【第15話】この方は
唐突にもほどがある祐貴の言葉に、一瞬私の全ての動きが止まった。文字通りフリーズする。
なんとか見た祐貴の顔はこれ以上ないほど真剣で、嘘を言っているわけでも、茶化しているわけでもなさそうだった。
「いや、いきなりだな。こういうのって、普通もっとなんか話してから言うもんでしょ?」
「もう十分話しただろ。朝会ってから、今に至るまで。これ以上何を話せばいいんだよ」
「いやいや、ちょっと角度が急すぎるっていうか。話の流れ完全に無視してるっていうか。ひょっとしてだけど、もしかしてそれ言うために、今日私に会おうって言ってきたの?」
「だったら何か悪いかよ。これでもずっと前から言おうとは思ってたんだぜ」
「ずっと前って、どれくらい前から?」
「うーん、一年くらい前かな」
そんなに。そう思ったのが、顔に出ていたらしい。祐貴に軽くからかわれてしまう。
もしかしたら最終オーディションに残ったと伝えたときの、祐貴の恋愛禁止がどうこうという反応は、私に好意を抱いていたからかもしれない。
いや、でもだ。私は祐貴とこのままなんとなく友達の関係を続けていくと思っていたから、驚きを隠せない。横目でも、窓に映った自分の頬が紅潮していることが分かる。
「えっ、ちょっと待って。いったん整理させて。うっわ、自分で言うの恥ずかしいな。で、でも祐貴は私のことが好き……ってことでいいんだよね?」
「そう言ってるだろ。それとも、もっと言ってほしいか?」
「いや、一回で十分だよ。これ以上言われたら、頭がますます混乱しそう」
「なんで混乱すんだよ。お前だって薄々気づいてたくせに。えっ、もしかして俺のこと嫌いなの?」
嫌いじゃない。嫌いなんて言えるはずがない。祐貴と一緒にいる時間は、数少ない私が心からくつろげる時間だ。
少し探ってくるような目をしている祐貴から、私は視線を逸らしてしまう。今までこんなにも祐貴を意識したことなんてなかった。
「いや、でも今の状況を考えると、素直に受け入れるわけにはいかないというか……。いや、もちろん祐貴のことは嫌いじゃないよ。嫌いだったらこんな一緒にいないし。でも、私を支えてくれる人たちがどう思うかって考えると、うまく答えられないというか……」
「何だよ。お前んとこにも恋愛禁止ってルールあんのかよ」
私はオーディション後に見た契約書の記憶を引っ張り出す。思い出せる限りでは、恋愛禁止なんていう条項はどこにも書かれていなかった。いや、でも。
「いや、たぶんないと思うけど……。でも、ほらそういう空気あんじゃん。活動に集中しろみたいな? 誰もはっきりとは言わないけど、みんな薄々思ってるというか……」
「それこそ何だよ。みんな思ってるって、一人一人に聞きでもしたのかよ」
祐貴の言っていることは、ほとんどいちゃもんに近かったけれど、私は首を横に振れなかった。確かに聞いていない以上、心のうちなんて分かるはずもない。
「俺は、お前がそんな空気に屈する奴だとは思ってないけどな。果敢にオーディションを受けにいったときのお前は、どこにいったんだよ。それに『恋愛禁止なんて今時人権侵害だ』って言ったのは、お前だろ。空気を読まずに言いたいことを言えるのが、俺の知ってる溝渕千明っていう人間なんだけどな」
他の人に言われたら、私の何を知ってんだと言いたくなる言葉でも、祐貴に言われると不思議と反発する気持ちは起こらなかった。アイドルとしての活動を継続することを優先して、言いたいことをひっこめた経験も一度や二度じゃない。
でも頷くことは、私を支えてくれている人たちの顔を思い浮かべると難しかった。祐貴と目を合わせるだけで、その人たちに対する裏切りみたいに思えてしまう。
「まあ、いいや。俺も一か八かで言ったし、お前が返事をしてくれない場合だって、考えなかったわけじゃないしな。でも、俺の気持ちは伝えたからな。返事は、また今度会ったときでもいいから」
そう言って祐貴がキャラメルマキアートを口に運んだのを、私は横目で捉える。
どうしよう。どっちつかずの反応に、祐貴は失望したかもしれない。
でも、私が正面を向いたのは、そんな申し訳なさからじゃなかった。何も言ってないみたいな表情をしている祐貴に、私は声をかける。
「ねぇ、祐貴。ちょっと顔、こっちに寄せて」
祐貴は聡いから、私が何をしようとしているのか、何となく分かったのだろう。祐貴は私の言った通り、顔を近づけてくれた。私もできる限り身を乗り出す。
そして、祐貴の左耳に向かって、誰にも聞こえないような声で囁いた。
「私も好きだよ」
一瞬、本当に一瞬だけれど、全ての時間が止まったような気がした。祐貴の耳から跳ね返ってきた自分の声を聞いて、胸が熱くなる。私が重大な気持ちを伝えても、店内は何事もなかったかのように騒がしい。
目を瞬かせている祐貴から、私は顔を離さなかった。
「……もう一回言って」
祐貴はきっと真面目に言ったのだろう。だけれど、私は祐貴が渾身のボケを繰り出したと解釈した。だって、一回言えば十分だったから。
「嫌だよ。二回も言うことじゃないし」
そう笑いながら言うと、祐貴も顔をほころばせた。口元からキャラメルのいい匂いがする。私たちは微笑みあう。それ以上のこともしたくなる。
だけれど、ここは外だから、私たちはそっと顔を遠ざけた。照れ隠しにドリンクを飲むタイミングが同じだったのがおかしい。
