軽薄な時代の軽薄な作品
軽薄な時代に合わせてばかりいると、いつかツケを払うことになる。
つい先日最終回を迎えた、とあるアニメ作品を鑑賞してふと考えついたことである。お金儲けして何が悪いという風潮が蔓延る世の中に大変うまく迎合したな、というのがその作品(商品といった方がしっくりくるが)に対する自分の評価なのだが、この現状は消費社会の成れの果てだなと感じる次第。すなわち、先がないということ。
この商品については、展開、キャラクター、セリフがとっ散らかっていて、作品としてのまとまりなど全く感じられなかったのだが、どうも好評だったようである。某動画サイトなんかでも、考察動画(という名の妄想動画)が溢れていたし、結構な再生数を稼いでいた。広告収入目当ての動画を見ようという気にはなれないのだけれど、そういった動画を好んで再生する人が多いようだ。SNSでその作品のことを発信すれば、一定程度の反響が得られて、場合によっては収入につながるなんてこともあるのだろう。他人の褌で勝負をしているようで、それって自分の実にならないと思うのだけれど、そんなことを気にする人は少ないみたいだ。その作品自体、大元の原作者の手を離れているようなものなので、作り手にも同じことは言えるのだけれど。
内容的なことを言えば、何もかも表層的にしか描いておらず、取り上げたテーマに対してあまりに不誠実だと感じたし、こうすれば視聴者は喜んで反応するだろうってことも計算に入れているようで、熱意を持って鑑賞するような作品ではなかった。クライマックスに如何にも盛り上がるでしょうって展開を差し出されても、そこまでの積み上げが全然できていないのだから、どうやって盛り上がれというのか見当もつかない。過去作品のオマージュらしきシーンも、醜悪なパロディとしか映らなかった。
こういった作品がもてはやされるのは、今を食い潰すことばかり考える時代にマッチしているからだと思うのだが、もう少し長いスパンで物事を考えないと、いずれ自分でそのツケを払うことになると感じる。というのも、刹那的な快楽ばかり求めていれば、作り手も金儲けのためにその欲望に適した作品を生み出すことになるが、そういった作品は決して心を豊かにはしないと思うのだ。10年、20年経ってもしみじみと感動できる作品と出会うことが難しくなる。それは心の貧しさに繋がり、豊かな人生への手がかりを失うことになるのでないか。
たかがアニメ、たかがエンタメと言われるかもしれないけれど、日々触れるものの積み重ねが自分を形成するのだから、豊かな作品が生まれるような土壌を育んでいきたいと思うのである。
以上