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【第2話】誰のために



面接会場となった第一会議室は、第二会議室の倍ほど広かった。なのに、室内にいる人数は減っているから、部屋の至るところに生まれた空白が、少し気味が悪い。


面接官は男性が三人、女性が一人。いずれもそれなりに年を取っていて、机の前に書かれた肩書きが、その人たちを実際よりも大きく見せている。


飲みこまれないよう、睨まない程度に私は目に力を込めた。


今、第一会議室の空気は最悪と言ってよかった。


それは張りつめた空気が原因でも、ましてや配信用に立てられた二本のカメラスタンドのせいでもない。私の前の子が、自己PRの最初に一発ギャグをやってスベったからだ。その子のオリジナルらしいギャグは、お世辞にも面白いとはいえず、まあまあ暖かかった室内の空気を、一瞬にして凍りつかせた。


その子はスベった後も笑顔を見せていたが、続く自己PRはしどろもどろになっていた。合唱部に入っていたから歌には自信があるという言葉も、たどたどしい話し方のせいでまったく説得力がない。横目で見たその子の顔は、もはや泣き出しそうですらあった。こんなことになるなら、最初から一発ギャグをやらなければよかったのに。このままならおそらく挽回は難しいだろう。


私は思わずライバルである、その子に同情してしまった。


「ありがとうございます。では、続いて溝渕千明さん。自己PRをお願いします」


本来ならここで元気よく返事をして、立ち上がるべきなのだろう。だけれど、私は身体を持ち上げることができなかったから、歯切れのいい返事で代替した。


面接官の目が一斉に私に向く。私は全員の顔を今一度見てから、勢いよく口を開いた。


「私には誰にも負けない、負けん気の強さがあります。私は中学生の時に吹奏楽部に所属して、トランペットを担当していました。私は当時未経験者で、私よりも上手な同級生はたくさんいましたが、私は負けたくない一心で誰よりも長く練習し、また顧問の先生や先輩や同級生、時には後輩からもアドバイスを頂戴し、試行錯誤してきました。その努力が実り、最後の大会で、私は大事なソロパートを担当することができました。アイドルにおいても、私はゼロからのスタートになります。ですが、この経験を生かして、誰よりもレッスンやトレーニングに真摯に取り組み、必ず同情や憐憫ではない、パフォーマンスでお客さんを呼べるアイドルになります」


「以上です」。そう力強く言い切ると、面接官たちは小さく頷いた。私がどんな人生を歩んできたのか分かったかのように。


冗談じゃない。あんたたちに私が味わった切なさや、やりきれなさが分かってたまるか。


でも、当然顔には出さず、柔らかな表情を心がける。緊張していて可愛いなんて思われたくはなかった。


その後、尊敬している人はいるかとか、好きなアイドルは誰かとか、いくつかの質問を経て通り一遍の面接は終わり、そのまま歌唱審査に入った。


事前に指定された曲の一節をアカペラで歌うこの審査は、歌唱力の違いが歴然と現れる。私にはトランペットで鍛えた音感と肺活量がある。それに、この曲は指定される前から好きで、何度も歌ってきた曲だ。練習も毎日したし、後れを取るわけにはいかない。


でも、私の前の子が私より上手くて、若干焦ってしまう。合唱部に所属していたのは、嘘ではなかったらしい。


でも、これは点数を測るカラオケじゃない。たとえそこまで上手くなくても、個性や光るものを見せられれば、合格の可能性は十分にあるのだ。


私は恥ずかしがることなく堂々と歌った。少し音程は外してしまったものの、それでも一生懸命歌った。


面接官が私の歌を聴いて、何かを書きこんでいる。見えなかったけれど、それでもいい評価が下されていると私は信じた。


歌唱審査が済むと、グループ面接にも終わりが見えてくる。右端に座る一番若く見える男の人が、「皆さん、もう質問はありませんか?」と他の三人に訊いている。


もちろんどんな質問が来ても、私は過不足なく答えるつもりだったが、室内には「早く終わってほしい」という空気も漂っていた。隣の子が緊張した面持ちで、質問がないことを願っている。


