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私の幼少期の自我の完成形は、この白い膿にも似た感激に染まった。私が六歳の日に抱いた上位者への危機感、それは別の上位者への服従によってしか解決できない。
美しい死、愛おしい死、恍惚に触れた死、それらを統治する死の女神に心奪われた私に必要なことは、私がこれからどう生きるかではなく、私がこれからどう死ぬかといういわば人生の演劇を、緻密に構成された演目表の順に従って、私独自の遠近法的技法を駆使して、披露してゆくことだ。
人生とは回り道な自殺である。だとしたら、自殺の演目表を私はこれから誰の手も借りずに、私自身の手で用意せねばならない。
程なくして、玄関のチャイムが鳴った。不死鳥のように体調を良くした私は、汗まみれのパジャマ姿のまま玄関へ向かうと、開け放たれた戸口から身も凍るような冬が押し寄せてきた。この冷風をもってまた私が熱をぶり返すのではないかという配慮などどこにも見当たらない。
この鈍感な来訪者は、まさか私がもう快復しているなどとは、全くの望み薄でやってきたのである。両親に孫の様子を確認するよう頼まれて来たのであろう私の祖父は、玄関外でこちらに背を向け前屈みして、無言で長靴に付いた雪を叩き落としていた。