【第16話】緊急配信
井口が外に出てからも、貸しスタジオの空気は重いままだった。電気は全て点いているのに、どことなく暗く感じる。何食わぬ顔をしてクールダウンすることは私にはできなくて、気がつけば車椅子を操作して、二人のもとから離れようとしていた。二人がどんな表情をしているのか、確認するのが怖かった。
貸しスタジオを出ても、逃げ場なんてどこにもないのに。
「どこ行こうとしてんの?」
高松の鋭い声が私に刺さる。誰よりもアンリミテッドに懸けている高松のことだ。私が足を引っ張るような真似をしたことに腹を立てて、鬼のような形相をしているのだろう。振り返ることなんてできない。
高松の怒り狂った顔も、住永の悲しみに沈んでいるであろう顔も、私は見たくなかった。そういった顔をさせているのは、自分なのに。
「ずるいよ」
高松が呟いた言葉は、私にはひどく予想外だった。てっきり「謝って」とか、「どうしてくれんの」とか言われると思っていた。
「私はアンリミテッドのために、他のあらゆることを犠牲にしてるのに、あんたは恋愛に現を抜かしてたなんてね。そんなのずるいよ。私がバカみたいじゃん」
自嘲するような口調に、私は「ごめん」と言えなかった。あのとき、高松や住永の顔だって、思い浮かばなかったわけじゃない。でも、私はそれを全て吹き飛ばしてしまった。
あのとき思い留まっていればよかったのかもしれない。でも、そうしたらそうしたで、また別の後悔が生まれていただろう。誰も傷つけない選択肢なんてなかったのだ。
「いいよ、謝んなくて。矛盾するみたいだけど、私も恋愛すんなとは思ってないし。プライベートでも支えてくれる人がいるっていうのは、素晴らしいことだと思うから」
高松が精一杯の理解を示してくれているのが、今の私には心苦しかった。内心では怒りに打ち震えているかもしれないのに、表情は穏やかで、起こったことは仕方ないと受け入れている。いっそのこと、ちゃんと怒ってくれた方がどれだけマシだろう。
「いや、私がしたことはこの世界では許されないことなんでしょ……?」
「ううん、そんなことない。恋愛禁止なんて平成でも時代遅れだったんだから、今だとなおさらだよ。溝渕が恥じる必要も、気に病む必要も私はないと思う。むしろ羨ましいくらいだよ。そんな大事に想ってくれる人がいるなんて」
高松は自分の怒りを収めようと、自分を納得させようと言っている。それが分かったから、私はさらに申し訳なくなった。
「いいよ、そんな気遣わなくても。本音で」と言っても、高松は「ううん、これが私の本音だよ」と言って聞かない。私を許そうと強情になっているみたいで、消え入りたくさえなってくる。
「そうですよ、溝渕さん。アイドルだって一人の人間なんですよ。恋愛ぐらい当たり前にしていいじゃないですか」
援護射撃みたいに、住永がはっきりと口にする。普段物静かな住永がここまで言うということは、何か思うところがあったのだろうか。
「うん、それは私もそう思うんだけど、ただファンの人たちが見たいのは、私が恋愛してる姿じゃないと思うんだよね……」
「そんな勝手な理想像を一方的に押しつけてくる人なんて、ファンじゃないですよ。本当のファンなら、どんな溝渕さんの姿も受け入れてくれるはずです」
「そうかな……」
「そうですよ。ファンの人を信じて、はっきりお付き合いさせていただいてる方ですって、言いましょうよ。それでグチグチ言う人なら、こっちから願い下げたいくらいです」
住永の言葉はいつになく力強かった。初めて見るほどの強気な姿勢に、もしかしたら住永は恋愛を諦めた経験があるのかもしれないと、私は勝手に推測してしまう。もちろん聞くことは憚れられたが、それでも私は二人の言葉を受けて、少し前向きになっていた。
そうだ。私は何も恥ずべきことはしていない。
もう一度二人の顔を見る。私を励ますような目をしていた。
「そうだね。後ろめたいことなんて、私は一つもしてないもんね。分かったよ。今夜の配信で素直に言ってみる。私にはお付き合いさせていただいてる方がいますって」
そう決意を述べると、二人の目はわずかに細められた。「がんばって」と口々に励まされて、心強く感じる。
