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【第19話】そのために私は



成人の日は、東京にも雪が降った。幸い積もることはなかったが、車から降りた瞬間にこれまでよりもずっと寒い風が吹いて、思わず身を屈める。ウインドブレーカーの裾を掴む。こんな底冷えのする日に、屋外での活動じゃなくてよかった。


教室に入ると、前回訪れたときの倍近い声援と拍手が私たちを包んだ。病院内学級の子供たちは、あれから一人も欠けることなく、私たちの前に集まってくれている。それが私は嬉しく、満足とは言えない環境でも、笑顔で歌って踊ることができた。


前回とは違う二曲でも、子供たちはちゃんとメロディに乗ってくれていて、サビでは歌い出す子さえいた。ライブハウスとはまた違う距離の近さに、心が暖められる。運営側の打算は否定できないとはいえ、私たちは何も恥ずかしがることはなかった。


ミニライブが終わると、前回同様、子供たちと触れ合う時間になる。高松に人気が集中しているのは相変わらずだが、私や住永のもとに来る子も増えていた。どの子も「CM見たよ」と口を揃えている。


私たちが出演した清涼飲料水のCMは、先週から放映されていた。Kanade TVだけじゃなく、地上波でも放映されている。やはりテレビの力はまだまだ侮れない。寒いなかの撮影は大変だったし、イライラすることもあったけれど、それだけの甲斐はあった。


子供たちとの交流もひと段落したところで、私は教室の端に車椅子を動かした。青木はまだ、私たちの誰とも積極的に話そうとはしていない。シャイなところがあるのだろう。


私は笑顔で近づいた。構えなくていいよと言うように。


「結乃ちゃん、久しぶり」


声をかけられた青木は前回とは違って、明らかに嫌そうな表情はしていなかった。まるっきり歓迎してくれてはいないけれど、それでも側にいる先生に寄りつくこともなく、私と向かい合ってくれている。


「う、うん。久しぶり」


「また会えて嬉しい。変わりがなさそうでホッとしたよ」


前回あれだけ辛辣な言葉を言われたにもかかわらず、私は本心で青木に話しかけていた。青木の病気が軽くないことは、見るだけで分かる。


だからどれだけ避けられようと、こうしてまた顔を合わせられただけで私は嬉しかった。


「ま、まあね。他の子は楽しんでるみたいだし、来てくれてありがたいなとは、私も思ってるよ」


「うん。こっちこそ歌を披露する機会を与えてくれてありがとう。こうして至近距離で見てもらえることで、私たちも元気を貰えてるしね」


私は朗らかに笑う。青木の顔はお世辞にも笑顔とは言えなかったけれど、私はそれでもいいと思った。青木には青木の感情がある。無理して私に合わせる必要なんてない。


「で、今日のミニライブはどうだった? 結乃ちゃんにも楽しんでもらえたんなら、私たちとしては本望なんだけど」


以前会ったときに言ったことは、きっと青木も覚えている。その上で訊くなんて、どんなメンタルしてんだと思われているかもしれない。


でも、私は訊いていた。楽しめたにせよ楽しめなかったにせよ、青木の本心を引き出したかった。


「ま、まあ、客観的に見たらよかったんじゃない? 歌も前よりずっとうまくなってたし。多くの子が楽しんでたと思うよ」


私の期待するような視線をよそに、青木は言葉を取り繕った。ネガティブなことを言ったら、私が傷つくと思っているのだろうか。まあそれはそうだけど、それでも私には、青木の本心が見えてこないことの方が堪えた。


「そう? 青木さんもけっこう楽しんでたと思うけど。車椅子にかけた足がリズムに合わせて、小さく動いてたよ」


側で私たちを見守っていた先生がいきなり言葉を挟んできたから、私は少し驚いてしまう。青木も「ちょっと、先生」と口を塞ごうとしている。


だけれど、先生は意にも介していないように続けた。


「というか青木さん、アンリミテッドの曲よく聴いてるでしょ。ミュージックビデオやCMも、何回も見てるの知ってるよ」


「ちょっと、先生」と、たしなめる青木は頬を赤くしていた。懇願するような声色に、先生もようやく気づいたのか「えっ、もしかして言っちゃいけなかった?」と言っている。


私はにわかに信じられなかった。「バカみたい」とまで言っていた青木が、実は私たちに対して好意的だったなんて。


「結乃ちゃん、それ本当なの?」


「……曲はね、曲は。私音楽けっこう好きだから、その延長線上で」


青木は完全には素直になってくれなかった。だけれど、一部分でも認められたことに、私は確かな満足を抱く。


さらに、表情を緩める。青木は眉間にしわを寄せていたけれど、気にならなかった。


「ありがとう。結乃ちゃんにそう言ってもらえると、私も嬉しいよ。後で二人にも伝えとくね」


「何嬉しがってんの? たった一人に好きって言われただけで、あんたは満足なの?」


「うん、そうだよ。目の前にいる一人一人のお客さんに、私たちの歌やダンスを届けて、私たちを好きになってもらいたい。そのために私たちはアイドルをやってるんだから」


私ははっきりと言った。この状況で回りくどいことを言う必要を感じなかった。


自分でも純粋な言葉だと思う。だけれど、恥ずかしさはなかった。むしろ、言われた青木の方が、私から目を逸らしてしまっている。「バッカみたい」と呟かれた言葉は、赤く染まった頬も相まって、以前のような意味合いは持っていなかった。


