【第14話】分からないからって
かけっぱなしのエンジン音が、乾いた空気にこだまする。車内は外よりいくらか暖かい。
エキストラを入れての撮影があらかた終わり、次のシーンの撮影までには少し準備を要するから、私たちは近くの駐車場に停められたマイクロバスの中で、休憩を取っていた。
とは言っても、今日はドキュメンタリーのカメラが一日中入っているから、完全にリラックスすることはできない。カメラ慣れしている高松は別でも、私や住永はどうしてもカメラを意識してしまう。ただスマートフォンを見ているだけでは、ドキュメンタリーとして使いものにならないだろう。
何か喋らなければ。使命感にも似た感情が、私の口を開かせる。
「ねぇ、今日めっちゃ寒くない? なんか天気予報では大きな寒波が近づいてきてるって言ってたけど、その影響かな」
隣に座る高松と、通路を挟んで向こう側の椅子に座る住永に声をかける。でも、高松はワイヤレスイヤフォンをつけて目を瞑っていたから、応えてくれたのは住永だけだった。
「ですね。朝とか氷点下を下回りましたし、一歩外に出た瞬間から、家のなかに戻ろうかと思いましたもん」
「そうだよね。なんか東京でも山の方では雪が降ってるみたいだし、そろそろこっちでも降り出すかな」
「もし降ったら、ちょっと困りますけどね。ホイールが滑って」
「そうだね」と答えたはいいものの、全く中身のない話では、車内の空気は盛り上がるわけがなかった。十分な広さがあっても、どこか窮屈に感じられてしまう。
私たちが会話を続けられずにいると、高松が目を開けてワイヤレスイヤフォンを取って、「別に話すことないならゆっくり休んでれば。撮影はまだ続くんだしさ」と軽くたしなめてくる。私たちは口をつぐんだ。手持ちカメラを持っているスタッフは何も言ってこず、エンジン音だけが周囲に広がっていく。
黒いレンズに映った自分たちの姿を見ると、撮れ高を提供できず申し訳ないという思いが募る。でも、これが私たちの日常だ。険悪ではないけれど、積極的に話すこともあまりない。
「ねぇ、高松。起きてる、よね?」
再びワイヤレスイヤフォンを装着して、目を瞑っている高松に、私はぼそりとした声で話しかけた。高松は反応を返さなかったけれど、代わりに手持ちカメラが私たちの方に向く。もしかしたら動画に使われるかもしれない。
でも、高松を心配する気持ちの方が、私には大きかった。
「もしかしてさ、無理してない?」
思い切って訊いてみても、高松は眉一つ動かさなかった。たぶん音楽に負けて、私の声は聞こえていないのだろう。住永は窓の外を見ている。
カメラで記録されている恥ずかしさはあったものの、後で動画には使わないでほしいと言えば済む話だ。囁くようにして私は続ける。
「人前に出るときも、ちょっと無理して笑顔を作ってるんじゃないかなって。もちろんそれが私たちの仕事なんだけど、でもオフのときにたまに見せる重苦しい表情とのギャップには、大それたものを感じちゃうよ」
スタッフが私たちを呼びに来る気配はまだない。思っていたよりも準備に手間がかかっているようだ。
「ごまかしてもしょうがないから、はっきり言うね。私にはあんたが感じている苦悩の大きさは分からない。だって私はあんたほど人気じゃないから。あんたが感じているプレッシャーも見ている景色も、完全に分かるわけがない。だって私たちは違う人間だから。見方も感じ方も違って当たり前だから」
カメラの黒いレンズだけが、私の独白を捉えている。無視することはできないけれど、特別に意識しなくてもいいと今は思う。
「ていうか、私とあんたは出自からして違うもんね。私はただの一般人だけど、あんたはずっと芸能界で生きてきたんだから。それに、私は歩けないのが当たり前だけど、あんたは普通に歩けてたときの方が、まだ長いんだもんね。事故に遭ってあんたが味わった絶望は私には分からないし、分かるよなんて、おこがましいことも言えない。あんたがどれだけアンリミテッドに懸けてるか。その思いの強さには、とうてい敵わないなって思うこともある」
