【第17話】タイアップ
ペットボトルを傾ける。喉に入る液体が少し甘ったるい。公園の舗装された広場の周りには、何人もの人が固まり、その全員の視線が私に集中している。向けられるカメラに、照らされる照明。こんな状況、私は経験したことないから、緊張せずにはいられない。
それでも三分の一ほど飲んだところで、初めて一緒に仕事をする監督さんが「OK」を出してくれて、私はようやく一息ついた。井口が穏やかな顔で頷いていたが、それでも私は高鳴る鼓動を抑えられない。
今日は高松や住永は、現場に来ていない。私にとって初めての、一人での仕事だった。
CMの話が私たちに伝えられたのは、去年のことだった。なんとKanade TVのスポンサーである飲料メーカーが、次のCMに私たちを起用したいと言ってきたのだ。
実際には、私たちが二月にリリースするアルバムのリード曲『恋はユーフォリア』をCMソングに起用するのが先に決まっていて、その流れで私たちを出演させようという話になったらしいが、初めてのいわゆるタイアップに、私は驚きを隠せなかった。住永が何度も聞き返していたのを、今でも覚えている。
まさか、こんなに早くタイアップの話が来るなんて。自分たちとは縁遠い世界だと思っていたから、目が点になった。
まあ車椅子の私たちを起用して、多様性に配慮してますよとアピールする下心もあったとは思うけれど、それでも私たちは二つ返事でCMの話を受け入れていた。こんなチャンスはそうそうない。
「はい、では次はシーン6、溝渕さんが俯きながら車椅子を進めるシーンいきます」
助監督の女性が言うと、スタッフたちは一斉に次のシーンへの準備を始めた。私は井口から渡されたウインドブレーカーを着る。衣装の制服は、羽織るものがないと寒すぎる。
次のシーンへの移行が始まった以上、演者である私にできることはあまりない。端っこに寄って、台本を確認する。三ページしかない台本はあっという間に読み終わったけれど、それでも何度も読み返した。
「どう? まだ緊張してる?」
擦り切れそうな台本に目を通している私に、話しかけてきたのは監督だった。何枚も重ね着していても、腹が出ているのがはっきりと分かる。
「は、はい。こういう撮影ってあまりしたことがないので……」
「まあアンリミテッド自体CMは初めてだからね。きっと他の二人も緊張してると思うよ。あっ、高松ちゃんは別か」
妙に馴れ馴れしい口調に感じる反感を押しこめて、私は「そうですね」と頷く。CMは私たちに合わせて三バージョン作られ、撮影日はそれぞれ違う。慣れている高松からいくつかアドバイスは貰っているものの、やっぱりまだ心細い。
「でさ、次のシーンなんだけどさ、できるだけ暗い表情で頼むよ。なんかこの世の不幸をすべて背負ってるみたいな? 暗い表情であればあるほど、最後に撮る笑顔のカットが映えるからさ」
「は、はあ」
不安をそのまま吐露すると、監督は顔に疑問符を浮かべていた。間近で見ると、皮膚が少し脂ぎっている。
「もしかして、自分にできるかどうか不安に思ってる?」
私は頷く。監督は心配いらないと言うように笑いかけてきた。
「大丈夫だって。できないと思うなら、今までにあった辛いことや、大変なことを思い出してみて。ほら、生まれつき足が不自由で苦労したことも人よりいっぱいあるでしょ?」
それは障害うんぬんではなく、どんな人にも言ってはいけない言葉だった。つい「はぁ?」という声が出かかる。
でも、怒ったらCMを取ってきてくれた井口たちの努力が無駄になるので、私は落ち着くように自分に言い聞かせた。
「まあ、それなりにはありますけど……。でも、どんな人だって、大なり小なり苦労はしてるじゃないですか。私だけが特別じゃないですよ」
落ち着こうとしているのに、言葉の節々から不満が漏れていた。監督の心象は悪くなっていないだろうか。配慮に欠ける発言をしたのは向こうなのに、そう思っている自分に気づいて、また少し苛立つ。
それでも、監督は私の気持ちなんて分かっていないかのように、相好を保っていた。そうすることで、私の緊張が解けると思っているように。
「まあ、それもそうだね。でも、溝渕ちゃんにしかできない表情っていうのが、あるはずだから。俺たちを信頼して、それを出してくれればいいよ」
