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私は財布を小脇に隠すように持って、劇場を直ちに出た。
通路の出口でもぎりの学生アルバイトに用済みの半券を手渡して、ロビー、ラウンジを一心不乱に見渡してみても、もうさっきの女性らしき姿はない。
そのまま玄関を出ようとしたところでふと我に返り、いやそもそも声を聴いたくらいしか手がかりはないのだから……などと彼女を探すのはとっとと諦めようとしながらも、何故か心当たりのない寂寥に包まれた私は、まるで高台の孤城に幽閉される、人語を操る恋愛症の怪物のようではないか?
なんて情けない。財布は受付に届けようと、私が引き返そうとしたとき、
「すみません! あの……それ、拾ってくださったんですか」
どきりとした。まるで間抜けな空き巣犯が、狙った家の玄関前で巡回中の警官に呼び止められたような気持ちで。
ふとした気の緩みに、私の腕は力なく項垂れて、小脇に抱えるように隠していたはずの財布も、ものの見事に露わになっていたのであった。
「これのことですか?」と言いながら私は振り向く。ささやかな不安と恐怖の滲んだ動揺こそあれ、まったく自然に柔らかく、関節という関節に高性能な潤滑油を差した人造人間のような動きで。