【第23話】何のために
「溝渕、元気出してよ。溝渕が気に病むことじゃないって」
前の席に座る高松が気を遣ったのか、振り向いて私に声をかけてくる。でも、私はうまく答えられなかった。
子供たちとの交流を終えてから、待つこと二時間。私たちはようやく、青木がいる病室に入ることができていた。青木は眠ってはいたものの、呼吸器や点滴をはじめとして、周囲にはさまざまな管が走っていて、一定のリズムを刻む心拍計が私たちに事の重大さを突きつけていた。
先生の話によると、今は眠っているものの、一時はかなり危険な状態にあったらしい。またいつICUに入ることになるか、現状では分からないようだ。
私は青木を起こさないように、ただ見つめていた。安心した表情は、自分が生死の境をさまよったことを自覚していないようだった。
「そうですよ、溝渕さん。一命は取り留めたんですから、よかったじゃないですか」
隣に座る住永も、私を励ますように言う。確かに二人の言う通りだ。青木があんな状態になってしまった以上、私にできることなんてない。
でも、私はまだ顔を上げられなかった。まだ二回しか会っていないのに、想像以上に私の中で青木の存在が大きかったことに気づく。
「ねぇ、私たちって何のために、あの病院内学級を訪問してたのかな」
私の返事に、二人は言葉に詰まっていた。
分かっている。井口から説明された意義はちゃんと。
だけれど、それだけでは私は納得できなかった。どうにもならない現実は、容赦なく襲いかかってくる。
「歌と踊りで、病院内学級の子供たちを励ます。車椅子に座ってる私たちだからこそできることがある。それは分かってるよ。でも、現実はどう? 危険な状態になってしまった人には、私たちの歌は届かないし、励ますことも勇気づけることもできないんだよ?」
青木の顔を思い浮かべる。ぎこちなくても、最後に私に見せてくれた笑顔は輝いていた。
「分かってるよ。私だってアイドルには何度も助けられてきたし、救われてきた。でも、本当に大変な状況にいる人は、歌では救えないんだなって、今日思っちゃったんだよ。結乃ちゃんだけじゃない。私たちって、何のために歌ってるんだろうね。何のためにアイドルやってるんだろ?」
車内は静まり返って、エンジン音だけがやかましい。空気が目も当てられないほど重くなったのは、私のせいだ。
「ってごめんね。こんなこと考えてる場合じゃないよね。うん、明日のレッスンもがんばろう」と何でもないように振る舞って、雰囲気を改善しようとする。
でも、あまり功を奏してはいなかった。
「溝渕、そういうことはたとえ思ってても、あまり言わない方がいいよ」
やんわりと釘を刺してくる高松の言葉は、リーダーゆえのものだろう。だけれど、その言葉の裏に隠された意味を、私は感じ取ってしまう。高松の目は、態度ほどには私を責めてはいなかった。
「そりゃ私だって、後ろめたい気持ちになるときだってあるよ。私たちのゴールってなんだろうって、不安になるときもある。だけれど、その思いは胸の中にしまっとかなきゃ。たとえ誰にも聞かれてなくても」
私たちの車に今、井口は乗っていなかった。運転しているのも事務所の外の人間だ。それでも、高松は声を潜めていた。どこから話が広がるかは分からない。
「そうですよ、溝渕さん。人間ですから、ネガティブな感情を持つのは当然です。でも、私たちはアイドルなんですよ。人前に出たら明るく元気な様子を演じなきゃ、しょうがないじゃないですか。ファンの方も暗くしている私たちを、見たくはないでしょうし」
住永の言うことは一〇〇パーセント正しかった。私たちは、鏡の前で歌って踊ってるんじゃない。他の人が見ていて、そこに金銭が発生している以上、商売であることからは逃げられない。わざわざイメージを落として、いいことなんて一つもない。
でも、この鬱屈とした感情は、どこへ向ければいいのだろう。両親なら黙って聞いてくれそうだけれど、アイドル活動に疑問を感じているのかという心配はされたくなかった。
「ねぇ、二人は私の味方でいてくれるよね?」
「もちろんだよ。私たちが私たちを信じないでどうすんの」
「はい。結成したときからずっと私は溝渕さんの味方です」
力強い言葉に、私の胸は詰まる。基本的には味方だけれど、状況によっては敵にもなるファンとは違って、この二人だけには心からの信頼を寄せていいのだと思えた。
「……ありがと。また何か迷ったり、悩んだりしたら今日みたいに相談するね」
頷く二人に、私も少しだけ口元が緩む。この二人なら、何を話しても受け止めてくれるだろう。
軽い渋滞にはまって、車はなかなか進まない。
だけれど、私はさほど苛立ちを覚えなかった。いつの間にか、三人でいる時間に安らぎを感じていた。
それはいつものように、歌とダンスのレッスンを受けた後のことだった。私たちが雑談をしながら、帰り支度をしているところに、井口が入ってきたのだ。
