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【第20話】インストアライブ



しんとした空気が、私たちの周りを包む。早朝、開店前の喫茶店は、暖かな茶色でまとめられた内装が、心を落ち着けるのにちょうどいい。まあそれも外から聞こえてくる雑踏と、私に向けられているカメラがなければの話だけれど。


「溝渕さんがアイドルを志したきっかけとは、何ですか?」


カメラの後ろにいる監督が、私に向かって訊いてくる。昨日、井口からラインで送られてきた通りの質問だ。


「五歳のときなんですけど、たまたまテレビの音楽番組で、アイドルの人たちを見たんです。明るく楽しく元気そうに歌って踊る姿が、そのときの私には衝撃で。今もその初期衝動が続いてるって感じです」


私も、ここに来るまでに考えていた答えを返す。監督をはじめとしたスタッフ全員が、頷いて反応をくれる。


午後にレッスンを控えた日曜日の朝、私は一人でカメラの前にいた。ドキュメンタリー動画の撮影のためだ。随所で挿入されるコメントを撮るために、私たちは一人ずつ個別に喋る必要があった。


既に高松と住永は、コメント撮りを終えているらしい。二人が何を喋ったのかは、私には一切知らされていなかった。


「それで去年のオーディションに応募されたと思うのですが、どうでしたか? 自信のほどはありましたか?」


「はい。私は歌もダンスも未経験だったんですけど、絶対アイドルになれるっていう、根拠のない自信だけはあったので。もちろん本当に合格したときは、人生で一番嬉しかったです」


「でも、全くの未経験の状態からこうして立派にアイドルとしての活動をしているって、すごいことだと思うんですが」


「ありがとうございます。でも、私一人の力では絶対にここまで来れてないです。日奈子や愛瑠、レッスンをしてくれたり、曲を作ってくれる先生方。いつも私たちを支えてくれるスタッフさん。そして、どんなときでも私たちを応援してくれるファンの方々。本当に色々な人のおかげで今の私があるなというのは、日々感じています」


自分の言っていることがあまりにも優等生すぎて、歯が浮くようだ。でも、顔には出さない。恥ずかしがってもいいことは一つもない。


「メンバーお二人の印象についてはいかがですか? 高松さんや住永さんとは、オーディションで初めて知り合ったんですよね?」


コメント撮りはつつがなく進んでいき、気がつけば、一番答えるのが恥ずかしい質問に移っていた。考えるのに昨日一晩中かかった、難しい質問だ。


でも、二人は同じ質問を既に答えたと聞く。私だけが答えないわけにはいかなかった。


「そうですね。日奈子は私たちのリーダーですし、センターを務めてくれることも多いので、とても頼りにしています。今私たちがうまくいってるのも、日奈子の存在によるところが大きいと思います。意識してたのは私だけかもしれないんですけど、それでも少しずつ気兼ねなく話せるようになってきて。芸能界の先輩としてアドバイスもくれますし、とても助かっています」


「では、住永さんについてはいかがですか。溝渕さんと同じく、未経験からアイドルの世界に飛びこんでいますが」


「ええ、正直最初は少し頼りない部分もあったんですけど、ライブや色々な経験を重ねるうちに、どんどん頼もしい存在になってくれています。もともと最初のレッスンのときから歌は抜群にうまかったですし、私たちのパフォーマンスは、愛瑠抜きでは成り立たないです。初めの頃は私たちに気を遣ってたのか、遠慮深そうにしてましたけど、最近はいい意味で固さが取れてきたというか。よく楽屋とかで、他愛のない話をして楽しんでます」


私の言葉には、関係性をよく見せるための嘘もちょっとは含まれていたけれど、それでもほとんどは本心だった。アンリミテッドはこの三人じゃなきゃダメだし、誰か一人欠けても成り立たない。


私たちはいつの間にか、お互いを支え合えるようになっていた。初めて顔を合わせたときを思えば、長足の進歩だ。


「では、最後にお訊きします。溝渕さんがアンリミテッドを続けていく中で、夢や目標といったものは何かありますか?」


「そうですね……」。そこで私は言葉を区切って、少し考えこむ表情をしてみせる。半分は自己演出。もう半分は本当に迷っていた。これだけは質問を送られてから今に至るまで、まだ答えは出ていない。


そもそも私は今の活動を続けるのに精いっぱいで、あまり夢や目標を考えていなかった。


「一人でも多くの方に、私たちの存在を知ってもらうことですかね。やっぱり歌って踊ってる以上は、多くの方に聴かれたいし、見られたいですから。応援してくださる方が増えて、その応援がさらに私たちのパワーになって、よりよいパフォーマンスを目指す糧になる。そんな好循環をもっと生み出せたらいいなと、今は思っています」


