【第1話】出会い
アイドルが好きだった。
あどけない歌声、揃った踊り、可愛らしい衣装。画面の彼女たちは、いつだって私を魅了した。スポットライトに照らされて、キラキラ輝いている姿は、この時代によみがえったミューズみたいだった。
たとえ生活で気に食わないことがあったとしても、彼女たちはいつも私に笑いかけてくれる。それがさまざまな辛さや苦しみの上に成り立っている笑顔だと分かっていても、私には何一つ嘘のない純粋なものに見えた。
小学校の卒業文集に書いた将来の夢。「アイドル」が私にとっては限りなく不可能なものだとしても、私はある日突然奇跡が起こると信じて疑わなかった。
そして、奇跡は用意された。
四月の始め。高層ビルの窓が朝の日差しを反射して、ちかちかと眩しい。自動ドアの向こうでは、人々が二本の足で右に左に行き交っている。
夢への第一歩を目の当たりにして、私は深く息を吸った。今日のために買ったベージュ色のパンプスをじっと見つめる。
一つ頷いてから、私は私だけのかぼちゃの馬車を動かす。ロビーにいる人は、私を意識していないようで、視界の端で垣間見ている。一六年の人生でもう慣れっこになっていたから、今さら何も感じない。
受付の女性は私を見るなり、受付を出て対応してくれた。私の目線に合わせているのが、憐れんでいるように思えたけれど、いちいち目くじらは立てていられない。
私は自分の名前を言って、カードキーと名札を受け取った。「エントリーNo.8 溝渕千明」。ちょっとやそっとじゃ折り曲げられないように、厚紙でできている。当然だ。今日次第では、この先も使うことになるのかもしれないのだから。
エレベーターホールへと向かう。ボタンを押すには少し背を伸ばさなくてはならなくて、ちょっと腹立たしい。こんな企画を立ち上げたなら、それくらい気を配れよ。
「もしかして、Kanade TVに用ですか?」
近づいてくる彼女の存在には気づいていた。だけれど、話しかけられたくなくて、私はエレベーターの階数表示を見上げていた。
そんなこと訊かなくても分かるだろ。だって、こんななりをしてるんだから。
なのに彼女は、わざわざ私の隣に寄って話しかけてきた。無視するのも失礼だから、私は視線だけ彼女に向ける。車輪に手を置いた彼女の右胸には、私と同じシンプルな名札が付けられている。
「エントリーNo.13 住永愛瑠」。すぐには読めない下の名前は、音読みで再生した。
「あの……、今日は一緒にがんばりましょう。いい結果を掴めるように」
「何言ってんの? あんたと私は競争相手、ライバルなんだから。分かってんの?」
この子の夢見具合は私よりひどい。これは綺麗事じゃない。
私は住永を軽く睨んだ。それだけで彼女は、話す気力が折れてしまったらしい。視線を落として、口をつぐんでしまっている。
エレベーターがやって来るまで、私たちは無言で待った。他には誰もやって来なくて、住永は何度か縋るような目線を向けてきたけれど、私は全て気づいていないふりをした。
エレベーターは私たち二人が乗ったら、満杯になった。一一階のボタンを押す。なんとか手の届く位置にあってよかった。
エレベーターを降りて、私たちは右手にある第二会議室に向かった。ご丁寧にもドアはあらかじめ開けられていて、段差に少し揺れながら私たちは部屋に入る。
一五脚並べられた長机。窓の外には、一一階だからある程度の眺望が広がっているはずだが、ブラインドに隠されて見えない。
真正面の壁には大きなホワイトボードが取りつけられていて、今日のスケジュールが記入されていたから、私は高校受験のときを思い出した。一一時のグループ面接開始までには、あと三〇分以上もある。
そして、奥の長机の前には一人の女の子がいた。入ってきた私たちに気づいて振り向く。大きな瞳に長いまつ毛が跳ねていた。
振り返ったのは顔だけだったから、胸の名札を読むことは私にはできない。だけれど、住永はびっくりしたように声を上げていた。
「えっ、もしかして日奈子ちゃん!?」
その声が私と話していた時よりも、一オクターブは高かったから、私は驚いて振り向いてしまう。
「何? 知り合いなの?」
「いや、溝渕さん。高松日奈子ちゃん知らないんですか? 『今晩は、月が』とか、『ポップアップ・ファミリー』とか見てないんですか?」
「見てない。何それ、ドラマ?」
「はい。もう五年から一〇年くらい前になるんですけど、日奈子ちゃん、テレビに映画に引っ張りだこだったんですよ。当時は女の子の子役と言ったら、日奈子ちゃんみたいな感じでした」
住永は少し興奮気味に語っていたけれど、私は大して興味を持てなかった。
以前から芸能活動しているからってなんだ。ここに来ているということは、私たちと条件は同じじゃないか。気圧されるわけにはいかない。