井口がこの貸しスタジオに来るのは毎回のことだから、驚くには値しない。だけれど、私たちは一瞬動きを止めていた。井口に続いて、鶴岡が入ってきたからだ。
前回のライブ、一日目が終わった後にも来てくれたけれど、今日の鶴岡は雰囲気がまったく違う。穏やかな表情をしていても、どこか険しいオーラを私は感じた。
「皆さん、今日もレッスンお疲れ様でした。ゴールデンウィークのJIFに向けて、パフォーマンスも日に日に向上していることと思います」
挨拶みたいに井口は言ったけれど、私たちの関心はそこに向いていなかった。鶴岡が来た理由を、私たち三人ともが図りかねていた。
「さて、本日は鶴岡さんから大事なお話があります」
そう言って、井口は一歩後ろに下がる。煮え切らない表情をした鶴岡と、私たちは久しぶりに向き合う。こんなにも恐々とした人だったっけと感じた。
「皆さん、日々のレッスンや活動お疲れ様です。アンリミテッドも大分軌道に乗ってきて、皆さんも大きな手ごたえを得ていることと思います」
鶴岡は、私たちを労うところから話を始めた。
だけれど、私は知っている。最初に持ち上げてから落とすのが、大人のやり方だ。
「日々多大なる努力をして、アイドル活動に取り組んでいる皆さんに、こんなことを言うのは本当に申し訳ないのですが、それでも伝えなければなりません」
音はなくても、私たちが一斉に息を吞んだのが、私には聞こえた。悪い予感が当たりそうで、身体が震えそうだった。
「結論から申し上げます。本局、Kanade TVは来月、四月いっぱいを持ちまして閉局することになりました」
鶴岡の言葉に、辺りは一瞬静まり返った。暖房は利いているのに、私は身体中に寒気を感じてしまう。
「……とうとうですか」
高松が静かに口を開く。以前から閉局を知っていたかのような口ぶりだ。
だけれど、それは私の心情とも大差なかった。予兆は今年に入ってから、ずっと感じていたからだ。
「はい。他のネットTV局の開局や、配信サービスの利用者数の増加などで、去年の暮れ頃から経営的にも視聴者数的にも、厳しい数字が続いていました。私たちも手を尽くしましたが、一度離れた視聴者はそう簡単に戻ってきてはくれず。スポンサーからの出資金額も減少の一途を辿っていき、このまま事業を継続するのは難しいという判断になりました。Kanade TVをメインフィールドとして活動している皆さんには、心苦しい限りです。謝罪の言葉さえ見当たりません」
鶴岡の説明も上の空になっていた私の頭には、まったくと言っていいほど入ってこなかった。私だってバカじゃないから、予感していなかったわけじゃない。スタジオセットも出演者も目に見えて縮小していたから、経営が苦しいのかなとは感じていた。
だけれど、それはまだ先のことで、きっと何とかなるだろうとも思っていた。
でも、現実は少しも甘くなかった。私たちが永遠じゃないように、Kanade TVだって永遠ではなかったのだ。
「それって、もう決まりなんですか……?」と、信じられないように訊いている住永の気持ちが、痛いほど分かる。私だってすぐには信じることも、受け入れることもできない。
だけれど、鶴岡は首を縦に振っていた。処刑台に上った私たちの頭に、ギロチンを落とすかのように。
「そんな……! じゃあ、私たちはこの先どうなるんですか……!?」
半ば泣きつくように住永が言う。かすかに目を伏せる鶴岡が、今は憎らしい敵にしか見えない。
「現在、いくつかのプロダクションと交渉していて、皆さんの活動がなんとか継続できるように検討中です。安心はできないかもしれませんが、ゴールデンウィークのNIFまでは、私たちが責任を持ってマネジメントを続けますので、それだけは信じてください」
「なら、その後は……」
絞り出すように言った住永に、鶴岡ははっきりとした返事をしなかった。「まだ検討中です」とすら言っていない。
調子がいいときに私たちを集めて結成させておいて、自分たちの具合が悪くなったら、容赦なく私たちを放り出そうとしている。そんな相手、信用できるはずがない。
「私からは以上です。皆さん、こんな事態を招いてしまって、誠に申し訳ございませんでした」
鶴岡は頭を下げた。旋毛の辺りが少し薄くなっていることに、私は初めて気づく。
ここで言うべき言葉は、たぶん「鶴岡さん、謝らないでください」といった類のものだ。鶴岡だけのせいではないと。
でも、私たちは誰もそういった種類の言葉を口にしなかった。謝らせていることに気が引けるよりも、こんな状況にしやがってという怒りの方が、私には強かった。
三人でただ鶴岡を見つめる。鶴岡の謝罪は何も言わなければ、このままずっと続きそうなほど深いものだった。
その夜はなかなか寝つけなかった。二時間たっぷりレッスンを受けて、身体は疲れているはずなのに、目を瞑っても眠りは私を誘ってくれない。貸しスタジオで受けた衝撃を、私の心と頭は未だに消化しきれていなかった。
