【第12話】ゆうなぎ学級
カレンダーの上では、日付は九月に変わっていた。だけれど、夏の暑さはちっともその姿を消してはくれない。冷房も空しく、私たちは引き続き大粒の汗をかきながら、レッスンに励んでいた。今のところ次のシングルの配信は未定だし、ライブハウスで行うようなライブもしばらくはない。
でも、私たちはレッスンを怠るわけにはいかなかった。一日一日の練習の積み重ねでしか、パフォーマンスは向上しない。うまくいかなかったライブ。あんな経験はもう二度としたくない。高松と住永と一緒に、少しずつ上達している実感があったから、毎日のように入っているレッスンも、私は何とかこなすことができていた。
その日も、まだ夏を感じる暑い一日だった。二日続けてのライブから二週間が経った土曜日、私たちは車に揺られていた。
幹線道路を下っていくと、大きな病院が見えた。外壁が高く昇った太陽を反射している。たぶん私たち全員にとって、病院はあまりいい思い出のある場所ではない。だけれど、既にデビューライブと同じ衣装を着ているからには、四の五の言ってはいられなかった。
車から降りる。目指すは、庭の入り口に建てられた平屋の建物だ。
「ゆうなぎ学級の皆さん、初めまして! 私たち、車椅子に乗ったアイドル」
『アンリミテッドです!』
私たちが声を揃えると、二〇人ほどの拍手が教室に響いた。高松がマイク越しに挨拶をしている横で、私はステージと変わらない微笑みを作る。
だけれど、全員が私たちを歓迎しているわけではなかった。普通に椅子に座っている子よりも、車椅子に座っている子や、点滴台が横にある子の方がよっぽど多い。
私たちが今日訪れていたのは、都内にある病院の院内学級だった。自分と同じような境遇の子が歌って踊るのだ。訝しむ目を向けられても、不思議はない。
「今日は短い時間ですけど、一緒に楽しんでいきましょう! では、聴いてください!『私たちのコンツェルト』!」
高松が調子よく言って、曲は流れ始めた。とはいっても机の上に置かれたラジカセからだけれど、聴いてもらえる以上、そんなことは関係ない。
私たちは数百人の客に届けるのと同じように、精一杯歌った。教室は狭かったから、ステージみたいに位置を入れ替えることはできなかったけれど、その分の力を手の動きや歌にこめた。
音楽のために作られていない教室は、思ったように音が響かないから、正直やりづらい。それでも、小さく身体を揺らして歌に乗ってくれている子供たちを見ると、それは些細な問題でしかなかった。
歌う私たちがいて、聴いてくれる人がいる。距離が近い分、シンプルな図式がより胸に沁みた。
『私たちのコンツェルト』ともう一曲を披露して、私たちのミニライブは終わった。「ありがとうございました!」と頭を下げた私たちに向けられた拍手が、少しでも何かを与えられたことを物語る。小さいし、まばらだし、全員がしたわけではなかったけれど、温かみのある拍手に来てよかったと思えた。
この院内学級に来たのは活動の一環、大人たちの指示だ。Kanade TVはアンリミテッドの売り上げの一部を、こうした院内学級や障害者の自立を支援するNPOに寄付している。イメージアップの狡い戦略だと、初めて聞いたとき私は思ったが、それでも喜んでくれる人たちを目の当たりにすると、自分が浅はかだったと感じる。
喜んでくれる子供たちと、手ごたえを得ている私たちが同じ空間にいる。それが全てだ。
ライブが終わると、その後はファンサービスの時間だ。とはいえ、この子たちにグッズを売るわけにもいかないから、ただの会話が中心になる。
ここでもやっぱり一番人気は高松だった。多くの子が群がって話しかけたり、サインをねだっている。小学生や中学生の子が多く、きっと幼いころから高松をテレビで見ているのだろう。
でも、そんな当然の光景にも、私の心はチクリと痛んだ。私や住永に話しかけてくる子供は少ない。遠慮しているのか、それとも人見知りなのか。どちらにしても、気を遣わなくていいのにと思う。
でも、住永にさえ話し相手がいる状況で、一向に声をかけられないと私は少し焦る。結成から半年近く経つのに、一歩外に出てみれば、知名度も人気も皆無に等しかった。
