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「おかわり。」
少女は空になったお椀を少年に差し出してそういった。これで4杯目である。こいつはどれだけ食べるのつもりなのだろうかと少年は少しあきれつつ、しぶしぶスープを再度お椀によそうことにした。最初、少年はなぜ自分がよそうのか、自分でよそえばいいだろうと少女に反発していたのだが、「勝手に人に家に侵入して、勝手にそこで料理をした」というところを指摘され、何も言い返せなくなった。冷静になると、自分がとんでもないことをしたなと背筋が寒くなった。確かにいきなり叫ばれても文句は言えないような気がしてくる。
しかし、少年にも、そんなことをしてしまったわけ、言い分がある。なにしろいきなり見知らぬ場所に飛ばされてきてしまったのだから。少年は少女が腹を満たして少し満足げになったことを確認して、会話を切り出した。
「...それで、ここはいったいどこなんだ。」
「そんなことよりも、あなたはいったい何者なのよ。」少女は逆に質問を返してきた。取り付く島もない。どうにも彼女はマイペースというか、自分を中心に世界が回っていると思っている節があるなと少年は思った。ここで言い争っても始まらないと、少年は結局自分の話から始めることにした。
自分が日本という場所から来た事、事故で体の一部が機械になっていること、昨日眠ろうとしていたら突然ここに飛ばされてきたこと。少年はかいつまんで少女に自分の話をした。話している中で、(なんとなくそんな気はしていたが)彼女はそもそも日本という国の存在を知らないようであった。
「そんなところ聞いたこともないわ。」と少女はいった。ある程度予期していたこととはいえ、ここはどうやら自分が知る世界ではないらしい。少年は自分の常識が全く通用しない別の世界に来てしまったのだという事実に少なからず不安を覚えた。
「それで?」少年は聞いた。
「なにが?」
「なにが、じゃなくて...俺が話したんだから今度はそっちの番だろ。どうして昨日俺はここにいきなり呼び出されたんだ?というか、そもそもここはどこなんだ?お前はいったい-」
「はー、めんどくさ。」
「はぁ?」
「いちいち質問が多いのよ。あんた。説明も長いし。」少女は本当にめんどくさそうに言った。少年は初めて人をぶん殴ってやりたいという思いに駆られた。少年は少女をにらみつけたが、相手はまるで気にしていないようだった。少女は言葉を続ける。
「わたしも昨日のことはあんまりはっきり覚えてないのよ。昨日は確か...そう、アルスに魂を転移させようとして...」と少女は壁に置いてある等身大に近い人形のようなものに目をやった。少年は昨日少女が気を失った後、自分の足元にあの人形が転がっているのを見つけて少しぞっとしたのを思い出した。気味が悪かったので壁に寄せておいたのだった。
「アルスっていうのか、それ?」少年は今聞こえた単語をそのまま尋ねた。返答はない。
「というか、そもそも魂を転移させるってなんだ?」続けて尋ねる。が、なぜか彼女は応えない。
「おい...聞いてる?」
「...まずい...。」少女が絞り出すような声でつぶやいた。
「なにが?」
「このままじゃ...試験が受けられない...。」少女がこちらを見る。その目はさっきまでと打って変わって焦りと絶望に満ちていた。というか怖い。
少年がそんなことを思っていると少女は少年の機械の左腕に目をやった。しばらくそれをじっっと見る。
「あの...?」と少年が少し怯えつつ口を開いた瞬間、ハッと何かをひらめいたように少女は立ち上がった。
「そうだわ!あんたがアルスってことにすればいいよ!私って天才かも!」
「はい?」
「なんでかわかんないけどあんたを呼び出したのが私ってことは間違いないし、あんたなんかちょっと人形っぽいし、きっとそれで何とかごまかせるわ!」と少女はふと壁にかかっている時計らしきものを見た。
「ってもう時間がーーーー!?まずいまずいどうするどうする、落ち着け私...!」
少女が一人で勝手に右往左往しているのを見て少年は、少しだけ、また自分の無力さを思い返していた。全く状況がわからない。知らない単語、知らない場所。世界は勝手に進んでいく。自分の意志とは全く関係なく。ここでもまた俺は-。
と、少女はダンっ!と机を叩いた。そして、少女はまっすぐに少年をみつめた。少年は、少女の目の色を初めてはっきりと見た。それは、美しい青色だった。
少女は言った。
「あんた、飛べる?」
少年は、何と答えたらよいかわからなかった。
こんな馬鹿げた質問をされたのが初めてだったから、ではない。
誰かが自分の可能性に賭けている。それが初めてだったから、である。