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さて、それにしてもあそこの彼らは一体、あの炎を囲んで、何を見つめているのだろうか。少なくともそれが、炎をまつろわす神や仏とは違うものだということだけは、私は分かっていた。
毎年の祝祭には、そこに最も有るべきはずの信仰が、完全に欠如していた。信仰にもっとも重要なものは、上位者への尊敬や崇拝ではなく、上位者への服従と生贄である。太古の昔にあの炎にくべられていたのは、きっと伐採した木材のうち金にならない端材などではない。あの炎を燃やしていたのは、他者のため犠牲となって泣き叫ぶ不憫な人間の死だったはずだ。
それこそが本来の、純粋な信仰ではないか? あの足元のぬかるんだ雪のように、人々に踏みにじられて溶け落ちていく犠牲者たちの痛みが、かえってあの信仰を嫌悪し敵視する私だけに見えていたというのは、流石に都合が良すぎる考え方だろうか?
私は、あの大きな煙の柱から、今にも弾けそうな勢いで、赤い火の粉を吹き出す炎の先を見て思う。