【第21話】DBS
アルバムが発売されてからというもの、私たちの活動はより活発になっていた。
二月の下旬にアルバム発売記念のライブが二日間あり、六曲もあるアルバム曲の全てを人前で披露できるレベルに仕上げなければならないから、レッスンは急ピッチで進んでいた。SNSの更新もこまめにしなければならなかったし、Kanade TVの収録に参加する回数も増えている。
さらにはCMで知名度が上がったおかげか、雑誌の撮影やラジオ番組出演などの新しい仕事も私たちには入っていた。
毎日のように入っているスケジュールに、私は帰ったらご飯を食べて、お風呂に入らせてもらうと、ベッドに直行する日々を送っていた。
必要とされているのはありがたいけれど、あまりの活動量の多さに、私は確実に疲れていた。今が稼ぎ時で、少しすれば落ち着く。そんな予測を当てにして、今日も何とかレッスンに向かう。
売れっ子と呼ばれるアイドルは、私の倍以上の仕事をこなしているはずで、アイドルに抱いていた憧れは、リアルな尊敬に変わっていた。
〝ちょっと二人ともいいですか?〟
そのメッセージが送られてきたのは、ライブを数日後に控えた夜のことだった。いつもの通りレッスンでくたくたになった私が、ベッドで寝ようとした瞬間、スマートフォンが振動したのだ。
送り主は住永。送り先は私たち三人だけのグループラインだ。一応結成した当初からお互いのラインは交換していて、グループラインも作っていたが、今まで使われた試しはほとんどない。
だから何事かと思って、私の目は覚めてしまう。
〝うん、いいよ〟
〝どうしたの? 住永から連絡してくるなんて珍しいじゃん”
高松もまだ起きていたようで、一分もしないうちに既読が二つつく。
〝あの、一つ相談したいことがあるんです〟
短いメッセージから、私は画面の向こうの住永の表情を想像した。わざわざほとんど動いていないグループラインを使ってきたのだ。軽い話なわけがない。
〝何? 何でも聞くよ〟
そう送った高松に、私も声には出さずに同意した。住永が勇気を出してラインしてきたのは、分かっていた。
〝お二人は最近のレッスンや活動の多さに、大変だなって思うことはありませんか?〟
私たちに訊くってことは、自分がそう思っているんだろう。住永が送ってきたのは、まさかの愚痴だった。
二ヶ月ぶりのラインがそれかよとも思ったが、私は住永をたしなめられない。住永は現在の医学では治ることのない病気を抱えている。薬を服用しなければ、アイドル活動はできないのだ。
だから、私は住永に話を合わせることにした。
〝そりゃ、ちょっとは思うよ。いくらチャンスだからって、最近は少し忙しすぎるよね〟
〝私も井口さんには言えないけど、正直思うことはある。でも、これからもアイドル活動を続けていくなら、もっと忙しい時期もあるかもしれないし、このくらいでへこたれちゃいられないよ。それに、週末のライブが終わったら一息つけるんだから、それまでの辛抱だよ〟
意外だったのは、私だけじゃなく高松も、住永のラインに理解を示したことだった。結成した当初は、愚痴や弱音を吐くことは許さない雰囲気があったのに。やはり住永の病気のことを知って、歩み寄ろうとしているようだ。
〝ありがとうございます。お二人にそう言ってもらえると、あと少しがんばろうって思えます〟
〝あと少し?〟
住永のラインに引っかかるところを見つけた私は、何も考えずに返信を送っていた。実際にメッセージとして表示されると、リアルさが強調されてやってしまったと思ったが、消すことはできなかった。
〝はい。アンリミテッドの活動が多少なりとも落ち着いたら、私少し休養をいただきたいと思ってるんです〟
深刻な住永のラインにも、私は大きなショックは受けなかった。病気を抱えている住永にとって、ここ最近のハードスケジュールは、私たち以上に堪えていたのだろう。
だけれど、すぐに信じることもできなかったから、私は〝それってもう決定事項?〟と返信を送る。高松も〝そのこと、井口さんには相談したの?〟と反応していて、真正面から受け止めることはできていないようだった。
〝いえ、まだ決まっていませんし、井口さんに相談もしていません。まずはお二人がどう思うのかを聞きたくて〟