「がんばってね」そう言って、監督は準備を進めるスタッフたちのもとへと戻っていった。
「簡単そうに言うなよ」と誰にも聞こえないような声で、私は呟く。ハードルを上げられて、緊張は解けるどころかますます高まっていた。
「何なんですか!? あの監督!」
CMの撮影が終わって、公園の管理棟にある控室に戻った私は、スタッフたちが離れるやいなや、井口にぶちまけていた。はらわたが煮えくり返るような思いをして、誰かに怒りをぶつけたくて仕方がなかった。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたか、じゃないですよ! あの監督、私に向かって『生まれつき足が不自由だから、人より苦労してるでしょ』とか言ってきたんですよ! いや、確かに自分の足で歩けたらなと思ったことはありますけど、でも普通、本人に向かって言います!?」
私たちが入ってきてからつけられた暖房は、まだ十分には行き届いておらず、部屋はウインドブレーカーが手放せないほど寒かった。そのことも私の怒りに拍車をかける。
「それは酷いですね」と理解を示そうとしてくれている井口は、ちゃんと二本の足で立っていた。
「ていうか、そもそも何なんですか、このCM! 俯いて暗い表情をしてる私のアップから始まるって! まるで自分の足で歩けないから、皆と違うから、暗い顔をしてるみたいじゃないですか! そんなの、ド偏見じゃないですか! 障害者はみんな暗い表情をしてるとでも思ってんですか!?」
「それは謝ります。申し訳ありません。こちらの確認不足でした」
「いいですよ! 井口さんが謝らなくても! 悪いのはこういう演出を考えた人なんですから! きっとスポンサーのお偉いさんなんでしょう!? どんな顔してんのか、見てみたいですよ!」
私の声以外は静まり返った部屋。何も言わない井口が醸し出す凍てついた雰囲気に、私はふと我に返る。もし誰かに聞かれていたら、伝言ゲームで私が言ったことがスポンサーの耳に入るかもしれない。
私は声を荒げるのをやめた。怒りは収まっていなかったけれど、冷静にならなければと感じた。
「溝渕さん、気持ちは分かります。だけれど、その気持ちは心の中にしまっておいてください。スポンサーさんを批判していいことなんて、一つもありませんから」
落ち着いた井口の口調は、怒っている自分が子供だと私に感じさせた。スポンサーからの協賛金は、Kanade TVの命綱だ。私の失言がきっかけで、降板するなんてことがあってはならない。
「……すいません。私も言いすぎました。これは私たちにとって、またとないチャンスですもんね。それを棒に振るなんて、バカもいいとこですよ」
「納得していただけましたか?」
「いえ、別に納得はしてないですけど、もういいです。このままCMを完成させて、流してください。そうすれば私たちの知名度はもっと上がって、アルバムの販売枚数や配信の売り上げも増えて、入ってきたお金でより色んな活動ができるようになって、いいこと尽くめですから」
井口に指摘されなくても分かる。私は拗ねていた。へそを曲げていた。それこそ子供だ。
でも、事を穏便に運ぶには自分が折れるぐらいしか、私には思いつかなかった。井口が「分かりました。溝渕さん、何の慰めにもならないかもしれないですけど、最後の笑顔よかったですよ」と言う。「ありがとうございます」とだけ私は答える。
ブラインド越しに差しこむ日差し。管理棟の外は、嘘みたいに活気に溢れていた。
今日もカメラは回り、私たち三人を一度にフレームに収められる位置で、ドキュメンタリー動画の撮影を続けている。
だけれど、私たちの間に会話はさほど生まれていなかった。三人ともがスマートフォンを見ている。映像で見れば、不仲に見えるのかもしれない。だけれど、これが私たちの平常運転だ。
それに今日は、何台ものカメラの前に出る。私はスマートフォンを見ながらも、辺りをキョロキョロ見て、なんとか緊張を紛らわせていた。
でも、一人で緊張を抱えこむのも限度があって、気がつけば私は車椅子を翻して、後ろにいる高松に話しかけていた。撮れ高を確保しなければという思いも、ちょっとはあった。
