【第10話】感動ポルノ
エンジニアの背中越しに見える、おびただしいほどのフェーダー。まだ片手で数えられる回数しか来ていないから、いかにも仕事場という雰囲気は、私の身体を軽く震わせた。リラックスなんてできるはずもない。
この日は、私たちのセカンドシングル『夏とクリームソーダ』のレコーディング日だった。二日間のうちの一日目で、今は録音ブースの中で住永が歌っている。表情は緊張しきっているものの、軽やかな歌声には萎縮している様子は見られない。
精一杯歌う住永の姿を、私と高松は作業ブースで眺めていた。エンジニアの他に同席しているのは井口と、歌唱指導を行う仲川くらいで、最少人数と言っていい。
テーブルの上にはカロリーオフの菓子が置かれていたけれど、私は手を伸ばす気にはなれなかった。緊張が胸の中に渦巻く。
「はい、住永さん『夏とクリームソーダ』OKです。ありがとうございました」
三テイク目を録り終わったところで、仲川と少し言葉を交わしてから、マイクに向かってエンジニアは告げた。住永の表情が分かりやすく安堵の色を帯びる。ここに入ってくるときには見られなかった笑顔も、少しだけ見られた。
録音ブースから出てきた住永は、軽く額に汗をかいていた。入れ替わるようにして録音ブースに入っていった高松と、二言三言会話を交わして、私の隣にやってくる。水を飲みながらも、やっぱり菓子には手を伸ばしていなかった。
「お疲れ。住永。歌、よかったと思うよ」
井口や仲川は、録音ブースでウォーミングアップ中の高松を見ている。後方に二人残されて、私は自然に住永に話しかけていた。自分の緊張を紛らわせたい思いも少しあった。
深く息を吐いた住永は、わずかに怪訝な目を私に向けていた。
「本当ですか……?」
「うん、本当。会ったときから歌は上手かったけどさ、レッスンを受けてさらに磨きがかかってる。ぐっと胸に迫るものを感じたよ。いい歌だった」
住永の歌は確かによかった。だからこそ、それを生かすも殺すも私と高松次第だ。
そう考えると、余計に緊張は高まっていったけれど、住永に「ありがとうございます」と言われると、少しは気が紛れる。練習した通りの歌声を出せればいいと思えた。
ウォーミングアップを終えた高松が、本格的にレコーディングを始める。だから、私たちも喋るのをやめて、じっと高松を見る。手でピッチを取っている高松は、この日も明るく弾けるような歌声を披露していた。何テイクも録音を重ねる高松を、私はただ見つめる。
だけれど、隣にいる住永の様子は、時間を重ねるうちに変わっていった。糸が切れた人形みたいに手がだらんとぶら下がり、表情にも元気がない。目はどこかうつろで、もう顔を上げてられていない。全身の力が抜けてしまったようだ。
私が軽くつついてみても、反応は薄い。座っているのも辛そうな顔は、心配するなという方が無理な話だ。
でも、こういうことはレッスンの最中にも何度かあったから、私はこの世の終わりみたいには慌てなかった。詳しいことは知らないが、病気を抱えている住永には、薬が効いているオンの時間帯と、そうでないオフの時間帯がある。
高松の歌が切れたタイミングを見計らって、井口に声をかける。井口と仲川がかわるがわる住永に大丈夫か訊いていたけれど、住永は満足な反応を返せていなかった。もはや座っているだけでも、負荷がかかっている。
井口が親を呼ぶからと、作業ブースから出ていく。仲川が大丈夫だからね、としきりに声をかける。声自体は聞こえているのか、住永も小さく頷く。エンジニアも高松も心配そうに住永を見ていて、もはやレコーディングどころではなかった。
そのままレコーディングが中断して、三〇分ほど経っただろうか。住永の親が到着して、井口は住永の車椅子を押して、作業ブースからいったん退出した。辛そうにしている住永の後ろ姿に、私は無事を祈ることしかできない。
レコーディングは明日もある。だけれど、急いでレコーディングをするよりは、住永の体調が回復するのを待つ方が先だと思った。
翌日。薬がうまく効いてくれたのか、住永はレコーディングスタジオに来てくれていた。私たちはかわるがわる体調を尋ねたけれど、住永はそのすべてに前向きに答えていた。