レッスンの時間は迫り、そろそろここを後にしなければいけない。だけれど、私はもっと祐貴とここにいたいと感じずにはいられなかった。この誰も私たちのことなんて気にしてないような、居心地のいい空間に。
冬休みに入っても、関係なくレッスンは続く。その日は歌とダンス両方のレッスンをこなして、私たちが一人残らずクタクタになっている日だった。
レッスンが終わり、私たちがクールダウンしていると、ドアが開けられて井口が入ってきた。自分のもとに集まってほしいと言う井口の手には、スマートフォンが握られていた。
「皆さん、今日もお疲れ様でした。帰ってゆっくり休んでください。と言いたいところですが、今日は皆さんに一つお話があります」
井口の口調は冷静で、私たちに意図を読ませまいとしていた。だけれど、私は悪い話だと察してしまう。それはおそらく他の二人も。
「溝渕さん、昨日レッスンに来る前は何をしていましたか?」
こんな風にプライベートを探られたことはなかったから、私は井口の言おうとしていることが早くも分かってしまった。だけれど、どこに恥ずかしがる要素があるのだろう。
私は井口の目を見て、落ち着いて答える。
「昨日は映画を観て、その後はカフェでお茶をしてました」
「それは誰とですか?」
「仲のいい友人とです」
「友人ですか。なるほど」
さっきから井口の目は、私だけに向けられている。私が嘘をついていないか、見抜こうとしている。だけれど、私はしっかりと顔を上げた。井口がスマートフォンの電源を入れて、画面を見せてくるまでは。
「では、お聞きします。この方は本当に友人ですか?」
スマートフォンの画面には、私と祐貴が談笑している写真が映っていた。アングルから察するに、撮ったのはおそらく店内にいる誰かだ。いつの間に撮られていたんだろう。私は衝撃を受ける。こんな事態が自分に降りかかるなんて予想していなかった。高松と住永も、何も言えていない。
「は、はい。友人です。別に男女間でも友情は成立するじゃないですか」
「そうですか。確かに私もそう思います。でも」
井口は画面をスワイプさせた。そこに映っていたのは、私が祐貴に囁いている、まさにその瞬間だった。親密にもほどがある距離に、息が詰まってしまう。
固まっている私をよそに、井口は平静を保ったまま訊いた。
「これほど親密な関係を、私は友人とは呼べません。溝渕さん、どうか正直におっしゃってください」
「……正直に言うって何をですか」
「この方は、溝渕さんの彼氏さんですか?」
明確な言葉は、想像もしない事実を私に突きつける。そうか。私と祐貴は、傍から見たら彼氏と彼女に見えるんだ。
ここで「ただの友達です」と言うのは簡単だ。でも、それだと意を決して告白してきた祐貴が浮かばれない気がして、私は返事に時間を要してしまう。高松や住永からの視線が刺すように痛い。
「……もし彼氏だったら、どうするんですか」
じっと井口の顔を見上げる。私の態度を認めたと受け取ったのか、井口は頭を掻いていた。口には出さなくても、顔が「面倒なことになったな」と言っている。
「どうもしません。別れろともグループを抜けろとも言いません。ウチには恋愛禁止なんてルールはないですから。溝渕さんが誰と仲よくなろうと、付き合っていようとそれは溝渕さんの自由だと私は考えています」
「ただ」そう続けた井口の声は険しかったので、私は身構える。
「アイドルはイメージを売る商売でもあります。誰とも付き合うことなくアイドル活動に打ち込む姿。それを期待して、アンリミテッドにお金を落としてくれている人がいるのも事実です」
「……じゃあ、アイドルにプライベートはないってことですか。いつ何時も、純真無垢なアイドルでいなきゃいけないってことですか」
「溝渕さん。全てのファンが先進的な考えを持っているわけではないんですよ。アイドルはアイドル活動だけしてればいい。恋愛なんてもってのほか。そう考えている方も、残念ながらまだいらっしゃるんです」
何十年前の考え方ですか。
そう言いかけたところで、私は気づく。私だって画面の中のアイドルしか知らなかった。表の部分ばかり見て、それ以外の部分は想像しようともしなかった。
私だってアンリミテッドに入る前は、アイドルのプライベートなんて考えもしなかった。人前に出ていない時間の方が、比べ物にならないほど長いのに。
「溝渕さん。今夜、緊急の配信を行います。そこでファンの方に、きちんと説明してください」
「……この写真に写っている人は、私の彼氏じゃないってことをですか」
「言い方は悪いですけど、そうです。せっかく掴みかけているファンを手放すことは、あなただってしたくないでしょう?」
井口の言っていることは、もうほとんど脅しに近かった。私のことを何だと思ってるんだと、言いたくなる。
だけれど、そう言えるだけの元気は私にはなかった。せっかく祐貴と思いを伝えあうことができたのに、なかったことにされる。その衝撃で、まともに返事ができなかった。
井口が「配信は今夜の八時からです。それまでに何を言うか、考えておいてください」と、感情を見せずに言う。私はうなだれるしかなかった。今はドキュメンタリーのカメラは回っていない。こんな残酷な場面を撮られていないことが、唯一の救いだった。
(続く)