私の答えはきっと、模範解答そのものだったのだろう。スタッフ全員が頷いている。正しいことを言った自覚はあったし、大意に嘘はない。


だけれど心の片隅で、これ以上負担がかかるのは……と思っている自分もいた。ファンの存在を負担に結びつける。そんな思考は持ってはいけないけれど、祐貴のことを考えると、今歩んでいる道が本当に正しいのか、少し疑問に感じてしまう。自分が望んだ道のはずなのに、なんて自分勝手なんだろう。


私はそんな思いを振り払い、撤収作業をしているスタッフの、なるべく一人一人に向かっていって、「ありがとうございます」と挨拶をした。


笑顔でいれば、自分はまだアイドルでいられる。人前に立てる。そんな感覚があった。





外の騒がしさが、控室にいても届いてくる。私たちを待ってくれている人、そうではなく普通に買い物をしている人。あまり感じたことのない騒々しさに、落ち着いて緊張を鎮めることはできなかった。店内に流れる洋楽が、ここにいても耳に触れる。


私たちは一つ息を吐いてから、互いの目を見つめ合った。高松が「よし! 行こう!」と、外に漏れない程度の声で言う。私たちも「うん!」と頷く。


井口が「皆さん、時間です。いってらっしゃい」と告げてから、ドアを開けた。私たちは、私を先頭に車椅子を動かす。


今日は私たちのファーストアルバム『We are Unlimited!!』の発売、そして配信日だった。


広く取られた通路を通って、私たちは客の前に姿を現す。ビルの七階に入ったCDショップのイベントスペースに集まった人数は、ざっと一〇〇人に満たないくらい。CDを買ってくれた人しかここにはいない。それでも、客席が満杯になるくらいには集まっている。


清涼飲料水のCMやKanade TVの番組出演、さらには配信開始と同時に公開された、ドキュメンタリー動画。それらの効果は着実にあったと、私はイベントスペースに姿を見せた瞬間に送られた拍手で知る。知った顔と見知らぬ顔。客層が確実に広がっているのは、スロープを上がって、客席を一目見た瞬間にすぐ分かった。


高松と住永もステージに上がり、私たちが配置につくと、挨拶もそこそこに一曲目のイントロが流れだす。アルバムのリード曲『恋はユーフォリア』だ。


私たちはもう何十回も歌っているが、客は生でこの曲を聴くのは、初めてのはずだ。


だけれど、難なくリズムに乗っていて、既にミュージックビデオ等で、この曲を身体に馴染むほど聴いてくれているらしい。ステージに上がる前に抱いていた猜疑心や不信感を、興奮や高揚感が上回る。


マイクを握って、歌い出す。スピーカーから声がイベントスペース中に拡散していき、客席は初めて生で聴いたとは思えないほど、盛り上がる。


こうやって好意的な反応を受け取っていると、やっぱり私は歌うのが好きだなと思う。でも一人だけなら、ここまでの好感触は得られない。隣に高松と住永がいてくれるのが、とてつもなく心強い。やっぱりこの三人でなくては。その思いを、私はステージに上がるたびに強くしていた。


「皆さーん! 今日は私たちアンリミテッドの、初めてのインストアライブinテナーレコード渋谷店にお越しいただき、ありがとうございまーす!」


曲が終わって高松が元気に挨拶をすると、客席も手を叩いて応えてくれた。外は寒いのに多くの人が半袖で、剥き出しの腕が振られる。ライブハウスにも劣らない熱量だ。


「今日は皆さんに会えて、私たちとっても嬉しいです! もう私たちのファーストアルバム『We are Unlimited!!』は、聴いていただけましたかー!」


私がそう呼びかけると、客席は頷いたり、「聴いたよー!」とか「よかったー!」とか言ってくれる。聞き覚えのある声も混じっていて、私はその光景を、少し異様だと感じてしまっていた。歌っている間だけかかっていた魔法が解けたようだ。


ここにいる人たちが、私と祐貴を疎遠にさせる一因を作ったのだと思うと、素直に喜びづらい。もちろん顔には出さなかったけれど。


「ありがとうございます! 今日は短い時間ですけど、最後まで楽しんでいってください!」


返ってきた反応に、住永は手を振って応えていた。控室では、私と同じように緊張でガチガチだったというのに、少しは人前に出ることに慣れてきたのだろうか。


住永の姿を見て、客席の表情はさらに緩む。大の大人が揃いも揃って。考えてはいけないことを、私は頭の片隅で考えてしまっていた。


「それでは、次の曲も『We are Unlimited!!』から! 『アンビバレント・パニック』、聴いてください!」


盛り上がりそのままに高松が曲紹介をして、『アンビバレント・パニック』のイントロが流れだす。鋭いカッティングギターから始まるこの曲は、今回のアルバムでも屈指のロックチューンだ。速いテンポに、練習してきたダンスを合わせる。