実際、住永の歌には何の問題もなく、私たちは予定通りの日程でレコーディングを終える。私もよりレッスンを受けた分、前回よりもうまく歌えたという手ごたえがある。早く大勢の人に聴いてほしいと思えたのは、たぶん大きな進歩だった。
「はい! 今日は私たちアンリミテッドのセカンドシングル『夏とクリームソーダ』の配信記念ライブ配信をご覧になってくださって、ありがとうございます! 改めまして、私たち車椅子に乗ったアイドル」
『アンリミテッドです!』
「よろしくお願いします!」私たちがそう言うと、画面にはいくつもの拍手の絵文字が飛んだ。歓迎の印に口元が緩む。
レコーディングから三週間。ポスプロ作業も順調に終わり、私たちのセカンドシングル『夏とクリームソーダ』は無事、配信日を迎えていた。
とはいっても、クラスで聴いてくれたのは祐貴ぐらいのものだったし、エゴサは井口からしてもいいけど、見るなら自己責任でと言われている。歌が下手だとか書かれていないか心配で、私はなかなかSNSを見られずにいた。
だから、聴いてくれた人の反応を直に知るのは、今が初めてだ。
「さて、『夏とクリームソーダ』が本日配信となったわけですが、いかがでしょうか!? 皆さん、もう聴いてくれましたか!?」
高松がカメラに向かって問いかけると、絵文字やコメントが次々と寄せられた。目で追いきれないようなコメントにも、高松は一つ一つ返事をするように頷いている。
「もう一〇回以上聴きました!」というコメントに、私たちは全員で感謝を述べた。世の中に星の数ほどある曲の中で、私たちの曲を選んで購入してくれる。それは決して当たり前のことではない。井口に口酸っぱく言われなくても、それくらい私にだって分かる。
「えー、レコーディング中の思い出話ですか。どう? 千明。何かある?」
コメントを高松がピックアップして、私に話を振った。予想できた話の流れだったから私は高松が、私が歌っている間に少しウトウトしていたという、あらかじめ用意していたエピソードを話した。「えー? そうだっけ?」と、とぼける高松の姿がおかしくて、ビジネスではない笑いが漏れる。
視聴者からの反応も上々で、ウケていると安心するのと同時に、自己顕示欲が満たされていくある種危険な感覚も私は味わっていた。
「えっと、『今回のシングルの中で一番気に入っているところはどこですか』愛瑠はどう? 特にここが好きってところはある?」
高松が今度は住永に話を振る。住永は少し恥ずかしそうにしながらも、サビ前の一行が好きとか、間奏のギターがたまらないとか、特に表題曲の『夏とクリームソーダ』の推しポイントについて語っていた。
「分かる!」と相槌を打つ高松に乗っかるように、同意のコメントがいくつも寄せられる。きっと住永にとっては、自分を肯定されて、自信を深めることにつながるだろう。
〝お前ら、何やってんだよ。障害者がアイドルの真似事なんて見苦しいだけなんだよ〟
配信が始まって、三〇分ほど経った頃だろうか。Guestという名前のユーザーが、否定的なコメントを投稿してきた。攻撃的な文面を見て、私の心は一瞬凍りつく。
今までの配信だって、貶すようなコメントはあった。それでもここまで辛辣なのは初めてだったから、目に見えて動揺してしまう。住永の笑顔もぎこちないものに変わった。
だけれど、高松は何事もないかのようにそのコメントを無視して、トークを続けている。私たちも元の調子で話し始めた。
私たちを擁護するコメントが、いくつか覆いかぶさる。だけれど、そのGuestは喧嘩をふっかけるかのように、コメントを重ねた。
〝障害者でもがんばれますなんて、白々しいだけなんだよ。そういうのなんて言うか知ってるか? 感動ポルノって言うんだよ。無理やり感動させるための人形になって。お前ら、恥ずかしくないのかよ〟
偏見まみれのコメントは、私の胸をぐさりと刺した。私たちはアイドルをやりたいからやっているだけだ。人形になんてなっていない。
それでも確実にダメージを受けていて、思っていたように笑えない。気にせずに進行を続けている高松の姿が、どこか寂しい。