こうなったら自分から話しかけるしかない。私は教室を見回した。すると、教室の端で先生と思しき大人と一緒にいる女の子を見つけた。私と同じように車椅子に座っているが、腕には点滴を注されていて、室内でもニット帽を被っている。先生との話も弾んでいない。
私は車椅子を操作して、その子のもとへと向かった。近くで見ると、くりくりした目が人形みたいだった。
「こんにちは。今日は私たちのミニライブを見てくれてありがとう」
少し警戒した様子を見せているその子に、物腰柔らかに話しかける。小さく頷いたその子は、私をまるっきり拒絶してはいなかった。だから、もう一歩踏みこんでみる。
「ねぇ、名前は何て言うの? 私は溝渕千明って言うんだけど」
「……知ってる。さっき歌う前に自分で言ってたもん」
声は小さくか細かった。人と話すことを億劫に感じているのか、それとも自分に自信がないのか。後者だったら、まだ名前も知らないこの子を、私は肯定したいなと思う。
「そっか、そうだよね。確かに自分で言ってたわ」
微妙な空気をはねのけようと、私は少し声を出して笑った。せっかく人と話してるんだから、神妙な面持ちはしないでほしい。
でも、その子の表情は動かなかった。仮面でも被っているかのように。
「……青木」
「えっ?」
「青木結乃。私の名前」
呟くような言葉だったけれど、その子がわずかでも心を開いてくれたようで、私は嬉しかった。返事も自然と明るくなる。
「そっか! 結乃ちゃんだね! 今日は会えて嬉しいよ! どうだった!? 私たちの歌は!?」
機嫌よく私が訊いても、青木はすぐに答えなかった。目が泳いでいて、言葉に迷っているようにも見える。隣にいる先生は温かな目で青木を見ていて、思った通りに言えばいいと、言っているみたいだった。
「……バカみたいだった」
しばし迷った後に青木が言った言葉は、私の神経を逆なでさせた。こっちは一生懸命やってんのに、バカみたいだって? 思わず睨みたくなったけれど、青木は私の目を見られていなかった。
私はできる限り、優しい表情を保つ。
「そっかぁ。バカみたいだったかぁ。そう言われるとは思ってなかったなぁ」
「い、いやそういうわけじゃ……。私はともかく他のみんなは楽しそうだったし……」
そういうわけじゃないなら、どういうわけだ。あんた自身は楽しめなかったんだろ。私はここにいる全員を楽しませるつもりで来たのに。
文句ならいくらでも言えそうだったけれど、青木に言っても意味はない。きっと私の実力が足りていないせいだ。そう思うのが一番平和だ。
「大丈夫だよ。そんな気を遣わなくて。楽しめなかった人も、いてもいいと思うし。まあ、もちろん私は結乃ちゃんにも楽しんでほしかったんだけど」
「だって、車椅子に座りながらもあんな風に歌って踊られると、何もできない自分が惨めに感じられちゃうもん……。みんながみんな、千明ちゃんみたいにはなれないし……。明日が来るかも分からない中で、笑顔で楽しむことなんてできないよ……。千明ちゃんたちに元気をもらえる人も、もちろんいるとは思うんだけど、私はそういう気持ちにはなれなかった……」
「本当にごめんなさい……」。消え入るような声で青木は言葉を結んだから、私は「謝らなくていいよ」とフォローするしかなかった。
当然、ショックは受けている。一般のファンはもちろん、私たちと似た境遇の人たちに向けて、これまで活動してきたつもりだった。でも、それがかえって青木みたいな子を傷つけていたなんて。
活動をやめるつもりはないけれど、それでも今までよりも何のために、誰のためにアイドルをやるのか、考えなければならなさそうだ。
「そこまで正直に言ってもらえると、私はありがたいよ。無理して『楽しかった』って言われて、本当は全然楽しめてなかったんだなって分かるよりは、よっぽど健全だと思う」
「本当に……?」
「うん、本当。おかげで結乃ちゃんみたいな子にも、楽しんでもらえるようなパフォーマンスをしなきゃって、新しい目標もできたし、何よりこうして結乃ちゃんと話せてるだけで、私は嬉しいから。普段はスタッフの人がいて、もっと話したいなって思っても、時間が来たら引き離されちゃうからね」