だけれど、その子の思いに反して、右から三番目に座る唯一の女性が、「一つよろしいですか」と口を開いた。室内の空気がさらに引き締まる。


眼鏡をかけた女性の前には、「番組プロデューサー 鶴岡美佳(つるおかみか)」と書かれた紙が貼られていた。


「皆さんはアイドルを目指してこの企画に応募してきました。ですが、皆さんもご存知のように、アイドルは楽しいことや嬉しいことだけではありません。きっと活動をしていく中で、たくさんの辛いことや苦しいことを経験すると思います。それが今まで前例のない車椅子のアイドルならなおさらです」


鶴岡の言葉に、受験者全員が息を吞む。私たちの覚悟を試しているのだろうか。鶴岡は私たちを見ず、ある一点だけを見つめながら続ける。


「一つお聞きしたいのですが、皆さんはそういった辛いときや苦しいときに、誰の顔を思い浮かべますか? この人のためだったらがんばれると思える人は、皆さんにはいらっしゃいますか?」


指されたのは、私の反対側に座る子だった。「それはアイドルとしてということですか?」と訊いていて、鶴岡に「どうぞご自由にお考えください」と返されている。


応援してくれるファンのため。マネージャーをはじめ、支えてくれるスタッフのため。同じように障害を持っている人たちのため。親や今まで育ててくれた人のため。模範解答がズラリと並んで、私の順番が来るときには、求められている答えは、もうほとんど言い尽くされてしまっていた。


だけれど、私の考えは他の三人とは違った。まだ一番身近にいる人間が挙がっていない。


鶴岡が私の名前を呼ぶ。私は最後まで歯切れのいい返事をしてから、私見を述べた。


「確かにファンの方や、スタッフの方の名前が挙げられるかもしれません。ですが、私にはまだ出会ってもいない人の顔は、いまいちイメージができません。同じように障害を抱えている人も同様です。私は、そういったまだ会ったことのない人よりも、一番私の身近にいる人。つまり、私自身の顔を思い浮かべると思います。どんなことでも、結局は自分がやるかやらないかの二択です。だから、大変なときには鏡に映った自分の顔を見て、自分で自分を励ましたいと思います」


たぶん、私の回答は優等生のそれじゃなかった。でも、思ってもいないことを言って、面接官に媚びるのは嫌だった。


私の答えに、面接官たちが少しざわつく。想定もしていなかったのだろう。


だけれど、鶴岡は「なるほど。分かりました」と言って、私の回答を受け入れてくれた。絵に描いたような真顔から、何を思っているのかは読み取れない。


私は、四人の面接官を今一度見つめる。


やれるだけのことはやった。落ちても悔いはない。


そうは思わない。私は絶対にアイドルになるのだから。



「えっ、千明、最終選考まで残ったんだって? すげぇじゃん」


あまりにも祐貴(ゆうき)の声が大きかったから、私は少し静かにするよう求めた。恥ずかしいことではなかったけれど、こんな風に注目されるのは本意ではない。クラスには私以外にもKanade TVを見ている子はきっといる。どうせならその子たちに、自分の口から堂々と言いたかった。


「別にまだ、なれるって決まったわけじゃないからね。最後の壁が一番高いんだから」


「でも、そこまでいったことがまずすげぇじゃん。だって全国から応募あったんだろ」


「まあ、一次のグループ面接に来てたのは二〇人くらいだったから、そこまで応募者は多くなかったんじゃないかな。だって条件が条件だし」


「それでも大したことじゃんか。アイドルのオーディションってかなり厳しいって聞くぜ」


「それは向いてない人にとっては、ってことでしょ。ちゃんと対策を練って、歌とかの練習もしておけば、難易度は普通の就活と変わんないよ。たぶん」


クラスメイトの目は私たちには、はっきりとは向けられていなかった。友達と喋ったり、一人で本を読んだり、机に突っ伏したり思い思いの時間を過ごしている。だけれど、チラチラと小刻みな視線は感じて、少なからず意識は私たちに向いていた。


私はクラスで唯一の存在だった。車椅子という明確な「個性」がある私に、多くの子たちは距離感や対応を測りかねている。クラス替えをして、まだ一ヶ月も経っていないこの時期ならなおさらだ。話しかけられれば普通に答えるのに、彼ら彼女らは初めて車椅子を目にした幼子のように、私に気を遣っていた。