カメラの向こうにいるディレクターが「早く曲いって」とカンペを出す。微妙になり始めた空気に差し出された助け舟に、私たちはここぞとばかりに飛びついた。
「では配信を聴いてくれている皆さんに、私たちから一曲プレゼントをしたいと思います! 今日配信されたばかりの『夏とクリームソーダ』を、今ここで披露したいと思います! では、準備がありますので少々お待ちください!」
高松がそう言うと、モニターは私たちのミュージックビデオを流し始めた。多くのドラマのロケ地に使われている学校の屋上で撮影した、『私たちのコンツェルト』のミュージックビデオだ。それはすなわち配信が、一時的にオフになったことを示している。
スタッフが机を片付けたり、私たちにマイクを渡したりと準備する中、私たちも指定された位置につく。本社ビルの一室だから大げさなダンスはできない。それでも歌うことに意味がある。
「溝渕、それに住永も。あんな捨てアカの言うことなんて、気にしなくていいからね。ああいう奴は、どうせ批判しかできないから。がんばってる人の足を引っ張ることしかできないから。そんな人たちの言うことをいちいち真に受けてたら、この先もたないよ」
位置に着く途中、高松は私たちを気遣ってくれた。私もあんなのは負け犬の遠吠えでしかないと思おうとしたけれど、頭からは離れなかったので、はっきり言ってもらえると助かる。住永も頷いて、私たちは位置について、ディレクターのキューを待つ。
ミュージックビデオが終わったタイミングで、配信は再開された。高松が一言言って、カメラ横のスピーカーから『夏とクリームソーダ』のイントロが流れ始める。ここで働いている人たち全員に、私たちが歌うことは伝わっていたから、私は周囲を気にせず歌えた。
それでも、どこか居心地が悪い感じは抜けない。あの悪意しかない捨てアカの言ったことを、私は引きずってしまっていた。
邦楽のバンドが失恋を赤裸々に歌っている。住永が選んだバラード風の曲は、これから始まるライブの雰囲気には、あまり合っていないように私には感じられる。だけれど、好きな曲を聴いているからか、住永の表情はいくらか落ち着いていた。
二回目だからといって、私の緊張は少しも軽くなっていないけれど、私以上に緊張していた住永が少しでもリラックスできているなら、それでいいと思う。本当はもう少し明るい曲を選んでほしかったけれど。
デビューライブ後の活動によって(自分で言うのもなんだけれど)アンリミテッドは少しずつ人気を獲得してきていた。『夏とクリームソーダ』のダウンロード数も、『私たちのコンツェルト』の一.五倍になったし、デビューライブでは最後まで売り切れなかったチケットが、今日は既に三日前に完売となっている。配信用のチケットの売れ行きも好調で、デビューライブより多くの人が、私たちのライブを見てくれるのは明らかだった。
だから、その分私の緊張も上乗せされてしまう。まだ顔を合わせていない、そして顔の見えない数百人の人のことを想像すれば、落ち着けという方が無理な話だ。
それでも、高松は浮足立つことなく精悍な表情をしていた。深く集中しているのだろう。
話しかける相手と言ったら、井口ぐらいしかおらず、私は何度も「大丈夫ですかね」と訊いていた。その度に井口は私のほしい言葉をかけてくれたが、それでも私の心は穏やかにはならなかった。比喩じゃなく、不安に飲みこまれそうになる。いつか慣れる日なんて来るのだろうか。
客入れの音楽が止む。フロアとステージが暗闇に包まれる。いよいよだ。入場のSEが流れ、紫色の照明がステージを照らし出す。
今回も最初にステージに出るのは私だ。私は振り向いて、高松と住永の顔を今一度確認してから、レバーを前に倒した。ホイールが滑らかに動き出す。
フロアから送られる拍手に包まれると、まだ歌ってもいないのに私の喉は渇いた。心臓がひっくり返りそうにもなる。
それはリズムに乗るように左手を振り上げても、何も変わらなかった。フロアには以前見た顔もいるが、それ以上に初めて見る顔の方が多く思える。自分たちをよく知らない人たちに向けて歌うのは本望なはずなのに、少し恐ろしく感じられた。
(続く)