内心受けているショックを隠すように、私はにこりと笑ってみせる。すると不思議なことに、心も少しだけだけど軽くなった。
青木はまだ申し訳ないような表情をしていたけれど、無理して笑わなくてもいいと思える。自分の気持ちをごまかすことも、私たちみたいにずっと笑顔でいる必要もない。
教室には和やかな話し声が満ちている。次の予定は迫ってきていたけれど、私はもう少しここにいたいなと思っていた。
「配信をご覧になってる皆さん! 最近めっきり寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか! 私たちはというと……」
軽く自己紹介をした後、高松は世間話から配信を始めた。この冬をどう過ごしたいかとか、冬の何が楽しみだとか、三人でそういう何気ない話をして、まずは場を温める。モニターのコメント欄には、私たちに共感を示すコメントや、自分の場合は……という知ったこっちゃないコメントが並ぶ。
そのなかに時折混ざるのが「重大発表まだ?」というコメントだ。季節が秋から冬に変わり始める頃、私たち三人は「重大発表あり!」と銘打った配信をしていた。だから、視聴者の急く気持ちも当然だ。
でも、最初は少し別の話をして焦らすように、鶴岡からは言われている。こうやって期待を煽るのが、一般的なやり方なんだそうだ。
「では、ここで皆さんも気になっていると思います、重大発表をしたいと思います!」
そう言って、高松は言葉を溜めた。その間にモニターからは、ドラムロールの効果音が鳴っている。ベタな演出だと思ったけれど、当然顔には出さない。
「私たちアンリミテッドのデビューアルバムが来年の二月に発売、そして配信されることが決定しました!」
高らかに告げた高松に、私と住永は拍手で続いた。コメント欄も湧き上がっている。
アルバムを出すと知らされたのは一ヶ月ほど前のことだったから、私はようやく言えたという思いでいっぱいだった。自然と笑顔になってしまう。
「アルバムのタイトルは『We are Unlimited!!』! シングル曲はもちろん、新曲もたくさん収録した一〇曲入りのフルアルバムです!」
「今までのシングルは配信のみでしたが、今回のアルバムはCDとしても発売します! 発売を記念したイベントやキャンペーンも企画中ですので、ぜひご期待ください!」
私と住永がそれぞれ言うと、拍手や笑顔のスタンプが飛ぶように送られた。「絶対買う!」「来年が楽しみ!」といったコメントに表情が緩む。この前みたいな否定的なコメントは一つもない。
送られてきてはいるのかもしれないが、それは井口がチェックして表示させていない。以前の反省を生かし、コメントは承認制に変わっていた。
「さて、私たちアンリミテッドも遂にアルバム発売となったわけですが、どう? 千明。今の気持ちは?」
段取り通り、高松が私に話を振ってくる。私も嘘が一つもない笑顔で答える。
「もちろん、嬉しいの一言です! デビューしたときからアルバムの発売を目標にしてきたので、それが叶って感無量です! これも日頃から私たちを応援してくれる皆さんのおかげです! 本当にありがとうございます!」
「そうだね。私たちの力だけじゃアルバムは出せないしね。今回のアルバム発売は私たちのことを多くの人が認めてくれた結果だから、私もすごく嬉しいよ。愛瑠はどう?」
「は、はい! 私たちがアルバムを出せるなんて、正直まだ完全には信じきれてはないんですけど、それでも決まったからには、最高のアルバムを皆さんにお届けしたいと思っています! もうレコーディングも始まってますけど、すでにとてもいいアルバムになる予感がしているので、皆さんぜひ忘れずに待っていてください!」
住永も興奮気味に語っている。本当はレコーディングの合間だったり、配信が始まる前にも不安げな表情を見せていたが、アイドルとしての振る舞い方が分かってきたらしい。
常に明るく元気よく。
それは住永の本来の性格からは少し離れているが、演じることを苦にしている様子は、あまり見られなくなっていた。
(続く)