そのラインに、私はすぐ返信できなかった。住永が休養したいという理由は、分かりきっていた。
それでも高松は〝まあ最終的には私たちがどう思うかよりも、住永がどうしたいかだと思うんだけど、まずは理由を教えてよ。それを知らなきゃ私たちは判断できない〟と住永に迫っている。文面だけは冷静だ。
〝はい。実は今年に入ってから徐々に薬の効きが悪くなっていて、震えやジスキネジアといった症状が出てくることが、多くなったんです。薬の効いてないオフの時間も、以前と比べると長くなりましたし、このままアイドル活動を続けるのはお二人にも、周囲やファンの方々にも迷惑がかかると感じたんです〟
住永の説明に、私は一人で頷いていた。
確かに最近、住永に若年性パーキンソン病の症状が出ているのを見ることが多くなった。人前に出ているときはドーパミンが放出されているのか、なんとか支障のないように振る舞えているものの、それもいつまで続くかは分からない。
活動が落ち着いたタイミングで、いったん体調を整えたいと思うのは当然だろう。
〝なるほどね。で、休養したいと。でも、具体的にどうするの? ただ身体を休めているだけじゃ、症状は改善しないんじゃない?〟
〝高松さんの言う通りです。ですから、私はこの病気の症状を改善するために、手術を受けたいと考えています〟
〝手術!?〟自分でも気がつかないうちに、私は返信していた。そんな素振り、住永はまったく見せていなかった。
〝はい。DBS手術といって、脳に電極を埋め込んで微弱な電気刺激を送り、症状を改善しようという手術を今、両親と検討しているところです〟
文面は淡々としていたけれど、イメージすると私は途端に怖くなってしまう。脳に外から電極を埋め込むということは、頭にどんなに小さくても、穴を開けるということだ。そんなの自分だったら恐ろしくて、踏ん切りがつきそうにない。
〝すごく大変そうだけど、もし手術をするとしたら、どれくらいの期間がかかるの?〟
〝そうですね。手術自体は丸一日かかりますし、胸部に刺激を発生させる装置を埋めこむには、さらにもう一週間ほどかかってしまいます。術後安静にしなければならない期間も考えると、大体一ヶ月は活動をお休みしなければならないと思います〟
〝そんなにかかるんだ。でも、やればそれだけ効果は出るんだよね?〟
〝はい。うまくいけば、薬を半分ほどにまで減らすこともできますし、それに伴ってオフの時間帯やジスキネジアといった副作用も、減っていくと思います。なので、休養が明ければ、今以上にアイドル活動ができる可能性も少なからずあります”
住永からのラインを読んでいる限りでは、そのDBS手術はいいことづくめのように思える。たった一ヶ月休むだけで、アイドルでいられる時間をのばせるなら、絶対にした方がいい。
でも、ことはそう簡単ではないことは、私だって分かっていた。高松も書いていた通り、大事なのは住永本人の思いだ。
〝確かに効果はありそうな手術だけど、住永はどう思ってるの?〟
〝どういうことですか?〟
〝本当に、進んで手術を受けたいのかってこと〟
私のラインに、住永はすぐに返信をしなかった。2と表示された既読の数字が、空しく浮かぶ。
待っている時間だけで、私は住永がどう感じているのか、それとなく察した。
〝理屈ではした方がいいのは分かっています。でも、本当に正直に言えば、怖くてたまりません。だって、小さくても頭に穴を開けるんですよ。麻酔で眠っている間に全部終わると分かっていても、考えただけで身の毛がよだつ思いがします〟
私たちは住永のラインに、返信で口を挟むことはしなかった。今は住永に、ありのままの思いを吐き出させたかった。
〝それに手術が成功して、症状が改善したとしても、再びステージに立てるかは定かではないですから。だって、一ヶ月も休むんですよ。その間の遅れを取り戻せるか、正直私には自信がありません。もしかしたらお二方には追いつけず、足を引っ張ってしまうかもしれません〟
住永が吐露した不安が、私にはそれとなく分かる気がした。
私たちは今、毎日のようにレッスンを行うことで、パフォーマンスを維持し、より向上させようとしている。ただでさえ一ヶ月のブランクは、私の想像が及ばないほど大きい。その上入院していては、以前の水準にまで戻るかさえ不確かだ。住永が恐れを抱くのも当然だろう。