「そうだよね。自分でも理想論だと思うよ。でも、結乃ちゃんみたいに見てくれたり聴いてくれる人がいないと、私たちの活動は成り立たないって、最近ようやく分かり始めてきたんだ」


目を逸らしたままの青木に、私は優しく語りかける。目を合わせてくれなくてもいいなんて、ただの自己満足だ。それでも、青木に自分の気持ちを伝えたかった。


「ねぇ、結乃ちゃん。私たち、今度は三月にまたここに来るんだ。だから、そのときにはまた、結乃ちゃんに私たちの歌を聴いてほしいな」


「……もしそのときには、もう私がいなかったらどうすんの?」


「ううん、そんなことない。私たちは絶対また会えるって、私は思ってるから」


「まあ、根拠はないんだけどね」。そう笑いかけると、青木は再び私の方を向いてくれた。前向きな気持ちが芽生えているのかもしれない。私は畳みかけるように口にする。


「次のミニライブではさ、来月発売になるアルバムの曲を歌う予定なんだ。だから、できれば結乃ちゃんにも、事前に聴いてもらえれば嬉しいんだけど……」


「何それ? 結局宣伝じゃん」


痛いところを突かれて、私はごまかすように笑った。確かに売り上げは大事だ。でもそれ以上に、青木に私たちの新曲を聴いてほしいという思いが私の中で強かった。


手を合わせて、「ね? お願い」と頼んでみる。通じるはずだと、理由もなく感じた。


「分かったよ。一回聴いてみるだけね」


「えっ!? 本当!? ありがとう!」


「言っとくけどサブスクだからね。あんたたちにお金を落とすわけじゃないから」


「ううん。それでも全然いいよ。私たちのデビューアルバム、すっごくいいのになってるから期待しててね」


私がそう言うと、青木は頷いてくれた。今日初めて見せた素直なリアクションに、私は大いに満たされる。


目が「もう話したくない」と訴えかけていたから、私はそれ以上話さなかったけれど、胸の中は感謝でいっぱいだった。


私たちの歌を知ってくれる人が、また一人増える。その事実だけで、私は明日もがんばろうと思えた。





「よっしゃ、また私の勝ちー! これで連勝だね!」


「よく言うよ。さっきまで五連敗してたくせにさ」


「何? もしかして悔しがってる?」


「そりゃそうだろ。俺だって一応は本気でやってるんだぜ」


祐貴はコントローラーを握り締めながら言っていたから、嘘をついているわけではないようだ。本気だったという事実が、ますます勝利の価値を高め、私は優越感に浸る。束の間の息抜きも、祐貴といると楽しさが何倍にも増幅された。