これからどうなるのか。ただでさえ一般的なアイドルとは違う私たちを受け入れてくれるプロダクションなんて、本当に存在するのか。考え出すと不安でたまらないし、だからといって何も考えないようにすることも、私にはできなかった。
ただ起きていると、この夜がずっと続くような錯覚に襲われる。いてもたってもいられず、私は枕元に置いたスマートフォンを手に取っていた。
〝ねぇ、二人とも起きてる?〟
そう私がグループラインにメッセージを送ったのは、夜も一時になろうかという時だった。二人が起きているとは、正直思えない。
でも、返信がなくてもいいかぐらいの気持ちで打ったラインに、すぐ二件の既読がつく。明日も平日なのに夜更かしをしているのか、それとも私と同じで眠れないのか。
どちらにせよ、反応があって私の心はいくらか落ち着いた。
〝今日の鶴岡さんの話、どう思った?〟
改めて確認するまでもないことを訊いたのは、私がまだ現実を受け入れきれていないせいだった。認めるしかないと分かっていても、もう一人の自分がぶんぶんと首を横に振っている。
〝どう思ったも何も、ふざけんなって思ったよ。私たちの活動拠点がなくなるんだよ? JIF後の見通しも立ってないままで。はい、そうですかって受け入れられる方がおかしいよ〟
私たち三人の他には、誰もこのグループラインを見ていないからだろう。高松は怒りを露わにしていた。大人びていない素の態度に、私は頷く。不安と怒りと失望。どのみち前向きな感情ではなかった。
〝私も正直、腹が立ちました。Kanade TVや鶴岡さんたちを信じていたのに、裏切られた気分です。言うにしてももっと早い、可能性の段階で伝えてほしかった。そうすれば、心の準備もできたかもしれないのに〟
鶴岡の前でさえ、住永は軽く怒りを滲ませていた。納得はできるはずもないのだろう。
もちろん、私だってとうてい納得していない。だけれど、鶴岡たち大人のせいだけにするのも、少し違うような気がしていた。
〝ねぇ、こんなことになる前に、私たちにも何かできることはなかったのかな?〟
〝できることって?〟
〝私たちがもっとがんばってCDとかチケットとかグッズを売ってれば、もしかしたらKanade TVは続いてたのかもしれないなって”
私だって分かっている。アンリミテッドの売り上げぐらいじゃ、Kanade TVを支えるにはまったく足りない。
それでも私は、そう打たずにはいられなかった。Kanade TVに関わった人間として、責任の一端を感じていた。
〝何それ。私たちはもうこれ以上できないってとこまでがんばってるじゃん。結成から一年足らずでシングルを二枚、アルバムも一枚出せて。日々のレッスンだって必死に取り組んでるし、どんなライブでも全力を出してきた。少なくとも私はそう思ってるけど、溝渕は違うの?〟
〝そりゃそうだけど……〟
〝そうでしょ。だったらもう、そんなつまんないことは考えないで。私たちは何も悪くない。やれるだけのことをやった。それだけだよ〟
高松の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。納得できない現実を、何とか納得しようとしているようだった。
私も一人で頷く。文面を自分の身体に染みこませるみたいに。
〝そうですよ、溝渕さん。鶴岡さんたち運営の力も確かに大きいですけど、それだけじゃない。今の私たちの人気は、紛れもなく私たちの力で獲得したものですよ。私たちがレッスンをはじめとした活動をがんばったおかげですよ〟
住永も確かめるかのように、返信を送ってくる。確かに運営がどれだけ力を尽くしたところで、実際に歌って踊るのは私たちなのだ。どんなに機会があっても、パフォーマンスが悪ければ生かすことはできない。
一年間必死に取り組んできたおかげで、NIFにも出られるようになったのだ。それだけは誇ってもいいだろう。
〝そうだね。私たちはもう十分がんばってるよね〟
〝うん。でも、まだまだがんばり続けなきゃ。とりあえずはNIFまで、今までと同じくらい必死にがんばらないと。そうすれば、私たちを見たどこかのプロダクションが、手を挙げてくれるかもしれないしね〟
〝高松さんの言う通りです。未来を他の誰でもない、私たちの手で掴み取りましょう!〟
力強い文面から、二人がNIF、そしてその先に向けて抱いている想いが見えて、私は感化される。もちろん鶴岡たちの交渉も重要だが、それ以上にNIF後もアイドルを続けられるかどうかは、私たちの活動にかかっている。
私は気を引き締めた。明日もレッスンはある。いつまでも落ちこんではいられない。
〝うん! お互い身体には気をつけて、また明日からのレッスン、はりきってこう!”
私がそう打ち込むと、二人は思い思いのスタンプで返信をしてきた。ウサギの目に炎が宿り、世界的人気のクマのキャラクターが笑顔で親指を立てている。
私はスマートフォンを枕元に置いて、再び目を閉じた。眠りに落ちるまではまだ時間がかかったけれど、ラインをする前の強固な不安は、少し軽くなっていた。
(続く)