「何、ごそごそ話してんの?」
高松が私たちに近づきながら口にした。レバーから手を離し、私たちの目の前で止まる。
いざ目の当たりにしてみると、私よりも確実に顔が小さかった。だけれど、背は私たちよりもずいぶん高い。ピシッと伸びた背筋がそう見えさせているのかもしれないけれど、私は彼女から迸るオーラみたいなものを感じた。
だけれど、右胸につけられた「エントリーNo.1 高松日奈子」という名札は、私たちのそれと全く変わらない。だったら、気後れする必要はない。
「あんた、昔子役やってたんだってね」
後ろで住永が軽くうろたえてるのが分かったけれど、私は怯まなかった。本当のことを言って何が悪い。
高松は眉をピクリとも動かさなかった。言われ慣れているのか、顔に張りついた笑みが余裕の現れみたいに見える。
「うん。それがどうかしたの?」
向かい合うと、背の高さも相まって私が見下ろされる形になる。アーモンド形の目に笑顔以上の感情はなくて、私たちのことを何とも思っていないのは明らかだった。
「もしかして芸能活動をしてた分、自分が有利だと思ってる? いくら経験があったとしても、ここにいる以上は、私たちと同じなんだからね。勘違いしないでよ」
余裕綽々といった笑顔を引っぺがしたくて、私は強い言葉を選んだ。
だけれど、高松はさらに一つ笑ってみせる。わざとらしいというよりは、思わず吹き出してしまったというような。そんな笑みだった。
「何、あんた? もしかして私とあんたが同じ立場にいるとでも思ってんの? 勘違いしてんのは、うぬぼれてんのはそっちじゃない?」
鏡のように強く言い返されて、「はぁ?」と訊き返してしまう。高松の放つオーラに屈しないよう、虚勢を張った。
高松から笑みが消える。冷たい表情に、私の肌はかすかにそばだった。
「今回の企画は、まだ前例のない企画なんだよ。当然、選ぶ側にも少なからず不安はあるはず。だったら既に有名な私を選んで、ちょっとでも安心したいと思うのは、無理のないことだと思うけどな」
「何? 既に選ばれたつもりなの?」
「うん、そうだよ。どれだけ可愛い子が来ても、私は負けない自信がある。私には『高松日奈子』って名前の武器があるからね。運営としても、『あの日奈子ちゃんがアイドルとしてカムバック!』って売り出せるわけだし、私が図抜けた存在なのは、誰の目にも明らかだと思うけどな」
高松は自信たっぷりに言ってのける。私は即座に否定できなかった。
私はよく知らないけれど、確かに「あの高松日奈子が」というのは強烈な売り文句になるだろう。それは私たちにはない看板だ。
何も言ってこない住永と同様、私も口をつぐんでしまう。第二会議室に他の応募者が入ってくる気配はまだなかった。
「それにあんたたちは、番組の『どんな人でもアイドルになれる!』って謳い文句を見て応募したクチでしょ。もちろんなりたいとは思ってるんだろうけど、いいよね。だってあんたたちは、別に落ちても今までと同じ生活を送れるんだから」
「そんなことないよ! 私もこの子も、ここに来たからには本気でアイドルを目指してる! 軽んじるのはやめてよ!」
「いいや、そんなことない。絶対に私の方がこの企画に懸けてる。私は三歳の頃から一二年間、芸能界で生きてきた。ちょっとブランクが空いたけど、私は芸能の世界しか知らないの。この三年間は何の活動もできなくて、辛くて息苦しくて、生きた心地がしなかった。この企画は、私がこれからも生きていくためのラストチャンスなんだよ!? この企画に懸ける意気込みが、あんたたちと同じなわけない!」
高松は私以上に語気を強めていて、言葉に嘘は感じられなかった。私は高松がどうして今の状態になったのかを知らない。
もちろん私だって、生半可な気持ちで来たわけじゃない。だけれど、高松の表情には鬼気迫るものが感じられて、想いの強さの違いは明らかだった。
私も返す言葉が見からなかった。何を言っても、高松との差は埋められないと思った。
「私が有利なのは違いないと思うけど、あんたたちもがんばってよ。全力を尽くせば、ひょっとしたら選ばれる可能性もあるかもしれないし」
押し黙る私たちを見て、高松は表情を穏やかなものに変えた。素直にライバルに「がんばって」とエールを贈れる。それはやはり高松が、自分が受かると確信しているからに違いなかった。
私たちに笑顔を向けてから、高松は元の席に戻っていく。情けをかけられたようで、私は忸怩たる思いだった。絶対に受かって、目にもの見せてやる。
私と住永は、それぞれ自分のエントリーナンバーが書かれた席に移動した。次々と私たちと同じような女の子が入ってくる。その度に、私の身は引き締まった。
(続く)