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可能性にかけてみたい。自分の可能性というものに。
自分はどこまでいけるのだろう。どこまでもいけるかもしれない。じぶんは何になれるだろう。きっと何にだってなれる。自分はいつまで生きていいられるだろう。
望めば、いつまでだって。
「残念だけど...。持っても、明日までだと思う。」白衣を来た男性が重々しい調子で言った。
そんなことをいわれて、少年は、はぁそうですか、という気の抜けた声をだした。意外にあっけないものだ、と彼は思った。席を立ちお辞儀をする。
「いままでありがとうございました。」そう言われた白衣の男性も、その後ろにいる看護師の女性も浮かない顔をしていた。彼は出口のほうへ振り向き、そのまま部屋を後にした。
さて、どうやら、僕はとうとう死ぬらしい。彼は病院の玄関に立ち、心の中でつぶやいた。
これからどうしたものか。特に予定は決めていないし特にしたいと思うようなこともない。しかし何もしないでいるというのもなんだかすっきりしない。
「とりあえず散歩でもするか。」そう口に出して彼は病院の外へと、あてもなく歩き出した。
少年は機械によって生かされていた。彼自身は当時のことをあまり覚えていないが、幼少のころ、彼は大事故に巻き込まれ、その時に臓器と左腕を無くしていた。それを当時の最新技術により機械で代替し、なんとか生きている、生かされているというのが彼の現状であった。そう、いままでは。
何事にもコストというものがかかる。彼は自分の体を見た。この体を維持するのもタダではない。ただ生きていくだけでもメンテナンスや充電のコストがかかる。今まではそれを叔父が払ってくれていた。だがその叔父は事業に失敗し蒸発した。それがつい先週のことだ。彼はまだ学生で、バイトして稼ぐ金はたかが知れていた。このメンテナンスは保険が効くようなものでもない。病院の先生は、いろいろ申請をすれば何とかなるかもしれないと曖昧なことを言ってくれた。でも彼自身、そこまでして長く生きていきたいと思わなかった。
彼は自分自身のことを感情が乏しい人間だと、そう思っている。これといって自分の人生というものに思い入れを持っていなかった。端的にいえば絶望している、ということになるのもしれない。彼はむしろ予想に反して長く生きてしまったという思いすら抱いていた。ついに来る時が来たのだ。彼は漠然とそう思った。
しばらく歩いて、ふと、公園の自動販売機が目に留まる。のどが渇いているわけではなかった。ただなんとなく自動販売機の光が目についたのだ。まるで蛾のようだ、とすこし自嘲気味になりつつ財布をポケットから取り出し中身を見る。中には10円しか入っていなかった。はぁ、と溜息をつく。家に帰ろうかとも思った。しかし家には誰もいない。もう家賃も光熱費も払われていない家は、彼にとって雨風をしのぐ以上の意味は持っていなかった。
思えば、長い間一人で生きてきたような気がする。両親を事故で亡くし、叔父からは金の援助だけ。学校でも友人もできず一人浮いていた。少年は別に一人でいることが嫌ではなかった。しかし退屈ではあった。勉強に対して意義を見いだせなかったからである。
あるとき、自分のことを可哀そうだと言ってきた女の子がいた。どういうきっかけだったかはよく覚えていない。確か中学のとき、何かの係で二人になったときそういわれた気がする。あれは一種の同情だったのだろうか。そのとき自分は肯定も否定もできず要領を得ない返事をしたように思う。自分の人生が素晴らしいとは思っていなかったが、他の人の人生を知っているわけでもなかったから。確かに周りには無邪気で若々しく、未来に希望を抱いている人もいた。しかしそれはごく一部で、おおむね大半の人間は、大人が思っているほど未来に希望など持っていおらず、無邪気でもなかった。あるいは見せかけでそうふるまっているように少年には見えた。
少年は近くにあったベンチに座った。そして行きかう人々とたまに飛んでくる鳩を見ていた。空は青く、雲は高い。のどかでいい天気で、平和な風景である。こんなに人がいる中で自分はただ一人まもなく死を迎える。そう考えると急になんだかおかしな気持ちになる。果たしてそんなことがあり得るのだろうかという気さえする。まるで他の誰も知らない自分だけの秘密を持ったようでなんだか少し愉快な気持ちになった。もしできるなら、こんな気持ちのまま死ねたらいいなと思った。彼はベンチで横になり、そのまま目を閉じた。
このまま目覚めずに終われるならそれもいいと思ったが、あいにくとベンチは寝心地が悪かった。それにこんなところで若者が横になっているのはどうやら人目を引きすぎるようだった。彼は仕方なく場所を変えることにした。どうやら自分は死に場所も好きには選べないらしい。
彼は肩を落としながらあてもなく歩いた。自分の周りの世界がまるで自分とは無関係であるような気がした。自分がいなくても世界は進み続けるのだと感じた。言われてみれば当たり前である。だけれどもそれが今の少年には少しだけ寂しかった。しばらく歩き続けて、ふと気づくと見慣れたアパートの前に来ていた。無意識でここまで来てしまったらしい。習慣とは恐ろしいものだ。少年は半ば自動的に鍵を開け、家の中へと入った。
見慣れた部屋。見慣れた家具。見慣れたいつもの風景。ただ電気がつかないから少しだけ薄暗い。少年は敷いたままの布団に入った。横になりながら今までのことを思い出そうとした。しかし、この部屋には特に思い出になるようなことはなかった。ここを尋ねてくるのよくわからない勧誘ぐらいで、この部屋で誰かと過ごした思い出はとうとう思い出すことはできなかった。
少年は目を閉じて考えた。このまま目を閉じて眠りについたら、僕は目覚めることはないかもしれない。
僕はこのまま死ぬのだろうか。誰にも知られることなく、誰に気づかれることもなく。
それは。
「...いやだなぁ。」
と、その時、誰かの声が聞こえた。
「..い、..けて...!」
少年は顔をあげる。何かの聞き間違いだろうか。辺りを見渡すが誰もいない。
今度は、はっきりと声が聞こえた。
「お願い、助けて...!」
少年は立ち上がる。
そして自分の頭がおかしくなったのかと思うが早いか、急に少年の周りが光りだした。
「うっ...!」声にならないような声をあげて、とっさに顔を手で覆う。
光は徐々に強まっていった。
数秒の後、少年は恐る恐る目を開ける。気がつくとそこは見知らぬ場所だった。辺りはもやがただよっていてよく見えない。部屋の中であるということはわかった。
そして、目の前には見知らぬ少女が立っていた。
どうやら、悪い夢でも見ているのかもしれない。
少年はそう思った。