こうやってざっくばらんに話してくれるのは、小中高と一緒の祐貴ぐらいだ。


「なあ、最終面接って何やんの? なんか歌ったり踊ったりすんの?」


「さあね。内容は一切知らされてないから。でも、色々とつっこんだこと訊かれるんじゃない? アイドルの厳しさや大変さを、具体例を挙げてさ」


「なにそれ。圧迫面接じゃん」


「だね。私もそうならないよう祈ってるよ」


私たちは何もおかしくないのに、小さく笑い合う。祐貴と話していると、変に肩ひじを張ることなくいられた。


一〇分間の業間休みはあっという間に過ぎていく。気がつけば、時計の針はもうすぐ午後二時を指そうとしていた。


「そっかぁ。千明もアイドルになるのかぁ」


「だからまだ決まったわけじゃないって」


「でも、なれるって思ってんだろ」


「もちろん」


「千明がアイドルになったら、こうして気軽に話すこともできなくなんのかなぁ」


祐貴の言葉が何の脈絡もないように思えて、私は思わず「はぁ?」と訊き返してしまう。多少意地の悪い顔をしていたと思うけれど、それでも祐貴は何てことのないように続けた。


「だって、アイドルってレッスンとかライブとか大変なんだろ? 俺が知らないような諸々の仕事合わせるとすげぇ激務になんじゃねぇの? 活動のために、学校を休まなきゃなんない日も出てきたりして」


「それはそうだけど、別に祐貴とこうして話してる分には関係なくない? 別に私がアイドルになったからって何かが変わるわけじゃないし、今まで通りに接してくれていいよ」


「でもさ、もしお前がアイドルになったら、俺と一緒にいるのはマズいんじゃねぇの?」


「マズいって何が?」


「ほら、アイドルって恋愛禁止みたいな風潮あんじゃん」


今日日なかなか聞かない言葉が祐貴の口から出てきて、私は吹き出していた。なんだ、恋愛禁止って。いつの時代だよ。


「あのね、祐貴。そんなことやってるのは、一部のアイドルだけなの。今ってセンシティブな時代でしょ。恋愛禁止なんて、もはや人権侵害だよ」


「そっか? でも、アイドルって夢を売る職業じゃんか。恋愛してたらファンとか離れちゃうだろ」


「あのさ、アイドルになれるくらい可愛い子に彼氏がいないなんて、そっちの方が珍しいでしょ。ファンの人だって、それを分かったうえでアイドルファンやってんだろうし」


「辛辣だな。そういうこと思ってても、あんま表では言わねえ方がいいぞ」


「分かってるって」


時計の針はあまり進んではいなかった。まるで祐貴と私の時間を引き延ばそうとしているみたいに。


他の子も名残を惜しむように話し続けていて、なかなか教室は静かにならない。祐貴は少しそわそわした様子を見せている。次が苦手な古典の授業だからだろうか。


「何? そんなに私と話すことが減るのが寂しいの?」


安心させようと、私はあえてからかった。


「ばっか。そんなんじゃねぇよ」と祐貴は口では否定していたが、強がりなのは明らかだった。無駄にかっこつけている姿に、私はどこか可笑しみを覚える。


「私とあまり一緒にいられなくなるのが、寂しいんでしょ。分かってるって。無理しなくていいよ」


「だから、そんなんじゃねぇって。アイドルになるのはお前の夢だったろ。それが叶うなら、俺だってちょっとぐらい我慢するよ」


そう言い張る祐貴の頬がほんのり赤いのは、いつも日に焼けているからだろう。


でも、祐貴が私を応援してくれるのは、素直に喜ばしい。アイドルになったらきっと、私のファン一号になってくれるだろう。


「ありがと。やっぱ祐貴いい奴だね」


私が微笑むと、祐貴も口元を緩めた。何一つ過不足ないやり取り。でも、それはチャイムが鳴ったのと同時に入ってきた先生によって中断された。


祐貴は急いで自分の席に戻っていく。その後ろ姿を、私は目を細めながら眺めた。ふと窓の外を見ると、校庭の桜はもう散ってしまって、葉桜に移り変わろうとしている。


私はあまり興味の持てない古典の授業を軽く聞き流し、輝かしい未来に思いを馳せた。


最終審査は今週の日曜日だった。



(続く)

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