今までなんとなく暗黙の了解で続けられてきたルール。それを変えるときが来たのだ。
私は一つ息を吞んだ。八時の配信開始までは、あと二時間を切っていた。
「皆さん、こんばんは。アンリミテッドです」
高松が淡々と言う。いつもの三人合わせての自己紹介をしなかったところに、今日の配信の重大さが窺える。
二時間前に告知をしたばかりなのに、視聴者数はクリスマスイブの配信の倍近くあった。これも既に、あの写真がSNSで拡散されていたからかもしれない。
画面の向こうにいる多くの人たちを想像すると、私はまた一つ息を吞んだ。何度暗示をかけても、平常心ではいられなかった。
「今回、緊急の配信を実施したのは、皆さんに千明から一つご報告があるからです」
発言のバトンが私に渡される。コメント欄には「分かってるよ」などといったコメントが並び、私をじわりじわりと追い詰めていく。
今この配信を見ている人は、私たちの味方ばかりではないかもしれない。舌が痺れて、うまく話せない気さえしてくる。
それでも、私は決死の思いで口を開いた。
「はい。溝渕千明です。皆さん、今回はこの配信をお聞きくださって、ありがとうございます」
私が一言発しただけで、会議室の空気も画面の向こうにいる人たちの表情も、一変したように感じる。ピリッとした緊張感が辺りに漂って、私は口をつぐみそうになったけど、ちゃんと分かってもらうためには、話すしかなかった。
「今回、ご報告したいことは、皆さん薄々分かっているかもしれませんが、SNS等に出回っている写真のことです。結論を先延ばしにしても大変なだけなので、単刀直入に言います」
心臓がかつてないほどけたたましく鳴っている。喉も著しく渇いていく。今、この配信を見ている全ての人が、私の言葉を固唾を飲んで待っている。
言うんだ。言って分かってもらうんだ。
私は心の中で一つ息を吐いてから、再び口を開いた。
「写真に写っている男性と私が交際しているという事実は、一切ありません」
自分でも何を言っているのか、一瞬分からなかった。モニターの中で、高松や住永が小さく驚いたような顔をしている。
違う。本当に言いたいのはこんなことじゃない。
でも私の口は、私の意志を無視するかのように喋り続ける。
「確かに仲のいい友達の一人ではあります。休日に一緒に出かけることもあります。でも、それらは全て単なる友情によるものであり、そこに恋愛感情は一切ありません。耳元で囁いているように見えるのも、ただのジョークです。信じてもらえるか分かりませんが、それが私と写真に写っている男性との関係の全てです」
「この度は誤解を招くような行動をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」。私は頭まで下げてしまった。続くようにまったく無関係の高松と住永にも頭を下げさせているのが、この上なく申し訳ない。私はファンや視聴者が受ける印象を優先して、自分の想いを捻じ曲げた。
だけれど、コメント欄には「よかった」とか「安心した」というコメントが並び、間違ったことはしていないと、私に言ってくる。
祐貴はこの配信を見ているだろうか。もし見ていたら私が否定したことに、どれだけ傷ついているだろうか。
分かってくれとは言えない。次に会ったときに素っ気ない顔をされても仕方ないし、そもそもまた会ってくれるかさえ分からない。
アイドル活動のためには、ここまで犠牲を払わなければならないのか。こんなことならアイドルなんて目指すんじゃなかったという思いも、少し、ほんの少しだけれど生まれた。
「私溝渕千明、そしてアンリミテッドはこれからもアイドル活動を続けていきますので、どうか皆さん、変わらぬ応援のほどをよろしくお願いします」
どの口が言ってるんだ。そう思われても仕方ない。配信が終わった後に、高松や住永にどう言われるのかと思うと、たまらなく怖い。
でも、アイドルを続けるためには、こうするしかない。
私が言葉を結んで、高松が配信終了の挨拶をしようとしたそのときだった。コメント欄に一件のコメントが投稿されたのだ。
〝千明ちゃん、無理して嘘つかなくていいよ〟
そのコメントは、たっくんからのものだった。予想だにしていなかった言葉に、思わず私たちの動きは止まる。井口たち運営側も配信を終わらせようとはしなかった。