歌い出した瞬間から、客席が曲を楽しんでいるのが見て取れた。照明はついているから、あまり意味のないペンライトを振っている人さえいる。


それを見ると、私の中で渦巻いていた反発心や疑念は、一気に弱くなっていった。代わりに浮上してくる、楽しいという気持ち。


私は歌いながらも、自然と口角を上げていた。歌っている最中はあらゆる嫌なことを、一時的にでも考えずにいられた。





三曲を披露したインストアライブは、熱気を保ったまま終わり、私たちは呼吸を整えてから、同じイベントスペースでサイン&握手会に登場していた。ここにはミニライブを見ていなくても参加できるから、私たちが再び姿を現した時には、既に最後尾が見えないほどの列ができていた。


所定の位置についてサイン&握手会は始まる。私たちはやってくる一人一人に心をこめて歌詞カードにサインをして、手を握った。


いや、その言い方はちょっと語弊があるかもしれない。高松や住永はともかく、私はありがたいと思いながらも、どこかサインや握手を仕事だと割りきっていた。


もちろん嫌な顔はしないし、客とのわずかな会話にも笑顔で応じる。でも、心には少しずつ、でも確実に負担が溜まっていく。


それでも、私の気をよそに待機列はなかなか減らなかった。今回はCDを一枚買うと一人と交流ができるから、複数枚買えば私たち全員と交流することだって可能だ。


その甲斐あって高松はもちろん、私や住永の前にも多くの客が来てくれていた。相変わらず高松の列が一番長いが、私たちだって大幅には劣っていない。ライブやミュージックビデオ、番組に出ての宣伝やCMの効果は確かにあったのだと、再認識させられる。


活動が実を結び始めているのは喜ぶべきなのだろうし、私だって素直に喜びたい。


だけれど、この人たち一人一人が私と祐貴を勝手に応援していたのだと思うと、ほんの少しだけ腹に据えかねる思いも出てくる。


なかなか終わらないサイン&握手会に、本当に失礼だけれど、早く帰って身体を休めたいと私は思ってしまっていた。


「千明ちゃん、久しぶりだね」


握手会も終盤に差しかかった頃、声をかけてきたのはたっくんだった。言うまでもなく私を勝手に擁護してきて、私と祐貴の仲を引き裂くきっかけを作った張本人だ。あれから、祐貴は学校で会っても挨拶ぐらいしかしてくれず、距離は一気に離れてしまっている。


どの面下げてやってきてんだという感じだが、たっくんは私と祐貴の現状なんて、知る由もない。私は笑顔を演じて、たっくんからCDを受け取り、サインをした。演じるのは、いつの間にかうまくなっていた。


「千明ちゃん、ごめんね。こんなに遅くなっちゃって」


「いえ、大丈夫ですよー」と、私はサインを書いたCDを再びたっくんに渡しながら、柔らかな顔で言った。来なくてもいいのにという本心を、口に出したらおしまいだ。


たっくんは住永、高松とサインと握手を貰っていて、最後に私の前にやってきていた。後回しにされた不満も少しはあったが、祐貴とのことに比べたら、大したことではない。


私たちは握手をした。たっくんの厚い手に少しざらざらとした肌触りが、どことなく嫌だった。


「千明ちゃん、今日のライブもよかったよ。デビューライブの頃と比べて、歌もダンスも目に見えてうまくなってる」


うまくなったのはそれだけじゃないけどなと思いながら、私は笑顔で「ありがとうございます」と頷いた。一〇年来のアイドルファンのたっくんだ。私がどう思っているのかも、分かっているのだろう。その上で見ないふりを選んでいる。


温存される関係性が気持ち悪いと、はっきりと思ってしまった。


「アルバムも配信ですぐ聴いたけど、めっちゃよかったよ。お世辞とか抜きに、アイドルのアルバムの中でも、屈指の名盤だと思う」


熱を上げて語るたっくんに、私が使える語彙は「ありがとうございます」だけだった。


さっさと離れてほしいと願う私の気持ちが通じたのか、私の横についているスタッフが「そろそろお時間です」と告げる。たっくんは無理に粘ることはしなかった。


「じゃあ、千明ちゃん。また次のライブでね。アイドルやってく中で、大変なこともあると思うけれど、いつだって千明ちゃんを支える人はいっぱいいるから。そのことを忘れないでね」


そう言って、たっくんはあっさりと引き下がった。「支える人」というのは高松や住永、スタッフといった直接関わる人の他にも、自分たちファンの存在も含めて、たっくんは言ったのだろう。


その中に祐貴も含まれていることに気づいて、私は虫唾が走った。もう祐貴は私とあまり話してくれない。こんな状況に追いやったのはどいつだよ。


だけれど、私はその思いをぐっと堪えて、「ありがとうございました」と明るくたっくんを見送り、次の客を迎えた。


開始から一時間ほどが経って、終わりが見えてきた待機列に、私はあと少しだと自分を奮い立たせた。



(続く)

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