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このような覚束ない曖昧な記憶の理由には、いくつかのパターンがあるというのが、一般的な憶測として至る所で囁かれていた。例えば幼い頃に触れた何らかの映像作品や小説や漫画などの創作物の中の一場面を、誤って自身が体験したものと記憶してしまうためだとか、または単に夢の内容を記憶してそれを実体験だと錯覚してしまうためだとか、その他諸々の考えつく理由があり、そして概観してみるとそれらが示すのはどれも共通して、私の臨死の記憶は実体験ではない、想像や幻想の類であるということだった。
しかし私はその憶測のどれにも反論があった。例えば創作物に関しては、私は幼い頃から記憶力は優れていた方で、何度もお気に入りの作品を振り返って、その内容を登場人物の台詞の一言一句まで一つも間違えずに覚えていることが出来たため、私の記憶が何らかの作品に依拠していることは簡単に否定することが出来た。
夢の錯覚ということだって、夢ならば夢の中の私は痛みなど感じないはずであるのに(夢かどうか確認する作業として頬をつねったりはたいたりするのは、世界共通のようなことである)、私は確かに手術台の上で身動き一つ出来ないほどの全身の激痛と、それが意識に供だって遠のくのをはっきり覚えているのだった。