それでも、私は自然と手を動かしていた。一日でも休んだら終わりという、私にもある恐怖心を封じこめるかのように。
〝大丈夫だよ。ちゃんと井口さんに相談すれば、休養が明けた後も万全な状態になるまで、ライブは控えてくれるって。だって住永が病気を持ってるって分かってて、合格させたんでしょ。鶴岡さんたちだってきっと理解してくれるよ〟
〝そうだよ。それにブランクがあって思うように身体が動かないときも、私たちがフォローするから。住永は一人でステージに立ってるわけじゃないんだよ。もう半年以上、一緒にやってきたでしょ。そろそろ私たちを信じてくれてもいいと思うけどな”
私はもちろん、高松も当然住永の味方だった。
この半年、家族以外では一番顔を合わせている私たちだ。既につまらないプライドやくだらない遠慮は、かなりなくなっている。本当は住永にもタメ口で話してほしいくらいだ。もちろん強制はしないけど。
〝はい。もちろんお二人のことは信頼しています。私がどんな状態でも助けてくれるであろうことも。でも、私は自分のことがまだ信じられないんです。どれだけお二人や周囲の方々が力を尽くしてくれたとしても、歌って踊るのは、他でもない私自身なんですから〟
私たちが励ましてもなお、住永は不安そうだった。
当然だ。自分の口や手を動かせるのは、どこまでいっても自分しかいない。住永が身体に関して抱えている不安は、住永にしか分からない。そんな当たり前を覆す力は、私にはない。
それでも、住永を励まし続けることはしたかった。もとより、私と高松にできることはそれくらいしかなかった。
〝そうだね。住永の身体のことを一番分かってるのは、住永自身だもんね。でも、自分は信じられなくても、今まで積み重ねてきた経験や、私たちと過ごした時間は信じてほしいな。少なくとも私は、アンリミテッドを結成してからの全ての時間に意味があると思ってるし、そこまで否定されちゃうとちょっと悲しいよ〟
〝私も溝渕の言う通りだと思う。デビューしてからの全ての経験、いや、住永が生まれてからの全ての時間が、今の住永を形作ってるんだよ。そこには私の知らない、住永に関わってくれた多くの人がいて。私も自分を否定することだけは、やめてほしいなって思う。それは住永に関わった全ての人を、否定してるってことだから。せめて肯定はしてほしいかな。大丈夫。自己肯定と自信は、また別のものだから〟
私たちは言葉を尽くして住永を諭し、励ました。何があっても大丈夫というメッセージを伝えるために。
住永が返信するまでには、また少なくない時間があった。迷い、葛藤しているのだろう。
スマートフォンを枕元に置いて数分が経った頃、私は再び振動音を聞いた。手に取ると、住永からの返信が来ていた。
〝こんな長文で励ましてくださって、ありがとうございます。お二人のおかげで、少し勇気が出てきました。ひとまずライブが終わったら、井口さんに相談してみます〟
〝いや、今でもすごい大変で、しんどいんでしょ? 明日にでも相談したら?〟
〝いえ、ライブはライブでやりきりたいんです。今週末のライブに、私は今持てるすべてをぶつけたいんです。そのために病気や体調のことは、今はあまり考えないようにします。ライブに集中しないと、ファンの方や配信で見てくださっている方々を喜ばせることはできませんから〟
文面からでも、住永の強い意気込みが伝わった。ここまで断言されると、私は一緒にがんばろうねとしか言うことができない。
〝分かった。今までで最高のライブにできるよう、三人でがんばろう。でも、無理はしないでね。ヤバいなって感じたら、限界まで我慢する前に、井口さんに相談してね〟
〝はい。無理をしすぎたら、かえってお二人や周囲の方々に迷惑がかかってしまうので、そこはちゃんと心得ておきたいと思います〟
〝なら、よかった。じゃあ、また明日ね。レッスンもいよいよ大詰めだし、もうひと踏ん張りがんばってこう〟
〝はい! お二人ともおやすみなさい〟
〝うん、おやすみー〟
〝おやすみー〟
そう入力して、今度こそ私はスマートフォンを置いて、目を瞑る。それ以降、スマートフォンは振動音を鳴らさなかった。
気持ちを落ち着かせて、眠りにつこうとする。
なんとかなると、何の根拠もないのに思った。
(続く)