「でも」私は小声のまま語気を強める。その言葉は高松じゃなくて、自分に言っているのかもしれなかった。
「でも、分からないからって、それがあんたへの理解を諦める理由にはならない。たとえ完全な理解はできなくても、分かり合おうとする過程のなかで、生まれるものもあるんじゃないかって私は思う。だから、私たちの前でだけはアイドルを演じようとする意識を、ちょっとでも弱めてくれたら嬉しいなって。もう少し素の部分を見せてくれたら嬉しいなって、私は思ってるよ」
一方的に言いたいだけ言って、私は側に置いていたスマートフォンを手に取った。SNSでも見ようかと電源を入れる。その瞬間、隣から「はぁ?」と言う声が聞こえた。高松がワイヤレスイヤフォンを外して、私のことを睨んでいた。
久しく見ていなかった鋭い目つきは、有無を言わさぬ迫力がある。カメラに背を向けていたから、その表情を見られるのは私だけだった。
「何、言いたいこと言ってすっきりしましたみたいな顔してんの? あんたの苦悩の大きさは分かんないだって? 当然じゃん。だって私とあんたじゃ、人気も知名度も何から何まで違うんだから」
高松は明らかに怒っていた。私たちに冷たい視線を投げかけることはあっても、ここまで怒っている高松を、私は初めて見る。剣呑な声に、住永もこちらを向いている。車内の空気が高松に引き寄せられていた。
「それに出自が違うって何? 私が事故に遭ったときに、どれだけ悲しかったか、死にたくなったか、そんなのあんたに簡単に分かってほしくない! 今までできていたことができなくなる絶望感なんて、味わったことないでしょ! 分からないとか言いながら、分かったような顔しないでよ!」
高松の剣幕は想像以上で、私は少したじろいでしまう。だけれど、高松に考えを伝えたことに、後悔はなかった。怒るってことは、私を認めてくれてるってことだから。何かを期待してるってことだから。
「私はね、生きるか死ぬかっていう気持ちでアイドルやってんの! アンリミテッドは私にとってラストチャンスなの! ここを逃したら、もう私は芸能界で生きていけない! それは私にとって、死に等しいことなの! たとえ、今日アイドルをやめたって何の支障もなく生きていけるあんたに、私の気持ちなんて分かるはずがない! 優しい言葉でたぶらかさないで!」
声を荒げる高松に、車内はしんと静まり返った。カメラマンが少し引いているのが、表情を見なくても伝わってくる。
でも、私は高松を痛々しいとも可哀想とも思わなかった。語気を強めたのは、本音だからだろう。精神的な壁が取っ払われたようで、ほんの少しだけ嬉しくなる。
それでも私以上に不安と戦っている高松に、笑顔を向けるわけにもいかない。どうすれば高松を励ませるか、背負っているものを少しでも分けてもらえるか。少し考えて、私は高松の右手に自分の左手を乗せた。
「はぁ!? 何やってんの!?」
そう言いながら、高松は私の手を振り払おうとはしなかった。もしかしたらずっと、こうして誰かに側にいてほしかったのかもしれない。
柔らかな肌が、手のひらに触れる。高松の手は、じんとするほど暖かかった。
「大丈夫だから。私たちがいるよ」
私たちは、それ以上何も言わなかった。手と手が触れ合って、気持ちが伝達できている。そんな感覚が私にはあった。
目を伏せている高松は、何を考えているのだろう。決して分かりはしないけれど、前向きなことを考えていたらいい。
じっとしている私たちを、カメラが克明に捉えている。この瞬間が長い間残るなら、カメラを向けられるのも悪くないと思った。
「アンリミテッドの皆さーん! 準備できましたー! 撮影を再開しまーす!」
ロケバスにやってきた女性スタッフが、元気な声で言う。私たちも明るい声で頷く。ここからはいよいよサビの部分、歌唱パートの撮影だ。疲れたなんて言っていられない。
私たちはスタッフの人におぶってもらって、車椅子に乗せてもらう必要がある。さっそく再開を告げた女性スタッフが、車内に入ってきて高松に声をかけた。
