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私はその後自分がどうなったのか知らない。知らないといっても、勿論私は今生きているのだから、知らないも何も、その後私が一命を取り留めたのは疑うべくもない事実のはずではあるが、それでもどこかいまいち釈然としないのである。もしあの記憶が実際に起こったことだったとして、私はあのまま死んでいるほうが寧ろずっと納得できるのだった。
しかしそれはさておき、およそ私が小学生高学年くらいの頃、ふと思い出したようにこの記憶について両親に問い詰めてみると、両親は口を揃えて、「手術台? 点滴? 全身針だらけ? いや、思い出せないなあ。今までそんな大きな病気にはかかったことはないと思うけど」と、牧草を咀嚼する牛のように呑気に答えた。
両親は私の弁証を面白半分な笑い交じりにはねのけたが、私はその余りに無造作な・自然な顔から二人の偽証を直ちに暴くことはできなかった。何かと負けず嫌いな私はそれでは諦めがつかず、何度も真剣に切実に言い張っても、やはり両親はさっきと同じように誓って嘘などついてはいないと言いながら、名誉を傷つけられて半分むきになって涙目でいる私を、可哀想にと言いながらなだめるのだった。