピッチを崩さずに、それだけの長い時間歌うということは、皆さんが想像しているより、何倍も大変なことなんです。三ヶ月後のデビューライブでは三曲しか歌いませんが、いずれは皆さんもそれだけの時間、お客さんの前で歌うことになるでしょう。そう考えると、それなりに指導は大変なものになりますが、皆さんは覚悟はできてるんですよね?」
仲川は若干脅かすように言っていたが、そこには既に何組ものアイドルを指導してきた説得力があった。私がいくら吹奏楽部で鍛えていたとしても、車椅子を動かしながら歌うアイドルはわけが違う。一時間や二時間は未知の領域だ。
だけれど、ここで「いいえ」とは私たちには言えるはずがないし、私は言うつもりもなかった。「はい、もちろんです」と返事は高松に先を越されたけれど、私も同じようなことを言って、覚悟を示す。じっと仲川を見上げる。
私たち三人の視線を受けると、分かったように仲川は頷いた。
「分かりました。では、これから本格的にボイストレーニングを始めますが、その前に皆さんには自分の現在地を知ってもらおうと思います。これから私がこのタブレットで、ドレミファソラシドの音階を鳴らすので、皆さんはそれに従ってハミングで歌ってください」
「では、まず高松さんから」。そう名指されると、高松は膝の上に手を載せて、元気よく返事をした。
タブレットからピアノの音が鳴らされ、高松が同時にハミングする。高松の声はお世辞にも音階に合っているとはいえず、また音域も狭くて、歌唱経験は少ないようだった。どの口が言ってたんだと感じる。
だけれど、高松は気にする様子を見せていなくて、なんとかなると思っているのだろう。
足引っ張らないでよとは思ったが、真剣なレッスンの場だから、言葉にするのは控えた。
私の歌声を確かめると、仲川は「ありがとうございます」と一つ頷いた。特に感想を言われなかったから、少し不安になる。音程は外れていなかったし、音域も高松よりは広かったはずだ。きっと住永の歌声を確かめた後で、総評が言い渡されるのだろう。
最後に歌声を聴かせた住永に、私は驚いてしまう。音程も完璧に合っていたし、私よりも一オクターブ高い声まで出ていた。何か歌唱の経験がなければ説明がつかないほどの上手さで、仲川でさえも軽く舌を巻いていた。
私たちはグループ面接も別々だったから、お互いの歌声はこの日初めて聴く。住永の歌声は明確な武器で、これが決め手でオーディションに合格したのだろうと、私は感じた。
「皆さん、ありがとうございます。おかげさまでそれぞれの指導の方向性が見えました。まだ至らないところばかりですが、自分に合った練習を続けていけば、きっと大きく伸びていくと思います。では、まずはウォーミングアップから始めていきましょうか。力を抜いて口を閉じたまま息を吐いて、唇を震わせてください」
こうして、私たちのレッスンがスタートした。この動きはリップロールと言って、私と住永はまあまあできていたものの、高松は全然できていなかった。先が思いやられるけど、三ヶ月後にはある程度仕上がっていないと困るのだ。
私たちは集中して、仲川のレッスンについていく。アイドルとしての人生は、まだ始まったばかりだった。
(続く)