高松は頷くと、私たちを代わる代わる見てきた。先ほどまでの剣幕は消えて、温かみのある笑顔をしていた。
「溝渕、それに住永も! 寒いけど引き続き撮影がんばろう! 私たちならきっといいものにできるはずだから!」
高松の笑顔が心からのものなのか、それとも作り物なのか、私にはやっぱり分からない。それでも前者であればいいと思いながら、私は明るい返事をした。高松の表情がまた少し緩む。女性スタッフにおぶられて、外へと向かっていく。
確かに外は寒い。それに日没までに撮り切らないといけないから、時間的な制限もある。
それでも私は、うまくいくと信じて疑わなかった。それはまだ、手のひらに高松の手の感触が残っていたからかもしれなかった。
カフェチェーンの窓から、立派なクリスマスツリーが見える。くまなく飾られた電飾は今は光ってはいないが、それでも雪を模した飾りつけが幻想的だ。だけれど、そのクリスマスツリーに寄りついたり、写真を撮っている人は数えるほどしかいない。クリスマスは今日が本番なのに、誰もがもう関心を失くしているようだった。
このクリスマスツリーも、明日には撤去されて跡形もなくなっているのだろう。そう思うと、無視され続けている姿に同情すら湧いてきそうだ。
「千明さ、見たよ。昨日の配信。めっちゃがんばって喋ってたよな」
祐貴がテーブルに腕を乗せながら言う。側ではキャラメルマキアートが半分ほど減っていて、私のカフェオレよりも飲むペースが早い。飾らない祐貴の表情に、私も自然体でいられる。
今日のレッスンは午後三時からで、まだ少し時間には余裕があった。
「えー、そう? 私としては、そんな意識して喋ってたつもりないけどな」
「いや、普段俺といるときの倍は喋ってたって。やっぱ今って、喋りもある程度いけなきゃいけないんだな」
「まあファンとはいえ、何の面識もない人とも、ちょっとは喋んなきゃいけないからね。そりゃ少しは喋れるようになるよ」
「酷いな、その言い方」
私たちは小さく笑い合う。自分でもなかなかな言い草だと思ったけれど、祐貴といると不思議と笑い話になった。
いつも混んでいるカフェに比較的人が少ないのは、今日が平日だからだろう。私たちは学生にだけ与えられる冬休みという特権を、最大限に活用していた。
「でもさ、最初の頃と比べると、高松や住永との息も合ってきたじゃんか。やっぱ半年以上も一緒にいると、距離も縮まるんだな」
しみじみとした口調で祐貴は言う。確かに昨日、クリスマスイブの配信は、高松や住永との絡みも今までになくスムーズにいったし、中盤のゲームコーナーはかなり盛り上がった。アンリミテッドとして年内最後の表に出る活動を、いい形で締めくくれたという手ごたえがある。
でも、このまま頷くのは恥ずかしかったので、私は思ってもいない照れ隠しを口走った。
「祐貴さ、もしかしてカメラの前で見せている姿が、全部だって思ってる? カメラが回ってないときの私たちが、どんなんだか知らないでしょ」
「ごめん。もっとよく考えて言うべきだった。確かに仲よさそうにしてても、ステージを降りたら口も利かないってイメージがある」
申し訳なさそうにしている祐貴に、私は軽く吹き出してしまう。アイドルにどんなイメージを持ってるんだ。
「冗談だよ、冗談。私たちはそういうんじゃないから。そりゃいつも喋ってるってわけじゃないけど、仲は決して悪くないから安心していいよ」
「本当に?」とやや疑り深い目をしている祐貴に、「本当だってば」と答える。まあ結成したての頃はヤバかったけどと、心の中で付け加えて。
あのときの険悪さと比べると、今の三人の関係はかなり進んでいる。少なくとも高松は私や住永を邪険に扱うことはなくなった。同じメンバーとして、対等な立場で接している。
雑談は続く。どこまでも流れていきそうな祐貴との時間。
でも、祐貴がおもむろに口を開いたことで、一気に様相が変わった。
「千明さ」
「ん? どうかした?」
「好きだよ」
(続く)