〝分かってるよ。写真に写ってる男の子は、千明ちゃんの彼氏さんなんだよね。そうじゃなきゃ耳元で囁くなんてありえないよ〟
続けられたコメントに呆気にとられてしまい、私は「いや、それは……」と弁明さえできなかった。コメント欄も〝何言ってんだよ〟と、軽く荒れ始めている。
だけれど、たっくんはそんなことは気にしていないように、さらにコメントを投稿する。
〝俺、長い間アイドルのファンを続けてるうちに、恋愛禁止っていう暗黙の掟に、疑問を抱くようになったんだ。俺たちファンはアイドルの子に、自分の理想像を押しつけすぎてたんじゃないかって。あれもダメこれもダメって、アイドルの子を縛りまくって、がんじがらめにしてたんじゃないかって”
たっくんのコメントは、配信を見るようなファンには、誠実なものに映ったのだろう。反感を示すコメントは、目に見えて減っていた。
〝そういうのは、もういい加減やめるべきだと俺は思う。アイドルだからって恋愛しちゃいけないのか? 障害がある人は、誰とも接することなく、家で大人しくしてるべきなのか? 俺はそれは絶対に違うと思う。アイドルだからって、障害があるからって、しちゃいけないことなんて一つもないんだ。ただ、他の人と同じような幸せを享受する。それを阻害する権利は、俺たちファンにはもちろん、誰にもない〟
熱弁を振るうたっくんに、気がつけばコメント欄は静かになっていた。私たちも余計な口を挟まず見守る。ここまで私の肩を持つ人がいるなんて、思ってもいなかった。
〝だから、俺は千明ちゃんの選択を応援したい。千明ちゃんだけじゃなく、日奈子ちゃんや愛瑠ちゃんにも、ステージの上ではもちろん、ステージを降りた後でも幸せになってほしい。もちろん俺にできることは何もないけれど、それでも千明ちゃんが彼氏さんとうまくいくことを祈ってる。ファンである前に、それが真っ当な人間のあり方だと、俺は思ってるから〟
もしここがホールかなんかで、実際に話していたなら、たっくんの言葉には人を引きつける強度があった。言い終わって一瞬静かになり、やがて拍手が巻き起こる。そんな光景さえ、私はイメージできた。
たっくんのコメントは間違いなく、私や私たちのことを思ってのコメントだった。諸手を挙げて歓迎はできないけれど、それでもアイドルのことを歌って踊ってファンサするマシーンとしか思っていない人よりは、はるかに理解がある。
個別のコメントに返事をするわけにもいかず、私たちは自分たちの配信なのに、ただ成り行きを見ていることしかできなかった。戸惑いを隠すために、できるだけ自然な表情を心がける。
すると、徐々にコメント欄には、たっくんに賛同するコメントが増えていった。「その通りだ」とか「俺も応援するよ」とか。批判や攻撃一色だったコメント欄が、見る見るうちに姿を変えていく。気がつけば、私に彼氏がいることを咎めるコメントは一つもなくなり、誰もが私の、私たちの背中を押してくれていた。
正直ここまで全員が同じ方向を向いていると、独裁政権の支配下か? とは正直思う。私と祐貴のことを何も知らないくせに、勝手に理解者面しやがってという思いが、喉まで出かかる。
でも、私はそれをぐっと押しこめて、意識的に口角を上げた。声は届いてますよと言わんばかりに。
「皆さん、ありがとうございます。ここまで言ってくれるファンの方々がいて私は、私たちは幸せ者だと感じます。どうかこれからも、私たちアンリミテッドを見守っていてください。改めてよろしくお願いします」
必死に見えないように相好を保ったまま、私は呼びかける。すると、肯定するコメントや拍手やハートのスタンプが飛ぶように送られてきて、私は絶対に口に出せないけど、少し引いた。
もちろん嬉しいのは嬉しいし、さらに私たちとファンの結びつきは強くなっただろう。
だけれど、それでも私は不気味さを感じてしまう。この人たちは、理解のある自分に酔ってはいないだろうか。もちろん責められたいわけじゃないけど、もう少し冷静になってもいいんじゃないか。
人を熱中させるのが仕事のアイドルがそんなこと言ったらおしまいだけど、私は些細でも違和感を抱いていた。
(続く)