「なぁ、ちょっと休憩しようぜ。俺疲れたわ」


「うん。お茶もコップもいつものところにあるから、持ってきて」


「ったく。人遣いが荒ぇのは相変わらずだな」


渋々言いながらも、祐貴は立ち上がってキッチンに向かってくれる。コップを取り出してお茶を注ぐのを、私はニヤニヤしながら眺めていた。


今お父さんとお母さんは出かけている。二人だけの空間に、笑みが止まらない。ゲームの陽気なBGMも、盛り上がる気分に拍車をかけていた。


「ねぇ、祐貴次は何やる? 同じコースもう一回やる?」


「気が早ぇな。少し休ませてくれよ」


祐貴の横顔は、私とは違って笑っていなかった。今さら私の家に緊張する必要なんてないのに。いや、もしかしたら本当に疲れているのかもしれない。


「どうしたの、祐貴? 疲れてんなら、そっちのソファで少し横になってれば?」


「いや、いいよ。一応は人ん家だし、そこまでダラダラしたくねぇ」


祐貴は麦茶を一口、口にする。まるで落ち着きがなく、やはりいつもとは何かが違う。


だけれど、私から切り出すのもおかしい気がして、私はひとまずスマートフォンを手に取った。SNSを眺めていると、思いもしない声が飛んでくる。


「なぁ、一つ聞きたいことがあんだけどさ」


「何?」


「これからは俺たちあまり会わないようにしたいって言ったら、どうする?」


言っていることが分からない、なんてことはなかった。祐貴の言葉はしっかりと私の鼓膜を通過し、脳を経由して全身を駆け巡る。


「えっ、何で?」


「何でって、言わなくても分かるだろ」


祐貴は私と目を合わせず、漠然とテレビの下あたりを見ていた。言ってくれなきゃ分からないとは、私は言わなかった。何となく想像がついてしまっていた。


でも、認めたくなくて、適当に別の理由を捻りだす。


「そっか。もうすぐ私たち受験生になっちゃうもんね。勉強に集中したいんでしょ。でも、息抜きも必要だし、会わないっていうのは、さすがにやりすぎだと思うけどな」


私が苦し紛れに口にしたでたらめな理由も、祐貴は「そうじゃねぇよ」と一瞬で否定してしまう。心がじわじわと削り取られていく。


「俺だってお前とこれからも会ってたいよ。でも、それってやっぱりマズいだろ」


「マズいって何が?」


「そんなの言わせんなよ」


祐貴は言葉を濁した。配慮が私の胸をチクチクと刺す。


「いやでもさ、祐貴はそれを分かってて、私に告ったんじゃないの? 今さら怖気づかないでよ」


「確かにな。俺ビビってんのかもな。でも、一番の理由はそこじゃねぇんだよ」


「じゃあ何? もしかして私のせいにしようとしてる?」


「いや、違ぇよ」


「悪ぃんだよ」。少し逡巡した後に、祐貴は呟いた。いったい何が悪いことがあるのだろう。私たちの交際を否定している人なんて、誰もいないというのに。


「悪いって何が……?」


「……気持ちだよ」


「それはつまり気持ち悪いってこと? えっ、私が?」


「そうじゃねぇよ。お前は何にも気持ち悪くない。俺とお前を取り巻く空気が、気持ち悪ぃんだよ」


「それって、私にも原因があるってことじゃん」


「だから違ぇんだよ」


祐貴が私の顔を見た。今言った言葉に、説得力を持たせるかのように。祐貴の目には怒りと悲しみ、それに嫌悪感が滲んでいて、とても見ていられなかったけれど、それでも私は目を逸らさなかった。ゲームのBGMが空々しい。


「去年さ、俺が告った後、お前さ説明する配信しただろ。まずその謝罪を要求するような圧力が、気持ち悪いなって思った」


「……それは、運営の人がした方がいいっていうから」


「それは分かってるよ。俺の告白をなかったことにしたのも、ファンの気持ちを考えたんだろうって、百歩譲って許せる。でもよ」


祐貴は、再び私から目を逸らした。大っぴらには言えないことを言おうとしているサインみたいに。


「俺が一番気持ち悪いと思ったのは、そのファンの奴らなんだよ。ほら、あいつら俺たちの恋愛に理解を示して、応援する側に回っただろ。それを見たとき、俺胸くそ悪くなったんだよ。そもそも恋愛って応援されるようなもんじゃねぇし、頼んでもねぇのに、何勝手に応援してんだよって」


祐貴の見方に私は少し驚きつつも、納得してしまっていた。私だって、理解を示されたときに得体の知れない気持ち悪さを感じていた。祐貴も似たようなことを感じていたなんて。でも、感性が似ているなんて嬉しさも、すぐに重苦しい空気に押しつぶされてしまう。


「俺はさ、ただそっとしといてほしいだけなんだよ。他の普通のカップルみたいに、ほっといてほしいだけなんだよ。でも、お前と外で会ったりしてるとさ、何か周りの奴らが、全員俺たちを応援しているように思えて。それが気持ち悪くて仕方なかった」


「だから、私とはあまり会わないようにしたいってこと……?」


「ああ。こうして二人だけでも、応援されてるんだなって感じちまうんだ。本当、身勝手な理由ですまない。でも、俺はこの先そういうプレッシャー? に耐えられる気がしねぇんだよ」


申し訳なさそうに言う祐貴を、私は身勝手だとは思わなかった。こうして頻繁に顔を合わせることはできなくなるかもしれないけれど、完全に縁が切れるわけでもない。


もちろん会いづらくなるのは、悲しいことだ。でも、そう丁寧に説明されると、私は頷かざるを得ない。


私は構わないけど、祐貴の心に負担がかかるのは避けなければと思った。


「……分かった。そういうことならしょうがないね」


「ああ。重ね重ねになるけど、本当すまねぇ。ほとぼりが冷めたら、また会うようにするから」


私には、私たちの間に流れる澱んだ空気が、目に見えるようだった。ほとぼりが冷めるのなんて、いつになるか分からない。学校以外で会わないまま卒業を迎えて、離れ離れになったら、それこそ最悪だ。


でも、私は祐貴を責められなかった。胸の中に渦巻くやり場のない感情は、たぶん怒りと呼んでよかった。


「ねぇ、学校ではちゃんと会ってくれんだよね?」


「もちろん。お前が来れば挨拶ぐらいはするよ」


その先は? そう訊きたい気持ちを、私は何とか抑えた。祐貴だって、苦渋の決断なのだ。多くを求めてはいけない。ただ「……分かった」とだけ口にする。


それっきり私たちから会話は消失した。明るいゲームのBGMが、耳を滑っていく。私の家なのに、どこにも逃げ場がない。


祐貴が「またゲームやるか」と言ったので、私も頷いた。コントローラーを握る。ゲームに逃げていないと、自分を保つことができなかった。



(続く)

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