「ねぇ、今日の収録大丈夫かな?」
私たちはあと一時間後には、スタジオセットの中に座って、多くのカメラの視線を浴びる。高松がレギュラーで出ている動画紹介番組に、アルバム発売が近いから宣伝のために、私と住永も出演するのだ。
これまで番組収録は何回か経験しているが、未だに緊張するし、手ごたえがあった試しがない。それでも、高松はすっかり慣れていて、大したことないという風に私に言う。
「そんなの、なるようにしかならないでしょ。とりあえず困ったら、ニコニコ笑ってればいいんだよ」
「そう……? でも、コメントとか求められたらどうしよう?」
「それは、思ったことを素直に言えばいいんじゃない? 大丈夫だって。あんたや住永に的確で高度なコメントを期待してる人なんて、誰もいないんだからさ」
高松の言い方は少し悪かったけれど、私は一理あるなと思ってしまう。私たちはアイドルのプロだけれど、バラエティー番組のプロではない。素人っぽさが出るのは当然だし、見る人もそれを期待しているだろう。
でも、そう思っても緊張はちっとも軽くならなかった。うまくやらなければと、どうしても思ってしまう。
「まあ、あんま深刻に考えない方がいいよ。何かあったら私がフォローするからさ」
高松は励ますように言ってくれたけれど、私には大した効果はなかった。喉は渇き、心臓の鼓動は増すばかりだ。
私は緊張を少しでも和らげたくて、窓際にいる住永に声をかけていた。だけれど、住永は小さく頷くだけで、私の方を向いてはくれなかった。素っ気ない反応が気がかりで、私は住永のもとへと向かっていく。俯いて目を伏せている住永の周りには、どんよりとした空気が漂っていた。
「どうしたの? そんなに緊張しちゃって。大丈夫だって。いざとなれば、高松をはじめとした共演者の人たちがフォローしてくれるから」
そう励ましてみても、住永は「は、はい……」と小さく呟くだけだった。返事をするのも辛そうに見える。小刻みに震える手は、身体も心も平常ではないことを示していた。
「えっ、何。手震えてんじゃん。そんなに緊張してんの?」
からかうように言ってみても、笑いにしていい空気ではなく、住永は首を小さく横に振っていた。「ごめんごめん。ネタにしていいもんじゃなかったね」と謝っても、反応の鈍さに許されている気がしない。
「本当に大丈夫? 収録参加できそう?」
住永が平気なようにはとても見えなかったけれど、それでも私は訊いていた。無理をさせてはいけない。
住永がぽつりと「無理かも……」とこぼす。私は高松に井口を呼ぶように言ってから、住永に声をかけ続けた。住永のことを大事に思っている人がいることを伝えたかった。
しばらくして、井口がやってきて住永とコミュニケーションをとる。ぼそぼそとしたやり取りから、井口は住永の状態を悟ったらしい。私と高松を見て、はっきりと告げた。
「溝渕さん、高松さん。この状態の住永さんを収録に参加させることは、無理です。私はここで住永さんを見ていますから、収録にはお二人だけで参加してください」
そんな無茶な。とっさに私はそう思ってしまう。住永がいない仕事なんて、先日のCM撮影が初めてで、まだ全然経験がない。それに何回でもやり直しができるCMの撮影とは違い、バラエティー番組の撮影は一発勝負だ。いつも当たり前のようにいてくれた住永が側にいない状態で、私がうまく対応できるとはとても思えなかった。
だけれど、隣では高松が先んじて、「はい」と頷いている。どのみちこれ以上は穴を開けられない。私も覚悟を決めて、頷く。絶対に成功させなければというプレッシャーが、両肩にのしかかった。
「ありがとうございます。私はこちらで住永さんの具合を見ていますので、がんばってきてください。いい結果を期待しています」
井口の言葉に私たちは今一度頷く。まだ体調が悪そうにしている住永のことは心配だけれど、だからこそ住永の分までがんばらないといけない。
スタッフがドアを開けて、私たちにスタジオに来るように言う。私と高松は楽屋を後にする。ちらりと振り返ると、住永は俯いたまま、井口に背中をさすられていた。
(続く)




